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全体主義の起原 3――全体主義 【新版】 単行本 – 2017/8/24
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人類史上それまでにはなかった「全体主義」という枠組から、
ナチス・ドイツとソヴィエト・ロシアの同質性と実態を分析した不朽の書。
20世紀を代表する古典、アーレントの大著『全体主義の起原』の新版をここに刊行。
今回、現代史・政治学・ホロコースト研究・アーレント研究の現在の水準に照らして
訳語に大幅に手を入れ、同時に日本語の用字法も読みやすくした。
第1巻巻頭には、旧版にはなかった『全体主義の起原』初版まえがき(1950)を加え
(矢野久美子訳)、3巻末には同じく矢野久美子による解説を付した。
四六判になり新たに生まれ変わった『全体主義の起原』全3巻を、
来たるべき世代のために、ここに送る。
[1972年7月初版/1981年新装版]
ナチス・ドイツとソヴィエト・ロシアの同質性と実態を分析した不朽の書。
20世紀を代表する古典、アーレントの大著『全体主義の起原』の新版をここに刊行。
今回、現代史・政治学・ホロコースト研究・アーレント研究の現在の水準に照らして
訳語に大幅に手を入れ、同時に日本語の用字法も読みやすくした。
第1巻巻頭には、旧版にはなかった『全体主義の起原』初版まえがき(1950)を加え
(矢野久美子訳)、3巻末には同じく矢野久美子による解説を付した。
四六判になり新たに生まれ変わった『全体主義の起原』全3巻を、
来たるべき世代のために、ここに送る。
[1972年7月初版/1981年新装版]
- 本の長さ504ページ
- 言語日本語
- 出版社みすず書房
- 発売日2017/8/24
- 寸法13.6 x 2.8 x 19.4 cm
- ISBN-104622086271
- ISBN-13978-4622086277
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商品の説明
出版社からのコメント
著者について
ハンナ・アーレント Hannah Arendt 1906-1975。ドイツのハノーファー近郊リンデンでユダヤ系の家庭に生まれる。マールブルク大学でハイデガーとブルトマンに、ハイデルベルク大学でヤスパースに、フライブルク大学でフッサールに学ぶ。1928年、ヤスパースのもとで「アウグスティヌスの愛の概念」によって学位取得。ナチ政権成立後(1933)パリに亡命し、亡命ユダヤ人救出活動に従事する。1941年、アメリカに亡命。1951年、市民権取得、その後、バークレー、シカゴ、プリンストン、コロンビア各大学の教授・客員教授などを歴任、1967年、ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチの哲学教授に任命される。 著書『活動的生』(1960、みすず書房2015)『ラーエル・ファルンハーゲン』(1959、みすず書房1999)『革命について』(1963、筑摩書房1995)『暗い時代の人々』(1968、筑摩書房2005)『過去と未来の間』(1968、みすず書房1994)『暴力について――共和国の危機』(1969、みすず書房2000)『精神の生活』上下(1978、岩波書店1994)他。没後に編集されたものに『アーレント政治思想集成』全2巻(みすず書房2002)『思索日記』全2巻(法政大学出版局2006)『責任と判断』(筑摩書房2007)『政治の約束』(筑摩書房2008)『反ユダヤ主義――ユダヤ論集 1』『アイヒマン論争――ユダヤ論集2』(みすず書房2013)など。またヤスパース、ハイデガー、メアリー・マッカーシー、ハインリヒ・ブリュッヒャーとの往復書簡集も邦訳されている。
登録情報
- 出版社 : みすず書房; 新版 (2017/8/24)
- 発売日 : 2017/8/24
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 504ページ
