ただ、それ以上のものであるように見える。単なる規則、つまり将棋のルールみたいなもので、世界にしっかりとした根拠を持ってはいない、と言い切ることには躊躇がある。そこが問題で、著者の格闘するところだ
ブーヴレスの、ここまで翻訳された本は主にウィトゲンシュタインが提起した問題の周囲をめぐるものばかりだが、これもその一つ。ただ、私にはこれが一番重要と感じられる
規則つまり人間の作った拵えごとにすぎないという考え方と、宇宙の本質を表す存在論的に独立したものであるという考え方の対立は、数学的実在論の言い換えのようだが、より深い理解が可能であると思われる。もちろんウィトゲンシュタインは単なる規則と言ったのであり、著者も多分そこにシンパシーを感じているはずだが、例によって問題の周りをぐるぐる回った挙句、はっきりとした結論に達しない。ただ、ここ百年の哲学のありようを見るに、断定的に語る哲学は結局のところ信用ならないものばかりで、ブーヴレスの場合、誠実さのあらわれであるとは思う
私もウィトゲンシュタイン、ブーヴレスの線に賛成する。ただし証明しろと言われると難しいことになるのだろう
しかしこれが正しいとすると(正しいに決まっていると言いにくいところが哲学の深いところでの問題点だが)、現在流行の思弁的実在論が全く成立しなくなる。そういう事実よりも、思弁的実在論の担い手が、このあたりのことを全く知らないようであることに、ちょっと驚愕する。カントを論じる前に、ウィトゲンシュタインを打倒さねばならないのに
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規則の力: ウィトゲンシュタインと必然性の発明 (叢書・ウニベルシタス 1008) 単行本 – 2014/4/4
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「必要は発明の母である」を逆転した「必然性の発明」には、逆説的で挑戦的な発想が含まれている。わたしたちがどのように表現体系を選ぶのか。その選び方が、わたしたちに必然性をもたらす。規則の力を通してのみその姿を現わすこの必然性を自由に創造する過程が、最も体系的かつ劇的に発動する領域が数学である。言語から数学へ、ウィトゲンシュタインの哲学を横断し、その核心に迫る。
- 本の長さ272ページ
- 言語日本語
- 出版社法政大学出版局
- 発売日2014/4/4
- ISBN-104588010085
- ISBN-13978-4588010088
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商品の説明
著者について
ジャック・ブーヴレス
(Jacques Bouveresse)
1940年生まれ。エコール・ノルマル・シュペリユール卒。パリ第I大学教授などを経て、1995年にコレージュ・ド・フランス教授に就任。2010年に退官し、現在は同名誉教授。ウィトゲンシュタインや、ムージルやクラウスなどの研究で知られると同時に、フランス現代思想に対する厳しい批判でも知られる。邦訳された著書に、『哲学の自食症候群』、『合理性とシニシズム──現代理性批判の迷宮』(以上、法政大学出版局)、『アナロジーの罠──フランス現代思想批判』(新書館)、『ウィトゲンシュタインからフロイトへ──哲学・神話・疑似科学』、『言うことと、なにも言わないこと──非論理性・不可能性・ナンセンス』(以上、国文社)がある。
中川 大
1961年生まれ。北海道大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。北海道大学文学部助手などを経て、現在、北海道教育大学教授。専攻・哲学。著書に、『ウィトゲンシュタインの知88』(共著、新書館、1999年)、『分析哲学の誕生』(共著、勁草書房、2008年)。訳書に、ヒラリー・パトナム『理性・真理・歴史──内在的実在論の展開』(共訳、法政大学出版局,2012年〔新装版〕)、飯田隆編『リーディングス 数学の哲学──ゲーデル以後』(共訳、勁草書房、1995年)、論文に、「色彩空間と排中律──中期ウィトゲンシュタインにおける反直観主義哲学の構想」(『北海道大學文學部紀要』41巻2号、1992年)など。
村上 友一
