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八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544) 新書 – 2005/7/6

4.5 5つ星のうち4.5 15個の評価

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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 筑摩書房 (2005/7/6)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2005/7/6
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 278ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4480062440
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4480062444
  • カスタマーレビュー:
    4.5 5つ星のうち4.5 15個の評価

著者について

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佐藤 卓己
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1960年、広島市生まれ。1984年 、京都大学文学部史学科卒業。1986年、同大学院修士課程修了。ミュンヘン大学近代史研究所留学後、1989年京都大学大学院博士課程単位取得退学。東京大学新聞研究所助手、同志社大学文学部助教授、国際日本文化研究センター助教授などを経て、現在は京都大学大学院教育学研究科教授。

 『「キング」の時代―国民大衆雑誌の公共性』(岩波書店2002年)で第24回日本出版学会学会賞、第25回サントリー学芸賞を、『言論統制―情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』(中公新書2004年)で第34回吉田茂賞を、『ファシスト的公共性―総力戦体制のメディア学』(岩波書店2018年)で​第72回毎日出版文化賞を受賞。

 

カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2006年4月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
玉音放送を聞いてほとんどの国民が涙を流したのか、8月15日が終戦記念日として相応しい日なのか、の二点を再考しているだけでも、私は本書に高い評価を与えたい。1945年8月15日を実際に知っている人たちが大勢生存している段階から、1945年8月15日を実際に知っている人たちによって8月15日の神話が作られてしまったことが明らかになったわけである。この神話を解き明かすことが出来れば、これ以外の神話も解き明かすことが出来るかもしれないし、神話によって現実を見誤ることを防げるだろう。少なくとも、終戦という言葉から、皇居前で土下座をし天皇に詫びる人たちをイメージすることぐらいは避けたいものである。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2011年8月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
以前から八月十五日が敗戦記念日ではなく終戦記念日と呼ばれることに疑念を持っていました。
そういった疑問にもある程度の納得を得ることができました。
第一章は八月十五日の天皇の放送の体験記を巡る話題。
第二章はラジオ放送を巡るメディア分析。
第三章は教科書の記述を巡る内容。
以上のような話題について触れていますがその詳細は以下に。
第一章のポイントは玉音放送の記事に付される写真の資料としての妥当性についてを扱ってます。
第二章では高校野球、盂蘭盆会放送と戦後の8・15放送との連続性についての考察が中心で、
メディアの中心がラジオからテレビへ移行する過程も描きます。
第三章は様々な出版社の教科書の通時的変遷、また海外の歴史教科書に触れています。
無条件降伏と条件付き降伏など表現への重視がある一方、終戦=敗戦の日付という事実の問題には意外に無頓着な様子が理解できます。
著者は8月15日の心情と9月2日の論理を説き、個人の心情としては理解できますが、
それを国家的に認めるのは現行憲法が押し付けであると国家的に認めるのと同様に困難なのではと思います。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2017年7月12日に日本でレビュー済み
訂正箇所あり?
五百旗真と紹介があるが、恐らく五百旗頭真氏(国際政治)のこと
2008年3月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「言論統制」を読んで著者のファンになり、2冊目として購入。期待に違わない良著だった。特に圧巻なのは序章と第1章。戦前の国民史が国家によって作られたように、戦後の国民史はメディアによって作られてきた。その過程が、まるで推理小説のように解明される。これに対し第2章と第3章は、学術論文をベースとしているだけに、緻密である反面、読み物としての魅力はやや落ちる。それでも、全体に丁寧な造りで、得るところの多い一冊である。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2005年9月3日に日本でレビュー済み
なぜ8月15日が終戦記念日として認知されているのか、
そのことを問い直した本。
新聞の書評欄で見つけ、大学生協で購入。
生協ではほとんど残ってなかったので、結構売れ筋の本なのかもしれない。
史実としては、
8月14日にポツダム宣言を受け入れ、
8月15日に玉音放送があり、
9月2日に降伏文書に調印
という流れ。
つまり国際的には9月2日が終戦日であるのに、
なぜ日本では8月15日があれほど注目され、
9月2日は忘れ去られたのかを検証し、
その理由としては、
1963年5月14日に、「全国戦没者追悼式」を8月15日に行うことを閣議決定したことや、
また、その他もろもろの8月15日に行われてきたメディアイベント(ラジオやテレビの終戦記念日を扱うもの)を取り上げている。
この閣議決定も戦後約20年たってからのものであるにもかかわらず、
現在における8月15日=終戦記念日の意識を思うと、
メディアの影響力、浸透性はすごいものだと思う。
人々の意識によって、終戦日の認識に差があるというのは面白い。
例えば、広島では8月15日ではなくて8月6日のほうが重要視されるし、
8月末からソビエトの攻撃を受けた北方領土の人々にとっては8月15日は全く終戦記念日といえるものではなく、
沖縄の人々にとって終戦はいつなのか。
また、8月15日の玉音放送を伝える新聞記事に関する記述も面白い、
玉音放送を聞いて、うなだれる人々の写真がたくさん掲載されたが、
例えば、その中のひざをついてうなだれる子どもの写真は、
この写真は玉音放送前に、カメラマンが要求したポーズを
子どもが演じたものを撮影したものであるという、
後にその被写体であった子どもたちが告白して、その事実が判明したという。
常識として根付いてしまったものも、改めて検証してみると、
当たり前の部分が何の根拠もない事実であったりするということを、
立証するところなどが面白かった。
37人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2006年2月6日に日本でレビュー済み
 たしかに国民は8月15日の玉音放送を聴いた。だが国民的記憶としての八・一五玉音放送体験は、メディアの創作物でしかない(p146)。そしてこの捏造は、サンフランシスコ講和による日本再独立を境に始まる。著者はそこに、敗戦の事実の否認を見る。「玉音放送が伝えた『終戦』は、公式文書の『降伏』を国民体験の記憶で覆い隠してしまった」(p125)。著者曰く「記憶の五五年体制」(p211)。

