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物語の構造分析 単行本 – 1979/11/16

4.4 5つ星のうち4.4 31個の評価

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「物語はまさに人類の歴史とともに始まるのだ。物語をもたない民族はどこにも存在せず、また決して存在しなかった。あらゆる社会階級、あらゆる人間集団がそれぞれの物語をもち、しかもそれらの物語はたいていの場合、異質の文化、いやさらに相反する文化の人々によってさえ等しく賞味されてきた。物語は、良い文学も悪い文学も差別しない。物語は人生と同じように、民族を越え、歴史を越え、文化を越えて存在する」

フランスにおける〈物語の構造分析〉は事実上、「コミュニカシヨン」誌、八号の物語の構造分析特集に始まると云ってよかろう。その巻頭を飾った、バルトの「物語の構造分析序説」は今や〈古典〉として名高い。この論文は現在においても、依然としてその重要性を失っていない。本書は、この記念碑的な労作をはじめ、批評家バルトの基調を示す「作者の死」「作品からテクストへ」、さらに、バルト的神話学ないし記号学の新しい方向を示す「対象そのものを変えること」等、八篇を収める。つねに変貌してゆくバルトの、60年代から70年代にかけての軌跡を明らかにする評論集。
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ みすず書房 (1979/11/16)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1979/11/16
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 232ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 462200481X
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4622004813
  • カスタマーレビュー:
    4.4 5つ星のうち4.4 31個の評価

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ロラン・バルト
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上位レビュー、対象国: 日本

2015年9月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
1961年から71年にかけて書かれた、以下の8編のテクストを収める。

「物語の構造分析序説」――文が若干の特定化によって小さな〈ディスクール〉になるのとまったく同様、ディスクールは大きな〈文〉ということになろう。ある種の物語(たとえば、民話)は、きわめて機能的であり、反対に、ほかのある種の物語(たとえば、〈心理〉小説)は、きわめて指標的である。この両極のあいだに、歴史や社会やジャンルによって変わる、一連の中間形式の全体がある。物語の内部では(贈与者と受益者に分担された)交換という大きな機能が働く。それと同様、それと相同的に、対象としての物語は、コミュニケーションの伝達物である。物語の送り手が存在し、物語の受け手が存在するのだ。

「天使との格闘」――われわれはテクストを三つのシークェンスに分けることにしよう(これは不自然なことではないと思う)。つまり、(1)「渡河」、(2)「格闘」、(3)「命名」である。われわれの目標は、見出すべき真実を保持している文献学的、歴史的記録ではなく、テクストのヴォリュームであり、テクストの意味形成性なのである。

「作者の死」――エクリチュールとは、われわれの主体が逃げ去ってしまう、あの中性的なもの、混成的なもの、間接的なものであり、書いている肉体の自己同一性そのものをはじめとして、あらゆる自己同一性がそこでは失われることになる、黒くて白いものなのである。テクストとは多次元の空間であって、そこではさまざまなエクリチュールが、結びつき、異議をとなえあい、そのどれもが起源となることはない。テクストとは、無数にある文化の中心からやって来た引用の織物である。読者の誕生は、「作者」の死によってあがなわれなければならないのだ。

「作品からテクストへ」――作品は手のなかにあるが、テクストは言語活動のうちにある。テクストはあるディスクールにとらえられて、はじめて存在する。あますところなく象徴的な性質が、想像され、認められ、引き出せる作品は、テクストである。「テクスト」は複数的である。ということは、単に「テクスト」がいくつもの意味をもつということではなく、意味の複数性そのものを実現するということである。「テクスト」についてのディスクールは、それ自体が、ほかならぬテクストとなり、テクストの探求となり、テクストの労働とならねばならないであろう。

「現代における食品摂取の社会心理学のために」――食べ物とは何か? それは単に、統計的、栄養学的研究をおこなうべき生産物の総体ではない。それはまた同時に、コミュニケーションの体系であり、種々のイメージの集まりであり、慣用と状況と行動とに関する儀礼集でもある。食品は、栄養的価値と同時に儀礼的価値をもち、必要が満たされるやいなや、この儀礼的価値は、次第に栄養的価値をしのぐようになる。これがフランスの場合である。

「エクリチュールの教え」――文楽では、操り人形は、いかなる糸によっても操られていない。もはや糸は存在せず、したがって、もはや隠喩も、「運命」も、存在しない。操り人形は被造物の猿まねをやめ、人間は神々の手に操られる操り人形であることをやめ、もはや内部が外部を支配することはないのだ。全体的でありながら分裂した見せ物としての文楽は、もちろん、即興を排除する。自発性に立ちもどることは紋切型に立ちもどることだ、ということを文楽はおそらく知っているのである。

「逸脱」(対談)――記号表現。われわれはまだ長くこの語を濫用する覚悟を決めなければなりません(これを最後に注意したいのですが、われわれはこの語を定義するべきではなく、使うべきなのです。つまりそれを隠喩化し―とりわけ記号内容に対立させるべきなのです。記号学の初期にあっては、記号表現は、記号内容の単なる相関項であると信じられていましたが、今日われわれは、それが記号内容の敵であることをもっとよく知っています)。

「対象そのものを変えること」――新しい記号学―または新しい神話学―は、もはや記号内容から記号表現を、作文的なものからイデオロギー的なものを、それほど容易に切り離すことができない。あるいは、できなくなるだろう。それはこの区別が、間違っているとか無効であるからではなく、いわば神話的なものとなってしまったからである。

文学の科学から読書の快楽へ、構造分析からテクスト分析へと変化していったのが、この10年である。「作者の死」に代わる「読者の誕生」という言説が、このバルトの変化を良く表している。ここには、クリステヴァによるバフチンの紹介が大きく作用しているだろう。そして優れたものを優れたものとして認めた上での、この変化があったからこそ、バルトは今日においても魅力的な存在になっているのである。文学に興味ある人は必読の書。
31人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年4月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 私は中学校で国語科の教員をしている。教室で文学を子どもたちと読むことでお給料をいただいている。
 作者の死、テクストを解釈することに付き纏うアナーキズムの問題。学生のときバルトの著作を読んで、震えるような感動を味わうと同時に、「国語の先生って、何をするべきなんだろう」という思いは日に日に募っていった。
 教壇に立って、子どもの前で、子どもの"解釈"を前に「すごい!何でもあり!!」とだけ言えばいいのか。文学を読むことで秩序の儚さを教えるのが国語の教員なのか。それは、「国語教員なんていらない」ということに等しいのではないか。そんなことを思っていては、子どもの前に立てないじゃないか。申し訳がたたないじゃないか。
 現在の国語教育では、田中実氏や須貝千里氏など、多くの先生方が真正面からこの問題と闘っている。私も、この問題から逃げるわけにはいかない。子どもたちの前に"先生"として立って、教室で文学を読むことの意味について考え続けなくてはいけない。
 もちろん、ロラン・バルトの仕事に最大の敬意を払いながら。
54人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2022年11月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
みすず書房の本で白い表紙のシリーズです。一部でシロ難と呼ばれていますが、実際に読んでみると、全てではありませんが、難解に感じました。歯が立たないという印象です。「物語の構造分析序説」が目当てだったのですが、再読しようと思っています。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2019年1月28日に日本でレビュー済み
ロラン・バルトは物語の構造分析において「作者の死」という考え方をテクストにしたけれども、私の理解によれば、それは「作者の不在」という表現が適切な概念表記である。

最も、ロラン・バルトのテクストは「作者の死」であるから、「作者の不在」という解釈は、実は、作者としてのロラン・バルトの意図を汲んだ私のテクストであって、作者としての私の意図を汲まないで欲しいというロラン・バルトの意図を敢えて汲まないでテクスト解釈をするならば「作者の不在」という理解は、「作者の死」の適切な概念理解であると言えるだろう、即ち、そのような「作者の不在」という私のテクスト表記は、まさしく作者としてのロラン・バルトの意図を殺したテクスト解釈なのである。

従って、ロラン・バルトの「作者の死」とは、「作者の不在」に他ならない。

このような「作者の死」というテクストを取り巻くテクストの構造分析を、私は、ロラン・バルトのパラドクスと名付けたい。

作品(texte)は死なない、作者は作品の著者(texte)として死なない、作者の意図(verbum)はもう死んでる。

読者としてのバルトは、テクストを作者の意図による支配から解放する自由を愛したのだろう。

テクストの快楽は、作者の死から始まるのだから。

バルトのテクストは常に誘惑に満ちたエクリチュールであり、読者に対する恋愛のディスクールを演じるから、作者としてのバルトは手強い、即ち、ロラン・バルトは作家である。

フランス現代文芸批評を代表する作家であるロラン・バルト氏に対する敬意はロゴス中心主義的構造主義者ではない作家である彼のテクストに対して、彼の意図を殺すという彼の意図を知らぬフリを演じながら読むことではないだろうか?