1969年生まれ。北海道大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。札幌学院大学非常勤講師などを経て、現在、カフェ・パンジ販売担当。専攻・倫理学。著書に、坂井昭宏・柏葉武秀編『現代倫理学』(共著、ナカニシヤ出版、2007年)、川端繁之編『哲学的諸問題への誘い』(共著、梓出版、2006年)、論文に、「行為者性と道徳的責任──フィッシャーとラヴィツァの責任論」(日本倫理学会編『倫理学年報』第59集、2010年)、「応対的態度の系譜学──ストローソン・ダーウォル・ウィリアムズ」(北海道哲学会『哲学年報』第57号、2011年)など。
(Jacques Bouveresse)
1940年生まれ。エコール・ノルマル・シュペリユール卒。パリ第I大学教授などを経て、1995年にコレージュ・ド・フランス教授に就任。2010年に退官し、現在は同名誉教授。ウィトゲンシュタインや、ムージルやクラウスなどの研究で知られると同時に、フランス現代思想に対する厳しい批判でも知られる。邦訳された著書に、『哲学の自食症候群』、『合理性とシニシズム──現代理性批判の迷宮』(以上、法政大学出版局)、『アナロジーの罠──フランス現代思想批判』(新書館)、『ウィトゲンシュタインからフロイトへ──哲学・神話・疑似科学』、『言うことと、なにも言わないこと──非論理性・不可能性・ナンセンス』(以上、国文社)がある。
中川 大
1961年生まれ。北海道大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。北海道大学文学部助手などを経て、現在、北海道教育大学教授。専攻・哲学。著書に、『ウィトゲンシュタインの知88』(共著、新書館、1999年)、『分析哲学の誕生』(共著、勁草書房、2008年)。訳書に、ヒラリー・パトナム『理性・真理・歴史──内在的実在論の展開』(共訳、法政大学出版局,2012年〔新装版〕)、飯田隆編『リーディングス 数学の哲学──ゲーデル以後』(共訳、勁草書房、1995年)、論文に、「色彩空間と排中律──中期ウィトゲンシュタインにおける反直観主義哲学の構想」(『北海道大學文學部紀要』41巻2号、1992年)など。
村上 友一
1969年生まれ。北海道大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。札幌学院大学非常勤講師などを経て、現在、カフェ・パンジ販売担当。専攻・倫理学。著書に、坂井昭宏・柏葉武秀編『現代倫理学』(共著、ナカニシヤ出版、2007年)、川端繁之編『哲学的諸問題への誘い』(共著、梓出版、2006年)、論文に、「行為者性と道徳的責任──フィッシャーとラヴィツァの責任論」(日本倫理学会編『倫理学年報』第59集、2010年)、「応対的態度の系譜学──ストローソン・ダーウォル・ウィリアムズ」(北海道哲学会『哲学年報』第57号、2011年)など。
登録情報
- 出版社 : 法政大学出版局 (2014/4/4)
- 発売日 : 2014/4/4
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 272ページ
- ISBN-10 : 4588010085
- ISBN-13 : 978-4588010088
- Amazon 売れ筋ランキング: - 909,451位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 25,765位哲学・思想 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
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2018年8月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2015年8月13日に日本でレビュー済み
軽い、薄い、コンパクトな本です。
序文によれば(大意から、おそらく)。。。
著者は「私的言語の不可能性」「ラングとパロールの矛盾」について探求=再
考するつもりで、ウィトゲンシュタインの「規約」に関するコメントを整理し
ていたのだが、「必然・アプリオリ」「実在・ヌーメナ」等の批判哲学・超越
論的哲学の鍵概念の批判=再考に、ウィトゲンシュタインの規約概念が使える
ことに気が付いて、当初の「ラング・パロール」問題の探求は中止して、まず
そちらの探求に従事せざるを得なくなった。。。。とかや。
第1章から3章では、「規約(規則)」とはなんであるかを再定義。
規約の存立・分立には、規約に従った試行(実践)が不可欠であること。
(おっ、マルクスの「実践」概念?)
