筒井氏のサンカ本の最終版と言うべき物でしょうか、前作の三部作を読んでもらうと
本書が興味深く読めるでしょう。しかし、本書だけでもサンカの全体像は理解
出来るように著者は最低限の基本的なサンカ像を入れております。
著者の足と目で確認しながら取材をすると言う原点は貫かれていますが、
取材すべき事柄が広範囲に及ぶ後半からは「サンカの起源が朝鮮に及び、くぐつ
白拍子、等」読者も読みにくさを感じるかも知れませんが、興味は尽きないこと
でしょう。
本書の核心部分は、それこそサンカの起源が朝鮮ではないか?であるが、此は民族学
学術的な事柄であり、大学の教授クラスの人が調査しても誤りが出る可能性は
有ろうと思います。ですから自分の知的欲求を満たすためには、有る程度の探求心
も必要かと思われます。
本書は、皆様の知的な探求心を十分に満たし、少しの?、読みにくさも有りますが
読んで無駄になるとか、ばかばかしいと感じる人は少ないと思います。
沖浦氏、等批評社のサンカ本よりか、資料的な価値も高く、私は再読の機会が
多いです。
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サンカの起源 ---クグツの発生から朝鮮半島へ 単行本 – 2012/6/15
筒井 功
(著)
- 本の長さ352ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2012/6/15
- ISBN-104309225780
- ISBN-13978-4309225784
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登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2012/6/15)
- 発売日 : 2012/6/15
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 352ページ
- ISBN-10 : 4309225780
- ISBN-13 : 978-4309225784
- Amazon 売れ筋ランキング: - 961,620位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 5,541位文化人類学・民俗学 (本)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2012年7月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
前半部の三角寛のデタラメを証明立てる部分は再録とはいえ読み応えもあり、説得力も有る。ところが後半になると一変する。
彼の説を端的に箇条書きしてみるので各々考慮されたい。
「サンカは傀儡子である」はあ?「傀儡子は白丁である」え?「よってサンカは白丁である」えええ〜「傀儡子の拝んでるカミサマは百太夫である」「百太夫はオシラサマである」なに?等など もう広げたゲロが筵の上でとっちらかって片付けも出来無いアリサマである。ちょっと民俗学をかじった事があれば途中で本を放り出す事必定であろう。他にも「魂呼ばいでは箕を振り回す」「これは魂を奮い立たせる云々」ちょっと待て!それ魂振だろ?魂呼ばいって生死の境目がボンヤリしてるから大声で魂を呼び戻すのに。箕を振り回しちゃタマシイも帰って来られないのではないか?この著者、魂鎮めとかも判らないみたい。巫覡を引き合いに出すが朝鮮語と己の勝手な解釈の為に持ち出す始末。巫と覡はいいよ、じゃ神主は?無視ですか?中途半端に小店を広げるから1ページに5箇所くらいづつ突っ込みどころが有る。「土地もない金もない特殊技能もないMarginalな人間はどうやって生きていくか?」そういう疑問とか、単なる貧民と回遊する職能民とコジキの違いは何だろう?とか考えずいきなりサンカと傀儡子と百太夫と白丁が癒合合体する。古来「声聞師」と呼ばれた方々と随分と生活圏がダブってるが無視された。ま、凄くダイナミックではある。更に「後白河法皇の今様狂い」が文中に出てくるが決して聖と穢の区別とかじゃない。「後白河と乙前のような交流は珍しくない」と一刀両断でオシマイ。ここ「差別」の概念で一番大事だろ!で、最後まで「なぜサンカは傀儡子なのか?」が証明されない。拝んでるカミサマが「同じだろう」だけ。まあ三角寛も草葉の陰から苦笑いしてるだろうな。「俺より構成力がない」ってね。まあ「汎朝鮮半島起源原理主義」の「と」本として古書店で購入するなら可。新品で購入するのはお止めになった方が宜しい。私は何回も本を放ったので角がすり減ってしまった。