バルト氏の意図(leveret!)によれば、「作者の意図(verbum)=作品のロゴス(logos)」。

このカラクリ(作品構造,ecriture)が、私の考えるロラン・バルトのパラドクスのテーゼ(規範命題,justice)である。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2021年8月27日に日本でレビュー済み
「作者の死」という有名な言葉が出てきますが、これはauthor(作者)とArthur(アーサー王)をかけた言葉遊びなのではないかと思われます。文章にしてもとても短く、単純な思いつきから洒落で書いたぐらいに思った方が良いのかもしれません。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2010年4月6日に日本でレビュー済み
バルトは本当に奇妙な(あるいは器用な)人です。彼を学者として考えると、雑駁な文芸批評、劇評書きから、国立科学研究センターにもぐりこみ、記号学という得体の知れない新分野を掲げて、高等科学研修学院で口座を張り、最後にはコレージュ・ド・フランスの教授にまで出世した、一種のやり手です。しかしその業績はといえば、記号学も、物語の構造分析も、学問としては底が浅いというか、素人がおもしろがってした仕事というに過ぎないように見えます。現に本書に収められている「物語の構造分析序説」などは、プロップ、グレマス、トドロフなどの研究業績に乗った解説に過ぎません。もちろんそれらを適切にまとめ要領よく解説するということは相当な知的作業なのですが、これでは日本の学者さんたちがよくやるような「知識の輸入業」と大差ありません。それゆえバルトは日本の「知識人」には人気がある。「これならおれたちにもできる」というわけです。

しかしもちろんそれだけならばフーコーやドゥルーズなどから評価されるようなことはなかったでしょう。バルトは構造主義の硬直性を軽々と乗り越えてしまいました。その証が、たとえば「作者の死」、「作品からテクストへ」などの「作者論」に現れています。ここに述べられていることは
フーコー・コレクション〈2〉文学・侵犯 (ちくま学芸文庫) に収められている「作者とは何か」という講演と論旨がほぼ一致しています。フーコーはここで伝統的なテクストに対する作者の位置づけを批判し、そこから「知の考古学」に見るような言表主体主義を打ち出していくわけです。

いまになってみると、バルトの業績はいわゆるポスト構造主義の思想を先取りしていたといえます。その傾向は「零度のエクリチュール」にまで遡ることができます。ところが本人は何か前衛的なことを言って世間を驚かしてやろうなどといった野心は微塵も持たず、ただ「おもしろいことを思いついたから聞いて」というように打ち出してくるので、思わず引き込まれてしまうのです。

こんな人がコレージュ・ド・フランスの教授にまでなってしまったのだから、フランス人の度量の大きさに感心します。こんな時代はもう二度と来ないかもしれません。
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2002年10月3日に日本でレビュー済み
 本書はバルトのいくつかの有名な論文を翻訳し、一冊にまとめたものです。収められている論文にはどれも非常に興味深いですが、特に有名なものでは「物語の構造分析序説」、「作者の死」、「作品からテクストへ」、「対象そのものを変えること」などがあります。この一冊を読んでいくと、バルトの理論の変遷を見ることができます。「物語の構造分析序説」では、構造主義者としてのバルトを見ることが出来ますし、「作品からテクストへ」ぐらいになると、徐々にいわゆる快楽のバルトの兆しを見ることができます。また、「現代における食品摂取の社会心理学のために」における記号論的分析は、記号論とは何かを知る上では非常によいと思います。扱っている話題が身近なものなので、自分でもバルトの真似をして自分の生活の様々な現象に関して記号論的分析を実践することができるかもしれません。また訳者の花輪さんによる解題は非常に丁寧で、それぞれのバルトの論文を理解する手助けとなってくれます。収められている論文は文学理論や記号論などの分野の発達に大きく貢献したものばかりなので、本書を読む価値は大きいと思います。
129人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2015年12月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
演技の勉強のために購入しました。
現在も活用しています。
これからもずっと持っている本になると思います。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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