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ネロ: 暴君誕生の条件 (中公新書 144) 新書 – 1967/10/1

4.7 5つ星のうち4.7 5個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 中央公論新社 (1967/10/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1967/10/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 新書 ‏ : ‎ 190ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4121001443
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4121001443
  • カスタマーレビュー:
    4.7 5つ星のうち4.7 5個の評価

カスタマーレビュー

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5つのうち4.7つ
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上位レビュー、対象国: 日本

2023年2月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
無くしてしまい、17年ぶりに読み返しましたが、前よりネロの心理的葛藤が分かりました。
2022年1月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ネロと言えば暴君の代表格としてまず挙がるが、本書は擁護するところがあり、特異な一書である。ネロを取り巻く環境が彼を変化させ、駆り立てていった、そして陽気で破廉恥なローマ人の気質を持ち、その根源のところでは市民の心情を代弁する存在だったのではないかという印象を持った。ネロの残忍性、放蕩、破天荒な振る舞いは、皇帝即位時にはなく、市民を想い善政を敷こうという意志があったのは意外だった。善悪だけでは割り切れない人物像が見えてくる。

後世の史料となるタキトゥスの『年代記』やスエトニウスの『皇帝列伝』、ディオ=カシウスの『ローマ史』によりネロの事績をたどることができる。ただいずれも同時代の一次史料ではなく、50年後、100年後に記された。ネロがキリスト教を迫害したのも、立場を不利にしていて、反キリスト教に対してキリスト教者は手厳しく批判する傾向がある。『ヨハネ黙示録』ではネロ、ぺテロ、パウロの名前こそ出ないが、それを匂わす文句があり、『年代記』より20年前に書かれたローマ司教クレメンスの手紙では、ぺテロとパウロの殉教について記されているという。
ところでこのころローマではギリシア神話の神々を引き継いで多神教で、その文化の中に小規模ながらユダヤ教が認められていた。ユダヤ教の場合、他の文化への影響力は限定的であったためである。しかしキリスト教の場合は、多くの市民に受け入れられ影響力が強かった。そのためキリスト教が危険視されたのかもしれないという。またネロの妃ポッパエアがユダヤ教信仰で、ネロにキリスト教迫害をけしかけたという推測もある。教義上のことからユダヤ教徒とキリスト教徒の抗争も見落とせない。
しかし不自然なのは、キリスト教迫害が法律に則ったものではなく、著者はその点に疑問を投げかけている。紀元前186年のバッカス礼拝弾圧、紀元後19年のユダヤ教徒とイシス教徒の追放では、元老院議会での議決があったが、ネロによる迫害の時はその記録がないという。元老院による決定など体裁にはこだわりのあったネロにしては珍しいことのようだ。

ネロにとっては母親アグリッピナの存在は脅威
だった。母親による権謀術数、夫クラウディウス帝の毒殺によって、ネロは王位につくことができた。そしてネロを操縦して統治しようという目論見もあった。しかし若き17歳のネロは当初はローマ市民のために善政を行おうと、独自の構想も持っていて、人気も高かった。属州からの税徴収をなくそうとしたことなどは面白いが、実際のところは、その税収をあてにしている元老院議員も多かったため、理想に燃える若気の至りだったのだろうか。ただ属州市民を直接苦しめていた徴税請負人の制度を廃止しようとして、それは周囲の反対にあったが制度改正は実施に至った。古代ローマは市民へのパンと見せ物の提供が文化的な特徴だが、その点でもネロはサービス精神旺盛だった。芸術、詩歌、歌唱など自ら舞台に立ってコンテストに優勝したが、それも皇帝への忖度。ネロはしかし忖度抜きに勝ちたいという思いがあったという。またパンを作るための小麦を属州から船で海上輸送していたが、嵐により沈没してパンの配給が滞るという問題があった。解決策としてネロはナポリ辺りからローマまで運河を掘ろうとした。ローマ・ナポリ間は225kmで、日本なら例えば大阪から金沢、という途方もない距離である。実際には造られなかったが、ローマの伝統、市民の食のために大胆に動いたのは、ネロ帝の見方が変わる逸話である。人気取りだけでこんな事業をやろうとするだろうか。

パウサニアスは『ギリシア案内記』で、ネロがコリントに地峡を掘り、コリントス湾とサロニコス湾を繋ごうとしたが途中で頓挫したことについて、大地を改変したことに神々の罰が下ったと述べている。しかし本書ではネロの前、ユリウスカエサルやガイウス(カリグラ)の時代にもその計画はあり、かねてより輸送上の利便性から求められていたために実施したと、冷静に見ている。またそれもネロ治世の末期で、ネロが憧れのギリシア生活から抜け出せず、逆にネロ不在のローマでは市民へのパンの配給が不十分になり不満が高まっていた。帰らざるを得なくなり、コリント地峡の開鑿は止まってしまったという。ちなみにこの地峡は1893年にようやくできた。大絶壁で高さ60~80m、距離約6300m。これを人力でやるのは確かに尋常ではない。大型船が崖の間を航行する様子は圧巻。
パウサニアスもタキトゥスもネロの時代から50年以降の五賢帝時代に生きた人でネロには批判的である。酒池肉林と母殺し、妻殺しの汚点はどう転んでも許しがたいことだったのだろう。現代の視点ではなおさらである。ただ本書のようにネロを取り巻く状況を冷静に見ていき、ライバルの抹殺を勧めてくるティゲリヌスの存在や権勢を利用しようとしてネロを利用する母アグリッピナや妻ポッパエワの存在を知ると、どうもネロばかりが悪者になるのはいかがかと思えてくる。
市民からの人気は、破天荒な見世物のような皇帝の姿が受けたのか、恐怖政治により市民は賛美を強要されたのか。

