「言語と思考を軸にして、非論理的といわれている日本語の論理を多くの素材を駆使して分析し、日本人のものの考え方、文化のあり方を、欧米のそれと比較しながらさぐる。」と裏表紙にある。それはそうなのだが・・・。
「跼蹐(きょくせき)」、「頡頏(けっこう)」を知った。「トラベラーズ・ヴァリュー」や、日本語におけるパラグラフの重要性については、再確認した。
非常に勉強になるのだが、普段の外山さんと違い、文に余裕がない。超真面目で、文章が固い。
日本語にしても、「・・・したらどうか?」と提案は多いが、具体的にどうしたらいいか分からない。
外山さんにしては、面白くない作品である。
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日本語の論理 (中公叢書) ペーパーバック – 1973/1/1
外山 滋比古
(著)
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社中央公論新社
- 発売日1973/1/1
- ISBN-104120003310
- ISBN-13978-4120003318
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (1973/1/1)
- 発売日 : 1973/1/1
- 言語 : 日本語
- ペーパーバック : 256ページ
- ISBN-10 : 4120003310
- ISBN-13 : 978-4120003318
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,189,349位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 4,309位日本語研究
- カスタマーレビュー:
著者について
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1923(大正12)年愛知県生れ。英文学者、文学博士、評論家、エッセイスト。東京文理科大学英文学科卒業後、同大学特別研修生修了。’51(昭和 26)年より、雑誌「英語青年」(現・web英語青年)編集長となる。その後、東京教育大学助教授、お茶の水女子大学教授を務め、’89(平成元)年、同大名誉教授。専門の英文学に始まり、思考、日本語論の分野で活躍を続ける。(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 日本語の作法 (ISBN-13: 978-4101328317)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年2月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「ホンマかいな」と思う部分もあるが、多くの示唆にあふれる名著。
語順と文順、名詞構文と動詞構文、線的論理と点的論理、曖昧さも論理の一種、
主語の欠落、視覚言語と聴覚言語、言文不一致、文章感覚の国民的合意不在、
型に入って型を出てこそ真の自由、断定を避けるための「…と思う」表現、
独語的・随想的・詠嘆的・抒情的散文、心理的距離感と人称語、煉瓦と豆腐、
冒頭重心性と末尾重心性、幾何学的思考と文学的思考、語学力と国際感覚、
反対と喧嘩の区別、云々・・・キーワード満載です。
語順と文順、名詞構文と動詞構文、線的論理と点的論理、曖昧さも論理の一種、
主語の欠落、視覚言語と聴覚言語、言文不一致、文章感覚の国民的合意不在、
型に入って型を出てこそ真の自由、断定を避けるための「…と思う」表現、
独語的・随想的・詠嘆的・抒情的散文、心理的距離感と人称語、煉瓦と豆腐、
冒頭重心性と末尾重心性、幾何学的思考と文学的思考、語学力と国際感覚、
反対と喧嘩の区別、云々・・・キーワード満載です。
2020年5月31日に日本でレビュー済み
文章力をあげたく、本田勝一著「日本語の作文技術」に紹介されていた本書を読んだ。
論理的でないとされる日本語は、欧米とは実は構造が違うためであって、決して非論理的ではない、ということは理解できた。
また、日本語には欧米とは異なる「はなしことば」と「書きことば」があること、漢字という文字そのものに意味を持たせていることなど、複雑さがあることを改めて理解した。
翻訳本の多くは、直訳ではないにしても、文章を盲目的に翻訳しているため、読みにくさが拭えないのは、これらの違いを踏まえいないためだろう。
最期に本書は多くの示唆を与えてくれるが、全般的にアカデミックな内容でで、本格的に語学としての日本語を学ぶ者でないと、なかなか理解はしづらいのも事実である。
論理的でないとされる日本語は、欧米とは実は構造が違うためであって、決して非論理的ではない、ということは理解できた。
また、日本語には欧米とは異なる「はなしことば」と「書きことば」があること、漢字という文字そのものに意味を持たせていることなど、複雑さがあることを改めて理解した。
翻訳本の多くは、直訳ではないにしても、文章を盲目的に翻訳しているため、読みにくさが拭えないのは、これらの違いを踏まえいないためだろう。
