「本書は、宗教を対象にした人類学の本なんだ」と考えて良いだろう。
「西欧キリスト教の脱構築という大きな目標に向かって(中略)イエスの始原に回帰する」(本書、p6)云々と、何だか懐かしい言い回しをされる方である。
話の内容は面白く、「1ページに最低3カ所」くらいのペースで教えられる事が多かった。でも、なんか物足りないのである。水気ばかりで甘みのない、外れスイカみたいな感じで。歯ごたえはあるが、味が無いように感じられた。
(引用、はじめ)
宗教人類学は、キリスト教神学とは一線を画する新しい科学であるから、教会の護教の学としての教義学や神学の問題には立ち入ることをしない。立ち入れば、学問の境界を越えることになる。(本書、p22)
(引用、おわり)
どうも、ここら辺が、私が物足りなく感じた理由なのではなかろうか。
かく言う私は念仏、つまり異教徒なのだが、ある理由があって、ここ四か月ほどキリスト教の「にわか勉強」をしている。文学、思想、歴史学、そして図像学と、異教徒がキリスト教世界に参入する「取り付き口」は色々あるのだが、必要に応じて、新共同訳の聖書をちょいちょい参照しているうちに、私はキリスト教的な発想に馴染んで来たのではなかろうか。
(もちろん「キリスト教の肝はつかみました」などと、失礼な口を利く積もりはありません。)
キリスト教世界にも「キリストかついでケンカする」血の気の多い人は、たくさんいるようだ。たとえば、ジョン・トーランドとか。異教徒の目から見ると、そういう人たちの方が面白いのだ。
本書の著者は、きっと謙虚な紳士なのだろう。それがキリスト教本来の「理想的人間像」に近いのだとすれば、異教徒の私が、これ以上、とやかく言うべきでもあるまい。
私の好き嫌いはともかく、著者からは学恩をたっぷりと、ちょうだいした。星五つを捧げたい。
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聖母マリア崇拝の謎---「見えない宗教」の人類学 (河出ブックス) 単行本(ソフトカバー) – 2010/4/10
山形 孝夫
(著)
禁じられても広がり続けてきた聖母マリアへの深い崇敬。現在もマリアは「出現」し、全世界で奇跡を起こしている。マリア現象とは何か? キリスト教のはらむ矛盾を明らかにしながら、今後を読み解く画期的な論考。
- 本の長さ238ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2010/4/10
- ISBN-104309624162
- ISBN-13978-4309624167
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商品の説明
著者について
1932年生まれ。東北大学文学部卒業。同大学院博士課程修了。宮城学院女子大学教授、学長を歴任。専攻は宗教人類学。著書に『聖書物語』、訳書に『マグダラのマリアによる福音書』など多数。
登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2010/4/10)
- 発売日 : 2010/4/10
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 238ページ
- ISBN-10 : 4309624162
- ISBN-13 : 978-4309624167
- Amazon 売れ筋ランキング: - 673,347位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 16,466位宗教 (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2010年10月29日に日本でレビュー済み
マリアとは何か? これはイエスとは何かという問いから派生する問題だ。
イエスの父は「神」。イエスは「神の子」であるから「神」。ゆえに、イエスは「神」にして「人」。
では「神の子」イエスの「母」は、「人」に過ぎないのか、それとも「神の子」の「母」は「神」か???・・・ああ、まったく混乱してくる。
こうしたキリスト教内部の神学論争が、古代以来えんえんと続いてきたのだが、一般民衆は神学とは関係なくイエスとマリアは切り離せない存在とみなしてきた。神であろうとなかろうと、マリアさまを崇拝するのは自然なことではないか、と。
こうした一般民衆の心性の底には、キリスト教普及以前に存在した多神教世界の残存がある。キリスト教が発生した古代地中海世界では、古代ユダヤ教が徹底的に排除し殲滅させたバアール神信仰、エジプトのイシス信仰といった大地母神が残存してきた。ヨーロッパでは古代ケルト世界の地に集中的に出現した母子像である「黒いマリア」の存在がそれを濃厚に示している。一神教のユダヤ教やキリスト教が徹底的に抑圧してきた、大地母神に代表される多神教的要素は、一般民衆の心性の奥底で無意識の領域では生き抜いてきたのである。
そして近年目立ってさかんになっているマグダラのマリアへの大いなる関心は、『マグダラのマリアによる福音書』という新約聖書偽典によるものだ。『ダヴィンチコード』の爆発的な人気もその動きを促進している。
本書は、こうしたキリスト教会の内部で交わされてきた論争と、一般民衆の信仰とのせめぎ合いを、地中海世界と欧州キリスト教世界を中心に、歴史的に考察したものである。
著者はジェンダー論の観点から、キリスト教の一神教がもたらすひずみについて的確な批判的考察を行っている。キリスト教内部の人でありながら、護教論的な姿勢ではなく、あるべき方向に向けて方向性を考察しているのは、宗教人類学という学問の性格だけでなく、著者の人生に対する基本姿勢も預かって大きいことは、半自叙伝である『死者たちのラストサパー』を読むとよく理解できる。
ただ、全体の構成として、第二部の「聖母マリアとマグダラのマリア」の分量を2倍にして、第一部の「聖母マリアの原像を探る」は大幅に縮小するべきだったのではないだろうか。そのほうがより多くの読者の関心に応えるものとなったのではないかと思う。
キリスト教徒ではない私は、キリスト教の「多神教化」は好ましい現象であると捉えているが、さてみなさんの反応はいかがなものだろうか。
イエスの父は「神」。イエスは「神の子」であるから「神」。ゆえに、イエスは「神」にして「人」。
では「神の子」イエスの「母」は、「人」に過ぎないのか、それとも「神の子」の「母」は「神」か???・・・ああ、まったく混乱してくる。
こうしたキリスト教内部の神学論争が、古代以来えんえんと続いてきたのだが、一般民衆は神学とは関係なくイエスとマリアは切り離せない存在とみなしてきた。神であろうとなかろうと、マリアさまを崇拝するのは自然なことではないか、と。
こうした一般民衆の心性の底には、キリスト教普及以前に存在した多神教世界の残存がある。キリスト教が発生した古代地中海世界では、古代ユダヤ教が徹底的に排除し殲滅させたバアール神信仰、エジプトのイシス信仰といった大地母神が残存してきた。ヨーロッパでは古代ケルト世界の地に集中的に出現した母子像である「黒いマリア」の存在がそれを濃厚に示している。一神教のユダヤ教やキリスト教が徹底的に抑圧してきた、大地母神に代表される多神教的要素は、一般民衆の心性の奥底で無意識の領域では生き抜いてきたのである。
そして近年目立ってさかんになっているマグダラのマリアへの大いなる関心は、『マグダラのマリアによる福音書』という新約聖書偽典によるものだ。『ダヴィンチコード』の爆発的な人気もその動きを促進している。
本書は、こうしたキリスト教会の内部で交わされてきた論争と、一般民衆の信仰とのせめぎ合いを、地中海世界と欧州キリスト教世界を中心に、歴史的に考察したものである。
著者はジェンダー論の観点から、キリスト教の一神教がもたらすひずみについて的確な批判的考察を行っている。キリスト教内部の人でありながら、護教論的な姿勢ではなく、あるべき方向に向けて方向性を考察しているのは、宗教人類学という学問の性格だけでなく、著者の人生に対する基本姿勢も預かって大きいことは、半自叙伝である『死者たちのラストサパー』を読むとよく理解できる。
ただ、全体の構成として、第二部の「聖母マリアとマグダラのマリア」の分量を2倍にして、第一部の「聖母マリアの原像を探る」は大幅に縮小するべきだったのではないだろうか。そのほうがより多くの読者の関心に応えるものとなったのではないかと思う。
キリスト教徒ではない私は、キリスト教の「多神教化」は好ましい現象であると捉えているが、さてみなさんの反応はいかがなものだろうか。
2021年9月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
何故聖母マリアがこんなに求められるのか
そのこたえがでる一冊です。
プロテスタントとカトリックの違い、歴史的観点からも
客観視できる傑作だと思います。
何か、誰かに崇拝傾向にある方も読んで損はない、
むしろ読んで欲しい
そのこたえがでる一冊です。
プロテスタントとカトリックの違い、歴史的観点からも
客観視できる傑作だと思います。
何か、誰かに崇拝傾向にある方も読んで損はない、
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