彼の説を端的に箇条書きしてみるので各々考慮されたい。
「サンカは傀儡子である」はあ?「傀儡子は白丁である」え?「よってサンカは白丁である」えええ〜「傀儡子の拝んでるカミサマは百太夫である」「百太夫はオシラサマである」なに?等など もう広げたゲロが筵の上でとっちらかって片付けも出来無いアリサマである。ちょっと民俗学をかじった事があれば途中で本を放り出す事必定であろう。他にも「魂呼ばいでは箕を振り回す」「これは魂を奮い立たせる云々」ちょっと待て!それ魂振だろ?魂呼ばいって生死の境目がボンヤリしてるから大声で魂を呼び戻すのに。箕を振り回しちゃタマシイも帰って来られないのではないか?この著者、魂鎮めとかも判らないみたい。巫覡を引き合いに出すが朝鮮語と己の勝手な解釈の為に持ち出す始末。巫と覡はいいよ、じゃ神主は?無視ですか?中途半端に小店を広げるから1ページに5箇所くらいづつ突っ込みどころが有る。「土地もない金もない特殊技能もないMarginalな人間はどうやって生きていくか?」そういう疑問とか、単なる貧民と回遊する職能民とコジキの違いは何だろう?とか考えずいきなりサンカと傀儡子と百太夫と白丁が癒合合体する。古来「声聞師」と呼ばれた方々と随分と生活圏がダブってるが無視された。ま、凄くダイナミックではある。更に「後白河法皇の今様狂い」が文中に出てくるが決して聖と穢の区別とかじゃない。「後白河と乙前のような交流は珍しくない」と一刀両断でオシマイ。ここ「差別」の概念で一番大事だろ!で、最後まで「なぜサンカは傀儡子なのか?」が証明されない。拝んでるカミサマが「同じだろう」だけ。まあ三角寛も草葉の陰から苦笑いしてるだろうな。「俺より構成力がない」ってね。まあ「汎朝鮮半島起源原理主義」の「と」本として古書店で購入するなら可。新品で購入するのはお止めになった方が宜しい。私は何回も本を放ったので角がすり減ってしまった。
2013年7月6日に日本でレビュー済み
著者は丹念に歩いてサンカを調査していて、肉迫しています。そんな中でキーワードとして浮かび上がってくるのが箕。
農具である箕や、筬という機織りで使う櫛の様なものは、作るのに高度な技術を必要とするのだそうです。この箕作り、筬作りがサンカと白丁の生業であることから、傀儡や朝鮮半島の白丁、揚水尺、広大へと続いていく過程がスリリングでした。ひきこまれ、読み応えがありました。
箕というものをよく知らなかったけれど、呪術的な役割りがあるなど興味深く感じました。また筬という名前も初めて知りました。
サンカは日本の原住民という説にはすっきりしないものを感じていたけれど、そのモヤモヤを晴らしてくれる感じがします。
この本の結論については、人それぞれの受け取り方があると思いますが、いろいろ考えさせられることが多いです。
例えば、箕ってもともと、どじょうすくいの踊りが砂鉄すくいであるらしいので、製鉄で使ってたんじゃないかとか。
また本書で引用されている今昔物語にでてくる傀儡の音楽が3拍子というのが気になります。
サンカに始まって、古代史、朝鮮半島の文化など巻き込み、あらたな視点が開けると思います。
農具である箕や、筬という機織りで使う櫛の様なものは、作るのに高度な技術を必要とするのだそうです。この箕作り、筬作りがサンカと白丁の生業であることから、傀儡や朝鮮半島の白丁、揚水尺、広大へと続いていく過程がスリリングでした。ひきこまれ、読み応えがありました。
箕というものをよく知らなかったけれど、呪術的な役割りがあるなど興味深く感じました。また筬という名前も初めて知りました。
サンカは日本の原住民という説にはすっきりしないものを感じていたけれど、そのモヤモヤを晴らしてくれる感じがします。
この本の結論については、人それぞれの受け取り方があると思いますが、いろいろ考えさせられることが多いです。
例えば、箕ってもともと、どじょうすくいの踊りが砂鉄すくいであるらしいので、製鉄で使ってたんじゃないかとか。
また本書で引用されている今昔物語にでてくる傀儡の音楽が3拍子というのが気になります。
サンカに始まって、古代史、朝鮮半島の文化など巻き込み、あらたな視点が開けると思います。
