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戦時下の絵本と教育勅語 単行本(ソフトカバー) – 2017/11/7
山中 恒
(著)
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絵本を開けばリアルの伝わる戦時下の教育 戦時下の絵本の根底に流れる教育勅語の精神を、『ボクラ少国民』の山中 恒が、豊富な絵本資料を見せながら解説する。戦時研究、絵本研究、教育者、子どもにかかわる人たち皆の必読書。 『教育勅語の精神とはこれか! 私が子どもだったころ、学校で一番尊い場所は「奉安殿」だと教えられました。天皇皇后の写真と勅語謄本(教育勅語の写し)が入っているところです。先頃、この教育勅語を園児に暗唱させていた幼稚園が話題になりました。「目上の人を敬い、友だちと仲良くし、礼儀を重んじる」ことを教える教育勅語は今こそ使い道がある、というのです。本当にそうでしょうか。本書では、私の教育勅語体験とその背後にあるものを、戦時下の絵本を通して迫っていきたいと思います。皆さんの目で頭で、本当のところを確かめてください(山中 恒)』
- 本の長さ128ページ
- 言語日本語
- 出版社子どもの未来社
- 発売日2017/11/7
- 寸法15 x 1.2 x 21 cm
- ISBN-104864121265
- ISBN-13978-4864121262
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対象商品: 戦時下の絵本と教育勅語
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商品の説明
出版社からのコメント
戦時下の絵本の根底に流れる教育勅語の精神を、『ボクラ少国民』の山中恒が、豊富な絵本資料を見せながら解説する。戦時研究、絵本研究、教育者、子どもにかかわる人たち皆の必読書。
著者について
1931年北海道小樽市生まれ。児童読み物・ノンフィクション作家。戦時下を描いたノンフィクションに『ボクラ少国民』シリーズ(辺境社)、『少国民の名のもとに』(小学館)、『アジア・太平洋戦争史』(岩波書店)、『戦争ができなかった日本~総力戦体制の内側』(角川書店)、『少国民戦争文化史』(辺境社)、『戦時児童文学論』『靖国の子』(大月書店)などがある。
登録情報
- 出版社 : 子どもの未来社 (2017/11/7)
- 発売日 : 2017/11/7
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 128ページ
- ISBN-10 : 4864121265
- ISBN-13 : 978-4864121262
- 寸法 : 15 x 1.2 x 21 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 278,263位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 404位日中・太平洋戦争
- カスタマーレビュー:
著者について
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カスタマーレビュー
星5つ中4.4つ
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2グローバルレーティング
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年12月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日中戦争が始まり、その翌年に国家総動員法が公布され、それに呼応するかのように内務省から「児童読物改善に関する指示要綱」が出て、児童図書の国家統制により皇国史観と戦意高揚を企図した絵本が、当時の著名作家や画家によって量産された事実は、これまでなかなか知られてこなかった。教育勅語の精神を盛り込んだ修身の教科書で子どもたちは徹底して皇国史観を叩き込まれ、それを幼児からも教え込もうとする『国史絵本』や『国史絵巻』や、『ウチテシヤマム』『テキキサアコイ』などの戦意高揚絵本、『初等絵本 興亜の春』『「大東亜の国々」シリーズの『マライ・ビルマ・インド』『神の国 日本』など、大東亜共栄圏を喧伝する絵本など、今日的な視点から見ると正気の沙汰とは思えない内容に唖然とする。戦後も活躍した作家や画家たちの暗部でもあるためか、これまでほとんど紹介されたことがなかったが、教育勅語を教材として使うことも容認するという閣議決定されるなど、戦前回帰が危惧される中で、歴史を正視するための貴重な一冊だ。
2018年8月1日に日本でレビュー済み
多様な画風の絵が美しいカラー図版でたくさん収められ、楽しめます。
飛び出す絵本(昭和17年刊『マレーノジャングル』)も紹介されています。
〈あのときの常識〉に詳しいと胸を張る戦後生まれの人たちは、“当時の子たち”は教科書によって洗脳されたと言う(当事者が自らの子ども時代を回顧して言うのとは全く別の話だというところには敏感でありたい)
しかし、学童といえば教科書より、もっと卑近なことに対する興味のほうが強いのではないか。
親に甘えたり、兄弟と張り合ったり、遊びやおやつや食事などなど。
教科書が主な関心になるのは優等生です。大多数の学童は優等生ではなかったのでは?
