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ストリートの思想 転換期としての1990年代 (NHKブックス) 単行本(ソフトカバー) – 2009/7/28

4.5 5つ星のうち4.5 10個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ NHK出版 (2009/7/28)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2009/7/28
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本(ソフトカバー) ‏ : ‎ 270ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4140911395
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4140911396
  • 寸法 ‏ : ‎ 13.1 x 1.3 x 18.3 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.5 5つ星のうち4.5 10個の評価

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毛利 嘉孝
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カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2009年8月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ためになった。ここ10年ほどの間に都市の各所で見られるようになった新しいタイプの文化的政治運動ないしは政治的文化運動の現状と意味、そしてその思想的な系譜を辿るという趣旨の本だが、関連の情報が実に理解しやすくまとめられた上で手堅い分析がなされており、学びどころが多い。著者の、オタク系批評を「仮想敵」としまた「ロスジェネ」一派とも微妙に差別化しつつ、古臭い「左翼」とは異なるファッショナブルかつ人情味のあふれる感じのする左翼的言説に魅力を感じ、また日本におけるポストモダン思想の受容形態の変遷を、「ニューアカ」の流行から「カルチュラルスタディーズ」の導入を経て理論と実践をバランスよく配合した「文化研究」へ、といった展開に見ながら同時に音楽や現代アートを中心とする若者文化の現代史を振り返る、という論も楽しく読めた。「著名」な「ストリートの思想家」たちの紹介も、私はほとんど知らない人であったが、誠に興味ぶかい。それで、このわくわくするような「ストリートの思想」がもたらした具体的な政治的成果は何?という疑問は湧いたが、少なくともその「思想」の意義と可能性と存立根拠は十分に得心した。
17人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2018年8月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
東日本大地震以前に、このような社会運動がほのかにあったのだということがわかりました。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2009年9月6日に日本でレビュー済み
現代の運動を一本で繋ぐ線。思想がストリートまで繋がっている。

いま起こっている運動を把握し、整理した。

個々の運動の書籍はあったが、全体を繋げた意味は大きい。

下北沢、高円寺、新宿、渋谷。

活動家を目指すなら、これは押さえなければならない。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2009年9月22日に日本でレビュー済み
既存の労働組合、正社員が既得権益側にスライドして
しまった今、「対抗」の場は「ストリート」に。。
というのは、なるほど、現在はそうなのかという状況
認識としては理解できる。

しかし、「マルチチュード」や「帝国」を援用しても、
はじめに「対抗」ありきの発想そのものが、何か
旧態依然とした左翼的で、自閉的な発想にしか思えない。
NAMがなぜ失敗したのか、本書からは伺いしれない。

ポスト資本主義にガッチリくみこまれつつ、毎日の
仕事をきちんきちんとこなしていくサラリーマンに
とっては、誤解をおそれずいえば、本当に「こぼれ
おちた」ポジションにいることは、「帝国」のせい
なのか?それ以外の要因はまったくないのか?
多様性という耳障りのよさに、単なる相対主義に
陥っていないのか?埋もれ全うすることを選び取る
ことこそが王道ではないのか?といった懐疑が微塵も
感じられない議論、
メインストリームでないこと、それだけで諸手を
あげて肯定的な見方をするような弱者絶対主義(に
みえる)偏った方向軸には、正直胡散臭さしか感じ
られない。

ムーブメント?の現状をおさえる、という「啓蒙的」
要素しか本書には感じないが、その役割としては
有益ではあるので、星3つです。
28人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2010年1月7日に日本でレビュー済み
 本書は90年代以降に機能しなくなってしまった大学の批判作用に代わって、社会に対して政治運動を投げかける思想として登場してきた在野、特にストリートの思想を、その時代を駆け抜けた著者の視点から、生成・発展過程を考察したものです。
 ストリートの思想は80年代の脱政治化された日本の大学ポストモダン理論と、DiY的インディーズ文化を背景に、90年代の政治運動型公的知識人への変貌と、文化研究の輸入によるポストモダン思想の社会運動への導入によって萌芽を得ることになります。それはさらに労働運動や学生運動の衰退と歩調を合わせるように、大学からストリートへと担い手を拡大し、新しい対抗的な政治が形成されていきます。渋谷で在外外国人とホームレスの支援を始めた「いのけん(渋谷・原宿生命と権利をかちとる会)」、野宿者も交えた代々木公園のフリーレイブパーティーなど、オーバーステイのイラン人と、DJのイスラエル人、ホームレスの野宿者など従来では異質なものたちが空間を共有し、新しい公共圏がめざされていました。ここにおいて、公共圏が新聞や論壇誌、大学から、テレビやインターネット、ストリートへと移行し、ストリートの思想が生成します。新しい公共圏においては主体が専門家から「フリーター的」な人々へ、コミュニケーションの手段がハードルの高い活字メディアから、映像や音楽などの視聴覚メディアに移行し、政治から排除されていた人々が別の形の政治に参加する契機となりました。
 00年代になると世界は新自由主義とグローバリズムによる<帝国>の時代となり、国内では格差の進行が階級の形成にまで進み、論壇での左派陣営の影響力は低迷していきます。しかし、イラク反戦運動のサウンドデモに始まり、素人の乱や年越し派遣村など、ストリートから思想を発信する現代の「有機的知識人」(人々の中に分け入って人々を組織する知識人)がさまざまな運動を展開しています。最後に企業の利益を生み出すために使われていた人々の能力が、今や資本を批判する運動や共に生活する人々のために使われるようになってきており、それが政治的資源になりうると展望を述べています。
 本書は80年代以降の政治の変化を主に文化と非物質的労働の側面から分析しており、幾分荒削りですがとても良くまとまっています。何より、近年の若者を中心としたミクロの政治情勢の変化を丹念に取り上げており、混迷する2009年にあって極めて有意義な論考と言えると思います
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2010年3月3日に日本でレビュー済み
筆者の文章はいつ読んでも晦渋さがなく、実に読みやすい。現代思想について80年代に書き初めた論客の文章は、どうにも修辞やレトリックの華麗さを追いすぎて鼻につくものが多くて辟易するのだが、そういう部分がないのはとっても助かる。東京のあちこちで「こんなことがあったのか」と目を開かされるような話が多々あった。ストリートの感覚というのが何となくおぼろげに見えて来る。筆者の著作『文化=政治』もそうだったが、読むと元気になれる本である。身体感覚に根ざした何かがある。単なる学術書ではなくて、もう少し自分を外に開いていくような一冊。

