中古品:
¥360 税込
配送料 ¥257 6月8日-14日にお届け(21 時間 2 分以内にご注文の場合)
詳細を見る
中古商品: 良い | 詳細
発売元 にゃんこ堂☆
コンディション: 中古商品: 良い
コメント: 中古品のため多少のスレ、クスミ、ヤケ, 折れ等がある場合が御座いますが概ね良好な状態です。表紙カバーが画像と異なる場合がございます。商品の発送は注文確定後3日から4日程度を要す場合がございます。商品状態の詳細についてはAmazonマーケットプレイスコンディションガイドラインをご参照ください。発送前の点検時に問題が発見された場合はメールにてご連絡をさせていただきます。発送方法はゆうメールにて発送致します。商品到着までに、天候等により多少の遅れが発生する可能性も御座います事をご了願います。
Kindleアプリのロゴ画像

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません

ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。

携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。

KindleアプリをダウンロードするためのQRコード

著者をフォローする

何か問題が発生しました。後で再度リクエストしてください。

「私」のための現代思想 (光文社新書) 新書 – 2006/5/17

4.1 5つ星のうち4.1 41個の評価

自殺には、「正しい自殺」と「正しくない自殺」がある
――「私」の問題を徹底的に考える

私たちが今直面している「問題」は何でしょうか。もちろん、私とあなたの「問題」は異なっているはずです。この本は、それぞれの「私」が直面している問題を、自分で解きほぐす手助けとなることを目指しています。
直面している問題を解きほぐして解決するためには、道具が必要です。本書では、その道具として「思考」を用います。これにはいろいろなものがありますが、本書はその中から特に「現代思想」に分類される考え方や思考の枠組みを使うことにします。(本文より抜粋)

商品の説明

出版社からのコメント

■本書は、死を決意した人に翻意を促すようなものではありません。「死を決意した瞬間」から「実際に死ぬまで」の間の「生」をできるだけ輝かせることを目的としています。「死」に際して「生」は輝きますが、その逆に「生」によって「死」が輝くということもあります。「輝かしい生」と「輝かしい死」は同義語です。(「はじめに」より抜粋)

著者について

著者・高田明典
1961年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了。早稲田大学大学院理工学研究科博士後期課程単位取得満期退学。フェリス女学院大学文学部コミュニケーション学科助教授。『世界をよくする現代思想入門』(ちくま新書)、『知った気でいるあなたのための構造主義方法論入門』『知った気でいるあなたのためのポストモダン再入門』『知った気でいるあなたのための新経済学完全理解』(以上、夏目書房)などがある。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 光文社 (2006/5/17)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2006/5/17
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 262ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4334033563
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4334033569
  • カスタマーレビュー:
    4.1 5つ星のうち4.1 41個の評価

著者について

著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

カスタマーレビュー

星5つ中4.1つ
5つのうち4.1つ
41グローバルレーティング

この商品をレビュー

他のお客様にも意見を伝えましょう

上位レビュー、対象国: 日本

2019年10月20日に日本でレビュー済み
帯から想像される自殺肯定については、古くはストア派の自死肯定に近い結論を現代哲学の概念を用いて導出する構成と言えるが、実際のところ本書のメインテーマは自殺論ではない。目次を見ればわかるがメインテーマは「"私"の問題」である。序章でいきなり「ここまでも読み進められない読者が多いことを知っている」と悲観的な滑り出しだが、現代哲学の様々な概念を鮮明に説明しながら論が進み、読みやすいと私は思う。特に「私」というと常に登場してくる独我論をさらっと通過し終えてしまい永井均的な泥沼にはまらずに実践面を追求できているのが良い。一方、例えばアリストテレスの「不動の動者」だとか演繹には証明不能の前提(公理)を要するとか言ってしまった方がすっきりしそうなところを、"現代哲学"ということで違った表現になる味付けけなのかな、とも思わせる。

 ここで論全体の要約はしないが、読み進めて第5章に入ると急に難解になる。確かに死は言及不能であり「死ねば楽になる」なんてことはない(楽というのは現象界でのことだから)のだけれども、死んでも<私>は消えないという話が魂の不滅などの観念などではないというのはやや難解であり、それこそ「読み進められない読者が多い」かもしれない。死んでも存在するのは現象を伴わない抽象的(論理的)な何かのようである。それがまだ死んでない者の心の中の観念としてある(生存者が死者の不存在を引き受ける)というだけでなく、また単に言葉ではなく「在る」というならイデア界などを連想してしまうが.... (なお言うまでもないが、イデア界とは形而上の抽象的実在の世界であり俗にいう"死後の世界"ではない)

 そこは難しい問題だが、本書の優れているとことは「私」について考えながら<世界>や<社会>との相互作用の中で主体的に生きることで<世界>や<社会>をより正しくしていくという大局観を導出していくかのように読める点だと思う。そのための個別的の正しさの基盤である「超越確実性明言」は超越といいつつ神ではなくて他者からの呼びかけに基盤がある....この辺は現代的にはニューラルネットワークの機械学習を連想する人もいるかもしれない。

 これらの内容が比較的コンパクトにまとめられ、また全体主義やカルトについての示唆などもあり、抽象論のようでありながら実践的で優れた書物になっている。  
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2022年7月29日に日本でレビュー済み
「私」は様々な役割の仮面を被って世界という劇場で物語を演じています。そういった「私」に関する分析を現代思想的な手法で行っています。後半は「私」と「身体」と「他者」の関係の分析が主となります。
2018年5月16日に日本でレビュー済み
 表題の通り「「私のため」をめぐる作品。私たちは自分自身であるために、「正しさ」や「自由」であることを求める。しかし、〈言葉〉〈価値〉〈社会〉によって、私は束縛されている。私たちは「言葉という制度」に囚われているが、単に「伝達の手段」としてではなく、「認識と思考」をするための道具という意識を持つことが重要である。私たちは言葉を使って何らかの〈価値〉を実現させてようとしている。しかし、その〈価値〉も、ニーチェが批判したキリスト教的な道徳のように、私たちを拘束することがある。そして、さらに〈価値〉や道徳を形成する土台となっているのが〈社会〉である。
 私たちが「自由」であるためには〈言葉〉〈価値〉〈社会〉よりももう一段上の視点に立って〈世界〉と〈物語〉を考え、束縛からの解放を模索しなければならない。私たちは〈世界〉に投げ出され、その〈世界〉の中で〈物語〉を遂行している。しかし、そのその〈世界〉の中で演じられている私は「対象化された自己」であり、本来的なものではない。この〈世界〉の内部にいながら、耽落せず、その内部から〈世界〉を変えることはできないのか。そのための積極的な手段として、著者は〈私〉と〈身体〉を挙げる。
 「対象化された自己」としての〈私〉と〈身体〉の根底には、「生そのもの」としての「私の存在」がある。それは二重括弧の《私》である。それはウィトゲンシュタインのいう「超越確実性言明」によって、内側から支えられており、レヴィナスの言うような〈他者〉からの「呼びかけ」のよって外側から支えられている。
 〈他者〉とは理解不可能な存在である。その〈他者〉に呼びかけに応答し、歓待することにより共同性が回復し、私たちは、誰かによってあらかじめ用意されたのではない、新たな居場所を構築する。これは〈社会〉を所有することであり、これによって〈社会〉の束縛からも解放されるのである。
 以上が本書の概要であるが、テーマはタイトルにある通り「「私」のための」であり、人間という生物の主観に生じた「私」とはそもそも何なのかについて、もしくは「私」という現象について書かれたものではない。結論は至って明確であり、行きづらさを感じているのだったら、自ら行動し他者と連帯し、自分たちで自分たちの社会を作り変えて行け、といったものであり、その主張をニーチェ、フーコー、ハイデガー、リオタール、ウィトゲンシュタイン、レヴィナスといった「現代思想」を使って語っている。終盤は若干ダレた感じ、最後の自殺についての議論は唐突な印象を受ける。また現象学や現代倫理学で重要な概念である「身体」についての議論が弱いとの印象も受けた。本書で紹介されている個々の哲学者の概念や考え方の紹介は丁寧でわかりやすく、著者高田明典氏の貴重な才能であると思われ、氏の他の著作も読んでみたくなった次第である。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2007年5月22日に日本でレビュー済み
この本は自殺の本ではなくて、倫理学の本であろう。

