本書は、「科学の世界」と「人間の心」という2つのテーマについて論じるものである。本書の第一部では、「科学の世界」について、近現代科学の活動が前提としている「目的」と「規範」を考察する。次いで第二部では、第一部での議論を踏まえたうえで、「人間の心」について、「心的活動の特性」は科学的探究によって解明できるのかという問題に取り組む。具体的には、「心の哲学」における「心の哲学の自然化(科学化)」を批判的に取り上げる。
第一部「科学の目的と規範」
第1章「近代科学の原点――17世紀における科学革命と近代科学の形成」は、近代科学の成立について、まずアリストテレスの「自然学」について述べ、次いでそれを解体した科学革命として、ガリレオの数学的自然学とデカルトの機械論的自然観を取り上げる。
第2章「科学的知識の2つの基本的規範」は、17世紀科学革命を経て成立した近現代科学における「科学的説明」の特性について論じる。すなわち、「対象の数量化と理論仮説」、「統一的・因果的説明」、「実験による理論の判定」による、事象の「普遍的構造の精密な探究」であるという。
第3章「論理的対象の実在性と科学的知識の客観性」は、まず理論的対象と因果関係の実在性について、次いで科学理論の客観性について論じ、少なくとも近現代科学の領域において相対主義を斥け、その客観性と進歩を擁護する。
第二部「心の存在と哲学――心の哲学は自然化(科学化)しうるか」
第1章「近代の心の哲学の原点――デカルトの心の哲学と心身問題」は、近代における「心の哲学」の原点として「デカルトの心身の二元論」を取り上げる。それによれば、デカルトの心の哲学とは、近代の科学的・機械論的世界像と心の実在性とを展開する「心身二元論」を展開しつつ、「心身合一」を形而上学的思考や科学的探究の見地からは理解できない「原始的概念」として積極的に認める、というものであるという。
第2章「心の哲学の自然化の問題」は、現在における心の哲学として「消去的唯物論」を取り上げ、第一部で提示した近現代の「科学の目的と規範」に照らし合わせつつ、その神経科学的・認知科学的アプローチの限界を指摘する。
第3章「心の存在の実在性と因果性」は、現代における心の哲学に対するデカルトの有効性を論じる。
第4章「自由意志と他者の心」は、「自由意志」と「他者の心」の問題を取り上げる。
以上のように本書は、「科学的知識」とは何か、「人間の心」とは何か、その両者はどのような関係にあるのか、といった問題について、様々な立場や動向を踏まえつつ、著者の専門とするデカルトの議論を中心に論じるものである。そして、科学と哲学の歴史的展開を踏まえつつ、近現代科学の目的と規範を明らかにし、「心の哲学の自然化」を否定する。だからと言って本書は、科学的真理や科学の進歩を否定するものではない。むしろ、それらをはっきりと肯定しながらも、科学的探究とは異質な次元のこととして「心」があり、心は身体と一体化して環境世界に向かうと主張する。議論は、一貫しており分かりやすく、興味深い点を多く含む。一読を勧めたい。
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科学の世界と心の哲学: 心は科学で解明できるか (中公新書 1986) 新書 – 2009/2/1
小林 道夫
(著)
- ISBN-104121019865
- ISBN-13978-4121019868
- 出版社中央公論新社
- 発売日2009/2/1
- 言語日本語
- 本の長さ190ページ
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (2009/2/1)
- 発売日 : 2009/2/1
- 言語 : 日本語
- 新書 : 190ページ
- ISBN-10 : 4121019865
- ISBN-13 : 978-4121019868
- Amazon 売れ筋ランキング: - 158,870位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2021年2月21日に日本でレビュー済み
心は科学で解明できるか。古来からの難問に、デカルトの「心身合一」の概念を手がかりに、緻密に議論が積み重ねられていく。特に、近代科学が誕生した17世紀に遡り、科学の目的、手法を再考し、科学によっては心が解明できない証明に成功しているように思われる。また、17世紀は、思考、意識について、デカルトをはじめ多くの哲学者が議論を深めた時期であることも理解できた。それでは、心をどう理解するのか。大森荘蔵氏の立ち現れ一元論など、その後、様々な論が提出されているが、考えていくと興味は尽きない。
