「千里眼事件」はTVで何度か採りあげられ、比較的最近でもNHKBSの「ダークサイドミステリー」でやっていた。しかし、当事者が相次いで亡くなったとはいえ、なぜ急速に世間の興奮が冷めてしまったのかわからなかった。今回、第六章で念写を行う既婚女性と催眠術師の性的関係が示唆され、しかもそこに治療行為に拘わる金銭問題まで生じていたことを知り、やっと腑に落ちた。
事件そのものは最初に「透視」を紹介した福来友吉は最後まで信じていたようだが、当時一流の物理学者だった山川健次郎や田中舘愛橘らは「サイコロを2つ取ってこうカラカラスポンと伏せたのを当ててもらえばそれで満足だ」と談笑しており、初めからかなり疑っていたようだ。
今のコロナ禍も金銭や名誉が複雑に絡んでいて、まだ治験段階のワクチンを効くかのように推奨している専門家がワクチンメーカーの広告塔になったり、実は製薬会社から多額の研究費を受けていたりする。視聴率欲しさにコロナをあおるTV局は「千里眼」実験を伝える当時の新聞と同じではないか。
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千里眼事件: 科学とオカルトの明治日本 (平凡社新書 299) 新書 – 2005/11/1
長山 靖生
(著)
人が何かを認識するとはいかなることか。明治末、透視や念写ができる「千里眼」が現れ、世間を騒がせた。この事件が社会に投げかけたものを当時のメディア状況をふまえて検証する。
- 本の長さ205ページ
- 言語日本語
- 出版社平凡社
- 発売日2005/11/1
- ISBN-104582852998
- ISBN-13978-4582852998
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登録情報
- 出版社 : 平凡社 (2005/11/1)
- 発売日 : 2005/11/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 205ページ
- ISBN-10 : 4582852998
- ISBN-13 : 978-4582852998
- Amazon 売れ筋ランキング: - 548,345位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2014年11月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
千里眼の真偽については意図的に触れずに、客観的に当時の状況はどうだったかを記載している。
すなわち、実験の方法はどうだったのか、立ち会った学者の立ち位置や反応はどうだったのか、新聞をはじめとする周りの反応はどうだったのか。
明治の話であるから、科学技術のレベルは今より低く、解明されていなかったことも多かったであろう。だとしても、新聞が騒ぎ立て(今の週刊誌の役割も担っていたのであろうか?)、帝国大学の教授が熱狂している様には驚く。
信じるものしか確認できない千里眼がブームとなったのは、筆者が指摘するようにこの時代には、科学に「揺らぎ」があったのかもしれない。
すなわち、実験の方法はどうだったのか、立ち会った学者の立ち位置や反応はどうだったのか、新聞をはじめとする周りの反応はどうだったのか。
明治の話であるから、科学技術のレベルは今より低く、解明されていなかったことも多かったであろう。だとしても、新聞が騒ぎ立て(今の週刊誌の役割も担っていたのであろうか?)、帝国大学の教授が熱狂している様には驚く。
信じるものしか確認できない千里眼がブームとなったのは、筆者が指摘するようにこの時代には、科学に「揺らぎ」があったのかもしれない。
2008年3月30日に日本でレビュー済み
映画「リング」などでもモチーフになっていた,科学者による超能力実験。本書は,史実としての御船千鶴子,長尾郁子の実験の様子を丹念に描写した力作。
明治43年から44年にかけて,相次いで「千里眼」の能力を持つ者が出現し,東京帝大の福来友吉助教授,京都帝大の今村新吉教授らが実験を行った。山川健次郎ら東京帝大の諸教授列席のもと実験は繰り返され,好成績を挙げた回もあった一方で,全く当たらなかったり,千鶴子が試験物をすり替えたりという回もあった。いずれにせよ,作為の余地をなくすような実験の提案には千鶴子らが応じなかった(疑いの目で見られると能力を発揮できないという)ので,超能力の科学的な証明に成功したとはいえなかった。
福来は,その後も超能力の存在を信じて研究を続け,最後には「人間の霊魂は宇宙の太霊とつながりて,結局一如である」と書くほどに心霊主義への傾倒を強めた。
他の教授らには確信できなかった「千里眼」を,福来は確信していたのである。
≪学者の欲望。それはなにも,世界的な評価を受けたいとか,歴史に名を刻みたいとか,自分の発見・発明によって利益を受けたいといったものとは限らない。それ以上に,自分が望んだような実験結果を得たい,自分の仮説を証明する真実に出会いたいという願望こそが,学者に冷静な判断を失わせることになりがちであることを,われわれは知らなければならない。≫(49頁)