 新聞の玉音写真捏造。国民的に定着しつつあった新暦下の盂蘭盆会法要という「日和」の転用(?)。朝鮮戦争終結(1953年7月)の直後から始まるNHKラジオの本格的「八・一五終戦記念日」編成。義務教育における歴史教科書の翼賛。いずれも興味深い。

 当然の流れで、丸山真男「八・一五革命」説も神話として指弾される(丸山が1946年3月6日の憲法改正草案要綱発表から受けた衝撃を、1945年8月15日に遡及させて<起源>を偽造したという議論は、米谷匡史に依拠)。この神話が「革命=断絶」を強調する余り、戦前と戦後の連続性が見えにくくなったという指摘も、適切だと思う。

 ま、いろいろ気づきを与えてくれた本ではあるが、文句もある。場当たりに思わせぶりな仄めかしや留保がなされ、「要するにドーなのヨ!」と苛立たされる面も多々あった。例えばトルーマン演説と主婦之友社社長の訓話を引用し、9月2日を「感謝の日」として記憶していないのは「私たちが『軍国主義者たち』ではなくなったためか、あるいは『民族の真の屈辱』の中にいるためだろうか」(p82)と問いかけた、その問いは放置されたままではないか?

 加えて、これは趣味の問題かも知れないが、p130で「心に響いた句を二つ」と前置いて引用される句が両方とも読むに耐えず、著者への信頼感が薄れた。残念。
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2005年8月3日に日本でレビュー済み
『言論統制』に続き、一般の新書のレベルをはるかに上回る、著者の精緻なメディア研究には敬服します。
本書は、「なぜ、ポツダム宣言受諾(8/14)でもなく、ミズーリ号での降伏文書調印(9/2)でもない、玉音放送の日(8/15)が終戦記念日になったのか?」という問題に対して、玉音写真、新聞・ラジオ、歴史教科書等のメディア研究を通じて、八月十五日の終戦を国民全体が受容していくプロセスを明らかにするものです。
結局は、保守派、進歩派、メディア、近隣諸国など多くの関係者が、「8月15日=終戦」という物語=創出された記憶を必要としたわけです。それは、進歩派と保守派、またメディアが「背中合わせにもたれあう心地よい終戦史観を生み出した」(第三章)と言えます。
『対論 昭和天皇』で原武史氏も披瀝しているように、「日和見」=「時間の管理」が天皇制の権力を支える装置として機能していました。
8月15日の玉音放送も、天皇を祭祀とする儀式として認識すべきと著者は言います。「その儀式への全員参加の直接的な感覚こそが忘れられない集合的記憶の核として残ったのである」(第二章)。
戦後のメディアの終戦特集記事や歴史教科書の終戦の記述を丹念に追いつつ、同時にその研究の視座は、左右の戦後的なイデオロギーから距離を置いた、きわめて冷静で禁欲的な姿勢と言えます。
「理解することと共感すること、研究することと肯定することも異なるはずだが、従来の歴史教科書研究において、そうした知的禁欲が守られたことは少ないように見える」(第三章)
その禁欲さこそが、本書を歴史研究の良書としている所以でしょう。毎年メディアに登場する、8月15日に関するあらゆる言説を読む/聞く前に、一読をお薦めします。
22人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2005年9月15日に日本でレビュー済み
 実証の部分は見事。「8月15日というのは実際には終戦の日でもなんでもない。たんに玉音放送が流された日である」というのは、そこそこ有名な話ではあったが、著者は「8月15日」がいかにして神話化されていったかを、ほとんど力業とでもいうべき方法で検証していく。さすが、今の日本でトップクラスのメディア史研究者である。
 ただ、最後の提案の部分になるとやや切れ味が鈍る。歴史の授業で、「8月15日に加えて9月2日についても教える」ことで歴史認識問題が解決できるなんていうのは幻想であろう。「歴史教育」自体の正当性が揺らぎ、それ自体が政治的駆け引きの場となっている今、「正しい歴史教育」によって「正しい歴史認識」が生まれるなどというナイーブな考えはもうとうに時代遅れである。結局はこの本の提案自体も、あまたある歴史に対する立場表明の一つにすぎないのだから。
16人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート