入手するまでは、高い写真集と思っていたが、絶対高くはない。パンフォーカスの画面に的確な焼きこみ、覆い焼きの技術等。
モノクロームの世界は絵画、油絵の技法に通ずるものがある、印画の調子、硬軟の使い分け、一枚ごとの仕上げが丁寧。
メリハリのある広大な風景、当時の望遠の甘い描写+強引なトリミングが危険と隣り合わせの女性達を美しく、幻想的に定着させた。
男女の共同作業、親子、地域の連携、誰もが最善を尽くさねば結果が出ない、命がけの現場に小関氏のカメラも渾身の力を振り絞り、結果を出した。
すばらしい写真集、入手できて良かった、本当にすばらしい。
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九十九里浜 大型本 – 2004/6/1
小関 与四郎
(著)
- 言語日本語
- 出版社春風社
- 発売日2004/6/1
- ISBN-104861100127
- ISBN-13978-4861100123
商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
全裸・半裸で働くフナガダ、オッペシ。失われてゆく日本の風景がここにある。時代のうねりの中で逞しく生きる人々を活写する写真集。働くとは? 家族とは? 生きるとは? 木耳社1972年刊を新装し再刊。
登録情報
- 出版社 : 春風社 (2004/6/1)
- 発売日 : 2004/6/1
- 言語 : 日本語
- ISBN-10 : 4861100127
- ISBN-13 : 978-4861100123
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,663,855位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 4,507位写真家の本
- - 139,190位科学・テクノロジー (本)
- - 192,044位趣味・実用
- カスタマーレビュー:
著者について
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小関 与四郎(こせき・よしろう)
1935年、千葉県匝瑳郡栄村(現・匝瑳市)の農家に生まれる。
1954年ごろ、自転車店年季奉公時代よりカメラに憧れ、雑誌による独学を始める。
その後、一般コンテスト等で成果を得て、カメラ専門誌に応募。「アサヒカメラ」、「カメラ芸術」、「日本カメラ」などで入賞する。
1964年、「カメラ芸術」で「オッペシの女」8ページ掲載でデビュー。
1966年ごろより、新聞、週刊誌、テレビなどで発表の機会を得る。
1973年、写真集「九十九里浜」(木耳社、1972年刊)で日本写真協会新人賞受賞。
現在、鹿島沿岸の変貌(茨城県)、海岸浸食の変貌(千葉県)などを取材中。
カスタマーレビュー
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5つのうち5つ
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トップレビュー
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2013年11月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2012年2月5日に日本でレビュー済み
「フナガタ」、「オッペシ」と呼ばれた漁民達を撮った写真集です。
長大な遠浅の海が続く九十九里浜では漁港を造ることが出来ず、砂浜から漁船を
揚げ降ろしする必要が有りました。フナガタ(船方)は船に乗る男衆で、オッペシは
船の揚げ降ろしや魚の荷揚げをする女房達のことです。
戦後、漁船には動力が付き、船体が大型化したため船の揚げ降ろしは大変過酷な労働と
なっていたようです。掲載の写真が撮られた昭和30〜40年代は人力での船の揚げ降ろしから
念願の漁港係留へと移り変わっていくはざかい期で、フナガタとオッペシの最後の時代を
撮ったものとなります。
素っ裸で漁にでる男衆、乳房も露に大波にもんどり打って船を曳く女房達、冷えた体を
焚き火で暖め笑い合う人達。
命の力が滲み出る様な写真ばかりで圧倒されます。
長大な遠浅の海が続く九十九里浜では漁港を造ることが出来ず、砂浜から漁船を
揚げ降ろしする必要が有りました。フナガタ(船方)は船に乗る男衆で、オッペシは
船の揚げ降ろしや魚の荷揚げをする女房達のことです。
戦後、漁船には動力が付き、船体が大型化したため船の揚げ降ろしは大変過酷な労働と
なっていたようです。掲載の写真が撮られた昭和30〜40年代は人力での船の揚げ降ろしから
念願の漁港係留へと移り変わっていくはざかい期で、フナガタとオッペシの最後の時代を
撮ったものとなります。
素っ裸で漁にでる男衆、乳房も露に大波にもんどり打って船を曳く女房達、冷えた体を
焚き火で暖め笑い合う人達。
命の力が滲み出る様な写真ばかりで圧倒されます。
2004年6月23日に日本でレビュー済み
50年以上も、ただひたすらに九十九里浜を撮り続けた孤高のカメラマン・小関与四郎の集大成。
昭和30年・40年代ぐらいまで、日本に、それも東京からさして遠くない九十九里という浜で、裸同然で生活していた人たちがいたことにまずショックを受けた!
男たちは裸でフルチンさらし漁に出て、女たちは潮風と荒波のなか、おっぱい垂らして網を引いていた。浜辺で暖をとり、貝を剥き、不漁の年には押し黙る。 そのすべてが、生命力に満ち溢れている。写真は、あらゆる言葉を超えて、そこに生きている。装丁・和田誠氏による絶妙の演出も効いて、まるで上質のドキュメンタリー映画を見ているようだ。
小関さんは海外や他の場所での撮影は(声もかかったが)頑なに拒み続けた。「日本国内にいては、日本は見えてこない」といういまの世の流れを軽くあしらうような力強い存在だ。悲惨な戦場へ、貧しくとも心は豊かな後進国へ、はたまた時代の最先端、悠久の古代遺跡へ…そんなところへ出向かなくても、目の前には海が、世界が広がっている。大切なのは、どこにいても、そこで生きる人々と世界をまっすぐ見る「眼」なのだ。ページをめくるたびに「もっと大きな世界があるぞ」と紙に染みこんだインクが語りかけてくる。すんごい写真だ。
この本は読むというのではなく、体験する、という言葉の方がしっくりくる気がする。いま、日本人として触れなければならない大事な一冊だと思う。
昭和30年・40年代ぐらいまで、日本に、それも東京からさして遠くない九十九里という浜で、裸同然で生活していた人たちがいたことにまずショックを受けた!
男たちは裸でフルチンさらし漁に出て、女たちは潮風と荒波のなか、おっぱい垂らして網を引いていた。浜辺で暖をとり、貝を剥き、不漁の年には押し黙る。 そのすべてが、生命力に満ち溢れている。写真は、あらゆる言葉を超えて、そこに生きている。装丁・和田誠氏による絶妙の演出も効いて、まるで上質のドキュメンタリー映画を見ているようだ。
小関さんは海外や他の場所での撮影は(声もかかったが)頑なに拒み続けた。「日本国内にいては、日本は見えてこない」といういまの世の流れを軽くあしらうような力強い存在だ。悲惨な戦場へ、貧しくとも心は豊かな後進国へ、はたまた時代の最先端、悠久の古代遺跡へ…そんなところへ出向かなくても、目の前には海が、世界が広がっている。大切なのは、どこにいても、そこで生きる人々と世界をまっすぐ見る「眼」なのだ。ページをめくるたびに「もっと大きな世界があるぞ」と紙に染みこんだインクが語りかけてくる。すんごい写真だ。
この本は読むというのではなく、体験する、という言葉の方がしっくりくる気がする。いま、日本人として触れなければならない大事な一冊だと思う。