明治43年から44年にかけて,相次いで「千里眼」の能力を持つ者が出現し,東京帝大の福来友吉助教授,京都帝大の今村新吉教授らが実験を行った。山川健次郎ら東京帝大の諸教授列席のもと実験は繰り返され,好成績を挙げた回もあった一方で,全く当たらなかったり,千鶴子が試験物をすり替えたりという回もあった。いずれにせよ,作為の余地をなくすような実験の提案には千鶴子らが応じなかった(疑いの目で見られると能力を発揮できないという)ので,超能力の科学的な証明に成功したとはいえなかった。
福来は,その後も超能力の存在を信じて研究を続け,最後には「人間の霊魂は宇宙の太霊とつながりて,結局一如である」と書くほどに心霊主義への傾倒を強めた。
他の教授らには確信できなかった「千里眼」を,福来は確信していたのである。
≪学者の欲望。それはなにも,世界的な評価を受けたいとか,歴史に名を刻みたいとか,自分の発見・発明によって利益を受けたいといったものとは限らない。それ以上に,自分が望んだような実験結果を得たい,自分の仮説を証明する真実に出会いたいという願望こそが,学者に冷静な判断を失わせることになりがちであることを,われわれは知らなければならない。≫(49頁)
2019年10月23日に日本でレビュー済み
鈴木光司『リング』がモチーフにしたのが、明治42年~のオカルトブームに火をつけた千里眼事件。
このロマンを感じさせる事件の背景や顛末、どうにも気になるのは自分だけだろうか?本書は、そんな疑問に応えてくれるものだ。著者は本書を著すにあたって、千里眼=超能力に対する態度は中立、つまり”存在する”、または”存在しない”のどちかに偏向しているわけではないと明言している。
本書を読み進めるうちに、超能力の存在云々よりも、大学、マスコミの超能力肯定派、否定派の場外バトルや抜け駆けの功名争いの方に興味が惹かれた。「知ること」と「信じること」の違いが分かる書籍である。
このロマンを感じさせる事件の背景や顛末、どうにも気になるのは自分だけだろうか?本書は、そんな疑問に応えてくれるものだ。著者は本書を著すにあたって、千里眼=超能力に対する態度は中立、つまり”存在する”、または”存在しない”のどちかに偏向しているわけではないと明言している。
本書を読み進めるうちに、超能力の存在云々よりも、大学、マスコミの超能力肯定派、否定派の場外バトルや抜け駆けの功名争いの方に興味が惹かれた。「知ること」と「信じること」の違いが分かる書籍である。
2011年12月5日に日本でレビュー済み
「超能力が発見された。……未知の光線によって、視覚的に捉えることができない対象を
読み取ることができるばかりでなく、頭の中に思い描いた文字や形を写真乾板に焼き付ける
ことができる。そういうニュースが明治末期の新聞紙上に頻繁に登場し、世間を賑わせた。
これがいわゆる『千里眼事件』である。……何が事実であり、何が誤りなのか。あるいは、
事実とも誤りとも断定できない留保状態のなかでは、われわれは物事をどのように認識
したらいいのか。問いたいのは、何かを見、何かを考えるとは、本当はどういうこと
なのかである」。
「『信じる』ことを他者に求めるというのは、この場合、『疑いを禁ずること』と同義である。
そして『疑いを禁ずること』は検証の否定にほかならず、さらには他者が考えること自体を
禁ずるものでもある」。
たとえ既存の理論を以っては語りえぬことが眼前に展開されようとも、ただ唯々諾々と
それを受け入れるのではなく、種々の可能性を疑ってみること、思考することの必要は
何も自然科学や超常現象に限らず、およそ生一般への態度として奨励されるべき姿勢。
なぜなら、思考を停止することは、あなた個人が欺かれるだけならまだしも、しばしば
他者を傷つけてしまうものだから。
そうした倫理の素材として、まずは非常に有益な一冊。
この事件をめぐる光景を、単に未成熟な時代の科学の稚拙を証するものと嗤うのは簡単。
しかし例えば「あくまで個人の感想であり、効果を保証するものではありません」との
注釈とともにバカ売れする通販型健康アイテムの隆盛を思うとき、決して彼方の風景では
ないことを思い知らされる。
とはいえ、疑似科学もまた立派な自然科学史、社会史の1ページ。
入れ替わり立ち替わり、自称・超能力者や山師がその「千里眼」を披露して見せれば、
そこに当代一流の物理学者、心理学者らが喧々諤々議論を戦わせ、その光景をさらに
新聞メディアが火に油注ぎ焚きつける。
そう来た日には、かつての韮澤‐大槻論争どころではない面白さ。
まだこんな楽しいジャンルがあるんだよな、という野次馬的な興奮を呼び覚ましつつも、
現代的な警鐘としても機能し得る、そんな多層的な知を秘めた一冊。
読み取ることができるばかりでなく、頭の中に思い描いた文字や形を写真乾板に焼き付ける
ことができる。そういうニュースが明治末期の新聞紙上に頻繁に登場し、世間を賑わせた。
これがいわゆる『千里眼事件』である。……何が事実であり、何が誤りなのか。あるいは、
事実とも誤りとも断定できない留保状態のなかでは、われわれは物事をどのように認識
したらいいのか。問いたいのは、何かを見、何かを考えるとは、本当はどういうこと
なのかである」。
「『信じる』ことを他者に求めるというのは、この場合、『疑いを禁ずること』と同義である。
そして『疑いを禁ずること』は検証の否定にほかならず、さらには他者が考えること自体を
禁ずるものでもある」。
たとえ既存の理論を以っては語りえぬことが眼前に展開されようとも、ただ唯々諾々と
それを受け入れるのではなく、種々の可能性を疑ってみること、思考することの必要は
何も自然科学や超常現象に限らず、およそ生一般への態度として奨励されるべき姿勢。
なぜなら、思考を停止することは、あなた個人が欺かれるだけならまだしも、しばしば
他者を傷つけてしまうものだから。
そうした倫理の素材として、まずは非常に有益な一冊。
この事件をめぐる光景を、単に未成熟な時代の科学の稚拙を証するものと嗤うのは簡単。
しかし例えば「あくまで個人の感想であり、効果を保証するものではありません」との
注釈とともにバカ売れする通販型健康アイテムの隆盛を思うとき、決して彼方の風景では
ないことを思い知らされる。
とはいえ、疑似科学もまた立派な自然科学史、社会史の1ページ。
入れ替わり立ち替わり、自称・超能力者や山師がその「千里眼」を披露して見せれば、
そこに当代一流の物理学者、心理学者らが喧々諤々議論を戦わせ、その光景をさらに
新聞メディアが火に油注ぎ焚きつける。
そう来た日には、かつての韮澤‐大槻論争どころではない面白さ。
まだこんな楽しいジャンルがあるんだよな、という野次馬的な興奮を呼び覚ましつつも、
現代的な警鐘としても機能し得る、そんな多層的な知を秘めた一冊。
2017年8月15日に日本でレビュー済み
明治の末に念視とか念写の能力があるとされた女性とそれをとりまく学者や報道について興味深い話が、時間を追ってドキュメント風に書かれている。アメリカでスピリチュアの能力を持つとされたフォックス姉妹は、のちにあれは手品だったと告白したものの、信じ込んだ人たちにはそれを認められなかったという。日本で千里眼と呼ばれた超能力者達は、科学的な証明をしようとする学者がいる一方で、それが詐欺ではないかと疑う学者もあり、さらに東大と京大との功名争いのようなことまであったものの、千里眼能力者の死去によって社会を騒がせたこの件は急速に熱が冷めてしまった。したがって、千里眼が本当にあるのかないのかは解明されずに終わった。この本でも、千里眼は本当にあるのか、あるとすればどのような原理なのかについての結論や推論は示されていない。最初にこれを科学的に研究しようとした東京帝国大学の助教授は、休職のあとで退職となり、その後、高野山大学教授となり、さらに心霊研究所を設立し、宗教的なものに関心をもつようになったという。スピリチュアやオカルトや超能力といったことが時々ブームになることを考え合わせると、このようなことは多くの人が心のどこかで期待しているなのだろうかと思った。いろいろと考えさせられた本であった。
2005年12月16日に日本でレビュー済み
本のサブタイトルが科学とオカルトの明治日本とありますが,
本の主題にかかわるのは科学と明治と日本で,オカルトは題材でしかありません。
オカルトが主題になる書物だと
「高低」と「否定」が論じられますが,この本では一切,御船千鶴子と長尾郁子の能力の真実性には触れられません。
丹念に
報道がどうであったのか,
学者達はどのような態度だったのか,
人々はどのように反応したのか
を時系列に沿い,追うだけです。
終いにまとめられた明治末期の「科学」の揺らぎ
はすばらしい
「知識は驕りやすく経験は騙されやすい」
ことの例示です。
あーーおもしろかった。
本の主題にかかわるのは科学と明治と日本で,オカルトは題材でしかありません。
オカルトが主題になる書物だと
「高低」と「否定」が論じられますが,この本では一切,御船千鶴子と長尾郁子の能力の真実性には触れられません。
丹念に
報道がどうであったのか,
学者達はどのような態度だったのか,
人々はどのように反応したのか
を時系列に沿い,追うだけです。
終いにまとめられた明治末期の「科学」の揺らぎ
はすばらしい
「知識は驕りやすく経験は騙されやすい」
ことの例示です。
あーーおもしろかった。
2005年12月13日に日本でレビュー済み
私は当初この事件についての詳細を知らなかったので、とても興味深く読みました。
明治後半、御船千鶴子・長山郁子という2人の「千里眼」の持ち主が現れる。
その能力にとても興味を示した人物、福来友吉。
「千里眼」に魅了され、数々の実験を行い、それを科学的に証明し、「千里眼」を世間に広めようと、また認めさせようとした福来。
結局「千里眼」能力者である両人の死によって、真相は闇の中に―。
この本ではそのような全体的な俯瞰図が手に入るように思います。
心霊学研究の先行者として一柳廣孝さんの本も同様に読むとよりわかりやすいと思います。
明治後半、御船千鶴子・長山郁子という2人の「千里眼」の持ち主が現れる。
その能力にとても興味を示した人物、福来友吉。
「千里眼」に魅了され、数々の実験を行い、それを科学的に証明し、「千里眼」を世間に広めようと、また認めさせようとした福来。
結局「千里眼」能力者である両人の死によって、真相は闇の中に―。
この本ではそのような全体的な俯瞰図が手に入るように思います。
心霊学研究の先行者として一柳廣孝さんの本も同様に読むとよりわかりやすいと思います。