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長い終戦: 戦後初期の沖縄分離をめぐる行政過程 単行本 – 2020/2/28

5.0 5つ星のうち5.0 3個の評価

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太平洋戦争の戦火は終息した、しかしそれは戦争の終結とはならなかった。沖縄と奄美は、紆余曲折の過程を辿った末、日本本土から切り離された。いったい何が沖縄の終戦と太平洋戦争の終結を結び付け、戦争の幕引きを長引かせたのか。本書では「降伏をめぐるプロセス」と「沖縄の行政分離に至るプロセス」の二つのプロセスに注目して、その過程を見ていく。戦後からいまに至るまで続いている沖縄の問題に、戦後初期の日米の資料を多角的、多面的に解明することで迫っていく。

商品の説明

著者について

チェコスロヴァキア出身(チェコとスロヴァキアの双方で育つ)。横浜国立大学国際社会科学研究科博士課程修了、博士(国際経済法学)。現在、長崎大学多文化社会学部准教授。専門は比較政治学。主要著作・編著・論文に『芦田均日記一九〇五~一九四五』(第5巻=解題及び人名録、柏書房、共著)。主要論文・編著にGuns and Roses: Comparative Civil-Military Relations in the Changing Security Environment. New York: Palgrave Macmillan 2019.(共編著)、Palgrave Handbook of Ethnicity. New York, NY: Palgrave Macmillan, 2019.(共編著)、「太平洋戦争における「終戦」の過程―沖縄統治の形態と範囲をめぐる軍事と行政の相克」『横浜国際経済法学』18(3)、2010年3月、75-112頁、「日本国憲法の制定と沖縄の関連性」『横浜国際経済法学』21(3)、2015年3月、323-352頁などがある。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 成文社 (2020/2/28)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2020/2/28
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 318ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4865200479
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4865200478
  • 寸法 ‏ : ‎ 14.8 x 2.5 x 21 cm
  • カスタマーレビュー:
    5.0 5つ星のうち5.0 3個の評価

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上位レビュー、対象国: 日本

2020年4月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
戦争は、戦闘が終わって、降服条約を結び、その条約に従い占領「行政」が始まり、一定期間が過ぎ占領地域が返還条約により元の国に条約どおり返還されて、初めて終わるー終戦になるということが改めて理解できた。その意味で沖縄は、まだ終戦に至る長い過程の途上にあることと、そして「無条件降伏」などということはこの世に存在しないということも理解しえた。沖縄に対し当事国のアメリカ人・日本人でもなく、韓国・中国人でもロシア人でもないチェコの学者が書いたことに、本書の学問的価値がある。(内容のレベルを落とさずに新書版でより多くの読書人に読まれること願ってます)
2020年4月12日に日本でレビュー済み
沖縄が日本から切り離される過程を丁寧に紐解いた学術書です。
著者名を見なければ日本人が著したものだと思うでしょう。
元々英語で書かれた博士論文を日本語にしたものですが、著者自身が長大の准教授なので訳書の違和感が全くない素晴らしいものです。
学位論文ですから新しい知見で分離過程を見ており、戦後沖縄を研究する人は今後必ず本書を参照するでしょう。
私は沖縄戦の証言ばかり追っているので補足出来るものは、朝鮮半島からの引き揚げ第一便の証言の紹介と知念・玉城方面への避難誘導の件だけです。
本書P.173では11月15日から移送が始まった、とありますが第一便は11月18日に北谷に到着したようです。

本書P.46の知念・玉城村方面への避難誘導について、住民証言の中に散見出来るものは以下の通りです。
戦争証言する人は限られた数であり、その中でも知念方面への避難命令をされたからと言って証言するとは限りません。
よってどれだけの人が避難誘導されたかは不明です。
しかしながら、避難を主導する警官の数には限りがあるので、大多数の避難民には伝えきれなかったと考えられます。
なお元日本兵の戦記本で、住民を知念・玉城方面へ誘導するよう命令があったという記述を見た事がありません。
下記証言から日本軍人の一部には避難誘導命令が伝わっていたとわかります。
なぜ日本軍全体に住民の避難誘導の命令が行き届かなかったのかはいまだに不明です。
また、避難民にとっては日本軍のいない地域に行くのは恐ろしい、日本軍がいるほうが安全だと考えていました。
書名は失念しましたが、6月中旬頃、本島南部にて警察官が避難民に対して、米軍から食料がもらえるので知念へ行けと指示しましたが、避難民はアメリカーの所へ行けるかと憤慨していたそうです。

蛇足ですが、慰霊の日は6月23日ですが、牛島長官自決の日にちは証言を突き合わせてみると6月22日が優勢です。

1.朝鮮半島からの初の引き揚げ証言

「字誌北谷、金城至盛、金城至盛、1986年8月3」P.63(1945年11月18日)米軍の保護を受け、二週間後に仁川港から米軍の大型LSTで沖縄の比謝橋沖に着き、(略)県外引き揚の第一便として百四名が、屋嘉の日本兵収容所で色々と尋問を受け、一週間後にそれぞれの郷里に近い収容所へ分散し、・・・略。