2013年10月16日に日本でレビュー済み
帯の惹句には「永遠のテーマ『サンカの起源は何か』に終止符を打ち、サンカ古代起源説を明らかにする決定的な論考」云々とある。
著者の主張によると、サンカの起源はクグツであり、クグツは朝鮮半島の被差別民のペクチョンが日本に渡来したものの子孫である、という。
興味深いテーマなので期待して読んでみたが、実に物足りない内容であった。
著者はサンカとクグツ、クグツとペクチョンの類似点を列挙しているものの、それらが同じ起源を持つとみるべき根拠は挙げることができていない。
ただ似ているというだけでは同じ起源を持つことにはならない、これは当然のことである。
単なる類似性が起源の同一性を担保するなら、
「西宮市の市章はダビデの星である。ユダヤ民族のシンボルもダビデの星である。よって西宮市はイスラエルの失われた十支族の定住地である」
あるいは
「ジプシーは定住せず、所有の概念がなく、芸能や売春の仕事で代々生きてきた民族である。クグツもまた定住せず、所有の概念がなく、芸能や売春の仕事で代々生きてきた。よってクグツはジプシーの子孫である」
などなど、『ムー』的なトンデモ説をいくらでもでっち上げることができるというものだ(実際、大昔にはこういう珍説を唱える「学者」もいたようだ)。しかし今日では通常、こういった空想を学問とは呼ばない。
結局、サンカについては信頼すべき資料が乏しく、起源はよくわからないというのが偽らざる実情のようだ。
そして、よくわからないんだから仕方ないじゃないか、面白ければそれでいいのだと開き直って書きたい放題のホラ話を書き散らし、印税と学位を騙し取ったのが三角寛であり、
そこまで開き直るほどの図太さはなく、学問的体裁を気にしながら史料を漁って仮説を書き綴っているのが筒井功、ということになろうか。
しかし、まともな根拠がないことを書いている点で両者は同じ穴のムジナともいえる。
それよりも、著者は本物のサンカの一族と交際があるようなので、サンカの一族の人体からミトコンドリアDNAを採取し、ハプロタイプ分析をおこなった方が
よほど有益な本が書けたのではないか。特定のエスニックグループの起源を探ろうとするとき、単に古文書を読めばそれでよしとするような方法論は過去のものであろう。
著者によると、クグツやサンカは古代の呪的能力者の零落した子孫であり、彼らに対する差別の根底には、呪的能力者への恐れと尊敬があったという。
なるほど、差別意識の根底には「触らぬ神に祟りなし」のような意識があったということか。
しかしここで注目すべきことは、呪的能力者のすべてが差別の対象になっているわけではない、ということである。
神主や巫女は差別されないのになぜクグツやサンカが差別されるようになったのか。
ひょっとすると、呪的能力者としての権威を悪用して不正行為を働いたために賤視されるようになった者の子孫、それがクグツやサンカなのではないか。
そういった点についてもまた、著者は一言も説明していない。
著者の主張によると、サンカの起源はクグツであり、クグツは朝鮮半島の被差別民のペクチョンが日本に渡来したものの子孫である、という。
興味深いテーマなので期待して読んでみたが、実に物足りない内容であった。
著者はサンカとクグツ、クグツとペクチョンの類似点を列挙しているものの、それらが同じ起源を持つとみるべき根拠は挙げることができていない。
ただ似ているというだけでは同じ起源を持つことにはならない、これは当然のことである。
単なる類似性が起源の同一性を担保するなら、
「西宮市の市章はダビデの星である。ユダヤ民族のシンボルもダビデの星である。よって西宮市はイスラエルの失われた十支族の定住地である」
あるいは
「ジプシーは定住せず、所有の概念がなく、芸能や売春の仕事で代々生きてきた民族である。クグツもまた定住せず、所有の概念がなく、芸能や売春の仕事で代々生きてきた。よってクグツはジプシーの子孫である」
などなど、『ムー』的なトンデモ説をいくらでもでっち上げることができるというものだ(実際、大昔にはこういう珍説を唱える「学者」もいたようだ)。しかし今日では通常、こういった空想を学問とは呼ばない。
結局、サンカについては信頼すべき資料が乏しく、起源はよくわからないというのが偽らざる実情のようだ。
そして、よくわからないんだから仕方ないじゃないか、面白ければそれでいいのだと開き直って書きたい放題のホラ話を書き散らし、印税と学位を騙し取ったのが三角寛であり、
そこまで開き直るほどの図太さはなく、学問的体裁を気にしながら史料を漁って仮説を書き綴っているのが筒井功、ということになろうか。
しかし、まともな根拠がないことを書いている点で両者は同じ穴のムジナともいえる。
それよりも、著者は本物のサンカの一族と交際があるようなので、サンカの一族の人体からミトコンドリアDNAを採取し、ハプロタイプ分析をおこなった方が
よほど有益な本が書けたのではないか。特定のエスニックグループの起源を探ろうとするとき、単に古文書を読めばそれでよしとするような方法論は過去のものであろう。
著者によると、クグツやサンカは古代の呪的能力者の零落した子孫であり、彼らに対する差別の根底には、呪的能力者への恐れと尊敬があったという。
なるほど、差別意識の根底には「触らぬ神に祟りなし」のような意識があったということか。
しかしここで注目すべきことは、呪的能力者のすべてが差別の対象になっているわけではない、ということである。
神主や巫女は差別されないのになぜクグツやサンカが差別されるようになったのか。
ひょっとすると、呪的能力者としての権威を悪用して不正行為を働いたために賤視されるようになった者の子孫、それがクグツやサンカなのではないか。
そういった点についてもまた、著者は一言も説明していない。
2016年1月25日に日本でレビュー済み
たいへん面白かったけれども、後半の、サンカの祖先は朝鮮半島のクグツ、あたりになってくると、
もうちょっと考察を加えてから出したほうがいいと、さすがに思う。
平成も20年代後半になってからでは、本当のサンカの実態を調べるのはやはり困難。
すべては三角寛のでたらめなサンカ小説のせいで間違った解釈がなされたまま、もう真実は
闇の中。でも、かつて野山に起き伏しして「箕」を作っていた人々は存在し、彼らの系譜を解き明かすことは、
日本民族の中のある意味ひじょうに重要な部分をあぶりだすことになる。
筒井氏のほかの著作も、全部読みたい。
もうちょっと考察を加えてから出したほうがいいと、さすがに思う。
平成も20年代後半になってからでは、本当のサンカの実態を調べるのはやはり困難。
すべては三角寛のでたらめなサンカ小説のせいで間違った解釈がなされたまま、もう真実は
闇の中。でも、かつて野山に起き伏しして「箕」を作っていた人々は存在し、彼らの系譜を解き明かすことは、
日本民族の中のある意味ひじょうに重要な部分をあぶりだすことになる。
筒井氏のほかの著作も、全部読みたい。
2015年1月24日に日本でレビュー済み
私は、筒井氏が現代書館から出したサンカ三部作を、私が知るサンカ本の中で最も優れたものと評価している者です。
しかし、この本は「ダメ」なものです。129ページ以降の「サンカ系譜論」以降は完全に無根拠、思いつきにしか見えません。
この本に意義があるとすれば、
これまで、筒井本で「斉藤登(仮名)」とされてきた人物が、本名伊藤昇であり、その生活史がこれまでより詳しく書かれていること、須藤勝次・トヨ夫妻の写真が載っていることぐらいでしょうか。
筒井氏はサンカの起源を明らかにすることに興味があるのでしょうが、読者の立場から言えば、作者は純理論的な考察は苦手であり、向いていないように思います。
著者には、サンカ三部作のように、聞き取りや新聞記事の調査に基づき、事実を積み上げていく本を出していただく方が、歴史的に有益な、これからも読まれるものになると考えます。脚色の少ない生活史の記録だけでもそれは貴重な記録ですから。
しかし、この本は「ダメ」なものです。129ページ以降の「サンカ系譜論」以降は完全に無根拠、思いつきにしか見えません。
この本に意義があるとすれば、
これまで、筒井本で「斉藤登(仮名)」とされてきた人物が、本名伊藤昇であり、その生活史がこれまでより詳しく書かれていること、須藤勝次・トヨ夫妻の写真が載っていることぐらいでしょうか。
筒井氏はサンカの起源を明らかにすることに興味があるのでしょうが、読者の立場から言えば、作者は純理論的な考察は苦手であり、向いていないように思います。
著者には、サンカ三部作のように、聞き取りや新聞記事の調査に基づき、事実を積み上げていく本を出していただく方が、歴史的に有益な、これからも読まれるものになると考えます。脚色の少ない生活史の記録だけでもそれは貴重な記録ですから。