2009年12月30日に日本でレビュー済み
本書のポイントは2つ。
1.現代の自然科学の成功因をアリストテレス的自然観からデカルトの心身二元論的世界観への転換として捉えること
2.デカルトの心身二元論以来問題とされてきた「心の哲学」の基礎付けの問題を、他ならぬデカルト自身に立ち帰り解消すること
この2点である。前者は(単純化し過ぎだろうという批判はあれど)言い古されてきた話であるが、
後者は際立って斬新である。希代の哲学者達がこの問題故にデカルトを超克することを試みてきたのであるから、
とうの昔にこの問題がデカルト自身の「心身合一論」によって解決されていたという主張は、
たとえば私がwikiに書こうものなら即座に「独自研究」のレッテルを貼られるだろう。
これが遅れて来たデカルト擁護なのか、それとも真の考古学的発見なのかは、真摯な読者の判断に委ねられている。
ただこの本、確かにタイトルにも副題にも偽りナシなのだが、
タイトルに惹かれて手に取ってしまった人は、内容が「ゴツい」と感じること請け合いである。
というのも認知科学の成果ありきの後付けの一般向け哲学的論議ではなく、もろに哲学プロパーの人間が書いた哲学論考だからだ。
むしろこの本が対象としている読者は、最初に挙げたポイントからも明確なとおり
デカルトの心身二元論が提示する哲学的問題系に興味のある人々である。この点は留意されたい。
また、多くのレビュアーによって見過ごされていることであるが、
デカルトが可能にした自然科学という特殊な営為の特徴を平易に論じている点も本書の素晴らしい特徴であろう。
内容の濃密さと議論の明晰さ、主張の説得力には感服である。星5つ。
1.現代の自然科学の成功因をアリストテレス的自然観からデカルトの心身二元論的世界観への転換として捉えること
2.デカルトの心身二元論以来問題とされてきた「心の哲学」の基礎付けの問題を、他ならぬデカルト自身に立ち帰り解消すること
この2点である。前者は(単純化し過ぎだろうという批判はあれど)言い古されてきた話であるが、
後者は際立って斬新である。希代の哲学者達がこの問題故にデカルトを超克することを試みてきたのであるから、
とうの昔にこの問題がデカルト自身の「心身合一論」によって解決されていたという主張は、
たとえば私がwikiに書こうものなら即座に「独自研究」のレッテルを貼られるだろう。
これが遅れて来たデカルト擁護なのか、それとも真の考古学的発見なのかは、真摯な読者の判断に委ねられている。
ただこの本、確かにタイトルにも副題にも偽りナシなのだが、
タイトルに惹かれて手に取ってしまった人は、内容が「ゴツい」と感じること請け合いである。
というのも認知科学の成果ありきの後付けの一般向け哲学的論議ではなく、もろに哲学プロパーの人間が書いた哲学論考だからだ。
むしろこの本が対象としている読者は、最初に挙げたポイントからも明確なとおり
デカルトの心身二元論が提示する哲学的問題系に興味のある人々である。この点は留意されたい。
また、多くのレビュアーによって見過ごされていることであるが、
デカルトが可能にした自然科学という特殊な営為の特徴を平易に論じている点も本書の素晴らしい特徴であろう。
内容の濃密さと議論の明晰さ、主張の説得力には感服である。星5つ。
2009年8月17日に日本でレビュー済み
内容的にも唯物論への批判にしかなっていなくて微妙です。
つまり
科学が取り扱える対象には限定があるから心は科学によって物理現象には還元できず、よって心は存在する
というような議論で、では心(と身体の関係)をどう考えるのかというと「心身合一」、すなわち意思によって身体が動くのは実感によってわかるしかない、と論じています。そんな議論で満足する人はそもそも心の哲学なんかに興味を持たないんじゃないでしょうか?
つまり
科学が取り扱える対象には限定があるから心は科学によって物理現象には還元できず、よって心は存在する
というような議論で、では心(と身体の関係)をどう考えるのかというと「心身合一」、すなわち意思によって身体が動くのは実感によってわかるしかない、と論じています。そんな議論で満足する人はそもそも心の哲学なんかに興味を持たないんじゃないでしょうか?
2009年8月28日に日本でレビュー済み
本書は、科学の目的や規範を明らかにし、また、デカルトと現代の脳科学を往復して、科学的真理の客観性を肯定しながらも、デカルトの心身二元論に依拠し<科学的探究とは異質な次元のこととして>心や心的活動が存在するということを示す。
注意したいのは、デカルトはギリギリのところまで心を科学的に解明しようとしたことだ。そもそも最初に神経生理学や脳科学の構想を提示したのはデカルトだと言える。心を機械論的に考え、追いつめたが、今あるこの「意識経験」とのつながりがどうしてもわからなかったからこそ心身二元論を唱えたのだ。筆者が支持するのはここだ。
他のレビューでは「唯物論への批判」、「素朴に自然主義に対抗」と書かれていますが、筆者はむしろ脳科学・神経科学の意義を認めていて、主張したかったのは、脳科学は有意義だけど、それとは別次元の問題として心的活動を考えていこう、という科学的アプローチと哲学的アプローチの共存論ではないでしょうか。
筆者は前書きで「科学的真理の客観性や科学の進歩をはっきり肯定しながら、科学的探究とは別次元のこととして心や心的活動があると考えられる、ということである」と書いています。また、筆者は「この二つの事柄は両立するのであり、また両立させなければならない」とも述べています。
注意したいのは、デカルトはギリギリのところまで心を科学的に解明しようとしたことだ。そもそも最初に神経生理学や脳科学の構想を提示したのはデカルトだと言える。心を機械論的に考え、追いつめたが、今あるこの「意識経験」とのつながりがどうしてもわからなかったからこそ心身二元論を唱えたのだ。筆者が支持するのはここだ。
他のレビューでは「唯物論への批判」、「素朴に自然主義に対抗」と書かれていますが、筆者はむしろ脳科学・神経科学の意義を認めていて、主張したかったのは、脳科学は有意義だけど、それとは別次元の問題として心的活動を考えていこう、という科学的アプローチと哲学的アプローチの共存論ではないでしょうか。
筆者は前書きで「科学的真理の客観性や科学の進歩をはっきり肯定しながら、科学的探究とは別次元のこととして心や心的活動があると考えられる、ということである」と書いています。また、筆者は「この二つの事柄は両立するのであり、また両立させなければならない」とも述べています。
2009年4月6日に日本でレビュー済み
本書は日本を代表するデカルト研究者による、科学哲学と心の哲学の入門書だ。筆者の立場は、心を科学によって解明出来るとする自然主義に対抗するところに在る。
第一部ではまず、自然科学とはどういうものかが、17世紀の科学革命にまで遡って解明され、続く第二部では、第一部での科学の性格付けを受けて、なぜ科学では「心」は解明できないかが論じられる。
このように筆者の論述は手堅いが、その手堅さは「新書」というスタイルに、果たして馴染むものだろうか。もう少し読者の興味を引くような書き方が出来なかったのか残念だ。これではまるで「教科書」だ。読者は「新書」に対して「教科書」であることを望んでいるわけではないだろう。この分野にわずかばかりの興味しか持っていない人は、本書を通読することに苦痛を覚えるにちがいない。
勿論、本書は、哲学や科学に関心のある人にとっては必読書であることは間違いない。
第一部ではまず、自然科学とはどういうものかが、17世紀の科学革命にまで遡って解明され、続く第二部では、第一部での科学の性格付けを受けて、なぜ科学では「心」は解明できないかが論じられる。
このように筆者の論述は手堅いが、その手堅さは「新書」というスタイルに、果たして馴染むものだろうか。もう少し読者の興味を引くような書き方が出来なかったのか残念だ。これではまるで「教科書」だ。読者は「新書」に対して「教科書」であることを望んでいるわけではないだろう。この分野にわずかばかりの興味しか持っていない人は、本書を通読することに苦痛を覚えるにちがいない。
勿論、本書は、哲学や科学に関心のある人にとっては必読書であることは間違いない。
2011年1月26日に日本でレビュー済み
デカルトの現代性が蘇る。近代的自我の起源をさぐるとき、そして近代的な機械論的自然観の起源を探るとき、必ずデカルトの名前が登場する。本書によるとデカルトは、旧来のアリストテレスの自然学体系を乗り越えることを企図した。いかに乗り換えたかは、本書P30-P32、P72-P78に要約されているとおり。その要諦は、数学に代表される形式的理論を経験から独立した存在として参照し、その上で実験と検証を通し自然を把握する点にあるとされ、近代科学の規範論的特徴が指摘される。さらに、デカルトの心身二元論以来問題とされてきた心身問題のアポリアを、すでにデカルト当人も「心身合一論」として言及していたとする(P102-P104)。最後に様々な心を対象とする領域科学の特徴が整理され、デカルトの現代性が蘇る。必要最小限のコンパクトさだが安心感がある。是非、次の新書では、最後に軽く触れていた他我問題を取り上げて欲しいです。