すなわち、私はいかに生きるべきか、という問題。

倫理学と法哲学の差異は、前者が個人一人一人の問題を扱うのにたいし、後者が社会全般の問題を扱うという点がある。

本書は倫理学の本である。法哲学ならば小林和之「「おろかもの」の正義論」をオススメする。

内容は、タイトルに「現代思想」とあるように、ハイデガー、リオタール、ウィトゲンシュタイン、レヴィナスなども取り扱われる。

また、言語・価値・社会による束縛、世界と物語、自己の身体、他者など、わりと抽象的な話を噛み砕いて書いている。

より具体的なテーマを扱っている倫理学としては、山口意友「正義を疑え!」がある。

第1章「「私」を縛るものは何か」だけでも読む価値は十分にある。
9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2008年1月29日に日本でレビュー済み
内容について、またその質については、他の方のレビューを参考にして戴きたい。

私は、この本は夜に1人で読んではいけない本だと思う。夜の闇は、『思索』の仮面を被ったネガティブな興奮に襲われやすい。この本は、そうした状態に近づき易い、あるいは襲われ易い心理状態を作りだす。
14人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2006年7月17日に日本でレビュー済み
この本では現代思想を簡単に知ることによって「私」を理解することがテーマなのだが、それを通して本書の帯にもあるように、「正しい自殺」と「正しくない自殺」の違いを論理的に理解できるようになっている。普通に生きていくうえでこの分類は意識する必要はないのだが、実際、磐石な≪私≫のうえに頑強な超越確実性言明(「無根拠」に信じ、主張することしか出来ないようなもの)が健康的に立ち上がっていればいいが、その土台が揺らぐ可能性がある場合、論理的にその帰結を知ることができれば、さまざまな解決策が取れるようになる。(この場合の「正しい」は個別の価値による正しい。社会一般の「正しい」とは違う)
14人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2008年2月10日に日本でレビュー済み
本書は論旨も明快で、読んで飽きない魅力を持っている。私は本書の要旨を次のように理解した。
***
本書の目的は、哲学の根本的な問題=「私はいかに生きるか?いかに死ぬか?」の解決である(p.6)。その「問題」=「生死」を解決するのが「道具」=「思考」=「論理」=「言語(i.e. 「現代思想」の考え方と思考の枠組み)」である(p.21)。この問題が解決すれば「正しく生きる、正しく死ぬ」と言う場合の「自分の内部での正しさ」に近づき、解決できなければ問題は束縛となって「自分の自由が損なわれる」ことになる(p.29)。この「問題」=「束縛」を解決するために「闘う」(p.7)という方法を選択する場合、「武器(道具)」=「思考」=「言語」=「論理」(p.30)を用いて考えると、<私たちが「Aという事物や制度の束縛”から逃れる方法=「Aの所有者となる」こと>になる(p.31)。問題が解決した場合、私たちの「正しさ」は「超越確実性言明」が支えている(p.213)。
***
ところが、本書の最初に掲げた「問題解決の筋道」(p.9)には「超越確実性言明」としか思えない論理がある。その筋道は、“1)「問題」の外形をつかみ、大まかな「解決方法」を想定する、2)その問題を発生させている「原因や理由」を考える、3)私たちに与えられている「方法・武器」について考える、4)その「方法・武器」の使い方について考える”、である。この筋道を釈尊の「四聖諦」と比較すると面白い。1)は「苦聖諦」、2)は「集聖諦」と対応するが、3)と4)は「滅聖諦」や「道聖諦」と対応しない。つまり原因解明は釈尊に肉薄しているが、解決方法に敢えて「闘う」ことを選択したので“束縛原因の所有者となるために闘う”ことが目標となり、その手段となる「武器」に終始してしまったと思われる。著者が選択しなかった「抑圧をなくすこと・自由を回復すること(i.e. 抑圧の除去・制御)」(p.6)であれば、“束縛原因を制御できるように成長”することが目標となるので「滅聖諦」や「道聖諦」にも対応し、筋道の論理に無理がなくなると思うのだが…。
そして、“「超越確実性言明」は私たちの「正しさ」を支える”(p.213)と言うが、論理の「無限後退」を止めていた「絶対者・真理」は“絶対静止している不変の「絶対者・真理」”であり、「超越確実性言明」は“無限運動(輪廻転生)している可変の「絶対者・真理もどき」”と見分けがつきにくい。その場合は、ゼノンのパラドクスに陥るので、釈尊が批判した六師外道の4人(唯心論者、運命論者、唯物論者)と同様に、「道徳否定」を招く恐れが大きい。
9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート