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出版社と書店はいかにして消えていくか: 近代出版流通システムの終焉 単行本 – 1999/6/1
- 本の長さ237ページ
- 言語日本語
- 出版社ぱる出版
- 発売日1999/6/1
- ISBN-104893867334
- ISBN-13978-4893867339
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商品の説明
メディア掲載レビューほか
出版業界の出版社,取次,書店が危機的なトリプル不況にある。従来の業界の常識からすれば余りに衝撃的な本書だが,「衝撃的」などということ自体に,業界の危機感のなさを見て,実態を知らずに,ただいたずらに崩壊を待つに等しいことへのいらだちが感じられ,本書を生んだ。
時間を掛けて売れるよい本を作る,それが出版文化だといっても,それが現実から見れば夢物語に過ぎないことをデータで突きつけている。
バブルが,そしてバブル崩壊が出版業界をも見舞った。大規模店・郊外型書店の相次ぐ登場,売り場面積の増大,新刊点数増加の一方で,既存書店の相次ぐ廃業,書籍のマイナス成長,返品の増加。大量生産・大量消費を可能にした「再販制」「委託制」に基盤を置いた出版社・取次・書店というインフラが制度疲労を起こしたと見れば,これが出版業界全体の課題であることを再確認させられる。
そこには,出版を支えてきた読者が大きく変容したことも見逃されてはいない。「近代の読者」は蔵書を構築した。本は象徴だった。しかし「現代の読者」は,書店よりもコンビニやブックオフ,図書館に向かう。本を記号として消費している。
バブル崩壊で,何が変わったかと言えば,この読者の変容であろう。出版社・取次・書店という「近代流通システム」のかたわらにすでに現代読者のインフラが構築されている,と思っていた「読書社会」は解体している,と著者は言う。
流通面から日本の出版の歴史を振り返り,「再販制」も出版界が自ら勝ち取ったものとは言えないとの指摘や,「開店口座」などにからむカネの流れの解明など,関係者には見逃せない一書。 (ブックレビュー社)
(Copyright©2000 ブックレビュー社.All rights reserved.)
-- ブックレビュー社
内容(「MARC」データベースより)
登録情報
- 出版社 : ぱる出版 (1999/6/1)
- 発売日 : 1999/6/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 237ページ
- ISBN-10 : 4893867334
- ISBN-13 : 978-4893867339
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,828,935位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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今、自分自身が、電子出版ビジネスに関わっている中で、「変化」と「更新」を考えさせる中、取次・流通システムの誕生の背景をはじめ、強固な土台の形成とターニングポイントについて端的にまとめられており、勉強になりました。
その上で、今後どうなっていくのか、改めて自分の頭の中を整理して行動していきたいです。それと、続編(出版業界の危機と社会構造)も買ってあるので早めに読み終えておきたいところ。
出版物の流通機構に対する批判は絶えないけれども、80年代から始まった郊外型書店の流行と、ここ数年の不景気が重なって、この仕組みが本格的な危機を迎えている、というのが本書の重要な主張である。この危機は、銀行の不動産関連の不良債権の問題と同じ構造になっている。
取次は書店に対して金融機関としての役割を果たしてきた。新規に出店した書店に対する「開店口座」は、出店後しばらくの間、イニシャル・コストの分を取次が書店に貸し付けるという効果を持っている。そのように金融機関である取次が、いま問題となっている銀行よりもさらにガードが甘かったとしても不思議ではない。しかも新しく登場してきた郊外型の大型書店は、コストを節約するために不動産をリースする形をとるので、不動産を担保とすることすらできていない。
