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スポーツする身体とジェンダー (青弓社ライブラリー 50) 単行本 – 2007/10/21

2.0 5つ星のうち2.0 1個の評価

男女が別々に競技する現代スポーツでは、「男女別競技の撤廃」対「男女の身体能力差は考慮すべき」という対立がある。その前提である男女別競技が日常化する歴史的過程をスポーツの近・現代受容史から探り、優劣にとらわれないジェンダーの可能性を照らす。

商品の説明

著者について

神戸大学教育学部卒業、奈良女子大学大学院人間文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)学位取得。これまでに、京都YMCA国際福祉専門学校、立命館大学産業社会学部、立命館大学法学部などで非常勤講師を経験。共著に『ブルマーの社会史』(青弓社)、『スポーツファンの社会学』(世界思想社)など。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 青弓社 (2007/10/21)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2007/10/21
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 201ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4787232770
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4787232779
  • カスタマーレビュー:
    2.0 5つ星のうち2.0 1個の評価

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谷口 雅子
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上位レビュー、対象国: 日本

2010年10月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 本書の購読動機は、スポーツにおけるジェンダー・バイアスの問題について、日本ではどう汲み取られているのかを知りたかったからだが、結果として「何ら得るところなし」というのが率直な感想だ。
 男女別競技の定着も、その始まりでは体力差以上に両性への性格づけによっていたとしているが、その内容は「男はフェアプレーを重んじ、女は勝敗のみに拘泥する」との意味だった。そのことと、今日までに幾多の価値観の変化を経たことからすれば『
フェミニズム・スポーツ・身体 』への拙稿で触れた野球漫画の描写表現との関連で「たとえ互いの行動がそれぞれ逆の傾向を示したとしても、やはり女の側のみを一方的に貶めるのだから、男尊女卑ではないか」と指摘できよう。従って男女別競技の常識化も、結局は「はじめに性差別ありき」というものでしかない。それは己と異なる存在への不寛容という、人間の最も醜い本質とも不可分の関係にあるものだ。また男同士の関係にあっても罷り通る、逆らえない存在以外の者への「ノー・リスペクト」にも通ずるだろう。
 その常識を「身体感覚」なるもので以て是認するというのは、理性を欠いた判断停止状態と見做さざるを得ない。また本書冒頭にて触れられる「バックラッシュ」なるものに至っては、加害者の逆ギレと同じようなもので、もはや取り上げる価値もない。ともに感情論だ。
 日常においては性差を感じずにいられるにもかかわらず、ことスポーツにかけてはいまだに性差別が罷り通るところに、問題の本質があるのだ。故に英語国などでは、人種問題も絡んで複雑化していながらも、性差別の克服に向けた不断の努力がなされている。それに比べ、感情的要素にひっかかって、他者との関係で生じる差別の加害性を問えないような結論づけは、なんとも情けない。こういうところにも、行動原理主義と情緒原理主義の違いを、はっきりとみることができる。
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