ま、そう思うのは〈現在の常識〉ではあるのでせう。
本書には、絵本のページがカラー図版で紹介されていますが、教科書のページもモノクロ図版で載っています。
本書に紹介されている〈あのときの常識〉は、たとえばこういうもの。
『初等科修身二』の一部のページが図版で示されているので、文字に起こしてみます(p24 「二 君が代」の「二」はチャプター番号です)
{
二 君が代
君が代は
ちよにやちよに
さざれ石の
いはほとなりて
こけのむすまで
この歌は、
「天皇陛下のお治めになる御代 は、千年も萬年もつづいて、おさかえになりますやうに。」といふ意味で、國民が、心からおいはひ申しあげる歌であります。
「君が代」の歌は、昔から、私たちの先祖が、皇室のみさかえをおいのりして、歌ひつづけて來たもので、世々の國民のまごころのとけこんだ歌であります。
}
また、『ワタシノオウチハヨイオ家』という絵本(昭和16年6月5日刊)。主人公の家はケーキとパンの店を営んでいる。兄は出征していて、店の正面に「出征軍人」と記した札が下がっている。カラー図版で示されたページの一部の文字を起こしてみます(p77)
{
オトウサン ハ
「シュッセイグンジン ノ
イヘ ダカラ ケッシテ
ゴマカシ ナド シナイ
ヤウ ニ。」
ト イッテ ヰマス。
}
このお父さんの言うことは、『初等科修身四』の「私たちの家」という教材の抜粋として紹介されているうちの、下記の記述と呼応するものです(p70 ただし、この抜粋は表記が原文どおりではないのかもしれません)
{
もしもただ一人でも不心得の者があって、わるいことをしたり、つとめを怠ったりするものがあれば、うちの中の人に難儀をかけて、親類までが肩身のせまい思いをしなければなりません
}
これは隣組的恫喝と言っていいでしょう。
出征軍人の家だから不名誉な真似はできないというお父さんの言葉も、矜持であると同時に恐怖による支配を受けたものとも見えます。
広く薄くこうした緊張感の漂うムードが、〈あのときの常識〉ではなかったのかと想像してもいいような気がします。こうしたアンビバレントな心理状態は想像力を刺激します。
ところで、昨年の教科書検定で道徳の教科書のパン屋を和菓子屋に変えろという話があって、開いた口がふさがらない思いをした人も多かったと思います。
昭和16年の絵本に「パンとケーキ」と記した看板を掲げた店頭風景が描かれていたのを見るにつけ、今の世の中は〈あのときの常識〉に比べてもさらに“日本回帰”が突出しているようです。なぜそこまでわざとらしくなければならないのでしょうか。
ちなみに、〈あのときの常識〉にお詳しい方に教えていただきたいのですが、『テキキサアコイ』(昭和19年9月15日)という絵本の図版に「セウカイキ」とあって、本書では(山中氏の手で?)「青海機」と漢字に起こされています(p120)。ここでは米軍の爆撃機の警戒に当たる飛行機の意味なので、「哨戒機」のほうが近い。
いつの時点にか「青海機」という雅語的表記(?)があったのでしょうか?
また、同じ『テキキサアコイ』に「ソラニハ アヲイ タンセウトウ」とあって、「空には青い丹青灯」と漢字に起こしています(p121)
〈現在の常識〉では「探照灯」だろうと思うのですが、〈あのときの常識〉で「丹青灯」とする表記があり得たのでしょうか?
丹青灯では不謹慎なほどカラフルなイメージになってしまいますが。
人の感覚は変わらないという面で面白いのは、『ウチテシヤマム』(昭和19年5月15日)の図版(p116)
{
キハツノ ニホヒ
ジドウシャガ ヘイタイサンヲ
ノセテ イッタ。
ブウ ブウ ナラシテ イッタ。
アトノ キハツノ ニホヒ
イイ ニホヒ ダ。
}
自動車の排ガスの臭いがステキだというわけですが、同じことが戦後、米軍のジープについて全く同じ言辞があったようです。
取るに足らぬ感覚でさえ時代相の中で、プロパガンダ的な働きを帯びることが見て取れます。
飛び出す絵本(昭和17年刊『マレーノジャングル』)も紹介されています。
〈あのときの常識〉に詳しいと胸を張る戦後生まれの人たちは、“当時の子たち”は教科書によって洗脳されたと言う(当事者が自らの子ども時代を回顧して言うのとは全く別の話だというところには敏感でありたい)
しかし、学童といえば教科書より、もっと卑近なことに対する興味のほうが強いのではないか。
親に甘えたり、兄弟と張り合ったり、遊びやおやつや食事などなど。
教科書が主な関心になるのは優等生です。大多数の学童は優等生ではなかったのでは?