このような状況の中で書店が倒産すると、書店が抱えていた赤字が取次の側の不良債権として確定する。さらに問題となるのは、書店が倒産したときの重要な差し押さえの対象である商品在庫(つまり本)が、究極的には出版社か取次がかぶる不良在庫となることである。このような事態を防ぐために、銀行がやっていたような赤字隠し(チェーン店の間での飛ばしなど)が行われているらしい。いずれにせよ取次には体力がないので、どこかで行き詰まることは明白だ。というのが、本書の指摘する一番大きな問題である。
この問題が表面化したときに、取次に「公的資金」は投入されるだろうか? 実のところ、私は、投入は行われると思うので(準公的な資金だろうが)、現在のシステムが完全に崩壊することはないだろうと思っている。混乱の中で、余裕のあるチェーンによる店舗の買収が進み、小型書店の廃業が加速され、書店チェーンの寡占化が起こるだろう。本書では危機が表面化した後の状況についての予想はまったく語られていないのだが、ぜひとも著者の見解が聞きたいところだ。そんなこと語りたくないかもしれないが。
これ以外にもいくつかの「問題」は指摘されているが、いずれもよく言われていることであり、そのなかには、むしろ歓迎すべき傾向や仕方がない傾向も含まれている。
第2章の「近代出版流通システムの誕生・成長・衰退」はその名のとおりの内容で、非常に面白い。特に重要なのは、再販制と委託制の歴史の部分と、大衆向け消費財としての書籍(赤本、円本、文庫)とそうでない書籍の傾向に関する部分だ。当然ながら再販制と委託制を批判する内容である。
第3章の「出版社・取次・書店はどうなるのか」では今後の展望が論じられるが、ここに来て著者の限界が見えてくる。著者のアイデンティティは「人文系の書籍を出す中小出版社」というところにあるのだが、それの限界である。そもそもそのような出版社の多くは、本来ならばすでに市場からリタイアしていてしかるべきだったのだが、著者がまさに批判している近代的(というよりも前近代的)流通機構に守られてきた部分があった。ここの部分をどう克服するのかが、この人たちの課題であるわけなのだが。
とにかく「近代読者」と「現代読者」などという言葉が出てきてしまうことが問題である。この2つの言葉の意味についてはだいたい予想がつくと思うので省略するが、こういう枠組みについては2つの異論がある。まず、これはほぼ確信しているのだが、「近代読者」はいまも存在しており、その人口に対する絶対比率は昔からそれほど変わっていない(あるいは増えているかもしれない)。今日の出版関係者が「いい本が売れなくなった」と嘆くのは、(1)「近代読者」が購入する「いい本」の種類が変わってきている、のと、(2) 「いい本」が供給過多になっているという状況に気づいていないためだと思う。次に、「近代読者」のあり方が変わってきている。「近代読者」というものの典型的なあり方として、「新聞の書評を読んで本を買う人」や、「良心的な書店の親父と茶飲み話をしながら読む本を探す人」みたいなのが想定されている。そういう勘違いをしているから、「近代読者」の需要が十分に掘り起こされず、掘り起こされなかった分、その人は「現代読者」として振る舞っているのだ。
著者は、新しい形態の古本屋(ブック・オフ)が出現し、そこで吉本隆明の著作などが100円で売られていることを嘆いているが、これはなぜ嘆くべきことなのだろうか。吉本隆明の本を買った人は、一生それを貯蔵しろということか? 話は逆で、実際著者も述べていることなんだが(しかし自分でその意味を理解していない)、「いい本」は全体として供給過多といっていいぐらい供給されているのだ。それなのに高い値段をつけていられたのは、まさに再販制に守られていたからである。
インターネット書店についての理解においても、限界が露呈している。再販制の廃止が日本におけるインターネット書店の成功の鍵を握っていることはたしかだが、それがなくても、インターネット書店は弱小出版社にとっての大きな機会である。たぶん著者は「いい本」を作る「人文系の中小出版社」について、古い固定観念を持っている。たとえば、営業マンが「いい本」の価値を理解してくれる書店員と濃密なコミュニケーションを取りながら棚を確保するとか、装丁に凝って価格を高めに設定して少数販売するとか、新聞の書評欄や広告を宣伝活動の主体とするなど。そういう固定観念を捨てれば、インターネット書店がまさに機会であることがわかるはずだ。もちろん中期的には多くの弱小出版社が淘汰されてなくなり、長期的には現在のような出版活動そのものが営利的に成り立ちにくくなると思われるが。
おそらく中長期的には、雑誌を除いて、紙の書物はほぼすべて「現代読者」向けのものになり、「近代読者」はその欲求を電子テキストで満たすことになるだろうと思う。
なお、この本は書店、取次、出版社の3つを扱っているが、源流である「著者」が扱われていない(流通の話なので仕方がないけど)。しかし、本当に「近代読者」について語りたいのであれば、「著者」を議論から外すわけにはいかない。というのも、「人文系の中小出版社」には「いい本」を出してきた主体としての自負があるかもしれないが、ハードコアの「近代読者」にとっては出版社でさえも仲介者に過ぎないからである。
という風に、まあ電子テキストに過度に思い入れをしてみましたが、どうなるんでしょうか。
1999/9/2
少し整理して追加。出版物の再販制や委託制が論じられる中で、賛成派も反対派もあえて触れるのを避けている問題がある。「文化を守る」ような「良心的出版物」が、そのマーケットのサイズと比べると供給過剰になっているということだ(もちろん、どのような本が「良心的」なのかは非常に難しい問題であり、私はそんなカテゴリーに囚われていること自体に問題の根源があると思う)。この歪みのコストは、高い金を出して本を買う消費者に転嫁されているのだが、それ以外にも、流通マージンの低さ、出版社社員の低賃金労働、著者の低収入といった要因に支えられている部分が大きい。注意しなければならないのは、これが「郊外大型書店の出現」とか「読者の好みの画一化」といった、よく引き合いに出される外部的要因のせいで生じている現象なのではなく、上に述べた、経済的に非効率な活動が可能であるというまさにその条件のゆえに起こっている現象だということだ。そして、この枠組みを作り出しているのが、まさに「良心的出版物」という幻想なのである。
もちろん、テクノロジーの進歩によって、この幻想を延命させることは可能である。インターネット上の書店、プリント・オン・デマンド、宅配便の組み合わせは有望に思える。もっとラディカルな、電子テキストのインターネット経由での配布は、いろいろな問題が解決されればもちろん理想的である。しかしこれは流通の部分の改善にすぎないし、コストが下がる分だけ供給過多の状況はむしろ悪化するだろう。
1999/10/31
当時アマゾンは始まったばかりであり、2000年代以降の状況を知りたい人にとっては役に立たない。
まえがきに「現在からすれば、書き改めたい部分も多くありますが、当時の認識はそのまま残したほうがいいと判断し、修正は施しておりません。」とあり、自分のような素人からすると、どこが正しい認識でどこが間違っていたのか、「当時の認識」の是非が判断できない。
やはり、改訂版にして今の認識を示して欲しかった。
明治以降から1998年頃までの歴史については、おおまかな流れがわかり、出来事・事実などの情報については把握できる。
しかし、歴史の部分にも不満はある。
「〜ではないか」という表現があまりに多すぎて、どこまで信じて良いのかわからない。
また、説明の付されていない専門用語が所々にあり、素人にとっては読みにくい。
さらに、一例で言うならば、書店の買掛金が在庫を上回っていることを問題視しているが、開店口座という仕組みを使ってる以上、買掛金が在庫を上回るのは自明の理。
問題は開店口座という仕組みの方にある。問題の本質をわかっているのか不安。
説明のあちこちに、会計や財務をわかっているか疑問に思う箇所がある。
今の出版不況を見れば、大筋では誤っているわけではないと思われるが、いろいろな点が気になり、どこまで信じられるのか、信憑性の点で不安を感じる本だった。
(1999年度版の復刻ですが、内容が加筆されているようなのでこちらの方がお勧めです)
「 どすこい 出版流通 」で紹介されていたので、すぐに読んでみてビックリしました。
何の手も打たれなければ間違いなく、このまま業界の状況は尻蕾で死んで行くのでしょうね。
本好きにはどうしようもない状況です。
流通手段の消滅ならば話はまだマシ(?)ですが、出版社の消滅も同時に進んでいるというのは絶望的です...