規約は、人間の(人類の)自然誌的な所与(試行錯誤の堆積)であること。
(んー、自然誌的所与って、「無限」とか「永遠」みたいな限界概念なの
では?)
第4、5章では、「規約」概念を、批判哲学・超越論的哲学の鍵概念である、
「必然」「実在」の批判に利用(適用)。
第6、7章では、「規約」概念を、フレーゲ・ラッセル以来の数学の哲学と、
『論考』以後に生じた言語分析哲学に対する批判に利用(適用)。
第8、9章では、上記の、批判哲学・超越論哲学への批判と、数学の哲学・
言語分析哲学への批判を、取り上げなおして、統合・整理。
第10章では、第3章で提案した「規約」の定義で、従来の「必然」の説明
に代用できることを再確認して、批判哲学・超越論的哲学起源の「必然」概
念を破棄。
「規約」には、効用、進化上の適応価があって、それは人間に、経験的
命題(教室に13人の生徒がいる)についての、今までにない新しい見方を
提供する(なにか変だ。だれかうそを言っているハズだ。数え間違いを
したハズだ)。
2つの民族が2つの自然誌を持つ場合、2つの別々の規約が存立するこ
とになり、いずれが正しく、いずれが誤っているかという判断基準は、理
論上・机上では、存在しない。
(でもこれ、歴史主義、歴史主義的相対主義とどう違うの?。。。ちなみ
に、魔術と科学を区別しないような、過激な規約主義者が、今も時々、現
われる。)
第11章では、ウィトゲンシュタインの「治療」の原理を整理。
ウィトゲンシュタインは歴史主義の立場をとるが、実在を尊重するので、
歴史主義の悪癖(相対主義、民族主義、国家主義)には染まらない。
ウィトゲンシュタインは、実在を尊重するので、認知主義的といいうる
が、試行・実践ぬきに人は実在を知ることはできないという立場をとるの
で、プラトニスムの悪癖(下界、現世、人為、個物の軽視?)には染まら
ない。
終章では。。。治療の問題点に言及。
集合論と実数論の関係を勘案するに、ウィトゲンシュタインの構え(理論
論理)に撞着のあることが疑われる。
( 真理など人間に対峙して存在していないのに、ひとが真理と事実を区別し
ようとするのは何故か。。。を説明する際に、ウィトゲンシュタインは、
「イデア的意味の生成」を仮構するよりも、「自然誌的所与としての規約の
生成」を仮構するほうがましだと決断したわけだが。。。その決断は正当な
のか?。。。とかや)
訳者(原著の最善の読者)のあとがきによれば、本書は原著者の主著群の
一冊で、四半世紀前に書かれた、「数学の哲学」についての、「変な」本で
あるそうです。
序文によれば(大意から、おそらく)。。。
著者は「私的言語の不可能性」「ラングとパロールの矛盾」について探求=再
考するつもりで、ウィトゲンシュタインの「規約」に関するコメントを整理し
ていたのだが、「必然・アプリオリ」「実在・ヌーメナ」等の批判哲学・超越
論的哲学の鍵概念の批判=再考に、ウィトゲンシュタインの規約概念が使える
ことに気が付いて、当初の「ラング・パロール」問題の探求は中止して、まず
そちらの探求に従事せざるを得なくなった。。。。とかや。
第1章から3章では、「規約(規則)」とはなんであるかを再定義。
規約の存立・分立には、規約に従った試行(実践)が不可欠であること。
(おっ、マルクスの「実践」概念?)
規約は、人間の(人類の)自然誌的な所与(試行錯誤の堆積)であること。
(んー、自然誌的所与って、「無限」とか「永遠」みたいな限界概念なの
では?)
