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メイド・イン・ジャパンのキリスト教 単行本 – 2005/4/28
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内村鑑三らの儒教的キリスト教から、多様化し土着化した日本製キリスト教まで、歴史・思想・民俗研究の空白部分を埋める、初めての包括的、実証的研究。
◇2005年5月刊行・現在(2009年8月)第6刷◇
- 本の長さ357ページ
- 言語日本語
- 出版社トランスビュー
- 発売日2005/4/28
- ISBN-104901510304
- ISBN-13978-4901510301
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商品の説明
著者からのコメント
「ヨーロッパの華麗な大聖堂や荘厳な教会のかたわらにたたずむと、 キリスト教が西洋で生まれた宗教ではなかったことなど簡単に忘れてしまう」 と、 著者のマリンズ氏は述べている。 なるほどキリスト教と西洋文化は不可分だろう。 しかしだからといって西洋的な理解が唯一無二のキリスト教理解とは限らない。 遠くはアフリカや中南米、 近くはフィリピンや韓国をみればわかるように、 キリスト教は現地の文化と融合し、 その土地独自の信仰の形を花開かせ、 大勢の信者を獲得している。 実際、 いわゆる西洋とそうでない地域、 白人と非白人のキリスト教人口を比べると、 今やどちらの場合も後者が前者を上回っている。
けれども日本におけるキリスト教は、 いまだに西洋の宗教といった観が強い。 キリスト教の日本布教の最盛期が戦国時代、 明治初期、 第二次大戦後の三つの時期であったことを考えれば、それは当然のことなのかもしれない。当時、欧米各国は強大な軍事力とすぐれた文明を誇る大国として日本を圧倒し、キリスト教は先進諸国の文化的支柱として輸入されたのだから。 このような歴史をもつ私たちは、 西洋がよしとするキリスト教をそっくりそのまま受けいれるのが正統で、 そこに日本的な要素を持ちこむのは亜流にすぎないと思いこんではいないだろうか。
本書がとりあげるのは、 西洋型キリスト教を踏襲する日本の趨勢に抗い、アジアの伝統や神秘的な啓示体験を取りこんで、 キリスト教を入念に解釈しなおし構成しなおした日本人たちである。 彼らの試みは、日本人が西洋文化を批判的に吸収してゆくプロセスであり、 近代日本思想史の一断面なのである。
武士道、仏教、儒教、祖先崇拝などの日本の伝統や、韓国、台湾、イスラエルなど世界各地のキリスト教理解を導入してキリスト教に取り組んだ人々にはじまり、企業文化、新宗教運動、教育事業、結婚産業といった現代的・世俗的な場面でも発揮されるキリスト教の存在感に至るまで、 本書の扱う範囲はきわめて広い。 著者は宣教師の息子として子供時代を日本で過ごし 現在は宗教学者として日本で教鞭をとっている。本書で開陳される細やかで的確な日本理解は、著者の長い日本経験が大きくものを言っている。
仏教は千年を超える長い歳月をかけて日本に土着し、いまや日本人の宗教意識の基底をなしている。一方、近・現代史とともに歩みを進めたキリスト教土着は 西洋と日本の総合をめざす弁証法的ないとなみである。この観点から、日本におけるキリスト教土着を体系的にとりあげた初めての実証的研究として、本書の価値は高い。
のみならず、 本書が傑出しているのは、 グローバル化の進む現代に生きる宗教として、日本のキリスト教を的確に位置づけている点である。 キリスト教神学の立場から土着の試みをいかに論じうるのか、世界各地で展開する土着的キリスト教と日本における土着形態との共通点や相違点は何なのか、キリスト教世界を席巻するペンテコステ派キリスト教やカリスマ的キリスト教はどのような影響を日本におよぼしているのか、また、西洋文化の一部として世俗的な場面に流用されているキリスト教がどういった展開をみせているのかなど、日本におけるキリスト教の現代的状況がさまざまな側面から論じられている。
(たかさき めぐみ/社会人類学)
著者について
1954年アメリカ合衆国アラバマ州生まれ。アラバマ大学卒業、リージェント大学(カナダ)を経てマックマスター大学(カナダ)で博士号取得。宗教社会学専攻。1985年から日本在住。四国学院大学、明治学院大学をへて現在は上智大学比較文化学部教授。Minorities in Canada (1989)、編著書にPerspectives on Christianity in Korea and Japan(1995)、Religion and social crisis in Japan(2001)、Handbook of Christianity in Japan(2003)などがある。
高崎恵(たかさき めぐみ)【訳】
1963年生まれ。国際基督教大学卒業、同大学大学院で博士号取得。文化人類学専攻。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所COE特別研究員、オックスフォード大学クィーンエリザベスハウス客員研究員を経て、現在は国際基督教大学、東京女子大学、東洋大学非常勤講師。著書に『自己像の選択-五島カクレキリシタンの集団改宗』(国際基督教大学比較文化研究会、1999年)がある。
登録情報
- 出版社 : トランスビュー (2005/4/28)
- 発売日 : 2005/4/28
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 357ページ
- ISBN-10 : 4901510304
- ISBN-13 : 978-4901510301
- Amazon 売れ筋ランキング: - 527,179位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 341位神学 (本)
- - 376位キリスト教史 (本)
- - 845位キリスト教入門
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著者について
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私自身はキリスト教徒ではないが、キリスト教そのものは知的に理解する必要があるとは思ってきたし、近年非常に増えている「キリスト教式結婚式」を持ち出すまでもなく、日本人はとくに若年層を中心に「キリスト教的なもの」には親近感を感じているようである。
しかし、今後も日本では信者になろうとする者はきわめて少数だろう。たとえ、人生の通過儀礼の一つである結婚式をキリスト教式にしたとしても、信者でもないのに、出生や葬儀をキリスト教式にする者が増えるとは、とうてい考えられない。
明治維新以後のキリスト教布教は、もっぱら米国のプロテスタント系教会が中心となってきた、(P.20〜26に日本で伝道を行ったキリスト教団のリストが掲載されているが、驚くべきほどの多さである!)。
しかし、キリスト教徒となった日本人のなかには、外国人宣教師のミッションのやり方にはしっくりこない者や拒否反応を示した者がいたようだ。そこから「キリスト教土着」の動きが始まる。
キリスト教が日本に定着しなかった理由には、日本人自身による「無意識の取捨選択」が働いているというべきだろう。著者もいうように、日本の民俗信仰にける「祖先と死者の霊をめぐる土着の信仰や慣習」はきわめて根強いものがあり、たびたびの社会変動を経ても根本的に変化することはないのである。
現在ではこれが、いわゆるマスコミと連動したスピリチュアル・ブームとなって、さらに顕在化され強化される方向にあるとすらいえる。現代的な衣装をまとっていても、日本人の民間信仰の本質は「祖先と死者の霊」を抜きにしては成り立たないのである。
そしてまた生きた人間と人間の関係が、自立した個人を基礎にした社会ではないことも、キリスト教の浸透を阻んでいる大きな理由の一つである。近代化された日本においても西洋的な意味での社会は存在せず、人間関係は依然として「世間」が中心である。
キリスト教は「世間」からみれば他者以外の何者でもなく、もし土着化したとして「世間」のなかに取り込まれたときには、すでにキリスト教ではなくなっているというべきかもしれない。
免疫系の比喩でいえば、キリスト教という異物に対する免疫反応は拒絶するか、取り込んで自分のものとしてしまうかの二つしかない。その意味では、キリスト教はもはや日本では増えることはないだろうが、多くの日本人は無意識のうちに取捨選択してキリスト教の要素をすでに何らかの形で取り込んでしまっているといってもよいかもしれない。しかも自分に都合のいい、いいとこ取りという形で。
本書は、さまざま観点から読むことのできる興味深い研究書である。キリスト教の土着運動を描くことによって浮かび上がってくるのは、日本というもの、日本人というもの、つまり「世間」についてであり、また新しい思想や教義を異なる文脈をもつ文化に移植することの困難さである。
ビジネスマンとしての私が興味をもつのは、とくに後者の点である。布教の成功とは、その教えによってどれだけの数の魂を救うことができたかということで測ることができるが、どこまでオリジナルな本質を保ったまま、現地に土着化するかという課題として残る。これはビジネス用語を使えば、カスタマイズによるローカリゼーションであるが、宗教も思想の一つである以上、同様のメカニズムが働いているとみて問題ないであろう。
万人向けの本ではないので、すべての人に奨めるつもりはないが、日本とは何かを考える人には、面白い視点を提供してくれる本であることは間違いない、といっておこう。
しかし、プリマスブラザレンが、日本の土着化に果たした影響などを傍証する資料なので、ブラザレンの研究をする方は持っておいたほうがいい一冊かも。
なぜ、日本はキリスト教布教において手を焼いたのかという分析も興味深い。日本人は単一民族とよく言われるが、それは明治以降創造された概念であり、前近代においては封建体制下の個別主義、分離主義によって、まったく単一的ではなく、どちらかといえば混成的で、それが宗教的多様性にもつながっていると言う。キリスト教を出発点としながらも、独自の要素を加えるうちに「新宗教」に近い存在となっていったキリスト教土着運動も紹介されているが、今の新宗教の隆盛や、“結婚式はキリスト教、葬式は仏教、正月は初詣”といった宗教の使い分けを見ると、ひとつの宗教の枠には収まりきらない日本人の特殊性が見えてくる。
グローバリズムや日本文化論といった観点からも大変刺戟を与えられる本である。
前半の、近代西洋とともにやってきた様々なキリスト教教会の整理や、内村鑑三に代表される無教会運動などは、比較的よく知られているところである。ので、これに続く「自己修養」タイプのキリスト教、そして「第二波の土着運動」における教義と実践をテーマにした所が特におもしろかった。「他力」に傾いた内村に対して、近世以来の、自力と道徳の陶冶を重視する宗教的運動の流れを復活させた前者、それから、1930~40年代に勃興してきた、「日本の伝統的な文化」(なにより、死者〔先祖〕祭祀。あるいは家・日本神話など)を積極的に吸収していって新たなキリスト教を創造した後者である。ここにきて、「日本製」であることの本義が、よくわかってくるわけだ。
不満といえば、さらにその後、現在にいたるまでのキリスト教受容の動きの把握の弱さである。原著が1998年に出版されたことを考慮しても、結婚式における高感度アップをもって新展開を語るのでは足りない。たとえば、現代日本人が「あの世」に言及するのに「天国」と口にするときの脳裏にあるものは何か。あるいは、神社仏閣的な「カミ・ホトケ」ではなく、絶対度の高い「神様」にすがろうという機運がこの国の人々には存在してはいないか、など、考えてくれるとありがたかった。
根付かないのが特徴的な日本型のキリスト教であります。新制大学で
ミッション系大学が量産されて下地はあるし結婚式やクリスマスはキリスト
教方式であるのが当たり前になりつつありますが、それ以降はいけない状態
で自分でも本格的原因は不明です。他の競合の新宗教の方が人気みたいで
信者数を増やしております。TVで一世を風靡した江原さんのスピリチュア
リズムもニューエイジ的で一時的な流行であったし、日本の世間教を上手く
ドックキングするドグマは神仏以外に無い模様と言わざる負えません。
日本式にこだわるゼノフォビアな日本でした。土着化を試みても上手くいか
ないとなると本当によく分かりません。海外ブランドは一目散に買いに走る
のに宗教だと躊躇するところとかが不明です。やはりプロテスタントに見られる
「個々人のかつてみない内面的孤独化の感情」には耐えられずに世界の再魔術化
を希望するみたいです。稀に圧倒的な創業者が登場して社会慈善活動も実施され
ますが。別の文脈で質素、勤勉・孝行の集団的美徳を持ち合わせている
日本だったので経済成長したのだろうとは思いました。