最期に本書は多くの示唆を与えてくれるが、全般的にアカデミックな内容でで、本格的に語学としての日本語を学ぶ者でないと、なかなか理解はしづらいのも事実である。
2013年2月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
昔の本であるが、驚くべき説得のある本である。論理で語りたい方に最適な一冊である。
2015年9月3日に日本でレビュー済み
自分は英語の勉強のためにこの本を買いました。英語と日本語を比較してどう違うのか知りたかったからです。
この本はエッセイ(2ページちょい)を集めた本です。視点がとてもおもしろく、現代でよくでてる表面だけの本とは一線を画しています。
よんで損になることはないでしょう。一言一言が重く意味のあるもので、260ページくらいの本ですが読むのは結構しんどかったです(1週間くらいかかりました)。言葉とは奥深く、まだまだ解明されていないものなのだと実感しました。
あっ、一応僕のこの本を買った目的を達成できたかと言えば、完全には達成できませんでした。英語と日本語の対比をしてどうこうというたぐいの話ではなく、日本語は他の自然言語と比較してどうなのか(ちまたでは論理性がないとなってますが、ちゃんとあります。ほかの言語とは表現が違うだけで)、ネイティブとして言語を習得することと第二言語として習得することの違い(第二言語でやる人もデメリットばかりではないようです)などを言及しており、いわば言語とはどうなってるのか、という言語自身に対する考察のような気がしました。
英語を学ぶ上でなにか得れたかと言えば表面上の知識は得れなかったと思います。しかし、今後言語を学んでいく上で大切なことを学んだと思います。
英語を勉強するというよりも言語および文化を学んでいくという指針も得れてよかったと思います。
この本はエッセイ(2ページちょい)を集めた本です。視点がとてもおもしろく、現代でよくでてる表面だけの本とは一線を画しています。
よんで損になることはないでしょう。一言一言が重く意味のあるもので、260ページくらいの本ですが読むのは結構しんどかったです(1週間くらいかかりました)。言葉とは奥深く、まだまだ解明されていないものなのだと実感しました。
あっ、一応僕のこの本を買った目的を達成できたかと言えば、完全には達成できませんでした。英語と日本語の対比をしてどうこうというたぐいの話ではなく、日本語は他の自然言語と比較してどうなのか(ちまたでは論理性がないとなってますが、ちゃんとあります。ほかの言語とは表現が違うだけで)、ネイティブとして言語を習得することと第二言語として習得することの違い(第二言語でやる人もデメリットばかりではないようです)などを言及しており、いわば言語とはどうなってるのか、という言語自身に対する考察のような気がしました。
英語を学ぶ上でなにか得れたかと言えば表面上の知識は得れなかったと思います。しかし、今後言語を学んでいく上で大切なことを学んだと思います。
英語を勉強するというよりも言語および文化を学んでいくという指針も得れてよかったと思います。
2008年9月25日に日本でレビュー済み
日本語は非論理的なのか? いやそれは早計に過ぎるのでは、という論旨から始まる。異なる言語には異なる論理の設定法があるのではないかという点、そして、口先の技術ではなく、言語表現に論理を与えるものとしてのレトリックを推奨している点は大いに頷けるものがあった。また、「会話さえできればそれでよい」という実学としての語学以外にも、思考の道具としての語学、文化的創造性を高める道具としての語学、教育の一環としての語学、という考え方にも納得させられた。徹底的に議論して対立点を確認し合意点を探るという姿勢をとらず、勝手に議論を収束させたり、適当なところで「大人の」判断を下すような日本人的姿勢に関する章は、今となっては新しさを感じないがいまだに重要な留意点。30年前の本でありながら、今でも十二分に有益な本。
2003年12月12日に日本でレビュー済み
「日本語は非論理的である」という通念に批判を投げかける好著。
英語を初めとする諸外国語の論理を筋道のはっきりとしている「線」に例えるならば、日本語のそれは省略が多く理解には推量を必要とする「点」の論理である と外山氏は言う。日本語が非論理的と言われるのは外国語文法を基準にして日本語をはかった弊害であり、寧ろ外国語とは別種の論理が日本語には働いているのである。では、その別種の論理とは…?
日本語の新しい可能性を示した一冊。読めば、きっと日本語が好きになると思います(^^)
英語を初めとする諸外国語の論理を筋道のはっきりとしている「線」に例えるならば、日本語のそれは省略が多く理解には推量を必要とする「点」の論理である と外山氏は言う。日本語が非論理的と言われるのは外国語文法を基準にして日本語をはかった弊害であり、寧ろ外国語とは別種の論理が日本語には働いているのである。では、その別種の論理とは…?
日本語の新しい可能性を示した一冊。読めば、きっと日本語が好きになると思います(^^)