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ニーチェ全集 7 (ちくま学芸文庫 ニ 1-7) 文庫 – 1993/9/1
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- 本の長さ568ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日1993/9/1
- ISBN-104480080775
- ISBN-13978-4480080776
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登録情報
- 出版社 : 筑摩書房 (1993/9/1)
- 発売日 : 1993/9/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 568ページ
- ISBN-10 : 4480080775
- ISBN-13 : 978-4480080776
- Amazon 売れ筋ランキング: - 107,448位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 122位ドイツ・オーストリアの思想
- - 194位全集・選書 (本)
- - 211位西洋哲学入門
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年6月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
触れられる同情への禁忌の理由(その意味では道徳的)の隙間から、力についての言及がチラホラ姿を見せ始める。
2010年2月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
初期、中期、後期、晩期と分けると、中期『ツアラトストラ』へと向かう重要な、明るい展望のアフォリズム。
2017年2月28日に日本でレビュー済み
初版は1980年。ニーチェ流の箴言が多い。
曰く・・・
あらゆる事物は長い間存続すると次第次第に理性が染みこむので、そのためにもとを正せば非理性から出たことが、本当らしく見えないようになる。
人間は不快を感じたり災難に遭ったりすると、そのためにだれか他の人を苦しませねばならぬことを見てとる。そのとき、彼は自分にまだ力があることを意識し、これが彼を慰める(第1段階)。第2段階では罰を見てとる。罪の償いを見てとり、現実のあるいは想像上の不正の悪性な魔力から解放される手段を見てとる。
人が聖書をひもとくのは「信仰心を深める」ため、彼自身の個人的な大小の危機の中で慰めを見出すためである。
道徳的になるのは道徳的であるからではない。道徳に服従することは、君主に服従することと同じように、奴隷的でも、思い上がりでも、利己心でも、諦めでも、陰鬱な熱狂でも、無思慮でも、絶望の行為でも、ありうる。
道徳にはたえず変形が施され手が加えられる。このことを引き起こすのは上首尾の結末に終わる数々の犯罪である。
未開人の間では同情されることに道徳的な恐怖心が抱かれている。同情を与えることは軽蔑することと同じくらいのことを意味する。軽蔑に値する人間が苦しむのを見ようとはしないし、これは何の享楽も与えない。未開人は、勇敢な者を掌中に収めると結局殺してしまう。彼すなわち不屈の者にこそ最後の名誉を与える。
ある者は、支配欲からして支配する。他の者は、支配されないために支配する。後者にとっては、それは二つの悪の中で小さい方の悪であるにすぎない。
乞食は禁止すべきである。乞食にやるのは癪にさわるし、やらないのも癪にさわるから。
ドイツ人は偉大なことをする能力があるが、偉大なことをしそうにもない。もしできる場合には、彼は服従するからである。
力への愛こそ人間のもつ魔物である。
などなど。
曰く・・・
あらゆる事物は長い間存続すると次第次第に理性が染みこむので、そのためにもとを正せば非理性から出たことが、本当らしく見えないようになる。
人間は不快を感じたり災難に遭ったりすると、そのためにだれか他の人を苦しませねばならぬことを見てとる。そのとき、彼は自分にまだ力があることを意識し、これが彼を慰める(第1段階)。第2段階では罰を見てとる。罪の償いを見てとり、現実のあるいは想像上の不正の悪性な魔力から解放される手段を見てとる。
人が聖書をひもとくのは「信仰心を深める」ため、彼自身の個人的な大小の危機の中で慰めを見出すためである。
道徳的になるのは道徳的であるからではない。道徳に服従することは、君主に服従することと同じように、奴隷的でも、思い上がりでも、利己心でも、諦めでも、陰鬱な熱狂でも、無思慮でも、絶望の行為でも、ありうる。
道徳にはたえず変形が施され手が加えられる。このことを引き起こすのは上首尾の結末に終わる数々の犯罪である。
未開人の間では同情されることに道徳的な恐怖心が抱かれている。同情を与えることは軽蔑することと同じくらいのことを意味する。軽蔑に値する人間が苦しむのを見ようとはしないし、これは何の享楽も与えない。未開人は、勇敢な者を掌中に収めると結局殺してしまう。彼すなわち不屈の者にこそ最後の名誉を与える。
ある者は、支配欲からして支配する。他の者は、支配されないために支配する。後者にとっては、それは二つの悪の中で小さい方の悪であるにすぎない。
乞食は禁止すべきである。乞食にやるのは癪にさわるし、やらないのも癪にさわるから。
ドイツ人は偉大なことをする能力があるが、偉大なことをしそうにもない。もしできる場合には、彼は服従するからである。
力への愛こそ人間のもつ魔物である。
などなど。
2002年6月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この星1つという評価はニーチェではなく、あくまで訳者に対する評価です。
はっきりいって翻訳の質が悪すぎる。
まるで学生が辞書を片手に直訳したかのような不細工な日本語になっている。
この点だけでも、ニーチェの意思を理解しようと勤める人々にとって有害であるのに、
彼はそれに加え句読点の使い方までおかしい。
それぞれの言語には独特のテンポがある。
日本語の場合、句読点によりそのテンポが一時中断される。
過度に多用された句読点は無意味にそのテンポを壊し、
読者に苛つきを伴う不快感を与えるだけである。
それなりに読書に嗜んでいる人であれば、
これらの無用な句読点を無視して読むことも可能だと思う。
しかしそれが出来ても今度は文体がおかしいとなれば、
ニーチェがどうのこうのという問題にさえ発展しない。
はっきりいって私が今まで読んできた翻訳の中で、本著は最低の部類に属す。
はっきりいって翻訳の質が悪すぎる。
まるで学生が辞書を片手に直訳したかのような不細工な日本語になっている。
この点だけでも、ニーチェの意思を理解しようと勤める人々にとって有害であるのに、
彼はそれに加え句読点の使い方までおかしい。
それぞれの言語には独特のテンポがある。
日本語の場合、句読点によりそのテンポが一時中断される。
過度に多用された句読点は無意味にそのテンポを壊し、
読者に苛つきを伴う不快感を与えるだけである。
それなりに読書に嗜んでいる人であれば、
これらの無用な句読点を無視して読むことも可能だと思う。
しかしそれが出来ても今度は文体がおかしいとなれば、
ニーチェがどうのこうのという問題にさえ発展しない。
はっきりいって私が今まで読んできた翻訳の中で、本著は最低の部類に属す。
2015年3月18日に日本でレビュー済み
朝まで飲んで、二日酔いなので気持ち悪くて眠れず、濃いコーヒーをがぶ飲みして、将来のことをグズグズと悩んでいる脳細胞で向かってみると、ニーチェの高笑いが聞こえるような一冊です。