滝田洋一という方、日経新聞の記者さんらしいのですが
「もうすこし勉強なさってください」としか言えません。
こちらのサイトで滝田さんを痛烈に批判されてます。
[...]
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日本経済不作為の罪 単行本 – 2002/11/1
滝田 洋一
(著)
- 本の長さ276ページ
- 言語日本語
- 出版社日経BPマーケティング(日本経済新聞出版
- 発売日2002/11/1
- ISBN-104532350190
- ISBN-13978-4532350192
商品の説明
商品説明
10年間で600兆円の所得損失、深刻さを増す金融危機、そして政府によるその場しのぎの政策…。遅々として進まない改革に、国民の不安は高まる一方だが、このまま放置した場合、日本経済は一体どうなってしまうのだろうか。そんな疑問に、少なからぬヒントを与えてくれるのが、本書である。
著者は、日本経済新聞社経済部の編集委員で、金融関連の著書も複数持つ人物。政策当局者や金融の現場への綿密な取材を通して、この国が直面している深刻な問題を数字の面から明らかにしている。「失われた10年」とは、もはや使い古された言葉だが、著者はその間に失われたフロー、ストック両面の国富を数値化して見せ、「不作為の罪」を追求する。掲載されている関係者の発言や数字は2002年10月時点の最新のものであり、メディアでさわがれている内容との共通点や相違点を示してくれるという点で、大変興味深い。マーケットに深い人脈を持つ著者だからこそ実現できた内容であろう。
「結局のところ、日本経済はどこへ向かうのか」という大方の疑問に対しては、明確な答えを示していないが、問題点を整理し、先行きを見通すための材料をそろえているという点で、価値ある1冊である。(土井英司)
内容(「MARC」データベースより)
間欠泉のごとく噴き出す金融危機と、その場しのぎの封じ込め政策。しかしデフレは止まらず、国富はじわじわと失われていく。政策当局者や金融現場の綿密取材をもとに、進行する「悲劇」をレポート。
登録情報
- 出版社 : 日経BPマーケティング(日本経済新聞出版; New版 (2002/11/1)
- 発売日 : 2002/11/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 276ページ
- ISBN-10 : 4532350190
- ISBN-13 : 978-4532350192
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,676,899位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 450位日本の経済事情(一般)関連書籍
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2003年1月7日に日本でレビュー済み
この本は、現在のデフレ不況に関し、いつからかはわからないけれど、政官と、財の愚かな一部~もちろんマスコミ以外~が、なにか分からないけれどやるべきことをやらなかったということを指弾する目的で書かれたようです。その不作為の結果として総合的に日本の国力が落ちているということが書かれているようです。今のままじゃいけないんだ、という私の中の正体不明の不安に火がつきます。で、購入してしまったのですが・・・・
個別の事実についてはよく調べられ、要人に対するインタビューは、さすが大経済紙の編集委員でないと聞き出せない内幕話を引き出しています。それぞれの事実は目を引くものでありながら、そこから導き出される言葉は、過去の場面場面の解説とその時点での不作為を責める!文!!学的な警句にとどまります。そのつど「今はもう手遅れだけど」と言葉を挟みつつ。
まさに、人は過去を振り返るとき神になれるとはこのことです。しかしこの神はディテールにあくまで固執し、未来については不安しか示していません。私は、バブル真っ盛りの頃、この著者が所属する新聞社がどんな記事を書いていたか、そして不動産の総量規制を導入する前後にどういう論陣を張ったか、未だに忘れることができません。他人の作為・不作為を責めるとき、やはり人は神になれるのですが、神は常に無責任なもののようです。
