この書は東京日仏学院院長であったモーリス・パンゲが1986年に出した、自死(意思的な死)をフェーズにとった日本精神文化史である。
安徳天皇を抱いて海に身を投げた二位尼。
鎌倉幕府滅亡時の武士の集団切腹-6千人余という(太平記)。
秀吉に疎まれて自死した千利休。
浅野内匠頭、大石内蔵助と四十七士。
西郷南州隆盛の死と士族の終焉。
乃木希典の殉死。
2.26事件。
芥川龍之介。太宰治。川端康成の自死。
カミカゼ特攻隊の若者の心情。
昭和軍閥領袖の死に方。
市ヶ谷自衛隊の三島由紀夫。
多くの自死を挙げながら日本の文化を語る。
自死・自殺は決して日本だけのものではない。著者の広い学識は古今東西の歴史にも目を配る。
日本の自死を特徴づけるものは「切腹」の様式化であるとする。
為すべきこと何も無く、何も生産しない侍(サムライ)が階級として存続し得たのは、常に切腹の覚悟に裏打ちされていたからだという。
この儀式化された様式は敗戦時の阿南陸相、昭和の三島にも踏襲される。
パンゲは哲学者であるが、これだけ歴史を論ずれば社会科学者でもあらざるを得ない。
自殺の統計、西鶴や近松の演劇、明治維新政府の天皇制教育など多岐に踏み込む。
しかし或る行動を、或る集団を、或る思想を糾弾することはしない。
底に、日本文化に対する深い愛情が溢れている。
これを読んでいま私が思うのは、何も為さず、何も生産しない年金生活者はいかに生き、いかに死ぬべきかということである。
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自死の日本史 単行本 – 1986/5/1
- 本の長さ460ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日1986/5/1
- ISBN-104480853081
- ISBN-13978-4480853080
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (1986/5/1)
- 発売日 : 1986/5/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 460ページ
- ISBN-10 : 4480853081
- ISBN-13 : 978-4480853080
- Amazon 売れ筋ランキング: - 68,645位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 436位倫理学入門
- - 1,374位社会学概論
- - 8,402位ビジネス・経済 (本)
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2017年1月3日に日本でレビュー済み
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友達が頼まれた研究のためにこの本です。本当に新しくきれいにしっかりする本
2019年8月29日に日本でレビュー済み
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「自分が結びつけられている肉体をいついかなるとできも犠牲にする覚悟さえできていれば、精神のうちにあって限りなく自由でいることができる。」
ストア派の(自己の死をもって)自由を守る気高い思想が本書のエッセンスである。
死は妙薬であると同時に劇薬だ。
本書はその劇薬を、日本史のエピソードから一つ一つ抽出し、甘美な文章でまとめあげている。
なんと恐ろしい書であるか。だがしかし、本書はなんと美しい文章であることか。
本書を手にされる諸兄は、心して読まれることを願います。
ストア派の(自己の死をもって)自由を守る気高い思想が本書のエッセンスである。
死は妙薬であると同時に劇薬だ。
本書はその劇薬を、日本史のエピソードから一つ一つ抽出し、甘美な文章でまとめあげている。
なんと恐ろしい書であるか。だがしかし、本書はなんと美しい文章であることか。
本書を手にされる諸兄は、心して読まれることを願います。
2017年12月22日に日本でレビュー済み
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儒教という語句が大変多いが、日本は儒教国家ではありません。教養としては学びましたが。
南京事件の記述は中国のプロパガンダに騙されています。その他は非常に勉強されており、啓発されました。
南京事件の記述は中国のプロパガンダに騙されています。その他は非常に勉強されており、啓発されました。
2015年3月6日に日本でレビュー済み
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出品者の評価通りの本でした。予定通りに到着もしています。中身を読むのはこれからですが、日本人の思考構造を外国人がどう見ているのか楽しみです。
2013年2月21日に日本でレビュー済み
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2012年2月号の「正論」 草舟立言「根源へ」のテーマが自死についてだった。その中で取り上げられていたのが、このパンゲの「自死の日本史」である。