2.知念・玉城方面への避難命令の証言

①「工の絆 弾雨下の工業健児、「工の絆」編集委員会、沖縄県立沖縄工業高等学校同窓会、1995年6月23日」
P.138 六月三日頃か、挺身隊もまとまって行動することができなくなり、「今後は住民を知念、玉城方面に誘導保護するよう、三人か五人位で行動せよ」と知事よりの指令がだされた。(証言者は宮里俊光)

②「南風原町史第9巻 戦争編本編 戦世の南風原 -語る 残す つなぐ-、南風原町史編集委員会、沖縄県南風原町、2013年3月15日」
P.181(5月28日頃、前川ガンガラー付近にて)喜屋武・摩文仁あたりまで避難していった人たちがぞろぞろと列をなし、こちらの方に歩いてくるのに出会いました。彼らは「非戦闘員は知念・玉城にいきなさい」という命令があった、といって引き返していました。(証言者は大城正祐)

③「南城市玉城字當山誌、當山誌編集委員会、當山誌編集委員会、2008年11月23日」
P.393(5月下旬~6月中旬と思われる、真栄平の県道側の共同井戸にて)井戸の入口に立札があり、友軍の隊長名で避難民諸氏に告ぐと記してあり、ここは激戦地で危険だから知念・玉城方面に避難する様にと記してあった。(証言者は安次富満信)

④「南風原町沖縄戦・戦災調査4 津嘉山が語る沖縄戦、吉浜忍、南風原町教育委員会、1990年6月」
P.96(5月中旬、津嘉山にて)軍の命令とかで部落中知念・玉城方面に移動したとか、通りがかりの人たちの声を耳にする。(証言者は宮城信子)

⑤「那覇市史 資料篇 第2巻中の6、企画部市史編集室、那覇市役所、1975年9月15日、ニ版」
P.202 摩文仁で益永大尉から「小録にはまだ住民が残っておりこのままでは米軍の捕虜になるから、彼らを説得して知念、玉城方面に移動させるようにしてくれ」との指示を受けたので、(略)夕方一人で歩いていると大勢の避難民に会ったので、彼らに「知念、玉城は安全だからそこに行け・・・・・・・・・・・・・・」と大声でじゃべった。同様なことを数ヶ所で話した。(証言者は翁長助静)

⑥「ぶっそうげの花ゆれて 沖縄戦と女教師、沖縄県退職教職員の会婦人部、ドメス出版、1984年12月25日、第9刷」
P.92 それから三、四日たった頃(6月2日か3日)「敵は那覇の明治橋まできている。早く知念、玉城方面へ避難せよ」との命令がくだった。(証言者は新垣ヨシ)

⑦「糸満市史 資料編7 戦時資料 上巻、糸満市史編集委員会、糸満市役所、2003年12月26日」
P.241 阿波根のチカジクガマにいた警察官の記録によると、住民に対し知念、玉城方面へ避難するよう警察から指示が出ていたという。しかし、5月末には知念半島に米軍が進攻しており、住民が避難できる状況ではなかった。

⑧「糸満市史 資料編7 戦時資料 下巻、糸満市史編集委員会、糸満市役所、1998年11月30日」
P.342(兼城村阿波根にて)チカジクガマにいた警察官の記録によると、住民に対し知念村・玉城村方面へ避難するよう警察から指示が出ていたという。

⑨「南風原町史第9巻 戦争編本編 戦世の南風原 -語る 残す つなぐ-、南風原町史編集委員会、沖縄県南風原町、2013年3月15日」
P.246(5月末)軍は住民の犠牲を最小限にとどめる為にすでに知念方面に避難するよう伝達もされていた。(証言者は田本流助)

⑩「戦禍の渦 附よもやま話 日常生活の中の仏教語、仏事、葬儀、宮里俊光、宮里俊光、1991年」
P.12 「知念方面は米軍が非戦闘地域に指定し、住民の避難を呼びかけている所だから、其所へ行って、山中に潜り込み、壕でも見付けて、米軍の後方の状況を東京に打電するよう命令を受け、小禄海軍基地を出て、艦砲射撃の合間を縫って、遠回りして此処まで来たが、既に日は暮れかけているし、明かりも点されない暗闇では、道に迷うころ必定、知念方面に通ずる道を教えてくれないか」と海軍通信隊の分隊長中村少尉の依頼を受けたのが昭和二十年五月十二日の夕刻、高嶺村与座部落前の路上であった。(米軍が非戦闘地域→日本軍が非戦闘地域、また、五月十二日は米軍に遭遇していることからして6月12日の間違いと思われる。)