個別の事実についてはよく調べられ、要人に対するインタビューは、さすが大経済紙の編集委員でないと聞き出せない内幕話を引き出しています。それぞれの事実は目を引くものでありながら、そこから導き出される言葉は、過去の場面場面の解説とその時点での不作為を責める!文!!学的な警句にとどまります。そのつど「今はもう手遅れだけど」と言葉を挟みつつ。
まさに、人は過去を振り返るとき神になれるとはこのことです。しかしこの神はディテールにあくまで固執し、未来については不安しか示していません。私は、バブル真っ盛りの頃、この著者が所属する新聞社がどんな記事を書いていたか、そして不動産の総量規制を導入する前後にどういう論陣を張ったか、未だに忘れることができません。他人の作為・不作為を責めるとき、やはり人は神になれるのですが、神は常に無責任なもののようです。
2002年11月9日に日本でレビュー済み
著者は日本経済新聞社に勤めていらっしゃる方ので、世界経済・政治情勢のアップデートな情報に対する適切な判断と解釈を期待して読みました。期待は裏切られず、確かに最前線にいる人だけが分かる情報も踏まえて、一般の人には窺えないような舞台裏の話や、鋭い分析は非常に興味深いと思いました。ただ少し残念だったのは、急いで書かれた本なのか、誤字が少なくなく、文章表現も十分に練られたものではないように感じられた点です。次に本を出されるときは、もう少し丁寧に仕上げてもらえれば、嬉しいと思いました。
2002年11月7日に日本でレビュー済み
日本経済の「不作為を重ねるメカニズム」が、経済と政治の錯綜の中で表現されている。特に21世紀初頭の日本の現状を理解するために的確な一書であろう。
本書を読んで感じたところは、「米国の影が色濃く覆う日本」という前提に立ったときに、益々、作為性が強まる米国の存在は、わが国の採り得べき見取り図の焦点を不鮮明にする可能性もあるという点。米国経済の高レバレッジが逆回転し、10年遅れで日本を再現するのであれば、米国の作為性は、いや増してわが国の不作為性を強要するかもしれない。
逆説的には、「これから何が起きるか、何をなすべきか、の見取り図」は描きにくいというのが、本書の真意ではないか、と考えたくなるのは邪推であろうか?
本書を読んで感じたところは、「米国の影が色濃く覆う日本」という前提に立ったときに、益々、作為性が強まる米国の存在は、わが国の採り得べき見取り図の焦点を不鮮明にする可能性もあるという点。米国経済の高レバレッジが逆回転し、10年遅れで日本を再現するのであれば、米国の作為性は、いや増してわが国の不作為性を強要するかもしれない。
逆説的には、「これから何が起きるか、何をなすべきか、の見取り図」は描きにくいというのが、本書の真意ではないか、と考えたくなるのは邪推であろうか?
2002年12月24日に日本でレビュー済み
ただ単に不安を煽っているだけの文章がつらつらと書いてあり、書き下ろしとは思えない。知識がある方なのだろうか、古典や名句の引用が多用されているが、意味がわからないものが多すぎて返って例えになっていない。途中から話が米国経済・ブッシュ政権の話になってしまい、最後の章になって思い出したかのように日本経済批判に戻っている。私個人は日本経済に対して楽観的ではないが、脈絡のない悲観論は単なるマスコミの大衆迎合かと思えたりもする。
2002年11月19日に日本でレビュー済み
滝田氏は日本経済新聞で氏名入りで文章を書ける「偉い人」です。マスコミの人によく見られますけど、日本経済の低迷はエコノミストの誤診であったり、政治家・政策当局者の対応の悪さ(何もしないことも含めて)が責任だった、てな論調で書かれています。確かにそれは否定しません。しかし、マスコミにも問題はないのだろうか。マスコミは世論をコントロールすることに荷担しているようにも見えるし、経済政策論議と同様に意見は時として180度異なったりしている。グリーンスパンFRB議長も政策評価は後の世にならないとわからない面が多く、現状の政策が間違っていると考えて行なう人はいない、と言ってます。もちろん、政策自体は間違うことがあるわけであるが、その責任を政治家やエコノミストだけに責任を押し付けるのはいかがなものか、と感じた。