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完本焔の文学 単行本 – 1997/6/1

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商品の説明

内容(「MARC」データベースより)

無と有、沈黙と言葉、死と生、存在と非存在…。作品を書き上げる中で揺れ動く作家の魂を、文学の「焔」の中に見出そうとする。フランス批評の孤峰ブランショの評論集。58年刊「焔の文学」と69年刊「虚構の言語」の合本。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 紀伊國屋書店 (1997/6/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1997/6/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 456ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4314007966
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4314007962
  • カスタマーレビュー:
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モーリス・ブランショ
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上位レビュー、対象国: 日本

2014年11月16日に日本でレビュー済み
 『踏みはずし』、『来たるべき書物』などとならぶ、モーリス・ブランショの文芸評論集です。「カフカと文学」や「マラルメの神話」、「文学と死ぬ権利」など、彼の代表作である『文学空間』に密接に関連するエッセーが収められていて、ブランショを理解するうえで非常に重要な一冊です。1958年に抄訳が出版され、そののちに残りの評論が『虚構の言語』という題名で本になって、つごう2分冊だったのが1冊にまとめられました。

 ただ問題なのはこの題名。原題は《La Part du Feu》で、直訳すると「火の部分」。これでは正直何のことかわからない。そういうわけで出版社は「焔の文学」というもっともらしい題名で刊行した。50年代らしいネーミングです。ところが最近になって篠沢秀夫教授が、この本に対して「火に投じられたもの」というタイトルを提案しました。フランス語にはfaire la part de feuという慣用句があって、これは大火事で破壊消火を行うときの「迎え火」をうつことを意味するのだそうです。あらかじめ燃やしてしまって延焼を食い止めるという消火手法です。それでこの本を「火の分け前」と呼んでいる研究者もいます。

 これは私説ですが、この解釈にはもう一つ奥があります。カフカは死ぬときに、友人のマックス・ブロートに未完成の『審判』や『城』の原稿をあずけ、焼却してくれるよういい残したそうです。カフカを高く評価していたブロートがそのような遺言をまもるはずもなく、原稿は彼の校訂をへて発表され、20世紀文学の傑作になりました。今日ではどうやらカフカは友人がそうするだろうことを承知で原稿を託したらしいと考えられています。つまりカフカの遺言は一種の文学的ポーズだったのです。
 勘ぐりついでにもう一つ奥を探るなら、カフカのこのポーズはセルバンテスの『ドン・キホーテ』にならったものでしょう。このスペイン・ルネッサンスの傑作には、主人公の狂気を治すため隣人たちが彼の蔵書を焚書にするシーンがあるのですが、彼らは主人公が読みふけった騎士道小説を燃やすべきかどうか一つ一つ検討する。この場面は結果的に一種の文芸批評となっているのです。『ドン・キホーテ』が今日もなお読み継がれる「近代性」を持っているのは、作中にこのような「批評」を含みもっているからにほかなりません。物語の真実性を疑うという批評精神をもって読むことが近代小説を読むということなのです。
 カフカは『ドン・キホーテ』をよく読んでいました。彼は自作に対する過剰な批評意識を持っていたがゆえに作品を完成できず、病に倒れて原稿を友に託したのです。「燃やしてくれ」といったのは、自作に対する批判の表れであるとともに、強烈な自信の裏返しだということができます。

 このブランショの評論集ではサルトルやルネ・シャールなどの同時代の作品も論じられているのですが、中心になるのはやはりカフカとマラルメです。ブランショはおそらくカフカを意識して本書の題名を決めたのでしょう。「こんなもの焚き付けにしてしまったほうがいいような評論ばかりさ」という。でもそれは逆説的にブランショの自負を語っています。その意味で「火に投じられたもの」というのはじつに適切な翻訳です。もうひとひねりして「焼かれるべき書物」なんて題名もいいかもしれません。

 ちなみに《La Part du Feu》の"feu"が定冠詞になっていることも意味深です。
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