- ISBN-10 : 4622086271
- ISBN-13 : 978-4622086277
- 寸法 : 13.6 x 2.8 x 19.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 181,313位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年1月26日に日本でレビュー済み
全体主義(ヒトラーのナチ独裁とスターリンのボリシェヴィズム独裁)とは何だったのか? なぜそれは(あるところまで)成功したのか? の理解が深まります。全体主義に不可欠な要素としての大衆の個人化とアトム化。シンパサイザー・党員・精鋭組織・指導者、という組織(ヒエラルヒー)。「すべては可能である」人間は全能であるという妄信。嘘も現実も、イデオロギーも、一時的成功も失敗も関係なく、最終的に勝つ「力」だけがあればいい。「見通しもつかぬほど遠い未来において純粋に虚構的な世界を作り上げようとする」運動。そして、強制収容所、絶滅収容所。全体主義は人間社会の「病」なのか。テロリズム、歴史の捏造は全体主義という「病」の症状なのか。人類のよき「免疫」となるための必読書です。
2017年12月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
そう言われた著書だそうです。
もう5回くらい読みました。それでも飽きないくらいすごい本です。
現代社会でも起きているようなことがここでは書かれています。
これがベストセラーになれば社会も少しはよくなる気がします。
もう5回くらい読みました。それでも飽きないくらいすごい本です。
現代社会でも起きているようなことがここでは書かれています。
これがベストセラーになれば社会も少しはよくなる気がします。
2022年6月28日に日本でレビュー済み
〇 『全体主義の起源』全3巻の最後は、いよいよ全体主義そのものに取り組む。全体主義は今日もなお危険な存在であり、その恐ろしさに読みながら戦慄を覚えた。
〇 本書は二つの問題を論じる。第一は「全体主義が成立するまで」。政治の大衆支配と民族主義をたくみに使って、全体主義者は政権をつかむに至る。著者はヒトラーとスターリンを全体主義者と断定し、情報が不足しているものの毛沢東も同種であるとみている。その後も長く毛沢東を礼賛する日本の知識人がいたことを考えるとその慧眼に驚くばかり。
〇 問題の第二は「全体主義が成立した後の成り行き」。ひとたび政権を握ると全体主義運動の継続が自己目的化する。そうして、人々の相互のつながりが断たれ、バラバラにされて孤立した個人を少数エリート(全体運動推進者)が完全に支配するようになるまで止まらない。この本には、どんなやり方で個人を破壊していったかが詳細に描かれているのだが、人の極限状態に関する記述は深く心に刻み込まれた。
〇 本書が刊行されたのちに多くの資料が明らかになったため、もはや本書の資料的価値はないという評価らしい。しかし、このように一般人が読める形で包括的に書かれた本は他にあるだろうか?いまだに読むに値する本だと思う。この本に出会って良かったとつくづく思う。
〇 翻訳は、すこし生硬さを感じるところはあるものの、全体としては読みやすいと思う。
〇 本書は二つの問題を論じる。第一は「全体主義が成立するまで」。政治の大衆支配と民族主義をたくみに使って、全体主義者は政権をつかむに至る。著者はヒトラーとスターリンを全体主義者と断定し、情報が不足しているものの毛沢東も同種であるとみている。その後も長く毛沢東を礼賛する日本の知識人がいたことを考えるとその慧眼に驚くばかり。
〇 問題の第二は「全体主義が成立した後の成り行き」。ひとたび政権を握ると全体主義運動の継続が自己目的化する。そうして、人々の相互のつながりが断たれ、バラバラにされて孤立した個人を少数エリート(全体運動推進者)が完全に支配するようになるまで止まらない。この本には、どんなやり方で個人を破壊していったかが詳細に描かれているのだが、人の極限状態に関する記述は深く心に刻み込まれた。
〇 本書が刊行されたのちに多くの資料が明らかになったため、もはや本書の資料的価値はないという評価らしい。しかし、このように一般人が読める形で包括的に書かれた本は他にあるだろうか?いまだに読むに値する本だと思う。この本に出会って良かったとつくづく思う。
〇 翻訳は、すこし生硬さを感じるところはあるものの、全体としては読みやすいと思う。
2017年9月19日に日本でレビュー済み
ハンナ・アーレント(1906-1975)は、ドイツ生まれのユダヤ人思想家であり、ナチ政権成立後は亡命ユダヤ人救出活動に従事した後、アメリカで大学で教鞭をとった。ドイツを中心とする近現代史や思想に関する多くの著作がある。本書は1951年の英語版と、それを修正・加筆した1955年のドイツ語版の両方を参照して翻訳が行われている。1972年に最初の日本語訳が刊行されているが、今回新たな翻訳が新版として刊行されたのが本書である。大部で難解な本書を丁寧に訳された訳者の皆さんに敬意を表したい。
三部からなる本書の第一巻「反ユダヤ主義」では、18世紀から19世紀におけるヨーロッパでの反ユダヤ主義(その典型がドレフュス事件)が扱われ、第二巻「帝国主義」では19世紀末から第一次大戦までの帝国主義と国民国家崩壊が扱われている。この第三巻「全体主義」では20世紀の全体主義の台頭と国民支配とが扱われている。
アーレントの出自からも推定されるように、本書を貫く視点は、「なぜ20世紀の全体主義国家で強制収容所や絶滅収容所のような地獄が現出したのか?」という疑問である。なお、アーレントが本書を執筆した時期には、ナチ・ドイツやスターリン・ソ連時代の史料は限られていたことに注意が必要である。しかし、新版が現在刊行されることからも分かるように、本書の思索内容について根本的な変更の必要はないようである。
本書の第十章(章番号は全三巻で通し番号)「階級社会の崩壊」では、第一次大戦後の社会変動として顕著な、階級社会の崩壊と「大衆」の出現が考察される。大衆こそが全体主義を担っていくのである。第十一章「全体主義運動」では、ドイツとソ連(スターリン時代)における全体主義運動が考察される。第十二章「全体的支配」では、ドイツとソ連における国家機構や秘密警察の役割が考察される。両国において、強制収容所こそが全体主義的支配の帰結であることが示される。第十三章「イデオロギーとテロル」では、全体主義国家においてはイデオロギーとテロルが国家を支える両輪であることが考察される。
ドイツや旧ソ連で、なぜ全体主義運動が成功したのか? 本書が示唆しているのは、大きな社会変動の過程で生活の基盤を危うくされた「寄る辺なき」人々が、強力なリーダシップを備えた政治家を待望し、一旦出現の際には熱狂的に支持する、ということである。このことに人々の感情面で強力な後押しをするのが、人種差別(ドイツの場合)や、権力者がでっち上げた「人民の敵」への憎しみ(旧ソ連の場合)である。全体主義の権力者は、ヒトラーに代表されるように、人々の負の感情に訴えるのに実に巧みである。権力者が考える「余計な人々」に対する最終解決策である強制収容所やガス室は、全体主義の必然的な帰結であった。
アーレントのこの大作は現代にどのような示唆を与えるのだろうか? 評者は、格差社会が進行し、相当数の人々が「社会から見捨てられた」と感じ始めた時こそ、民主主義の中から全体主義が生まれる、という点が最も重要な示唆ではないかと考える。たとえば、アメリカにおけるトランプ政権の誕生が直ちに全体主義ではないにしても、危険な兆候であることは間違いない。ドイツや旧ソ連とはタイプは異なるが、戦前の日本も「日本型全体主義=天皇制官僚国家」であったと考えられる。アーレントが指摘しているように、全体主義は「イデオロギーとテロル」を携えて、民主主義の背後から忍び寄ることに警戒したいものだ。
三部からなる本書の第一巻「反ユダヤ主義」では、18世紀から19世紀におけるヨーロッパでの反ユダヤ主義(その典型がドレフュス事件)が扱われ、第二巻「帝国主義」では19世紀末から第一次大戦までの帝国主義と国民国家崩壊が扱われている。この第三巻「全体主義」では20世紀の全体主義の台頭と国民支配とが扱われている。
アーレントの出自からも推定されるように、本書を貫く視点は、「なぜ20世紀の全体主義国家で強制収容所や絶滅収容所のような地獄が現出したのか?」という疑問である。なお、アーレントが本書を執筆した時期には、ナチ・ドイツやスターリン・ソ連時代の史料は限られていたことに注意が必要である。しかし、新版が現在刊行されることからも分かるように、本書の思索内容について根本的な変更の必要はないようである。
本書の第十章(章番号は全三巻で通し番号)「階級社会の崩壊」では、第一次大戦後の社会変動として顕著な、階級社会の崩壊と「大衆」の出現が考察される。大衆こそが全体主義を担っていくのである。第十一章「全体主義運動」では、ドイツとソ連(スターリン時代)における全体主義運動が考察される。第十二章「全体的支配」では、ドイツとソ連における国家機構や秘密警察の役割が考察される。両国において、強制収容所こそが全体主義的支配の帰結であることが示される。第十三章「イデオロギーとテロル」では、全体主義国家においてはイデオロギーとテロルが国家を支える両輪であることが考察される。
ドイツや旧ソ連で、なぜ全体主義運動が成功したのか? 本書が示唆しているのは、大きな社会変動の過程で生活の基盤を危うくされた「寄る辺なき」人々が、強力なリーダシップを備えた政治家を待望し、一旦出現の際には熱狂的に支持する、ということである。このことに人々の感情面で強力な後押しをするのが、人種差別(ドイツの場合)や、権力者がでっち上げた「人民の敵」への憎しみ(旧ソ連の場合)である。全体主義の権力者は、ヒトラーに代表されるように、人々の負の感情に訴えるのに実に巧みである。権力者が考える「余計な人々」に対する最終解決策である強制収容所やガス室は、全体主義の必然的な帰結であった。
アーレントのこの大作は現代にどのような示唆を与えるのだろうか? 評者は、格差社会が進行し、相当数の人々が「社会から見捨てられた」と感じ始めた時こそ、民主主義の中から全体主義が生まれる、という点が最も重要な示唆ではないかと考える。たとえば、アメリカにおけるトランプ政権の誕生が直ちに全体主義ではないにしても、危険な兆候であることは間違いない。ドイツや旧ソ連とはタイプは異なるが、戦前の日本も「日本型全体主義=天皇制官僚国家」であったと考えられる。アーレントが指摘しているように、全体主義は「イデオロギーとテロル」を携えて、民主主義の背後から忍び寄ることに警戒したいものだ。
2020年7月22日に日本でレビュー済み
アーレントは第一次および第二次世界大戦を幼少から青年期にかけて経験しなければならなかった世代の
哲学者である。しかもそのオリジンはユダヤ人であるから、これらの戦争は何だったのかという問いに対する執着心は尋常ではなかったと思う。その執念がこめられたのが、全体主義の起源である。
アーレントはこの本で、第二次世界大戦前後に現れた奇怪な統治形態(ヒトラードイツとスターリンロシア)は人類がこれまで経験してきた君主政、貴族政、民主政などのいずれとも異質であることと、その起源について考察している。異質性のエッセンスはアーレントが繰り返し述べていたその「運動性」あるいは「膨張のための膨張」という特徴である。ヒトラードイツとスターリンロシアは、その政治・行政組織は全く異なるが、運動性という共通点により全体主義とみなされる。雑なたとえをするなら、音と電波はそれを生じる実体(気体と電荷=電気)や周囲の物体に与える影響は全く異なるが、どちらも波動方程式で記述される同種の物理現象である、という主張に近いのではないかと私は考えている。
これまで読んだことのある政治形態に関する本は、大抵の場合、法律と制度に関する記述が非常に多く、その類似性の考察に終始する印象があったので、アーレントのアイディアは私にとっては非常に斬新なものに感じられた(随分昔の本なのだが)。それが五つ星評価の理由である。この着想だけで、この本の価値はほとんど決まりだが、そこに着目したとき、改善の余地もあると思う。
それは、全体主義を「運動性」という抽象的な言葉で表現してしまったために、これをアカデミックな雰囲気をもつ概念にしてしまったことである。この本をショッキングで苛立たしい出来事への反応を抑えながら読めば、全体主義というのは、ほとんど国家レベルのマルチ商法活動だということに気づく。実際、アーレント自身がその起源の一つとして帝国主義時代に始まった植民地事業への投機ブームであったこと、そしてその大部分が人権を全く無視した残虐かついかがわしい(しばしば破綻する)ものであったことを指摘している。第三分冊で述べられているファサードなる概念は、マルチ商法特有の階層構造に酷似しているし、参加者の認識能力を狂わせるための工夫にも、全体主義とマルチ商法に共通点は多い。ただ、帝国主義やマルチ商法は金儲けが目標だったのに対し、ヒトラードイツとスターリンロシアは汎ゲルマン主義と共産主義(その具体的内容は日々変化しうる)による世界制覇が目標だった。何か深遠な感じのする全体主義とその運動性という特徴は、このように考えると「陳腐」な感じがする。
アイヒマンに関する考察で到達したところまで、全体主義に関してアーレントがそこまで踏み込んで整理し切れていなかったのではないかということ、それがこの本の分かりにくさの原因になっているのではないかということで、レビュータイトルを未完の考察とした。
哲学者である。しかもそのオリジンはユダヤ人であるから、これらの戦争は何だったのかという問いに対する執着心は尋常ではなかったと思う。その執念がこめられたのが、全体主義の起源である。
アーレントはこの本で、第二次世界大戦前後に現れた奇怪な統治形態(ヒトラードイツとスターリンロシア)は人類がこれまで経験してきた君主政、貴族政、民主政などのいずれとも異質であることと、その起源について考察している。異質性のエッセンスはアーレントが繰り返し述べていたその「運動性」あるいは「膨張のための膨張」という特徴である。ヒトラードイツとスターリンロシアは、その政治・行政組織は全く異なるが、運動性という共通点により全体主義とみなされる。雑なたとえをするなら、音と電波はそれを生じる実体(気体と電荷=電気)や周囲の物体に与える影響は全く異なるが、どちらも波動方程式で記述される同種の物理現象である、という主張に近いのではないかと私は考えている。
これまで読んだことのある政治形態に関する本は、大抵の場合、法律と制度に関する記述が非常に多く、その類似性の考察に終始する印象があったので、アーレントのアイディアは私にとっては非常に斬新なものに感じられた(随分昔の本なのだが)。それが五つ星評価の理由である。この着想だけで、この本の価値はほとんど決まりだが、そこに着目したとき、改善の余地もあると思う。
それは、全体主義を「運動性」という抽象的な言葉で表現してしまったために、これをアカデミックな雰囲気をもつ概念にしてしまったことである。この本をショッキングで苛立たしい出来事への反応を抑えながら読めば、全体主義というのは、ほとんど国家レベルのマルチ商法活動だということに気づく。実際、アーレント自身がその起源の一つとして帝国主義時代に始まった植民地事業への投機ブームであったこと、そしてその大部分が人権を全く無視した残虐かついかがわしい(しばしば破綻する)ものであったことを指摘している。第三分冊で述べられているファサードなる概念は、マルチ商法特有の階層構造に酷似しているし、参加者の認識能力を狂わせるための工夫にも、全体主義とマルチ商法に共通点は多い。ただ、帝国主義やマルチ商法は金儲けが目標だったのに対し、ヒトラードイツとスターリンロシアは汎ゲルマン主義と共産主義(その具体的内容は日々変化しうる)による世界制覇が目標だった。何か深遠な感じのする全体主義とその運動性という特徴は、このように考えると「陳腐」な感じがする。
アイヒマンに関する考察で到達したところまで、全体主義に関してアーレントがそこまで踏み込んで整理し切れていなかったのではないかということ、それがこの本の分かりにくさの原因になっているのではないかということで、レビュータイトルを未完の考察とした。
2018年5月15日に日本でレビュー済み
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なんというか、読んでいてあまり面白くありませんでした。日本人だからかもしれません。