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物語 イスタンブールの歴史-「世界帝都」の1600年 (中公新書 2663) 新書 – 2021/9/17

3.9 5つ星のうち3.9 32個の評価

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イスタンブールの歴史は古い。ローマ帝国の混乱を収めたコンスタンティヌス一世が三三〇年に建設した「新ローマ」から一九二二年にオスマン帝国が滅するまで一六〇〇年余り、世界の中心として君臨した。本書は、ビザンツとオスマン、二つの帝国支配の舞台となったイスタンブールのガイドである。城壁に囲まれた旧市街から、猥雑な新市街、アジア、そして近代のメガシティ――時間旅行者となり、複雑多彩な古都を愉しむ。

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商品の説明

著者について

宮下遼
1981年、東京生まれ。東京外国語大学外国語学部卒業、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。現在は大阪大学言語文化研究科准教授。 専門はトルコ文学(史)。 著書に『無名亭の夜』(講談社)、『多元性の都市イスタンブル―近世オスマン帝都の都市空間と詩人、庶民、異邦人』(大阪大学出版会)、訳書にオルハン・パムク『私の名は赤』、『僕の違和感』、『雪』、『無垢の博物館』(いずれも早川書房)、ラティフェ・テキン『乳しぼり娘とゴミの丘のおとぎ噺』(河出書房新社)などがある。

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 中央公論新社 (2021/9/17)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2021/9/17
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 284ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4121026632
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121026637
  • カスタマーレビュー:
    3.9 5つ星のうち3.9 32個の評価

カスタマーレビュー

星5つ中3.9つ
5つのうち3.9つ
32グローバルレーティング

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上位レビュー、対象国: 日本

2021年9月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
中公新書では、2017年に『トルコ現代史』、2018年に『オスマン帝国』、去年に『ビザンツ帝国』が出たが、今回は『物語イスタンブールの歴史』である。
284頁。著者はトルコ文学(史)家で、オルハン・パムクの作品の翻訳でお馴染みの人。1981年生まれの、ほぼ昭和55年男。
叙述の形式は、ほぼ典型的な歴史散歩で、訪ねていく場所場所で、イスタンブールの歴史を振り返る。
なお、ビザンツ帝国ではコンスタンティノポリス、オスマン帝国ではコスタンティ二イェであるが、本書では基本的にイスタンブールが使用されている。ただし、歴史的場面ではコンスタンティノポリスも使われている。
序章で簡単な歴史を頭に入れたあと、東端のトプカプ宮殿から始め、
第1章 旧市街東部・南部
第2章 旧市街西部
第3章 新市街南部、ガラタ城市とその周辺
第4章 ボスポラス海峡沿岸(ここは舟に乗る)
第5章 アジア岸(アナトリア岸)
第6章 新市街北部、ペラ、ハルビイェ
第7章 新都心と郊外
の順に回っていく。
私的感想
〇描写がリアルで、歴史がぎっしり詰まっている感じ。楽しいイスタンブール歴史散歩であった。
〇地図はよくできているが、写真がちょっと少ない感じ。まあ、旅行ガイドではないし、説明は丁寧なので、これで十分かな。
〇第5章に出てくるカドゥキョイーモダ保存(ノスタルジキ)環状路面電車は楽しそうだ。
第6章に出てくる世界で二番目に古く、世界最短の地下鉄テュネル線にも乗ってみたい。
〇第7章の1950年代に、一夜建ての不法建築がどんどん建っていく話は面白いが、一晩で家を建てて、朝までに屋根までつけることが可能だったのだろうか。灯りはどうやったのだろう?
11人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2021年10月28日に日本でレビュー済み
どの街にも歴史はあるが、この街は街の中の街とでも言えるほど濃密な歴史を抱いている。ボスポラス海峡がうまく大地を分けたために、東西世界の結接点の印象が強いが、そういう単純な分け方では語り尽くせない複雑さがある。そもそも国民国家という概念がまだない時代が長く続いて、様々な出身者が集まり、異なる習慣、異なる信条、異なる宗教を擦り合わせて暮らしていた。それは東西には限らない。近代あたりからトプカプ宮殿のあった旧市街が旧時代的、金角湾を渡ったガラタ市街、さらにペラ地区が新時代的で西欧的、先進的と見なされていき、ようやく東と西のコントラストが強くなったと言えるのだろうか。いややはりそんなに単純な話ではなさそうだ。

本書はアヤソフィアやブルーモスクのある旧市街中心からテオドシウス城壁の外、ガラタ市街、ボスポラス沿岸、さらにアジア側のカルケドン、ウスキュダル、西側のシシリ、マスラクと現代の新都市に話は続いていく。それぞれの地域にまつわる歴史がビザンツ帝国、オスマン帝国問わず解説される。近代から現代の都市の変遷も意外性があり、またむべなるかなという感じもある。

ローマ帝国のコンスタンティヌス帝が東方遠征の際に拠点として324年から建設され330年には完成。『ローマ史再考』(田中)によれば当初は皇帝の取り巻きしか住んでいなかったそうだ。ところでこのコンスタンティノープルは先帝のディオクレティアヌスによるローマ東部の首都ニコメディア(現イズミット)を避ける意味合いがあったという。ディオクレティアヌス帝が退位した後、ローマ帝国は四人の皇帝が治める体制となり、それを勝ち抜いたコンスタンティヌス帝が勝利を示して建設し、四帝統治体制からの決別を意味したという。コンスタンティノープルからはそれほど離れていない東西交易の拠点ニコメディアを避けたのは大きな意味があったのだろう。
イスタンブールのマルマラ海に面した南岸にかつて川があったというのは知らなかった。その名もリュゴス川という。本書では所々歴史書に載るイスタンブールの街の絵が掲載され、その当時の姿を確認できる。1493年の『シェーデルの世界地誌』では城壁に囲まれたイスタンブールと城壁の合間から流れ出るリュゴス川が描かれている。
その川の近くにエリュテリオス港(テオドシウス港?)があったのだが、オスマン帝国に移ると港は金角湾側になってウンカパヌ港が栄えた。ウンカパヌは小麦計量所という意味。

イスタンブールの面白さは、ローマ時代の栄華を全く文化の異なるオスマンが引き継ぐようにして、この街に新たな息吹きを吹き込み、その栄華を対比して見られるところと、オスマン帝国の歴代のスルタン、特に近代のスルタンが新市街のボスポラス沿岸に離宮を建てトプカプ宮殿から徐々に移っていくところにあるように思う。初めは避暑のための離宮ができ、トプカプでの祝典がそのベベキという地に移り、周りに別荘が増えていく。その後19世紀中頃にはドルマバフチェ宮殿、ベイレルベイ宮殿、チュラアン宮殿、ユルドゥズ宮殿ができ政治の中心となる。新しい文化を受け入れるにはアヤソフィアやトプカプ、さらにローマ・ビザンツ時代から残る遺産はあまりにも大きすぎたのだろうか。トプカプの古い慣習を変えるよりも、新しいものを別の地に造った方が、世の中の早い変化に合わせられると見たのか。旧いものの上に新しいものは造り難い以上、新しい土地に移らざるを得なかったのかもしれない。『オスマン帝国500年の平和』(林)では帝国は後半に入ると官僚機構がしっかりして、スルタンの独断は介入しにくくなった経緯が読み取れる。官僚制、そして派閥争いの中では、新しいことするためには移るしかないようなこともあっただろうか。またメッカの方角を重視した数々のモスクを慮ると、なおさら安易な造営は難しい。そう見るとイスタンブールの中に新旧のコントラストが生まれるのも必然だったのかもしれない。
新しいものは=フランスなどの西欧とは言い切れず、旧来からの住人であるアルメニア系なども担っていた。ボスポラス沿岸の離宮はアルメニア系の建築家の手によるものだった。キリスト教的なものに新しさを見出だすということもあったかもしれない。時代が下れば西欧風の景色が増え「土洋折衷」が生まれてきて、イスタンブールのおもしろみは倍増する。
『コンスタンティノープルを歩く』(尚樹)でもこの大都市についてビザンツ帝国の歴史と合わせて紹介されるが、ビザンツ帝国の後期にはアレクシオス一世が金角湾の上流に新しい宮殿を建て、その後の皇帝も新たな宮殿を建てたという。現在トルコのギリシャ人街フェネルの北辺、テオドシウス城壁の内側(イスタンブール第一環状線の内側)、聖母マリア教会のある辺りにそのブラケルナ宮殿を建て、政治の中心となった。オスマン帝国でもある時期からガラタ側に政治の中心を移し、ビザンツ帝国でもブラケルナに移した。これは新旧の葛藤なのか、帝国の必然なのか、政治的宗教的なしがらみからの脱却なのか。日本でも埼玉新都心の話があったりした。江戸時代から明治にかけて、京都から東京に中心が移ったこととも意味合いは重なるかもしれない。

個人的には坂の多い街という点も魅力的だ。トルコの人々は坂に苦しめられているようだが、眺望が楽しめて、地理は三次元的に膨らみ、立体は死角を生み、見えない向こう側に好奇心が生まれる。ブラタモリ的な発想で丘を目指し、廃墟となった古の城壁にあれこれ思いをいたす。それだけでも十分贅沢な時間だ。本書は著者が時間旅行と云うように、イスタンブールの街を歩きながら、歴史の旅までできる貴重な一冊であった。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2022年1月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書を読んだ最初の印象はまるで講談を読んでいるかの感覚でした。講釈師がパパンパンパーンと扇子を叩いているような文章が続いているような。私自身トルコの歴史に興味があるので他の本も読んでおり、イスタンブールについてももっと深く知りたいな、と思っていたところに本書の案内が来たので、早速購入しました。著者の経歴紹介や最後の引用文献の数からも著者は非常に勉強している様に思われますが、あまりの講談調のせいで、内容のどこからどこまでが本当なのか、でっち上げなのか、疑問を持ってしまいました。その理由の一つは書名に「小説」という文字が入っていることです。「講釈師見てきたようなうそをつき」という川柳がありますが、まさにそのような印象を受けてしまいました。その原因はあまりに文章中の美辞麗句にこだわりすぎるからではないかと、愚考しています。それも、日本語としては、少しおかしいのではないか、という表現が時々あり、その最たる例は、「戦争で殉死した」という記載です。「殉死」とは明治天皇の崩御に際して乃木将軍が自刃したように、主君の死に際して殉じて死ぬことであり、戦争で死ぬのは戦死です。文章の中にあまりに美辞麗句をちりばめようとしてつまずいてしまったように見えます。内容的には「○○を右に曲がると△△が見えてくる」という類の表現が多いです。多分本当のことでしょうが、イスタンブールを知らない人間にとって、例え「講釈師のウソ」が書かれていたとしても確認のしようがありません。何といっても「小説」ですから。結局、長い割にはあまりイスタンブールという町を知る参考にはなりませんでした。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2021年11月27日に日本でレビュー済み
イスタンブール歴史散策は、ボスポラス海峡に突き出た旧市街地東端のトプカブ宮殿から始まる。この下にギリシャ時代のアクロポリス、ビザンツ帝国時代の宮殿跡が埋まっているのだから壮大な歴史を感じる。西に行くと数々の敵を防いだテオドシウス城壁の威容がそびえる。このあたりで「トルコ珈琲でも」となるのだろうが、どうしてもイスタンブールの歴史的な立ち位置が気になってくる。

エジプシャン、アルメニア、ペルシャ、ラテン、ギリシャ、ジェノバとイスタンブールの至る所に民族の多様性が漂う。ただし、ビザンチン帝国の末裔を自称するロシアの痕跡が少ないことに気づく。あったとしても「ペラ界隈のロシア10月革命を逃れた白系ロシア人」とか「ロシアからのユダヤ人亡命者」と"ロシアから逃れた"との文脈で語られるだけだ。クリミア半島がある黒海に通じるボスポラス海峡入口のイスタンブールは、ロシアが喉から手が出るほど欲しい場所だ。クリミアハン国という緩衝帯でロシアとの距離を保てたのかもしれない。本書は周辺事情にも詳しく、どうしても地政学視点になってしまう。

改めてインタンブールはオスマントルコの欧州への橋頭堡だったのだと思う。だから、逆にトルコ人がイスタンブール対岸の大地アナトリアに向けた眼差しは熱い。アナトリアは、トルコ民族にとって「繁栄すべき未だ見ぬ理想郷、いうならば未来そのもの」だったのだそうだ。アンカラ遷都は「富も知識も芸術も全てを永久にして不変の世界帝都たるイスタンブールに置き去りにしてしまった」わけだ。そして、欧州に取り残されたムスリムが波乱要因となり、バルカン紛争の原因にもなっている。

イスタンブールの歴史散策から、その周辺事情にも思いを馳せた。やはり、この地は東西南北が交わる地政学的要衝なのだと思う。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2021年10月28日に日本でレビュー済み
イスタンブールを一つの町として扱って通史を語るのではなく、いくつかの街区に分けて、そこを散策するか如く紹介しながら、その建物や場所にちなんだ歴史や文化を語る、という構成です。
地名、人名その他の膨大な固有名詞が出てきますが、一度に全てを理解しようとせずに、折りに触れて、訪れたことのある、あるいは訪れたい地名を探して、拾い読みをするといった読み方もできると思います。
イスタンブールという町を訪れたくなるような一冊です
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2022年2月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
大好きなイスタンブールの魅力が激減し、失望した。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2021年10月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
類書無い歴史書なので、楽しく読んだ。実際にイスタンブールに行った気分で楽しかった。次はウィーンか、ザルツブルクの歴史書を出してほしい。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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