ま、そう思うのは〈現在の常識〉ではあるのでせう。
本書には、絵本のページがカラー図版で紹介されていますが、教科書のページもモノクロ図版で載っています。
本書に紹介されている〈あのときの常識〉は、たとえばこういうもの。
『初等科修身二』の一部のページが図版で示されているので、文字に起こしてみます(p24 「二 君が代」の「二」はチャプター番号です)
{
二 君が代
君が代は
ちよにやちよに
さざれ石の
いはほとなりて
こけのむすまで
この歌は、
「天皇陛下のお治めになる御代 は、千年も萬年もつづいて、おさかえになりますやうに。」といふ意味で、國民が、心からおいはひ申しあげる歌であります。
「君が代」の歌は、昔から、私たちの先祖が、皇室のみさかえをおいのりして、歌ひつづけて來たもので、世々の國民のまごころのとけこんだ歌であります。
}
また、『ワタシノオウチハヨイオ家』という絵本(昭和16年6月5日刊)。主人公の家はケーキとパンの店を営んでいる。兄は出征していて、店の正面に「出征軍人」と記した札が下がっている。カラー図版で示されたページの一部の文字を起こしてみます(p77)
{
オトウサン ハ
「シュッセイグンジン ノ
イヘ ダカラ ケッシテ
ゴマカシ ナド シナイ
ヤウ ニ。」
ト イッテ ヰマス。
}
このお父さんの言うことは、『初等科修身四』の「私たちの家」という教材の抜粋として紹介されているうちの、下記の記述と呼応するものです(p70 ただし、この抜粋は表記が原文どおりではないのかもしれません)
{
もしもただ一人でも不心得の者があって、わるいことをしたり、つとめを怠ったりするものがあれば、うちの中の人に難儀をかけて、親類までが肩身のせまい思いをしなければなりません
}
これは隣組的恫喝と言っていいでしょう。
出征軍人の家だから不名誉な真似はできないというお父さんの言葉も、矜持であると同時に恐怖による支配を受けたものとも見えます。
広く薄くこうした緊張感の漂うムードが、〈あのときの常識〉ではなかったのかと想像してもいいような気がします。こうしたアンビバレントな心理状態は想像力を刺激します。
ところで、昨年の教科書検定で道徳の教科書のパン屋を和菓子屋に変えろという話があって、開いた口がふさがらない思いをした人も多かったと思います。
昭和16年の絵本に「パンとケーキ」と記した看板を掲げた店頭風景が描かれていたのを見るにつけ、今の世の中は〈あのときの常識〉に比べてもさらに“日本回帰”が突出しているようです。なぜそこまでわざとらしくなければならないのでしょうか。
ちなみに、〈あのときの常識〉にお詳しい方に教えていただきたいのですが、『テキキサアコイ』(昭和19年9月15日)という絵本の図版に「セウカイキ」とあって、本書では(山中氏の手で?)「青海機」と漢字に起こされています(p120)。ここでは米軍の爆撃機の警戒に当たる飛行機の意味なので、「哨戒機」のほうが近い。
いつの時点にか「青海機」という雅語的表記(?)があったのでしょうか?
また、同じ『テキキサアコイ』に「ソラニハ アヲイ タンセウトウ」とあって、「空には青い丹青灯」と漢字に起こしています(p121)
〈現在の常識〉では「探照灯」だろうと思うのですが、〈あのときの常識〉で「丹青灯」とする表記があり得たのでしょうか?
丹青灯では不謹慎なほどカラフルなイメージになってしまいますが。
人の感覚は変わらないという面で面白いのは、『ウチテシヤマム』(昭和19年5月15日)の図版(p116)
{
キハツノ ニホヒ
ジドウシャガ ヘイタイサンヲ
ノセテ イッタ。
ブウ ブウ ナラシテ イッタ。
アトノ キハツノ ニホヒ
イイ ニホヒ ダ。
}
自動車の排ガスの臭いがステキだというわけですが、同じことが戦後、米軍のジープについて全く同じ言辞があったようです。
取るに足らぬ感覚でさえ時代相の中で、プロパガンダ的な働きを帯びることが見て取れます。