1991年にボルノウは亡くなっているが、晩年のボルノウの研究への関心事は人間学および教育学の研究方法論としての解釈学に向かっており、中核的関心事であった実存、飛躍、回心、恩寵などの人間学的にみると非連続的と呼ばれる事象への関心から人間学全般及びその方法論へと広がったように思えるが、1978年頃に初版となったこの著書は実存哲学的関心事と教育学的関心事が「練習」という一つの用語の中で昇華されたボルノウの中核的な思想の一つだと思われる。
ボルノウはもともとディルタイに源をなす精神科学、生の哲学をよりどころに厳密にかつ実証的に解釈する手法で、人間を哲学的に解釈する学派の重鎮だと私には思われる。
その思想は心理学や社会学や言語学、人類学との隣接諸領域の成果を踏まえながらも、その隣接諸領域の構造枠にはめられることのない、人間そのものとはなにか、そしてそれが基礎的な時間と空間という制限とどう関係をもつか、また、そのことによって人間はどこに向かうのかを考え、教育などの陶冶の実践世界の枠組みさえも、教育という制度枠内にその哲学する場を持っていかずに、より根源的な人間または生という基盤・場から教育を哲学するようにして展開したために、教育そのものの意味を大きく広げることに貢献してきたと思われる。
しかし、いかんせん今日、人は人間そのものの基礎とは何かを意識することはなく、教育学においても制度上の枠に注目がゆき、人間を外枠から型にはめる陶冶の傾向が強く、その上人類学的に見ても実は社会慣習構造や民族の言語構造の影響によっても人は言いようもなく意識的にも無意識的にも、いわば型にはめられているのである。今日においては尚一層、人間の地位は貶められ、社会機械の中の道具として貶める方法として「練習」は繰り広げられる。
だが、人間にとって本来的に「練習」とは何か。
「人間は生涯にわたって練習者」なのだという。
誤解を受ける危険にさらすような言い方だが、私には人間にはどうも、練習の結果として得られる目的を超えたところに、ある別の希望ともいえる目的があるように思えていた。オイゲン・ヘリデルの弓道の練習成果のレポートを汲み取るところで、練習を経由する道は「恩寵を強要する手段」とボルノウが述べるところがある。こうした「練習」への関心と研究成果が、日本文化に照らして検証されるところに、日本人であるがため、ささやかだか言いようのない嬉さと、個人的だが深い確信ができた。
実践にかかわる教育者ならなお一層のこと、この本を熟読すべきではないかと思われる。また久々のボルノウの本を手に取り、翻訳者には誠にその労を深く感謝したい気持ちである。
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練習の精神: 教授法上の基本的経験への再考 単行本 – 2009/7/1
- 本の長さ220ページ
- 言語日本語
- 出版社北樹出版
- 発売日2009/7/1
- ISBN-104779301882
- ISBN-13978-4779301889
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登録情報
- 出版社 : 北樹出版 (2009/7/1)
- 発売日 : 2009/7/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 220ページ
- ISBN-10 : 4779301882
- ISBN-13 : 978-4779301889
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,891,691位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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