一読者の私達も問題意識を持たねばいけないのではないかと...!?
結局は私達、読者に戻ってくる問題ですから。
(この本では「読者」と「消費者」とは違う意味で定義されているようです)
取次、出版社、本屋の財務状況がこんなに悪化しているとは...
チェーン店の「飛ばし」は、本当に文章にしていいのか...?過激な内容です。
極論で、出版社が潰れても読者はそんなに困らない。今までに出た本でも読書は続けられるのでは?
と書かれていますが、近年の程度の低い新刊本の嵐を考えると、皮肉にも確かにそうかもしれません...
すぐに「 出版業界の危機と社会構造 」を注文しました。
「再販制と委託制という護送船団方式によって書店が仕入れリスク無いまま肥大化した80-90年代の市場膨張のツケが00年代になって顕在化している」という一言に尽きる
なんと書店は仕入れ書籍代を3年間取次によって免除され、その後も30か月分割払いという仕組みでなっていた
委託販売は1909年「婦人世界」にはじまり、買切主体の博文堂がつぶれ、日販・トーハンが残った。
80年代は「世界最高の取次システム」と言われていたものが、結局は「どんぶり勘定」でなっており、現在に至る
出版社創業社数
S20年代:162社
S30年代:85社
S40年代:78社
S50年代:22社
S60年代:
H00年代:2社(藤原書店、幻冬舎)
収支があわなくなって、小売り窓口をリスク度外視で(度外視できる簿外債務的な構造!)どんどん広げていった不採算産業。なぜ海外の出版市場がさげどまって回復基調のなか、日本出版が下がり続けているかの根源は80年代の流通施策にあったということがわかる
この本は、小田さんとある出版社の経営者(但し、名前は省略されている)が、多くの資料を基にしながら、出版社、取次、書店の危機について対談する形式を採っているが、実際にこれを読んでみると、私がこれまで思っていた常識が、完全に通用しなくなったのではないかと感じてしまう。
実を言うと私は、流行に関係無く読みたい本を狙い買いして、且つこれを長年に渡って、何度も何度も読み続けることが当然だと思っていた。ところが現在では、読者のタイプそのものが完全に変わってしまった。その結果、なぜ近代流通システムが機能不全に陥ってしまったのかを、この本ははっきりと論じていると言える。
もちろん、論じている内容はこの他にも沢山あるが、はっきり言って、ここまで出版不況の構図を上手く論じている本は、なかなか無いと思う。
だから、出版不況について詳しく知りたい人は、まずこの本を読んで欲しいと思う。
しかし中身を読んで、印象ががらりと変わりました。著者は自らも弱小と呼べる規模の出版社を経営する立場にあります。そうでありながら、直接の商売相手である取次ぎや書店に深く絡んだ内容の本を出すのは、当時はなおさらとても勇気のいることだっただろうと思います。つまりそれは、そんな行動を起こさずにはいられない実情が、出版業界にはあるという事なのでしょう。
正直に言って、近代流通システムの破綻という著者の主張が、どの程度真実であるのか、門外漢の私には知るべくもありません。
しかし資料に裏付けられた文章の説得力、学者の空論にはなり得ない著者の立場、そして何より現在の出版不況そのものが、この本の主張を暗に裏付けているような気がします。
人には、一読の価値があると思います。
近年、大型の書店が多数出現し、本を選ぶ側には、大変楽しく、ありがたい
状況にありますが、書店はどうしてあれだけ多くの本を棚に並べることがで
きるのだろうか、資金はどうなっているのだろうかと、以前から疑問をもって
いました。が、この本を読むことで、謎は解消しました。
取次店が、膨大な本を販売委託する形で提供することで、書店に対する実質的な
融資機能(金融機能)を果たしているのだそうです。
本の出版量は増えているが、販売量は減少している。