キリスト教を主題とした西洋美術における差別的な他者表現についての本。他者に当てはまるのは黒人、イスラーム、ユダヤ人、ジプシー、植民地の先住民。差別的な表現としては、戯画的に描かれる、女性であれば性的な面が強調される、悪行を行う人間を彼らに当てはめ、正義の側は自分たちの似姿とするといったようなもの。扱われるキリスト教主題は、ノアの息子ハムの話とハガルとイシュマエル母子の話の2つが大きく、ほかにシバの女王、東方三博士、エチオピアの宦官、パレルモの聖ベネット、黒い脚の奇蹟など。
もともとは差別的要素のない/少ない話が、時代の変化に伴って様々な要素が附加され再解釈され、強烈な差別臭をともなって奴隷化や植民地化を正当化するものとなる。その痕跡が絵画作品にのこり、また絵画がその流れを補強しもしたのだろう。奴隷になると呪われた者、追放の対象、貢ぐ者(簒奪の正当化)、キリストや聖人を迫害する敵などとして彼らを見なすという視点を視覚的に提供する。しかも、その他者は同一人物であっても、ときによって黒人であり、ユダヤ人であり、イスラームでありなどと可変的であり、また西洋人を黒塗りにしただけのような杜撰なものもありといった点には、なかなかおぞましさを感じる。
目にしない作品も多く、黒い脚の奇蹟など知らなかった挿話もあり、その点も興味深く読んだ。
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西洋美術とレイシズム (ちくまプリマー新書) 新書 – 2020/12/9
岡田 温司
(著)
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聖書に登場する呪われた人、迫害された人を、美術はどのように描いてきたか。2000年に及ぶ歴史の中で培われてきた人種差別のイメージを考える。
- 本の長さ192ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2020/12/9
- 寸法10.7 x 0.9 x 17.3 cm
- ISBN-104480683909
- ISBN-13978-4480683908
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (2020/12/9)
- 発売日 : 2020/12/9
- 言語 : 日本語
- 新書 : 192ページ
- ISBN-10 : 4480683909
- ISBN-13 : 978-4480683908
- 寸法 : 10.7 x 0.9 x 17.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 395,485位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2021年10月1日に日本でレビュー済み
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2021年1月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
キリスト教のグローバル化が始動した4世紀から300年ほどの後の7世紀、セビリャの大司教イシドールスが創世記に記されたノアの息子ハムの名を解釈して暑熱の地の民の始祖であるとしたのを受けて、それから800年後にはハム=アフリカ人=奴隷という関連付けが成立していたことが「T-Oマップ」と呼ばれる図像によって理解できると本書は言います。
イシドールスは「中世最大の学者の一人」と評されます(竹下節子『聖者の宇宙』)。
そうであっても、呪いを受け奴隷として宿命づけられたハムを暑熱の地と結び付けたとき、肌色の異なる人を受け入れたくないという思いがこの大司教の心中密かに(それこそ無意識に)巣食っていなかったと言えるでしょうか。
ヨーロッパは地球を4分の1周するほど広大なユーラシア大陸に展開し東アジアに至る交易圏の西端に位置し、各地に様々な肌色の人間がいることを知っていました。
肌色の異なる人々の中に好奇心いっぱいに飛び込んでいく人もあれば、警戒心を抱き仲間とは思いたくないと感じる人もあったでしょう。そういった思いは、宗教にも反映されざるを得ません。宗教は人間の営みだからです。宗教に宗派争いは付き物で、内部抗争が絶えません。キリスト教しかり、イスラム教しかり、ユダヤ教しかり、そして仏教もしかり。いろんな理由を付けて互いに相手を他者とみなし、攻撃します。
自らを中央に据え、他者を辺境に追いやる傾向は、人間の根源的な性向であるように思えます。
「西洋」と「欧米」はほぼ同義ですが、本書の場合「西洋」に米国は含まれません。紹介される多くの作品がメイフラワー号以前の作品だからです。本書では「アメリカ」は先住民の住む大陸のことです。
そのアメリカで、ポルトガル、スペインが行なったのは、ひどい人権侵害でした。土地と資源を奪うために、先住民を皆殺しにしてもかまわなかったわけです。一方、アフリカでは殺し過ぎると商売が赤字になるので、奴隷商人は先住民の中の権力者と取引をします。
考えてみると海の向こうで起こっていることは日常生活の中では気づきにくいので、普通の市民は遠くで行なわれている残虐行為を想像することはなかったかもしれません。何ら悪びれることなく、ただありのままの日常を謳歌していただけだったでしょう。
大航海時代、ヨーロッパとアメリカの間には造船技術と航海術において歴然とした格差があったことは事実です。問題を単純化すると次の2つのことを考えることができます。
・優位の者は劣位の者をどう扱うのが正しいか
・優位の者が優劣の基準を定めることは許されるか
現代にも通じる問題ですが、16世紀のスペインではラス・カサスとセプールベダが先住民の捉え方を巡り激しく議論しました。
先住民のキリスト教化という目的は共通ですが、ラス・カサスは先住民の人権を重んずべきと言い、セプールベダは劣位の者を人間として扱うべきではないという意見です。一口にヨーロッパといっても、このように十把一絡げにはできないところが面白いところです。
本書が提起する興味深いテーマにはもう1つ、ビジュアル表現に対するリテラシーの問題があります。
聖マウリティウスは黒人なのに、その殉教の場面で白人として表現する作品があるのは、聖人という立派な人物が黒人であることは絵の注文主にとって耐えられないためと推測できます。一方、同じテーマで黒人として表現されている場合には、黒人憎しという鑑賞者の心を満足させる、いわば代償的な殺人として黒人のマウリティウスの処刑を描いたと解釈することもできるというわけです。
考えさせられる、重要な示唆です。
同じく重要だと思うのは、「排除と包摂」というキーワードです。ハガルとイシュマエルについて言われている言葉ですが、「排除しつつ同時に包摂している」 (Kindle の位置No.686). 筑摩書房. Kindle 版)ような社会の構造。たとえば辺境と中央を行き来する旅の芸能者や占い者の例は、辺境に追いやることが同時に受容でもあるということにならないでしょうか。
本書の「◆祝福と呪い」で言葉の多義性に触れています。その一節を読むと、こんな空想も浮かびます。もしかすると近代人が「差別」という言葉を発したとき、排除と包摂という二義的な意味を担っていた言葉が回復不能なまでに跡形もなく消滅させられてしまったのではなかったかと。
そうした空想は現代では差別の固定化になりかねないのかもしれません。しかし誰もが中央で暮らすことを目指すべきというのが差別のない社会なのでしょうか? 望めばという条件を付ける? では、望まない場合は? 大変興奮させられるテーマです。
残念なのは、ミスプリントです。何でこうなる?
伝導は伝道が正しいでしょう。逆説→逆接、とりざたす者→とりざたする者、全世界の人間の子孫→全世界の人間の始祖
また、図1-27は説明ではアジア・ガンジス川とか南アメリカ・ラプラタ川の寓意とあるのでベンガルトラか、はたまたクーガーかと思いきや、虎縞模様に見えるその動物をライオンだとしているのはなぜでしょう?
そして、これはミスではないけれど、図1-18の説明で、正面を向いたキリストから見て「左」であることが明記されてない。読者にとっては画面「右」。どの視点であるか明記すべき。
西洋美術の負の側面を指摘する本書ですが、一方で「理解と共感」の下に描かれた「必ずしもマイナスのイメージとは限らない作例」も少なからず紹介されています。いわば1980年代以降に意識されるようになった“政治的な正しさ”にかなう作例ですが、美術に対する著者の愛を感じます。
本書は紙の書籍では180ページほどの中に、153点の図版が詰め込まれています。図版は小さいです。本文の説明を図版で確認しようとしても細部が見えません。
しかし、初めて知る作品や画家がたくさん収められています。西洋美術はギリシャ彫刻のリアルな肉体描写の流れを受け、フレスコ画から油彩画へと潜在力の高い表現技法を開発して、何百年も後の現代人にも訴えかける作品を数多く生み出しました。本書は西洋美術の案内として役立ちます。
マッティア・プレーティ、モデスト・ブロコス、クリストーフォロ・サヴォリーニ、カレル・フォン・マンデル、エドモニア・ルイス(19世紀合衆国の「アフリカ系と先住民をルーツにもつ女性彫刻家」)、そしてとりわけフェルナン・ペレーズの名を知ることができたのは嬉しいことです。
イシドールスは「中世最大の学者の一人」と評されます(竹下節子『聖者の宇宙』)。
そうであっても、呪いを受け奴隷として宿命づけられたハムを暑熱の地と結び付けたとき、肌色の異なる人を受け入れたくないという思いがこの大司教の心中密かに(それこそ無意識に)巣食っていなかったと言えるでしょうか。
ヨーロッパは地球を4分の1周するほど広大なユーラシア大陸に展開し東アジアに至る交易圏の西端に位置し、各地に様々な肌色の人間がいることを知っていました。
肌色の異なる人々の中に好奇心いっぱいに飛び込んでいく人もあれば、警戒心を抱き仲間とは思いたくないと感じる人もあったでしょう。そういった思いは、宗教にも反映されざるを得ません。宗教は人間の営みだからです。宗教に宗派争いは付き物で、内部抗争が絶えません。キリスト教しかり、イスラム教しかり、ユダヤ教しかり、そして仏教もしかり。いろんな理由を付けて互いに相手を他者とみなし、攻撃します。
自らを中央に据え、他者を辺境に追いやる傾向は、人間の根源的な性向であるように思えます。
「西洋」と「欧米」はほぼ同義ですが、本書の場合「西洋」に米国は含まれません。紹介される多くの作品がメイフラワー号以前の作品だからです。本書では「アメリカ」は先住民の住む大陸のことです。
そのアメリカで、ポルトガル、スペインが行なったのは、ひどい人権侵害でした。土地と資源を奪うために、先住民を皆殺しにしてもかまわなかったわけです。一方、アフリカでは殺し過ぎると商売が赤字になるので、奴隷商人は先住民の中の権力者と取引をします。
考えてみると海の向こうで起こっていることは日常生活の中では気づきにくいので、普通の市民は遠くで行なわれている残虐行為を想像することはなかったかもしれません。何ら悪びれることなく、ただありのままの日常を謳歌していただけだったでしょう。
大航海時代、ヨーロッパとアメリカの間には造船技術と航海術において歴然とした格差があったことは事実です。問題を単純化すると次の2つのことを考えることができます。
・優位の者は劣位の者をどう扱うのが正しいか
・優位の者が優劣の基準を定めることは許されるか
現代にも通じる問題ですが、16世紀のスペインではラス・カサスとセプールベダが先住民の捉え方を巡り激しく議論しました。
先住民のキリスト教化という目的は共通ですが、ラス・カサスは先住民の人権を重んずべきと言い、セプールベダは劣位の者を人間として扱うべきではないという意見です。一口にヨーロッパといっても、このように十把一絡げにはできないところが面白いところです。
本書が提起する興味深いテーマにはもう1つ、ビジュアル表現に対するリテラシーの問題があります。
聖マウリティウスは黒人なのに、その殉教の場面で白人として表現する作品があるのは、聖人という立派な人物が黒人であることは絵の注文主にとって耐えられないためと推測できます。一方、同じテーマで黒人として表現されている場合には、黒人憎しという鑑賞者の心を満足させる、いわば代償的な殺人として黒人のマウリティウスの処刑を描いたと解釈することもできるというわけです。
考えさせられる、重要な示唆です。
同じく重要だと思うのは、「排除と包摂」というキーワードです。ハガルとイシュマエルについて言われている言葉ですが、「排除しつつ同時に包摂している」 (Kindle の位置No.686). 筑摩書房. Kindle 版)ような社会の構造。たとえば辺境と中央を行き来する旅の芸能者や占い者の例は、辺境に追いやることが同時に受容でもあるということにならないでしょうか。
本書の「◆祝福と呪い」で言葉の多義性に触れています。その一節を読むと、こんな空想も浮かびます。もしかすると近代人が「差別」という言葉を発したとき、排除と包摂という二義的な意味を担っていた言葉が回復不能なまでに跡形もなく消滅させられてしまったのではなかったかと。
そうした空想は現代では差別の固定化になりかねないのかもしれません。しかし誰もが中央で暮らすことを目指すべきというのが差別のない社会なのでしょうか? 望めばという条件を付ける? では、望まない場合は? 大変興奮させられるテーマです。
残念なのは、ミスプリントです。何でこうなる?
伝導は伝道が正しいでしょう。逆説→逆接、とりざたす者→とりざたする者、全世界の人間の子孫→全世界の人間の始祖
また、図1-27は説明ではアジア・ガンジス川とか南アメリカ・ラプラタ川の寓意とあるのでベンガルトラか、はたまたクーガーかと思いきや、虎縞模様に見えるその動物をライオンだとしているのはなぜでしょう?
そして、これはミスではないけれど、図1-18の説明で、正面を向いたキリストから見て「左」であることが明記されてない。読者にとっては画面「右」。どの視点であるか明記すべき。
西洋美術の負の側面を指摘する本書ですが、一方で「理解と共感」の下に描かれた「必ずしもマイナスのイメージとは限らない作例」も少なからず紹介されています。いわば1980年代以降に意識されるようになった“政治的な正しさ”にかなう作例ですが、美術に対する著者の愛を感じます。
本書は紙の書籍では180ページほどの中に、153点の図版が詰め込まれています。図版は小さいです。本文の説明を図版で確認しようとしても細部が見えません。
しかし、初めて知る作品や画家がたくさん収められています。西洋美術はギリシャ彫刻のリアルな肉体描写の流れを受け、フレスコ画から油彩画へと潜在力の高い表現技法を開発して、何百年も後の現代人にも訴えかける作品を数多く生み出しました。本書は西洋美術の案内として役立ちます。
マッティア・プレーティ、モデスト・ブロコス、クリストーフォロ・サヴォリーニ、カレル・フォン・マンデル、エドモニア・ルイス(19世紀合衆国の「アフリカ系と先住民をルーツにもつ女性彫刻家」)、そしてとりわけフェルナン・ペレーズの名を知ることができたのは嬉しいことです。
2021年1月16日に日本でレビュー済み
著者の岡田温司氏は京都大学大学院人間・環境学研究所の教授で、専攻は西洋美術史・思想史。
私はこれまで岡田氏の『 グランドツアー――18世紀イタリアへの旅 』(2010年/岩波新書)と『 虹の西洋美術史 』(2012年/ちくまプリマー新書)を手にしてきました。今回は泰西名画が、無意識レベルも含めて人種差別的な視覚美をいかに表現してきたかを紐解いていて、大変興味深く読むことができました。
全部で3つの章に分かれていて、ノアの子であるハム(第1章)、アブラハムの庶子であるイシュマエル(第2章)、シバの女王や3人のマギ(第3章)など、後の差別の対象となったユダヤ人やアフリカ人、イスラム教徒につながる聖書物語の登場人物たちがどのように描かれてきたかが解説されていきます。
ノアの3人の息子セム、ヤペテ、ハムのうち、ハムだけが泥酔した父の裸体を見たために奴隷に貶められることを運命づけられたという創世記の物語は聞いたことがありますが、この話がやがてハムの子孫はアフリカ北部の異教徒であるというでっちあげ話につながっていったといいます。
ハムの物語はこうしてアフリカ(黒人)と結びつけられ、差別の対象となっていきます。18世紀には、このハム物語を根拠として奴隷貿易が予言された正当なおこないであることを立証しようとする勢力があったというのですから暗澹たる思いにかられます。
また、西洋において古くから縞模様は「悪魔の布」(パストゥロー)とされ、疎外の記号として機能してきたそうです。ティツィアーノ《ラウラ・ディアンティの肖像》では黒人少年がこの模様の衣服を着せられていますし、マルコ・マルツィアーレ《エマオの晩餐》では奴隷が縦縞模様の上着と白いターバンといういで立ちで描かれています。
章の最後で著者は、ハムの子孫の呪いという考え方が神の意志というよりはノアの考えにすぎないことを指摘したマーティン・ルーサー・キング牧師の演説(1957年12月15日)を引いていて、このような形で蒙を拓くべく公民権運動が闘われていたのかと感銘を受けました。
聖書におけるアブラハムの嫡子イサクと庶子イシュマエルの物語は私も以前から知っていましたが、イスラム教の『クルアーン』では二人の息子の間に優劣や競合があったようには描かれていないという指摘も目を見開かされます。西洋キリスト教徒がこの物語を民族や身分の差別にかかわる物語と解釈してきただけだというのです。家族(アブラハムと正妻サライと息子イサク)の安定を守るためによそ者(エジプト出身の女奴隷ハガルと息子イシュマエル)を遠ざけるべきだという排除の論理をこの物語の中に今一度見るべき。イシュマエルはイスラム教徒へとつながる系譜のもとと考えられたから――この著者の主張には見るべきものがあるでしょう。
ハガルがジプシー(ロマ)女と識別できる平たく丸い被り物をつけて描かれていることも画家の差別意識から生まれ、見るものに差別意識を植え付けるには十分な装置だったことも勉強になります。ピーテル・ブリューゲルの《洗礼者ヨハネの説教》は、共産主義時代のブダペストまで見に行ったことがありますが、あの絵の中の被り物をしたジプシー女はヨハネの説教をろくに聞いていない異教徒的存在として描かれていたのだとか。まだまだ学ぶべきことが多いことを知りました。
第3章では、3人のマギのうちの一人が黒人として描かれたのは、聖書の記述に従っているわけではないということも初耳でした。東方三博士の礼拝を記した『マタイによる福音書』には彼らの人数も出身地も特定されておらず、贈り物が三種だったから3人だろうと推定されてきただけなんだとか。ヨース・ファン・クレーフェ《マギの礼拝》でも黒人のマギには「悪魔の布」が着せられている点からも、やはり差別のにおいをかぐことができます。
今まで知らなかった西洋絵画の差別的表現を大いに学ぶ読書体験となりました。
------------------------
*43頁:ルーベンスの《四大陸の寓意》に描かれている動物について「ワニとライオンがいがみ合う姿で対峙している」とありますが、これは間違い。描かれているのはライオンではなくトラです。アジアを象徴する女性とガンジス川の擬人化した男性の足元にいるのですから、生息地がアフリカのライオンではなく、アジアの猛獣であるトラが描かれています。一方、ワニは黒人女性の下に描かれているのでアフリカを象徴しており、アジアと対峙しているのです。
.
私はこれまで岡田氏の『 グランドツアー――18世紀イタリアへの旅 』(2010年/岩波新書)と『 虹の西洋美術史 』(2012年/ちくまプリマー新書)を手にしてきました。今回は泰西名画が、無意識レベルも含めて人種差別的な視覚美をいかに表現してきたかを紐解いていて、大変興味深く読むことができました。
全部で3つの章に分かれていて、ノアの子であるハム(第1章)、アブラハムの庶子であるイシュマエル(第2章)、シバの女王や3人のマギ(第3章)など、後の差別の対象となったユダヤ人やアフリカ人、イスラム教徒につながる聖書物語の登場人物たちがどのように描かれてきたかが解説されていきます。
ノアの3人の息子セム、ヤペテ、ハムのうち、ハムだけが泥酔した父の裸体を見たために奴隷に貶められることを運命づけられたという創世記の物語は聞いたことがありますが、この話がやがてハムの子孫はアフリカ北部の異教徒であるというでっちあげ話につながっていったといいます。
ハムの物語はこうしてアフリカ(黒人)と結びつけられ、差別の対象となっていきます。18世紀には、このハム物語を根拠として奴隷貿易が予言された正当なおこないであることを立証しようとする勢力があったというのですから暗澹たる思いにかられます。
また、西洋において古くから縞模様は「悪魔の布」(パストゥロー)とされ、疎外の記号として機能してきたそうです。ティツィアーノ《ラウラ・ディアンティの肖像》では黒人少年がこの模様の衣服を着せられていますし、マルコ・マルツィアーレ《エマオの晩餐》では奴隷が縦縞模様の上着と白いターバンといういで立ちで描かれています。
章の最後で著者は、ハムの子孫の呪いという考え方が神の意志というよりはノアの考えにすぎないことを指摘したマーティン・ルーサー・キング牧師の演説(1957年12月15日)を引いていて、このような形で蒙を拓くべく公民権運動が闘われていたのかと感銘を受けました。
聖書におけるアブラハムの嫡子イサクと庶子イシュマエルの物語は私も以前から知っていましたが、イスラム教の『クルアーン』では二人の息子の間に優劣や競合があったようには描かれていないという指摘も目を見開かされます。西洋キリスト教徒がこの物語を民族や身分の差別にかかわる物語と解釈してきただけだというのです。家族(アブラハムと正妻サライと息子イサク)の安定を守るためによそ者(エジプト出身の女奴隷ハガルと息子イシュマエル)を遠ざけるべきだという排除の論理をこの物語の中に今一度見るべき。イシュマエルはイスラム教徒へとつながる系譜のもとと考えられたから――この著者の主張には見るべきものがあるでしょう。
ハガルがジプシー(ロマ)女と識別できる平たく丸い被り物をつけて描かれていることも画家の差別意識から生まれ、見るものに差別意識を植え付けるには十分な装置だったことも勉強になります。ピーテル・ブリューゲルの《洗礼者ヨハネの説教》は、共産主義時代のブダペストまで見に行ったことがありますが、あの絵の中の被り物をしたジプシー女はヨハネの説教をろくに聞いていない異教徒的存在として描かれていたのだとか。まだまだ学ぶべきことが多いことを知りました。
第3章では、3人のマギのうちの一人が黒人として描かれたのは、聖書の記述に従っているわけではないということも初耳でした。東方三博士の礼拝を記した『マタイによる福音書』には彼らの人数も出身地も特定されておらず、贈り物が三種だったから3人だろうと推定されてきただけなんだとか。ヨース・ファン・クレーフェ《マギの礼拝》でも黒人のマギには「悪魔の布」が着せられている点からも、やはり差別のにおいをかぐことができます。
今まで知らなかった西洋絵画の差別的表現を大いに学ぶ読書体験となりました。
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*43頁:ルーベンスの《四大陸の寓意》に描かれている動物について「ワニとライオンがいがみ合う姿で対峙している」とありますが、これは間違い。描かれているのはライオンではなくトラです。アジアを象徴する女性とガンジス川の擬人化した男性の足元にいるのですから、生息地がアフリカのライオンではなく、アジアの猛獣であるトラが描かれています。一方、ワニは黒人女性の下に描かれているのでアフリカを象徴しており、アジアと対峙しているのです。
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