冷静に史料を読み解いて、暴君のレッテルに疑問符を投げかける、ワクワクする内容だった。今から50年以上前の本だが、有意義な読書だった(1993年ですでに25刷)。ネロ帝の破天荒な生きざまと相まって、定説に対する批判的論点からどんどん読めてしまう。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2018年5月31日に日本でレビュー済み
 本書のネロは、ハリウッド映画の「クオバディス」(ラテン語で「どこへゆく?」という意味です。)の世界です。ピーターユスチノフ演ずるネロ皇帝の暴君ぶりに圧倒された経験がよみがえります。
 でも、本年5月にみたEテレのネロ暴君説の検証で、ネロ暴君の決め手となったローマ時代の歴史家はいずれもネロと同時代人ではなく、ネロ暴君説の根拠となった歴史書は、伝聞によるものであるといういうことが明らかにされ、信憑性に問題があるということが提議されておりました。そのうえ、歴史家の出身は、ネロを敵視した貴族階級ですから、なおさら、問題です。
 養親クラウディウスの実子殺害、母親殺害、皇后殺害、ローマ大火の真犯人説の検討と論点をひとつずつ整理する丁寧な論考でとても説得力がありました。要するにいずれも根拠薄弱で決め手に欠けるというものです。キリスト教徒への迫害も例外ではありません。
 彼は最終的には歴史の敗者です。敗者の言葉は記録に残りません。だから彼の主張、抗弁は残されていないのです。
 実は、初期のローマ皇帝の権力基盤は脆弱で、元老院と軍部(正確に言えば、皇帝直属の近衛軍団。以下同じ。)の支持がなければ政権を維持できないシステムになっており、シーザーやアウグストゥスのようなカリスマ性のある人物でなければ、権力の維持は難しかったようです。
 もちろんネロにカリスマはありません。これを補うべく、彼は民衆の支持を重視し、パンとサーカスに公金を使いまくり、その穴埋めを、元老院の貴族階級からの増税でしのいでいたようです。肝心の貴族階級を敵に回す失策を犯したのです。これで元老院から敵視され、軍部への給料も滞りがちとなったことに加え、自らの宮殿をローマ大火の跡地に建設し、更なる財源を必要としたので、元老院との関係は破局し、最後通牒ともいうべき死刑宣告をされ、ローマ近郊の別荘で自害したようです。
 もちろん、その前にギリシャで、当時の貴族階級としては下賤とされていた俳優になって、色々な役を演じたことも元老院の怒りを買っていたようです。
 ネロにしてみれば、一種の人気取りで、それ以前の行為で元老院と軍部から相当睨まれていたという認識は乏しかったようです。
 「クオバディス」の世界が虚構であるという可能性の高い結論で、残念ではありますが、可能性の一つとして、受け入れざるを得ないでしょう。
 でも、歴史、それも古代史は、ある程度の娯楽性がないと、誰も興味を持って勉強しません。私は、ハリウッド映画の世界も堪能したうえで、問題点を緻密に検証したEテレの番組を評価したいと思います。いずれを取るかは、読者の判断に委ねます。
 ここまで拝読いただきありがとうございます。
 
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2019年9月21日に日本でレビュー済み
本棚整理してたら本書が出てきて、昔読んだ記憶はあるものの内容の記憶がなかったので再読しました.ネロ帝の生い立ちから即位までのいざこざ、即位後の善政、「母親殺し」に始まる恐怖政治への止むことのない傾斜、少し滑稽さすら感じるその最期まで、その記述は極めて濃密かつコンパクトです.ただ、ちょっと極端に書けば「いつ誰それが○○した」式の連続で、登場人物の性格もあまりわからず、ダイナミックな(はずの)史実が私にはやや平板に感じてしまいました.「フィクションとノンフィクションとの区別をつける」という執筆動機なので(著者は偉い学者さん)、史料に忠実に描くとそうならざるを得ないのかも知れません.ただ、例えば聖書の「使徒行伝」に出てくる総督ガリオがネロの家庭教師セネカの実の兄、などは本書で初めて知り、そうした聖書世界と同時代なんだと思うとこの時代に対する理解が少し深まった気がします.以下はあまり知識のない私の勝手な感想ですが、ローマ帝国というとその壮大な文化的遺産(映画等の創作物含む)から、とてもモダンな近代国家のようについ思ってしまうけど、実のところは拡大した古代多神教社会に過ぎず、普遍的な倫理規範が社会全体で深く共有された世界ではなかったのではないか、と想像してます.そう思うと、自分勝手な欲望の赴くままやりたい放題のネロも、それを制止できずに密告や陰謀で自殺を強要されるだらしのない重鎮達も、当時の社会によって作られた普通の人たちなのかなと思いました.私は例えば「ヨハネの黙示録」に描かれる「獣の数字666」=暴君ネロには一種の偉大さを感じたりもするのですが、そうした悪のイメージもアンチキリストに擬せられただけのフィクションかと思うとちょっと寂しい気がします(ファクトよりもフィクションの方が楽しい).本書の初版は昭和42年(1967年)でもう52年前の本ですが、記述に特に古びた感じはありません.私のは昭和62年の20版なので広く読まれたようです.ネロ帝に興味ある方にとっては基本情報を押さえるという意味では今でも読む値打ちあると思います.