⑪「北中城村史 第四巻 戦争・証言編一、北中城村史編纂委員会、北中城村役場、2010年1月31日」
P.442 しかしながら、そこ(真壁村糸洲)にも米軍が押し寄せてきて危険だということで、「知念方面が安全だからそこに行きなさい」と日本の兵隊がいうものだから、その壕を出て知念方面に向かいました。(証言者は安里昌盛、崎原ハル)

⑫「最後の一中生、久手堅憲次、沖縄県立第一中学校昭和19年入学同期生会、1986年1月25日」
P.58(5月末~6月5日と思われる)住民は知念方面が安全だから、そこえ(ママ)避難せよとの命令が出された。(証言者は与那嶺盛男)

⑬「わたしの沖縄戦④摩文仁の丘に立ち~「生かされた」人びとの告白~、行田稔彦、新日本出版社、2014年3月25日、初版」
P.103 5月29日ごろ、戦車第27連隊4中隊の長岡伍長と沖縄出身の中(ママ)村渠二等兵と・・・略・・・「逃げるんだったら軍備のない知念方面に逃げなさい、南部の喜屋武岬辺りに行ったらおしまいだよ」と言った。(証言者は呉屋善考)

⑭「回想の田端一村、真栄城玄祐、真栄田義見、1977年10月20日」
P.81(5月26日摩文仁にて)早く小録にいって村民を玉城、知念方面に避難させよとの軍命が千早隊に下った。(証言者は翁長助静)

⑮「若き血潮ぞ 空をそめける ~一中学徒の戦記~、一中学徒隊資料展示室管理委員会、社団法人養秀同窓会、2011年8月15日」
P.435(5月下旬、本島南部にて)住民は知念方面が安全だから、そこへ避難せよとの命令が出された。(証言者は与那嶺盛男)

⑯「沖縄戦体験記「情報宣伝隊(千早隊)」沖縄師範学校学徒の実録、沖縄戦体験記「情報宣伝隊(千早隊)」手記出版編集委員会、沖縄戦体験記「情報宣伝隊(千早隊)」手記出版編集委員会、1998年6月23日」
P.232「あなたは本当に司令部の人間ですか。我等に友軍から離れて、敵が侵入する知念方面に行けと言うのですか」「敵の捕虜になれと言うのと同じだ」(証言者は仲間良盛)

⑰「消えた沖縄県、浦崎純、沖縄時事出版社、1965年10月25日、初版」
P.168(5月末~6月上旬と思われる、与座岳にて)席上軍側は、-敵は、(略)足手まといになる地方民がこの地域にいては作戦の障害になる。残らず、安全地帯と指定された知念、玉城方面へ即急に退(ママ)ちのかせて欲しい・・・・・・と申し入れた。

⑱「【証言・沖縄戦】沖縄一中・鉄血勤皇隊の記録(下)、兼城一、高文研、2005年9月10日、第1刷」
P.39(6月上旬、具志頭村新城にて)球部隊の下士官が「この付近は間もなく戦場になる。民間人は非戦闘地区の知念半島に行きなさい。知念半島では戦闘はない」と教えてくれた。(証言者は与座章健)

⑲「沖縄・八十四日の戦い、榊原昭一、新潮社、1983年5月10日」
P.193(真栄里付近にて、6月と思われる)友軍が知念村か玉城村へ避難せよ、という。(証言者は小橋川朝二)

⑳「赤い蘇鉄と死と壕と 沖縄戦避難日記、冨里誠輝、秋田書店、1963年8月15日」
P.156(5月23日玉城村前川にて)住民は足手まといにならぬよう無防備地域の知念半島へ待避せよとの声も高い。

(21)「赤い蘇鉄と死と壕と 沖縄戦避難日記、冨里誠輝、秋田書店、1963年8月15日」
P.160(5月26日玉城村前川にて)軍以外の官民は戦闘の足手まといにならないよう知念半島へ避難せよと、巷の噂も高い。

(22)「戦火の中の受刑者たち、渡嘉敷唯正、閣文社、1988年11月15日」
P.125(本島南部にて)五月の末頃、軍命令だということで、このあたりは近く決戦場となるので避難民は知念半島に行くようにという達しが流れました。

(23)「私の戦争体験記 附・随筆集、上江洲謙、上江洲謙、1979年11月10日」
P.50(1945年5月末、糸満にて)住民中の老幼病人は玉城村に避難せしめるよう、上司の指示があるので、該当者には左様にすすめ、(略)。

(24)「記録集成 戦さ世の県庁、荒井紀雄、中央公論事業出版、1992年10月27日、第3刷、第1刷は1992/8/15」
P.157 五月三十日の未明、沖縄新報記者の大山一雄氏(現在、沖縄県厚生事業協会会長)は(略)私に次のように語った。 五月二十九日、与座で山兵団の杉森少佐を中心に軍官の協議会があり避難民は知念に行くよう軍の指示があった。
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