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空間の日本文化 (ちくま学芸文庫 ヘ 1-2) 文庫 – 1994/3/1
- ISBN-104480081232
- ISBN-13978-4480081230
- 出版社筑摩書房
- 発売日1994/3/1
- 言語日本語
- 本の長さ335ページ
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (1994/3/1)
- 発売日 : 1994/3/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 335ページ
- ISBN-10 : 4480081232
- ISBN-13 : 978-4480081230
- Amazon 売れ筋ランキング: - 401,649位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年8月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
説明通り背表紙が少し日焼けしていましたが納得済みの購入なので問題なし。カバーもつけてくださって大変きれいな状態でお届けくださいました。次も利用したいです。
2013年3月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
フランスに行った時にベルクの本を買ったのですが、途中で訳すのがしんどくなって日本語版を買いました。著者自身日本にいたのですから何もフランス語で読むことはなかったです。この本一冊読んだらかなりの日本通になれます。たとえ日本人であっても。
2015年7月14日に日本でレビュー済み
オギュスタン・ベルクが長年にわたる日本住まいの末に探し当て、全ての日本人と、特に日本文化研究者に向けて言わんとしたであろうところに焦点を当て、「空間の日本文化」を(短絡的だが)レポートしてみたい。
「敗戦占領時には、全国民的規模で同じ様な現象が見られた。前日までは最後の一人まで戦う決意を固めていた日本人が一切の抵抗を止め、占領軍の友人に変わったその変わり身の早さに、西欧人は仰天しかつ軽蔑した。・・・戦争が終わったとの天皇の言葉だけで国民が瞬間的に新たな状況へと展開していける、と言う事に対して、西欧人にはどうしても理解できなかった・・・」との疑問符から、この日本文化としての謎解きが始まっている。
この出来事は、オギュスタン・ベルクだけでなく戦後の文化人、知識人、(この事態に異常を感じたが故に取り組み始めた)日本文化研究者、そして多くの日本人論や日本文化研究の書籍に触発された全ての日本人にとっても、共通の疑問であっただろう。そして、その思考実験から導かれた多種多様な概念(考え方)、課題、方策を俯瞰的に考察し、現在に生きる日本人と日本人と交流したいと望む人々に向けた対話のための思考の土俵を、(諸処の概念のさらなる上に)建設的に提供したい、と提出された考察が「空間の日本文化」である。
この疑問に答えるために書かれたところを以下に抜粋してみたい。
276頁
「ここでまとめてみよう。隣接性もしくは近接性の準拠──少なくとも日本社会のそれ──の論理は、社会全体の分解を助長すると一見考えられる。しかし、実際にはその逆に、あらゆるレベルで高次元の低次元に対する権威を高揚することによって、階層付けされた体系への社会の組み込みを助長するのである。その際、準拠論理はその定義からして、権威が余りにも遠いものとして知覚されるのを、したがって異論の余地があるように見えることを避ける。同じ一つの社会に、きわめて多様な個別主義への傾向と、意見の一致への傾向が共存し、かつ両方の傾向とも劣らずはっきり現れている、一見矛盾と見える成功の鍵は、まさにこの点に存するように私には思われる。徳川幕府の創り出した中央集権化された封建制という、社会・政治的怪物を説明しうるのはこの論理によってである。後に見るように、日本が一方で己の伝統を少しも損なうことなく保持しながら、あれほど見事に西欧的範列を同化し得たのも、同じくこの論理の働きのおかげである。
むろん現代日本、特に高度成長期以降の日本でも、家族の変貌、風俗の推移につれて父権が弱体化したのは西欧と変わりない。ただ、家モデルは、類似関係を通じて、企業を初めとする多数の制度の中に存続しているのである。日本という、多くの点で母性的な社会(母性社会日本の病理:河合隼雄)も、こうしてその住民たちに、家庭空間から(そしてまた天皇の漸進的消失とともに国民空間からも)消えつつある父を再び見いだすべき多数の状況を提供している。例えば企業は何よりもまず父親の代わりであり、その役割は大きくなる一方である。こうして父権媒介の諸層の均衡関係が編成替えされつつあるとしても、最近25年間の急速な社会変化によってその原理が根本から覆されたとは思われない。
「同じ一つの社会に、きわめて多様な個別主義への傾向と、意見の一致への傾向が共存し、かつ両方の傾向とも劣らずはっきり現れている、一見矛盾と見える成功の鍵は、まさにこの点に存するように私には思われる。」とオギュスタン・ベルク自ら的を射たと確信するかのような言い回しに、注目して見たい。
個別主義への傾向と同時に意見の一致を獲得している社会。個別性と一枚岩的共同体意識が共存していることは、我々日本人にとっては何の不思議もない自然なことのように思えるが、その両面性のモデルにオギュスタン・ベルクは日本文化の構造を見いだしたようだ。この後、個別主義への傾向と意見の一致への傾向の共存から「コンセンサス主義」と「本音と建前」の骨組みについて論を展開し結論へと向かうわけだが、この両面性というやっかいなモデルをどのように捉え日本文化の核として位置づけていくのかに、オギュスタン・ベルクの苦労があったことは想像に難くない。
「敗戦占領時には、全国民的規模で同じ様な現象が見られた。前日までは最後の一人まで戦う決意を固めていた日本人が一切の抵抗を止め、占領軍の友人に変わったその変わり身の早さに、西欧人は仰天しかつ軽蔑した。・・・戦争が終わったとの天皇の言葉だけで国民が瞬間的に新たな状況へと展開していける、と言う事に対して、西欧人にはどうしても理解できなかった・・・」との疑問符から、この日本文化としての謎解きが始まっている。
この出来事は、オギュスタン・ベルクだけでなく戦後の文化人、知識人、(この事態に異常を感じたが故に取り組み始めた)日本文化研究者、そして多くの日本人論や日本文化研究の書籍に触発された全ての日本人にとっても、共通の疑問であっただろう。そして、その思考実験から導かれた多種多様な概念(考え方)、課題、方策を俯瞰的に考察し、現在に生きる日本人と日本人と交流したいと望む人々に向けた対話のための思考の土俵を、(諸処の概念のさらなる上に)建設的に提供したい、と提出された考察が「空間の日本文化」である。
この疑問に答えるために書かれたところを以下に抜粋してみたい。
276頁
「ここでまとめてみよう。隣接性もしくは近接性の準拠──少なくとも日本社会のそれ──の論理は、社会全体の分解を助長すると一見考えられる。しかし、実際にはその逆に、あらゆるレベルで高次元の低次元に対する権威を高揚することによって、階層付けされた体系への社会の組み込みを助長するのである。その際、準拠論理はその定義からして、権威が余りにも遠いものとして知覚されるのを、したがって異論の余地があるように見えることを避ける。同じ一つの社会に、きわめて多様な個別主義への傾向と、意見の一致への傾向が共存し、かつ両方の傾向とも劣らずはっきり現れている、一見矛盾と見える成功の鍵は、まさにこの点に存するように私には思われる。徳川幕府の創り出した中央集権化された封建制という、社会・政治的怪物を説明しうるのはこの論理によってである。後に見るように、日本が一方で己の伝統を少しも損なうことなく保持しながら、あれほど見事に西欧的範列を同化し得たのも、同じくこの論理の働きのおかげである。
むろん現代日本、特に高度成長期以降の日本でも、家族の変貌、風俗の推移につれて父権が弱体化したのは西欧と変わりない。ただ、家モデルは、類似関係を通じて、企業を初めとする多数の制度の中に存続しているのである。日本という、多くの点で母性的な社会(母性社会日本の病理:河合隼雄)も、こうしてその住民たちに、家庭空間から(そしてまた天皇の漸進的消失とともに国民空間からも)消えつつある父を再び見いだすべき多数の状況を提供している。例えば企業は何よりもまず父親の代わりであり、その役割は大きくなる一方である。こうして父権媒介の諸層の均衡関係が編成替えされつつあるとしても、最近25年間の急速な社会変化によってその原理が根本から覆されたとは思われない。
「同じ一つの社会に、きわめて多様な個別主義への傾向と、意見の一致への傾向が共存し、かつ両方の傾向とも劣らずはっきり現れている、一見矛盾と見える成功の鍵は、まさにこの点に存するように私には思われる。」とオギュスタン・ベルク自ら的を射たと確信するかのような言い回しに、注目して見たい。
個別主義への傾向と同時に意見の一致を獲得している社会。個別性と一枚岩的共同体意識が共存していることは、我々日本人にとっては何の不思議もない自然なことのように思えるが、その両面性のモデルにオギュスタン・ベルクは日本文化の構造を見いだしたようだ。この後、個別主義への傾向と意見の一致への傾向の共存から「コンセンサス主義」と「本音と建前」の骨組みについて論を展開し結論へと向かうわけだが、この両面性というやっかいなモデルをどのように捉え日本文化の核として位置づけていくのかに、オギュスタン・ベルクの苦労があったことは想像に難くない。
2010年10月3日に日本でレビュー済み
社会学や都市工学だけでなく建築学から日本語学、心理学、農学までを用い日本の物理的、社会的空間を解き明かした書物。文庫解説にもあるように神秘主義的文化論を拝し、執拗に定義の明確さを求めている。バルト的な皇居論を越えて京都から城下町までの差違を論じているのである。さまざまな分野への精通が求められるが、「欧米形式への順応主義」を戒めるためにも必読の文献であろう。