最近ある本に、哲学者はいろんな面白いことを言うのだが、一貫性に欠けていたり、論旨が
あいまいなことが多い。こうした難点を解決し有益な認識を得るには、哲学的論述の経済学
的な分析をすることが必要だ、書かれていた。
本書は、経済学者と社会学者の、いまこの社会で生きるためにどうしても知らねばならない
事柄についての対談である。
国とは何か、不平等とは何か?、市場のたらきは?そもそも所有とは何なのか。というテーマ
について、お二人が自由闊達に知識と見識を展開する、という形になっている。
立岩さんは、過去の知識や経験に依拠しながら、いろんな疑問や対案を展開される。
稲葉さんは、これを経済の言葉で解説する。
お二人の教養というか知識の広さには、驚かされる。大勢の巨人の方にのっかっての2人の
議論は、われわれが生きる上で大事な話題なのだが、読むだけでも面白い。
また、今日的な話題、「成長と分配」についての、お二人の明快なまとめもある。
それと、この本は、学問への素晴らしいガイドブックになっていると思われる。
私のちょいと知っていた話では、ローマーの一般化された商品搾取定理の話が出て
くるが、本書の議論を読んでおくと、専門書や教科書がよくわかるという具合で
ある。
ほかの話も、多分大いに役立つことだろう。
というわけで、特に学部生に勧められる。
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所有と国家のゆくえ (NHKブックス 1064) 単行本 – 2006/8/1
- 本の長さ301ページ
- 言語日本語
- 出版社NHK出版
- 発売日2006/8/1
- ISBN-10414091064X
- ISBN-13978-4140910641
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登録情報
- 出版社 : NHK出版 (2006/8/1)
- 発売日 : 2006/8/1
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 301ページ
- ISBN-10 : 414091064X
- ISBN-13 : 978-4140910641
- Amazon 売れ筋ランキング: - 618,656位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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著者について
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たていわ・しんや 専攻:社会学 1960年佐渡島生、新潟県立両津高校卒、東京大学文学部社会学科卒、同大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。この辺り、河合塾で働く。1990年~日本学術振興会特別研究員も。1993年~千葉大学部文学部、1995年~信州大学医療技術短期大学部を経て、2002年~立命館大学。現在同大学大学院先端総合学術研究科教授。同大学生存学研究センター、その雑誌『生存学』(生活書院刊)、『Ars Vivendi Journal』(オンラインジャーナル)、ウェブサイト『arsvi.com』(→「生存学」で検索)に関わる。最初の共著書が『生の技法』(1990、藤原書店)→2012:第3版を文庫版で生活書院より。最初の単著が『私的所有論』(1997、勁草書房)→2013:第2版を文庫版で生活書院より。電子書籍の自販も試行中→http://www.arsvi.com/ts/sale.htm
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2011年10月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2010年7月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
評価がどうも芳しくないですが、著名なお二人の対談。
たしかに、同じNHKブックスの対談、鼎談では、東浩紀・大澤真幸『自由を考える』のところどころ目から鱗が落ちるような刺激的な対談や、宮台真司他『幸福論』のように煮詰まった議論というわけではないが、ドラスティックな改革を予感させる試行錯誤をしていて、なかなか興味深い内容になっているように思う。
