訳者註についての単純な事実誤認の指摘から。中世に関する章で「二重真理説」を唱えた人物の名前が出てますが正確にはその人ではなくてブラバンのシゲルスです。訳者の方々のご立派な経歴を拝見させて頂いた所から推察しますと、ご自分の本棚から「二重真理説」が誰の学説かを調べるのは楽でしょうに、そういう所で手を抜くのは商品としての書籍の価値を落とします。まあ、原文で「神学部」となっているのに引きずられたのでしょうがーということにしておいて差し上げますー、ここも正確には「哲学部」です。原書を確認していないので、誤訳なのか誤植ー哲学科の学部生でもこんな単純な間違いはしないので誤植ということにしておいて差し上げますーなのかは分かりませんが。
本訳書は、文庫クセジュのシリーズの一冊です。このシリーズ、本当に当たり外れが激しく、分かりやすくてためになる(語彙不足ですいません)書籍と箸にも棒にもかからない紙を束ねた物体とに分かれるので、賭け事がお好きな向きは是非ともお手に取られることをお勧めしたくなるシリーズです。
では、本訳書はそのどちらか。それはお読みになられてご判断されるのがよろしいかとは思います。ただ、上述のような哲学史の誤植が散見されるので、この書籍の記述を鵜呑みにされるようなことは避けられた方が賢明です。
この書籍は、言ってしまえば、教条的なマルクス主義哲学の教説たる唯物論を現代哲学の事例を幾つか挙げることで何となく新規な見解であるかのように見せかけているだけのものです。ですので、現代の部分を除けば、ソ連御用達哲学者のオイゼルマンあたりの書籍をお読みになれば事足りる代物と言えるでしょう。
全体的に言えることは、唯物論とは何かという根本的な問いへの答えが分かりにくいという印象です。単に思想家が「私/あの人は唯物論」と言っていたのを根拠にしてその思想家を取り上げているだけです。本当に唯物論を取り上げるのであれば、その思想家の自己認識/他者評価に関わらず唯物論的な知見を見出だしていくという作業が必要です。従って、古代の唯物論は中世では省みられなくなったと単純に断ずるのではなく、古代の唯物論の問題意識が中世ではどのように展開されて継承されていったかが論じられなくてはなりません。その意味で、非常に単純かつ軽薄な史的唯物論の図式を哲学史にも当てはめているに過ぎません。だから、現代の唯物論を扱う箇所も単に書名に唯物論という言葉が入っているものを取り上げてくるだけなので、一貫性がなく曖昧です。なぜ、現代の唯物論は心脳問題を関心領域とするのか、それは古典的の唯物論と同じ地平に立てる議論なのか、こうした議論は根本的に問われることがないために拍子抜けするというのが実情です。
個人的に問題だと思うのが、本訳書の中心となるであろうマルクスについての記述が、完全にエンゲルスさんの証言をもとにしたものであり、マルクスとエンゲルスさんが恰も同一人物であるかのように描かれています。前々から思っているのですが、こういう論じ方はマルクスにだけでなくエンゲルスさんにも失礼ですよね。マルクスはマルクス、エンゲルスさんはエンゲルスさん、人間が二人いれば別々の人格で別々の思考をしているという普通の感覚が史的唯物論を採用した途端になくなるとでもいうのでしょうか。まあ、唯物論をお題目のように唱えている旧い主義者の皆様がお作りになられる団体だと個人は得票として計算されて個人的人格性が喪失するご様子ですので、化石化した唯物論者御一同様には人間の個性なんぞに興味はないのかもしれませんが、こうした抽象化こそ唯物論が最も避けるべき事態であるはずです。勿論、古臭い史的唯物論を採用することは著者の自由として認められるべきです。しかし、記述は正確にすべきであり、マルクスが言ったこととエンゲルスさんが言ったことは分けてきちんと読者に分かるように提示すべきです。マルクスとエンゲルスさんが共同で取りかかった著作がある。これは事実です、というのもその否定は成り立たないからです。この時期にマルクスは初期の哲学を断念して唯物論を打ち立てた。こちらは解釈です。なぜなら、その否定も成り立つからです。だとすれば、それを明記することは著者の義務です。