美術評論からメディア論から、とにかく守備範囲の広い著者のこと、前半のポストフォーディズム社会における社会環境の変化について書いている部分は実に興味深く読めた。個人的には、あまりにロマンティック、オプティミックすぎてあまり読む気にならず途中で放り出してしまったが、アントニオ・ネグリの『帝国』、あれを読んだ人であれば、さらに面白く読めるだろう。

ただ、これほど政治とストリートの絡み合いを肯定的に捉えているのに、雨宮・赤木らを批判的に見ていることはやや意外だった。確かに一見ラディカルに見える既得権批判は、その実、最終的には自分自身の基盤すら掘り崩しかねない要素を多大に含んでいる。世代間闘争、階級間闘争がいまひとつリアリティをもたない風土でそれを言い出す若者がいることに違和感を持ったり、あるいは筆者が70年代以前に見て来た古い感性を彼等のなかに見出しても不思議ではない。

しかし、雨宮は直感で動きながら運動神経でもって世の中の変貌を捉えていくタイプの人間で、その辺がいい方に出れば飯田泰之との対談本のようなものが出来上がったりもする。少なくとも、感性においてそこまで硬直している人間ではない。

赤木にしても、希望は戦争と書きはしたが、それはリベラルよりの左翼の中に潜んでいる保守的感情―流動性を避けられない世の中で流動性から目を背け、対決しようとしない退行的心情―を撃つレトリックであることくらい、とにかく文章を書く上でも他人の作品を評する上でも誠実な筆者には百も承知であろう。

果たして「ロスジェネ一派」と路上で対峙したとき、筆者はどういう会話をするのだろう。筆者には自分と同じ文化、類似する文化資本のカタログを共有する人間だけを主体に見据え、情念ではなくスタイルを提出するだけの運動なんて、空しいものではないかと思うのだが・・・。

とはいえ、ロスジェネ一座におそらく筆者の中でカウントされているであろう、雨宮、増山あたりは路上で見かけるが、デモの中に筆者の姿を路上で見ることはあんまりないから、その心配は無用か・・・(苦笑)。
10人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2009年11月20日に日本でレビュー済み
タイトルよりも副題に興味を惹かれて読んだ。本書は新しい運動の芽生えに期待を込めた現現代史でもある。
80年代を前史に据えるここ20年間の分析には感心させられるものが多々ある。特にインターネットと携帯電話によって、日本全体が山谷のような「寄せ場」になったとか、非正規労働者の増加は、ポスト・フォーディズムの主流産業になった情報関連産業市場の、個人のアイディアを100%買う、といった労働形態が全産業に拡大したものという分析には鋭いものを感じる。
しかし、現在の閉塞状況を打ち破る方法が、ストリートに集う人々の政治心情をこえた緩やかな連帯に中に存在する、という記述になると、何処かで聞いたことがあるなあと思ってしまう。60年安保における「声なき声」、ベトナム戦争時の「ベ平連」、大学闘争時の「全共闘」など緩やかな連帯が新しい運動形態として一時もてはやされながら消え去っていったことを思い出すのだ。
著者は階級的思考にただならぬ嫌悪感を持っているようだ。赤木智弘や雨宮処凛をその面から批判する。しかし、ストリートの思想は両義的である。中国の若者によるナショナリズムに突き動かされた街頭デモはつい先ほどのことであるし、歴史的にも、日露戦争の講和条約内容に反撥する民衆の大暴動など枚挙に暇がない。今はおとなしく路上にいる日本の若者もその主張が聞き入れられない時、ついには「暴徒化」しないとは言い切れない。無思想の行動が社会を変える起爆剤になりうるか。その一方に何でも「風俗化」してしまう強力なマスメディアもあるなかで、著者のいう「コイン」の裏側の思想をさらに深めることが重要であるように思える。
13人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2011年3月7日に日本でレビュー済み
通読です。じっくりは読んでいません。
共感する部分もあり、どうかなと思う部分もありの内容。
ただ、著者の誠実な姿勢は伝わり、好感を抱いた。
個人的には坂本龍一に対してのコメントが興味深かった。同感です。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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