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心と身体・物質と記憶力: 精神と身体の関係について 単行本 – 2016/11/1

4.7 5つ星のうち4.7 2個の評価

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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 駿河台出版社 (2016/11/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2016/11/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 474ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4411022419
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4411022417
  • カスタマーレビュー:
    4.7 5つ星のうち4.7 2個の評価

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上位レビュー、対象国: 日本

2020年10月17日に日本でレビュー済み
物質と精神を二項対立で捉えてしまうとあくなき循環が始まり、
結局時間が経過してゆくだけです。その間人間は感情生活、言語等による抽象的思考、
その他生理活動など生命活動を余儀なくされるのです。
この大矛盾を有効に解決できる哲学とはいったいなんでしょうか。
そのひとつの試みがベルグソンの実存哲学ではないでしょうか。

現存在分析。実存のすがたを皮切りに存在論・認識論・実践論を展開する哲学です。
それは神が人間らに課した問いにも近く、容易には解けなそうです。
なぜなら、人間は神を十全に認識できないうえ自分自身について思考することもできないからです。
というのも、因果の鎖が循環してしまうからであり、要は解き切れないからです。
東洋哲学や仏教思想はそのことを輪廻転生と捉え、時間の円環性を説きますが、
キリスト教思想では必ずしもそうではなく、時間の線形性を説くようです。

さて、自意識を意識できない人間はその志向性を他者に向けるほかはなく、
そこに最小限度の社会性が芽生えます。人間存在と社会性は密接不可分であり、
社会性こそが人間の根本的な性質なのでしょう。しかし、果たして基本的なシステム論の範囲内で、
人間は互いに自由に、かつ共存してゆけるのでしょうか?
ともすると相手の権利を蹂躙したりしがちですが、そこは法の力や教育文化の力で、
カバーしなくてはならない点でしょう。人文科学の限界と可能性はまさにそこにあります。
即ち、社会科学を包摂して初めて人間社会というものがまっとうに説明できるのです。

そこで、次のように考えればどうでしょうか。即ち、人間理性(la raison humaine)とは、
社会性を含んだ総合的なものである、と。純粋理性や実践理性はカントによって批判されましたが、
社会性を含んだ人間理性を当方は「コモンセンス」と命名し、プラトン-アリストテレス論争に発端する、
ネイチャー-ナーチャー論争(心理学)にけりをつけたいと思うのです。
コモンセンスはいわば教養の一環として人間が備えているべき資質であり、
人間が自然的存在(物質)でありながら超越的な意識や意志を以て社会生活を送ってゆくために、
必要不可欠な要素であろうかと思います。

つまり、人間は時間という純粋持続に介在されながら一定の社会性を以て自由な共存を目指しつつ、
明日のシステムを構築してゆくべき存在であり、そのキーワードは「生命」でしょう。
この点はベルグソン哲学の原点であり、常にそこへ向かって思考が収斂してゆくところの、
回帰点のようなものかもしれません。そんな向きに本書のご一読をおすすめしておきます。
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