残念ながら、本書で提示される唯物論は退屈な図式に過ぎません。しかし、これは著者の力量の問題というよりも唯物論を巡る言説が退屈だということを示しているように思われます。おそらくより豊かにより深く唯物論を語ることは出来るでしょうし、それをすることが若い研究者の課題かもしれません。ただ、今までの唯物論はどうしても政治色の強い議論を背景にしているために偏狭である印象を拭い去ることはできません。だから、です。古くて偏狭な唯物論を上から教説として叩き込む団体の言説が退屈なのは。その団体の理念が退屈で偏狭であるから、その団体の発する言葉はどれもありきたりになるのです。もし、唯物論の内容にご興味があれば本書よりもエピクロスを翻訳でいいのでお読みになる方が実り多いことでしょう。支配して抑圧することで個性を抽象化の中に消し去っていく全ての強制に対抗する視座がエピクロスにはあります。本書には、どうでしょう。それと同じように、毎日の生活の中で苦しみや痛みを抱えながらそれでもそうした傷を少しでも和らげようとほんの小さなことをしている名も知れぬような人々こそ本来的な唯物論の具現者です。敵を見出だして仲間から分断するように大声で扇動する御仁やインターネットで挑発を繰り返すわりには現実で苦しんでいる誰かの荷物を持とうともしない衆人は何者でもありません。本当に唯物論を体験したいのであれば、それは団体に所属してその歯車になることで自分を承認することよりも、誰かがちょっとしたことで苦しんでいたならば自分にできる範囲で現実世界の中に実現することではないか、そんなことを本書を読むことで学ぶことができました。
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唯物論 (文庫クセジュ) 新書 – 2015/12/19
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西洋哲学史の地下水脈、唯物論の流れを辿る
精神よりも物体のほうが根源的だとする哲学的立場、それが唯物論である。その歴史は古く、古代ギリシア哲学の誕生まで遡ることができる。だが、栄光の歴史というには程遠い。観念論と根本的に対立するため、その発展こそが西洋哲学史であるとするホイッグ史観においては、嘲弄と抑圧の憂き目にあった。本書は、そのような唯物論の辿った歴史に正面から取り組む大著である。大著とはいささか大袈裟かもしれない。だが、フランス本国で才学博通として知られる著者は、極度に硬質の文体をもって、新書でありながらも類書にはない情報量を搭載した唯物論史の描出に成功した。2500年のその歴史に綺羅星のように輝く哲学者の数々に本書で与えられる説明は陰影に富む。また、現代において唯物論を論ずる際に避けられない科学と宗教との関係についても言及し、読者をさらなる考察へと誘う。
精神よりも物体のほうが根源的だとする哲学的立場、それが唯物論である。その歴史は古く、古代ギリシア哲学の誕生まで遡ることができる。だが、栄光の歴史というには程遠い。観念論と根本的に対立するため、その発展こそが西洋哲学史であるとするホイッグ史観においては、嘲弄と抑圧の憂き目にあった。本書は、そのような唯物論の辿った歴史に正面から取り組む大著である。大著とはいささか大袈裟かもしれない。だが、フランス本国で才学博通として知られる著者は、極度に硬質の文体をもって、新書でありながらも類書にはない情報量を搭載した唯物論史の描出に成功した。2500年のその歴史に綺羅星のように輝く哲学者の数々に本書で与えられる説明は陰影に富む。また、現代において唯物論を論ずる際に避けられない科学と宗教との関係についても言及し、読者をさらなる考察へと誘う。
- 本の長さ222ページ
- 言語日本語
- 出版社白水社
- 発売日2015/12/19
- ISBN-104560510032
- ISBN-13978-4560510032
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商品の説明
著者について
1930年、パリ生まれ。パリ第一大学名誉教授。専門は近世哲学。
登録情報
- 出版社 : 白水社 (2015/12/19)
- 発売日 : 2015/12/19
- 言語 : 日本語
- 新書 : 222ページ
- ISBN-10 : 4560510032
- ISBN-13 : 978-4560510032
- Amazon 売れ筋ランキング: - 944,941位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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