第4、5章では、「規約」概念を、批判哲学・超越論的哲学の鍵概念である、
「必然」「実在」の批判に利用(適用)。
第6、7章では、「規約」概念を、フレーゲ・ラッセル以来の数学の哲学と、
『論考』以後に生じた言語分析哲学に対する批判に利用(適用)。
第8、9章では、上記の、批判哲学・超越論哲学への批判と、数学の哲学・
言語分析哲学への批判を、取り上げなおして、統合・整理。
第10章では、第3章で提案した「規約」の定義で、従来の「必然」の説明
に代用できることを再確認して、批判哲学・超越論的哲学起源の「必然」概
念を破棄。
「規約」には、効用、進化上の適応価があって、それは人間に、経験的
命題(教室に13人の生徒がいる)についての、今までにない新しい見方を
提供する(なにか変だ。だれかうそを言っているハズだ。数え間違いを
したハズだ)。
2つの民族が2つの自然誌を持つ場合、2つの別々の規約が存立するこ
とになり、いずれが正しく、いずれが誤っているかという判断基準は、理
論上・机上では、存在しない。
(でもこれ、歴史主義、歴史主義的相対主義とどう違うの?。。。ちなみ
に、魔術と科学を区別しないような、過激な規約主義者が、今も時々、現
われる。)
第11章では、ウィトゲンシュタインの「治療」の原理を整理。
ウィトゲンシュタインは歴史主義の立場をとるが、実在を尊重するので、
歴史主義の悪癖(相対主義、民族主義、国家主義)には染まらない。
ウィトゲンシュタインは、実在を尊重するので、認知主義的といいうる
が、試行・実践ぬきに人は実在を知ることはできないという立場をとるの
で、プラトニスムの悪癖(下界、現世、人為、個物の軽視?)には染まら
ない。
終章では。。。治療の問題点に言及。
集合論と実数論の関係を勘案するに、ウィトゲンシュタインの構え(理論
論理)に撞着のあることが疑われる。
( 真理など人間に対峙して存在していないのに、ひとが真理と事実を区別し
ようとするのは何故か。。。を説明する際に、ウィトゲンシュタインは、
「イデア的意味の生成」を仮構するよりも、「自然誌的所与としての規約の
生成」を仮構するほうがましだと決断したわけだが。。。その決断は正当な
のか?。。。とかや)
訳者(原著の最善の読者)のあとがきによれば、本書は原著者の主著群の
一冊で、四半世紀前に書かれた、「数学の哲学」についての、「変な」本で
あるそうです。
2014年5月25日に日本でレビュー済み
「20世紀最大の天才哲学者」の称号をハイデガーと二分してきた(近年はハイデガーが凋落気味の感じがしますが)ウィトゲンシュタインが生涯をかけて取り組んだ問題が何であったのかは、それ自体が議論の余地のあるところかとは思いますが、しかし、おおむね合意されていることは、彼が問い続けた問題は「規則に従う」とはどういうことなのかという問題であったというものでしょう。言語が規則に従う行為である以上、言語の本質に問いを投げかけたウィトゲンシュタインが規則の問題に向かうのは必然的なことでした。
規則をめぐるウィトゲンシュタインの問いかけは、数学の論理規則という最強の規則の、その必然性の本質の追求にまで突き進み、そこで実に物議を醸す主張を展開するに至ります。ウィトゲンシュタインの数学論は断片的な遺稿しか残されていないので、実際のところウィトゲンシュタインが数学の本質についてどんな見解をとっていたのかは完全には確定できないのではありますが、それでも、彼の主張は、数学の必然性はけっしてプラトニックな数学的実在のようなものが課してくる必然性ではなくて、あくまで人間が作り出した規則が課してくる必然性でしかないという主張であることは間違いない。
著者ブーヴレスは、ウィトゲンシュタインに批判的な英米の分析哲学の伝統が全然ないフランスの哲学者であるおかげもあってか、ウィトゲンシュタインの語るところによく耳を傾けていて、虚を突くようなウィトゲンシュタインの難解な洞察の微妙なところをうまく解説してくれているように思います。結局のところ、本書を読んでも、ウィトゲンシュタインの洞察が間違いなく正しいというような感覚が得られるわけではないし、ブーヴレス自身それを読者に求めているようでもないけれど、ウィトゲンシュタインが遺したとてつもない議題の、そのものすごさだけはよく分かった気がします。
数学的必然性が実在に根拠をもたないという主張は、かなりショッキングであり、当然にも数学者や数学の哲学の研究者には賛同者は少ないようです。しかし、このウィトゲンシュタインの数学観は、ブルア(Bloor)らが推進した「科学知識の社会学」(Sociology of Scientific Knowledge:SSK)が展開してきた「構成主義的科学観」(constructivist view of science)にとっては実に都合がよい。科学を世界認識の在り方として相対化しようともくろむSSKの企図にとっては、数学の論理的必然性を相対化するウィトゲンシュタインの洞察はまさに渡りに船であったわけです。(ブルアの『ウィトゲンシュタイン:知識の社会理論』はウィトゲンシュタインの権威をSSK陣営に組み入れる試みとして一読の価値があり。)
論理的必然性は社会的に構築されるものだという主張は、遡れば、実に社会学(および人類学)の創始者のひとりエミール・デュルケムの『宗教生活の原初形態』にまで遡るものです。100年前のデュルケムの人類学的問題提起は、ウィトゲンシュタインの透徹した哲学的洞察によって、半世紀のちに再発見されたのです。
規則をめぐるウィトゲンシュタインの問いかけは、数学の論理規則という最強の規則の、その必然性の本質の追求にまで突き進み、そこで実に物議を醸す主張を展開するに至ります。ウィトゲンシュタインの数学論は断片的な遺稿しか残されていないので、実際のところウィトゲンシュタインが数学の本質についてどんな見解をとっていたのかは完全には確定できないのではありますが、それでも、彼の主張は、数学の必然性はけっしてプラトニックな数学的実在のようなものが課してくる必然性ではなくて、あくまで人間が作り出した規則が課してくる必然性でしかないという主張であることは間違いない。
著者ブーヴレスは、ウィトゲンシュタインに批判的な英米の分析哲学の伝統が全然ないフランスの哲学者であるおかげもあってか、ウィトゲンシュタインの語るところによく耳を傾けていて、虚を突くようなウィトゲンシュタインの難解な洞察の微妙なところをうまく解説してくれているように思います。結局のところ、本書を読んでも、ウィトゲンシュタインの洞察が間違いなく正しいというような感覚が得られるわけではないし、ブーヴレス自身それを読者に求めているようでもないけれど、ウィトゲンシュタインが遺したとてつもない議題の、そのものすごさだけはよく分かった気がします。
数学的必然性が実在に根拠をもたないという主張は、かなりショッキングであり、当然にも数学者や数学の哲学の研究者には賛同者は少ないようです。しかし、このウィトゲンシュタインの数学観は、ブルア(Bloor)らが推進した「科学知識の社会学」(Sociology of Scientific Knowledge:SSK)が展開してきた「構成主義的科学観」(constructivist view of science)にとっては実に都合がよい。科学を世界認識の在り方として相対化しようともくろむSSKの企図にとっては、数学の論理的必然性を相対化するウィトゲンシュタインの洞察はまさに渡りに船であったわけです。(ブルアの『ウィトゲンシュタイン:知識の社会理論』はウィトゲンシュタインの権威をSSK陣営に組み入れる試みとして一読の価値があり。)
論理的必然性は社会的に構築されるものだという主張は、遡れば、実に社会学(および人類学)の創始者のひとりエミール・デュルケムの『宗教生活の原初形態』にまで遡るものです。100年前のデュルケムの人類学的問題提起は、ウィトゲンシュタインの透徹した哲学的洞察によって、半世紀のちに再発見されたのです。