立岩は極めてストレートな論理である種の理想を表明し、それに対して稲葉が広範な知識でもって精緻化や批判を加えていくといったかたちになっている。ただし、編集がいまいちなのか、どうもすんなり読み進めることができず、ややストレスを感じる。これが低評価の原因であれば納得という感もある。ただ、立岩の別な書物を読むと、立岩の言葉づかい自体が読者を選ぶようで、私も苦手であり、この書物が読みづらいのもそのせいかもしれない。
出版されてから時間が経っているのもあってか、それほど目新しいと感じる話は出てこなかったが、所有の自明性を疑うこと(私は左翼リバタリアンに近いので、労働所有権ではなく、自己所有権の絶対性をむやみに解体するような議論までは感度がほとんどないが)、市場経済の初期条件をどこに置くかに敏感であること、一国での改善には限界があること、搾取という概念に対する信頼性などなど、自分でも普段から考えていることに色々と触れられていて、すんなり腑に落ちる話が多かった。
特に興味深かったのは、最後のほうで不平等の責任を問うことの困難について論じられている箇所であり、たとえば、盛山和夫は『リベラリズムとは何か』(勁草書房)で、こうした責任論を一刀両断していたが、それをも上回ろうとする野心的な議論を展開している。それが成功しているか、あるいはするのかは定かではないが、主張自体は一考に値すると思われる。
たしかに、同じNHKブックスの対談、鼎談では、東浩紀・大澤真幸『自由を考える』のところどころ目から鱗が落ちるような刺激的な対談や、宮台真司他『幸福論』のように煮詰まった議論というわけではないが、ドラスティックな改革を予感させる試行錯誤をしていて、なかなか興味深い内容になっているように思う。
立岩は極めてストレートな論理である種の理想を表明し、それに対して稲葉が広範な知識でもって精緻化や批判を加えていくといったかたちになっている。ただし、編集がいまいちなのか、どうもすんなり読み進めることができず、ややストレスを感じる。これが低評価の原因であれば納得という感もある。ただ、立岩の別な書物を読むと、立岩の言葉づかい自体が読者を選ぶようで、私も苦手であり、この書物が読みづらいのもそのせいかもしれない。
出版されてから時間が経っているのもあってか、それほど目新しいと感じる話は出てこなかったが、所有の自明性を疑うこと(私は左翼リバタリアンに近いので、労働所有権ではなく、自己所有権の絶対性をむやみに解体するような議論までは感度がほとんどないが)、市場経済の初期条件をどこに置くかに敏感であること、一国での改善には限界があること、搾取という概念に対する信頼性などなど、自分でも普段から考えていることに色々と触れられていて、すんなり腑に落ちる話が多かった。
特に興味深かったのは、最後のほうで不平等の責任を問うことの困難について論じられている箇所であり、たとえば、盛山和夫は『リベラリズムとは何か』(勁草書房)で、こうした責任論を一刀両断していたが、それをも上回ろうとする野心的な議論を展開している。それが成功しているか、あるいはするのかは定かではないが、主張自体は一考に値すると思われる。
2006年9月4日に日本でレビュー済み
立岩氏がひたすら規範論、権利論を言う。
実効性がないかもしれないことを認めつつ、とにかく言う事に意義があるとする。
確かに、人間には嫉妬やルサンチマンに還元しきれない平等・公正への欲望があるから、
立岩氏の言葉は単なる言葉であっても人々に影響を与えるかもしれない。
一方、稲葉氏はかなり無理のある立岩の道徳的な願望を、
どうにか実効性があるものとして救い上げようと、あらゆる政治・経済・社会思想を動員する。
弱者の論理に立脚しつつ現実の「他者」を無視する立岩氏と、
立岩氏を含めた「他者」を理解するために「他人の言説」をお勉強し続ける稲葉氏。
ちょっと痛々しい対談。
逆説的だが、「結果の平等」は実現させようとしない限りは正義であるということか。
実効性がないかもしれないことを認めつつ、とにかく言う事に意義があるとする。
確かに、人間には嫉妬やルサンチマンに還元しきれない平等・公正への欲望があるから、
立岩氏の言葉は単なる言葉であっても人々に影響を与えるかもしれない。
一方、稲葉氏はかなり無理のある立岩の道徳的な願望を、
どうにか実効性があるものとして救い上げようと、あらゆる政治・経済・社会思想を動員する。
弱者の論理に立脚しつつ現実の「他者」を無視する立岩氏と、
立岩氏を含めた「他者」を理解するために「他人の言説」をお勉強し続ける稲葉氏。
ちょっと痛々しい対談。
逆説的だが、「結果の平等」は実現させようとしない限りは正義であるということか。
2008年1月4日に日本でレビュー済み
社会学者と社会倫理学者の対談です。
非常に面白い点も多い書物です。稲葉氏の説明は多岐に渡っていて勉強になる所もあります。
図解されている部分もあります。立岩氏の説明はよくわからない所も前からあったのですがロジックという言葉を使われている所が気になります。
ロジックなのであればみもふたもないであろうと。それとあまりにも他人の対する無関心があるということです。
たとえば永井均氏なら無関心といいつつ関心が実はあることは著書で見受けられますし(中島氏もそうか)。
市場以外の市場の構想というか仮設としては面白いが仮説から市場は演繹されないんじゃないかと思った。
非常に面白い点も多い書物です。稲葉氏の説明は多岐に渡っていて勉強になる所もあります。
図解されている部分もあります。立岩氏の説明はよくわからない所も前からあったのですがロジックという言葉を使われている所が気になります。
ロジックなのであればみもふたもないであろうと。それとあまりにも他人の対する無関心があるということです。
たとえば永井均氏なら無関心といいつつ関心が実はあることは著書で見受けられますし(中島氏もそうか)。
市場以外の市場の構想というか仮設としては面白いが仮説から市場は演繹されないんじゃないかと思った。
2006年10月1日に日本でレビュー済み
立岩氏は本書で、「同じことはできるけれど倍の時間がかかる人」や「同じことを一日四時間だったらできるって人」の給与に言及する(p149)。あるいは「搾取」概念の意義を疑問視しつつも、「こんな汗水垂らして働いて苦労して頑張ったのに、そうじゃないやつに掠め取られちゃうっていうのはないよなって感じは、ぼくは正当でもっともな感覚だと思う」と述べ、「搾取のリアリティ」を救う(p241)。
私はそこで障害者の授産施設のようなものを想起する。だが立岩氏は自分の参照点を具体的に明かそうとはしない。だから私たちは、彼の言葉を一般論として了解しようとする。稲葉氏の理論化の模索が、それに拍車をかける。しかし一般論とすれば、両氏の労働観はあまりに古色蒼然としている、と言わざるを得ない。
岩井克人は近著『資本主義から市民主義へ』の中で、産業資本主義は資本主義の外部たる農村の存在に全面的に依拠して成立していた例外的な事態に過ぎなかったのに、マルクス経済学はこれを、生産する主体たる人間が剰余価値を生み出す内在的能力を備えているという人間中心主義の原理で説明しようとしたと批判している。本書の議論は、まさにこの産業資本主義の枠内で堂々巡りしてはいないか?
p226で立岩氏は国家のあり方に関連して、氏の想定する「あるべき姿」と「現実の姿」の差分を語ると述べている。しかしその時「あるべき姿」は明示されず、ただ差分の分析だけが連ねられる。そこに氏の議論の分かりにくさがある。
立岩氏の話法を、「病者の光学」をもじって「サバルタンの光学」とでも呼んでみたい気がする。その言葉を理解できるのは共に光源に立つ者だけだ。しかしより重要な点は、光がその光源を照らさないということだ。
私はそこで障害者の授産施設のようなものを想起する。だが立岩氏は自分の参照点を具体的に明かそうとはしない。だから私たちは、彼の言葉を一般論として了解しようとする。稲葉氏の理論化の模索が、それに拍車をかける。しかし一般論とすれば、両氏の労働観はあまりに古色蒼然としている、と言わざるを得ない。
岩井克人は近著『資本主義から市民主義へ』の中で、産業資本主義は資本主義の外部たる農村の存在に全面的に依拠して成立していた例外的な事態に過ぎなかったのに、マルクス経済学はこれを、生産する主体たる人間が剰余価値を生み出す内在的能力を備えているという人間中心主義の原理で説明しようとしたと批判している。本書の議論は、まさにこの産業資本主義の枠内で堂々巡りしてはいないか?
p226で立岩氏は国家のあり方に関連して、氏の想定する「あるべき姿」と「現実の姿」の差分を語ると述べている。しかしその時「あるべき姿」は明示されず、ただ差分の分析だけが連ねられる。そこに氏の議論の分かりにくさがある。
立岩氏の話法を、「病者の光学」をもじって「サバルタンの光学」とでも呼んでみたい気がする。その言葉を理解できるのは共に光源に立つ者だけだ。しかしより重要な点は、光がその光源を照らさないということだ。
2007年3月2日に日本でレビュー済み
読んでから、もやもや感が残る書物だ。各章ごとの題で、テーマとされたものがすぐに消え去り、その課題の周辺が無定形に提出され、それらも即座にフローする。これは、お二人の対話に無理矢理題をつけたから、そうなったのだろう。だから、まともに読んだらイライラが募る。それでも、この本に示されたもの・ことは「我々が今いるところ」「限界まで突き詰められたところ」に示唆を与えてくれる(決して答えではない!)ので、読むことは決して無駄ではないだろう。で、その論点を把握するには、p259から読み始め、次にp52〜p63を読んでから最初に帰ると良いと思う。