パンゲは、日本の武士道を貫くものを「運命への愛」という言葉で捉えた。運命を愛するとは、宿命を受け入れることを言う。そして、宿命を全て受け入れれば、自死を許容する心が芽生える。自死とは、つまり美しい何ものかのために、自らの人生を捧げ尽くすことの結果である。日本では武士道精神によって、それは発露された、と「根源へ」で書かれてあった。三島由紀夫の生き様、死に様にもつながってくる。
かつての日本人の、清冽で激烈な生き様に思いを馳せた。このような歴史を持つ日本への誇りを呼び覚まされる本である。
パンゲは、日本の武士道を貫くものを「運命への愛」という言葉で捉えた。運命を愛するとは、宿命を受け入れることを言う。そして、宿命を全て受け入れれば、自死を許容する心が芽生える。自死とは、つまり美しい何ものかのために、自らの人生を捧げ尽くすことの結果である。日本では武士道精神によって、それは発露された、と「根源へ」で書かれてあった。三島由紀夫の生き様、死に様にもつながってくる。
かつての日本人の、清冽で激烈な生き様に思いを馳せた。このような歴史を持つ日本への誇りを呼び覚まされる本である。
2014年11月27日に日本でレビュー済み
日本の精神性と文化・歴史に深い理解と敬意を示しつつ、自決・自死に焦点を当て、ヨーロッパと比較しながら考察したユニークな日本文化・思想史。格調高い名文で、分厚い本だが読み進むのに苦痛を感じない(訳も素晴らしいと思う)。
感動を覚えるような分析・解釈が多々ある。道元の禅哲学が最大限に称揚される。最終章の三島・市ヶ谷事件の考察も詳細にして見事。
第1章~4章はフランス語読者のための序説だろう。古代ローマの元老院貴族・(小)カトーがシーザー独裁に反対して意志的な死を選び、切腹した事実を述べて、武士の切腹が特に異質なものではないことを示す。
プラトン以来(それを引き継ぐキリスト教時代も)、あらゆる自殺は主人を裏切る反逆奴隷の行為と同一視された。しかし、形而上学のない日本では、死を決意し自殺することはそのまま日本人の生の一部であり、その行為を日本人は承認し敬意を払うと著者は指摘する。
第5章からは日本精神史を自死を介して解析する。
源平の権力闘争から切腹が起こる。義経は供侍に方法を聞き、佐藤忠信のやり方で切腹した。横一文字に切り開きハラワタをつかみ出す。敵に向かって内臓を投げつけるという行為は、自らの勇気を誇示し、敵を挑発愚弄する意味を持っていた。
源平の時代まで介錯はなかった。承久の変(1221)のときから介添え付きの切腹が行われるようになった。
江戸時代の心中の分析などを経て、第11章から明治から現代までの自死が取り上げられる。
関連して、著者は明治帝国憲法の問題点を的確に指摘している。「山県は憲法の中に、天皇が陸海軍の統帥者であるとする第11条を書き込ませておいた。この帷幄上奏権を根拠にして、軍隊は政府の権威には従属しないという結論がやがて引き出される」
最終第14章「三島的行為」の解析と理解は素晴らしいと思う。
「(三島の激越な政治的著作は)死への欲望が目的に向かって前進するときにかぶった仮面なのである」
「(三島の)政治的行動は、その結末に向けてすべてが仕組まれているようであった。筋立てを結末から組み立てるのに慣れた小説家らしいやり方だ」
「高音部においては政治的思想的主題が・・・ 強い音を聞かせている。しかし絶え間なく耳にきこえてくるのは、サド/マゾヒズムの決して鳴り止むことのない低音部である」
感動を覚えるような分析・解釈が多々ある。道元の禅哲学が最大限に称揚される。最終章の三島・市ヶ谷事件の考察も詳細にして見事。
第1章~4章はフランス語読者のための序説だろう。古代ローマの元老院貴族・(小)カトーがシーザー独裁に反対して意志的な死を選び、切腹した事実を述べて、武士の切腹が特に異質なものではないことを示す。
プラトン以来(それを引き継ぐキリスト教時代も)、あらゆる自殺は主人を裏切る反逆奴隷の行為と同一視された。しかし、形而上学のない日本では、死を決意し自殺することはそのまま日本人の生の一部であり、その行為を日本人は承認し敬意を払うと著者は指摘する。
第5章からは日本精神史を自死を介して解析する。
源平の権力闘争から切腹が起こる。義経は供侍に方法を聞き、佐藤忠信のやり方で切腹した。横一文字に切り開きハラワタをつかみ出す。敵に向かって内臓を投げつけるという行為は、自らの勇気を誇示し、敵を挑発愚弄する意味を持っていた。
源平の時代まで介錯はなかった。承久の変(1221)のときから介添え付きの切腹が行われるようになった。
江戸時代の心中の分析などを経て、第11章から明治から現代までの自死が取り上げられる。
関連して、著者は明治帝国憲法の問題点を的確に指摘している。「山県は憲法の中に、天皇が陸海軍の統帥者であるとする第11条を書き込ませておいた。この帷幄上奏権を根拠にして、軍隊は政府の権威には従属しないという結論がやがて引き出される」
最終第14章「三島的行為」の解析と理解は素晴らしいと思う。
「(三島の激越な政治的著作は)死への欲望が目的に向かって前進するときにかぶった仮面なのである」
「(三島の)政治的行動は、その結末に向けてすべてが仕組まれているようであった。筋立てを結末から組み立てるのに慣れた小説家らしいやり方だ」
「高音部においては政治的思想的主題が・・・ 強い音を聞かせている。しかし絶え間なく耳にきこえてくるのは、サド/マゾヒズムの決して鳴り止むことのない低音部である」
2019年8月22日に日本でレビュー済み
本書は日本の死生観について、フランス人の学者が比較文化の観点で研究した書。日本文化について膨大な文献でもって研究をしているが、大学機関の研究者の専門であるから、これは当然のこととしてみなす。
日本人の「意志的な死」に焦点を当て、西洋のキリスト教観点と異なり、これを「倫理的行為」として著者は評価する。それは構わないが、それゆえに重要な歴史的事実を曲げては曲学阿世の徒とかわらない。
それが如実に出たのが二・二六事件の箇所である。まず、本庄繁は皇道派ではない。そして、皇道派は反乱を支持していない。これは伊藤隆・東京大学名誉教授が証明している。そして、決起将校たちに、「武士道はどこへ行ったのか」と批判する。そして、「彼らの同志であった将軍たち(皇道派将校のこと)も自決していないし、逮捕さえされていなかった」とあるが、事件に関わっていないのに、自決する必要などない。決起将校が自決しなかったことに対して、「サムライから演説家、弁護士になろうと言うのだ」と著書は批判するが、そもそも決起将校が、なぜこのようなクーデターを起こそうとしたのかが全く著書は分かっていない。二・二六事件は、間違いなく日本の分岐点であった。だからこそ、本庄繁は日記に昭和天皇が決起将校を断固として処罰するという態度を取ったことを記した。しかし、著書は「彼の天皇に責任ありとする主張はにわかに信用しがたい」と本庄日記の信憑性を批判する。本庄は当時から武人として誉れ高く、終戦後は戦争責任を取り自決している。本庄日記は歴史書として現在では、木戸日記などと並んで4大日記として評価を受けている。日記だからといって真実を書くとは限らないが、『昭和天皇独白録』で昭和天皇自身が二・二六事件の「強硬に討伐命令」を出したことを認めている。何よりも著者は研究者であり、日本に長期間滞在していたにもかかわらず、当時、存命していた関係者に直接取材をして真実を確かめようとすることをまったくしなかった。机上の学問に終始して「自死」の世界に没頭した点は、凡百の学者と変わりない。
決起将校は、日本が滅びようとしていることを予感していた。決起将校は自決の覚悟をしていた。しかし、肝心な昭和天皇が「反乱軍」扱いしたことで、自分たちが望んだことと反対の方向に行くことを危惧して、自決をしなかった。自決だけが問題の解決ではない。自決こそ究極の美というかのような著者の偏った思想で歴史の真相を曲げる行為は著しく評価を下げ、星一つとする。三島のことを書きたいのなら三島のことだけに焦点を当てるか、三島の歴史解釈によって記すべきだ。重要な真実を、自説に固執して曲げるようでは研究書とは言えない。
日本人の「意志的な死」に焦点を当て、西洋のキリスト教観点と異なり、これを「倫理的行為」として著者は評価する。それは構わないが、それゆえに重要な歴史的事実を曲げては曲学阿世の徒とかわらない。
それが如実に出たのが二・二六事件の箇所である。まず、本庄繁は皇道派ではない。そして、皇道派は反乱を支持していない。これは伊藤隆・東京大学名誉教授が証明している。そして、決起将校たちに、「武士道はどこへ行ったのか」と批判する。そして、「彼らの同志であった将軍たち(皇道派将校のこと)も自決していないし、逮捕さえされていなかった」とあるが、事件に関わっていないのに、自決する必要などない。決起将校が自決しなかったことに対して、「サムライから演説家、弁護士になろうと言うのだ」と著書は批判するが、そもそも決起将校が、なぜこのようなクーデターを起こそうとしたのかが全く著書は分かっていない。二・二六事件は、間違いなく日本の分岐点であった。だからこそ、本庄繁は日記に昭和天皇が決起将校を断固として処罰するという態度を取ったことを記した。しかし、著書は「彼の天皇に責任ありとする主張はにわかに信用しがたい」と本庄日記の信憑性を批判する。本庄は当時から武人として誉れ高く、終戦後は戦争責任を取り自決している。本庄日記は歴史書として現在では、木戸日記などと並んで4大日記として評価を受けている。日記だからといって真実を書くとは限らないが、『昭和天皇独白録』で昭和天皇自身が二・二六事件の「強硬に討伐命令」を出したことを認めている。何よりも著者は研究者であり、日本に長期間滞在していたにもかかわらず、当時、存命していた関係者に直接取材をして真実を確かめようとすることをまったくしなかった。机上の学問に終始して「自死」の世界に没頭した点は、凡百の学者と変わりない。
決起将校は、日本が滅びようとしていることを予感していた。決起将校は自決の覚悟をしていた。しかし、肝心な昭和天皇が「反乱軍」扱いしたことで、自分たちが望んだことと反対の方向に行くことを危惧して、自決をしなかった。自決だけが問題の解決ではない。自決こそ究極の美というかのような著者の偏った思想で歴史の真相を曲げる行為は著しく評価を下げ、星一つとする。三島のことを書きたいのなら三島のことだけに焦点を当てるか、三島の歴史解釈によって記すべきだ。重要な真実を、自説に固執して曲げるようでは研究書とは言えない。