第一次世界大戦以降の日本で、次に起こりうる戦争をどのように乗り越えるべきか?について、当時の陸軍軍人を中心に思想、理論、行動の視点から説明している。
陸軍が精神論にのめり込んでいったことに対する説明はなかなか面白かった。
タイトルにある未完、日本人であるが故に、当時の欧州とは異なるものだったという意味が分かる。
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未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命 (新潮選書) 単行本(ソフトカバー) – 2012/5/25
片山 杜秀
(著)
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昭和の軍人たちは何を考え、一九四五年の滅亡へと至ったのか。 天皇陛下万歳! 大正から昭和の敗戦へ――時代が下れば下るほど、近代化が進展すればするほど、日本人はなぜ神がかっていったのか? 皇道派 統制派、世界最終戦論、総力戦体制、そして一億玉砕……。第一次世界大戦に衝撃を受けた軍人たちの戦争哲学を読み解き、近代日本のアイロニカルな運命を一気に描き出す。
- ISBN-10410603705X
- ISBN-13978-4106037054
- 出版社新潮社
- 発売日2012/5/25
- 言語日本語
- 寸法12.8 x 2.4 x 19.1 cm
- 本の長さ352ページ
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未完のファシズム―「持たざる国」日本の運命― | 尊皇攘夷―水戸学の四百年― | |
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【新潮選書】片山杜秀 作品 | 天皇陛下万歳!大正から昭和の敗戦へと、日本人はなぜ神がかっていったのか。軍人の戦争哲学を読み解き、「持たざる国」日本の運命を描く。〈司馬遼太郎賞受賞〉 | 「水戸黄門」徳川光圀が天皇に理想国家の具現を見た中国人儒者・朱舜水を師と仰ぎ、尊皇思想が生まれる。幕末、挙国一致の攘夷を説く水戸の過激派・会沢正志斎の禁書『新論』が志士たちを感化し、倒幕への熱病が始まった。そして、三島由紀夫の自決も「天狗党の乱」に端を発していた。日本のナショナリズムの源流をすべて解き明かす! |
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2012/5/25)
- 発売日 : 2012/5/25
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 352ページ
- ISBN-10 : 410603705X
- ISBN-13 : 978-4106037054
- 寸法 : 12.8 x 2.4 x 19.1 cm
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- - 40位日本史ノンフィクション
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2023年7月30日に日本でレビュー済み
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.博覧強記な上に斬新な視点と大胆な分析、グイグイ読ませる文章で人気の著者だが、時にその断定調が気にならないこともない。「~ではないでしょうか」「~と思われます」「~のようです」、せいぜいが「~に違いありません」「~のはずです」「きっと~でしょう」に抑えるべきところ、「~なのです!」を連発するのに疑問が浮かぶことが屡々。
本書も、着眼点やアプローチには極めて興味深いものがあり、論旨も説得力豊かでうなずけるところ多々なのだが、同時にいささか飛躍気味、実証性に欠けるのではと引っかかる箇所がなきにしもあらず。スタンリー・キューブリック『突撃』などでも描かれた、第一次大戦に於ける「フランス陸軍の超肉弾主義」を招いたのは日露戦争での「日本的攻撃精神に対する憧憬」、「欧州列強は日露戦争の日本軍をモデルに戦っていたらしい」との説は、フランス軍将校の言などが傍証として引用されるため錯覚しがちだが、虚心に読めば、日本云々は我が国陸軍参謀本部刊『欧洲戦争叢書』第5巻『世界大戦ノ戦術的観察』(大正15年3月 偕行社)による総括。オラが国自慢の独り合点・手前ミソに過ぎない可能性は僅かながら排除出来ず、ここはフランス、それにやはり我が軍を手本にしたと著者が主張する当時のドイツやロシアの側がハッキリ名指しで「日本に倣え!」とした文献・史料を―もしあれば―示して欲しかったところ(以上、p.80-87)。先立つ章に於いて、日露戦時の我が軍の「強引な精神主義的戦闘法」「旺盛な精神力と捨て身の突撃」に感嘆しきりのクロパトキン(と、孫引きの形でトルストイ)の記を紹介してはいるものの、こちらは第一次大戦での青島攻略戦で機械化戦術に格段の進捗を見せた我が軍と対照させるため、のはず。上記の日本モデル説を補強するために著者があらかじめ印象操作を狙ったフシがないではないが、もしそうだとしても、ロシア―と云うかソ連―その他各国の近代的軍事思想を再転換させた論拠の一つとしては、やはりちょっと弱いように思う(以上、p.69-70)。個人的には、かの欧州大戦の悲惨な状況は、世界史上嘗てなかった規模の戦争には国民総動員の態勢で臨む他なく、従ってせっかくの近代兵器もとてもじゃないがすぐとは全線に行き亘らずで(1914年に始まった第一次大戦に戦車が初登場したのは’16年、実際に或る程度の戦果を挙げたのは翌’17年)、「差し当たり」「取り敢えず」の人海戦術に頼る仕儀と相成った…と云うことなのではないかと思うのだが。
「生きて虜囚の辱を受けず」の『戦陣訓』成立史も確かに興味深いが、あれが軍人一般のメンタリティや思考法をどれほど規定・規制したかについては諸説あり*、評者にはレビュー表題に掲げたエッセイ(新潮文庫『歴史と視点―私の雑記帖―』などに所収)で司馬―旧・帝国陸軍関東軍予備将校(少尉)―が「兵士たちのモラルや意識を拘束してついに横井氏のようなひとを出してしまったというほど重いものだったかどうかは、疑問である」「そういう刊行物とは無関係に軍隊社会は存在していた」「教材につかわれている現場を見たことがない」「幹部候補生試験などでも(中略)テスト材料にもなっていなかった」「ニュースとしてやかましく書き立てたのはむしろ新聞」「マスコミのから騒ぎ」などとニベもなく斬り捨てていたのが印象深く、もちろん本書の趣旨は、「持たざる国」の軍指導者達の苦悩が如何なる形を採って表れたか・何故ファシズムを志向したのか・何故その達成に失敗したかにあるわけだが、「『戦陣訓』ほど(中略)広く日本国民を呪縛したテキストはありますまい」「軍内での『戦陣訓』教育は徹底して行われ、国民一般にもさかんに紹介されました」「戦争末期には『一億玉砕』が全国家的に叫ばれるようになりましたが、その精神的準備は『戦陣訓』によってなされたと言っても大袈裟ではないでしょう」「『戦陣訓』が日米戦争時代の日本人の死生観に決定的影響を及ぼして『玉砕』や『神風』の背中を押したとすれば」(以上、p.261&276)等々、全体にバランスの取れた筆致の本書中この『戦陣訓』のくだりだけは親のカタキに遭ったみたいに熱のこもった糾弾調で、いささか脱線気味と云っていいくらい。それだけに司馬のクールな実見談との極端なズレが気になる。おそらく当時の実態としては、『戦陣訓』そのものはさほどの普及を見ないまま、「生きて虜囚の~」の一句だけが専ら口調の良さからあちこちで繰り返されるうちに独り歩きを始め、戦後の「アンポハンタイ」、もっと云えば「お客様は神様です」などと同じスローガンめいた「流行語」**として機能していたに過ぎず、またその「流行」ぶりも地域や部隊によって濃淡があったのではないか。本書と司馬との矛盾や温度差から戦争と云う巨大な現象の入り組んだ多面性・多元性を語り起こすことも出来そうだが、そのあたりを見過ごしたまま、アッツ島の玉砕を「『戦陣訓』の教えを実行したのです」(p.280)と躊躇なく云い切る本書の論旨に従っていると、『戦陣訓』こそ諸悪の根源、敗戦の最大の原因と短絡的に解する読者も出てきそう(そもそも「玉砕」なる語の我が国初出は西南戦争末期、薩摩私学校党の諸隊順達なのだが、本書にはその説明は見当たらないような…読み落しならご容赦のほどを)。上記のエッセイで司馬が警戒したのが「あのへんぺんたる小冊子がにわかに史的重量を増し、昭和十年代末期を覆っていた巨大な黒雲のように評価され」るが如きイビツな事態を招きがちな「原因と結果を明快にしたがる歴史的記述」―唯物史観に典型的な―なのだが、評者が時に一抹の危うさを感じる本書の著者も、そのテツをところどころで踏んでいるような気がする。
*秦郁彦『日本人捕虜- 白村江からシベリア抑留まで』(原書房、中公文庫)など。
**戦前・戦中の暗黒時代を象徴するかのように飽かず持ち出される「御真影」の過剰「奉護」・英語の使用禁止・竹槍訓練、いずれもやはり単なる「流行」で、国家の指導・主導によるものではなかった。
まあ、著者のみならず最近の物書きに少なくないこの思い切りのいい断言口調、知的抑制力の減退と云うより、外国語、特に英語表現の影響がより強くなってきた、その表れでもあるのか、と。「人間は考える葦である!」「優しくなければ生きる資格がない!」と云い切って「考える葦みたいなものだと思われる」「生きる資格がないのではないかと感じたりする」とは云わないのがアチラの言語文化で、原書、翻訳書を問わず、その独断的な論調に「ホントかね?」と当惑させられることがままある、それと似た感じが本書にもある、と云ってもいいのかも。
以上、いささかトッ散らかったレビューだが、気になったのはそんなところ。選書にしては厚めなので、出来れば索引もあればよかった。ただ、疑問点ばかりを挙げてしまったけれど、全体としては中身の濃い、最後まで興味深く読めた当たり本の一つ。関連して、官製イデオロギーに視点を絞った本書の補足ないし姉妹編として、より広い範囲で「未完のファシズム」国家の諸相を―こちらはより実証的ないしルポルタージュ風に―描いたベン・アミー・シロニー『WARTIME JAPAN ウォータイム ジャパン:ユダヤ人天皇学者が見た独裁なき権力の日本的構造』(五月書房)を紹介しておく。本書が面白かったら、あるいはちょっと物足りなかったら、こっちもオススメ。
なお、本書に『軍人勅諭』『教育勅語』についての論考がないのが気になる向きがあるかもしれないが、あれらは明治時代の産。前者は旧・憲法も公布されていない早い時期、西南戦争の戦後処理がきっかけとなって出されたもの、後者は憲法公布の翌年で、第一次大戦以後を対象とする本書の趣旨からは外れる(そのせいで舌足らずになった部分も本書にはあるのではないか)。前者―「朕󠄂は汝等軍人の大元帥なるぞ」―の成立については、小説では松本清張『象徴の設計』(文春文庫、その他)が面白く読めた。
本書も、着眼点やアプローチには極めて興味深いものがあり、論旨も説得力豊かでうなずけるところ多々なのだが、同時にいささか飛躍気味、実証性に欠けるのではと引っかかる箇所がなきにしもあらず。スタンリー・キューブリック『突撃』などでも描かれた、第一次大戦に於ける「フランス陸軍の超肉弾主義」を招いたのは日露戦争での「日本的攻撃精神に対する憧憬」、「欧州列強は日露戦争の日本軍をモデルに戦っていたらしい」との説は、フランス軍将校の言などが傍証として引用されるため錯覚しがちだが、虚心に読めば、日本云々は我が国陸軍参謀本部刊『欧洲戦争叢書』第5巻『世界大戦ノ戦術的観察』(大正15年3月 偕行社)による総括。オラが国自慢の独り合点・手前ミソに過ぎない可能性は僅かながら排除出来ず、ここはフランス、それにやはり我が軍を手本にしたと著者が主張する当時のドイツやロシアの側がハッキリ名指しで「日本に倣え!」とした文献・史料を―もしあれば―示して欲しかったところ(以上、p.80-87)。先立つ章に於いて、日露戦時の我が軍の「強引な精神主義的戦闘法」「旺盛な精神力と捨て身の突撃」に感嘆しきりのクロパトキン(と、孫引きの形でトルストイ)の記を紹介してはいるものの、こちらは第一次大戦での青島攻略戦で機械化戦術に格段の進捗を見せた我が軍と対照させるため、のはず。上記の日本モデル説を補強するために著者があらかじめ印象操作を狙ったフシがないではないが、もしそうだとしても、ロシア―と云うかソ連―その他各国の近代的軍事思想を再転換させた論拠の一つとしては、やはりちょっと弱いように思う(以上、p.69-70)。個人的には、かの欧州大戦の悲惨な状況は、世界史上嘗てなかった規模の戦争には国民総動員の態勢で臨む他なく、従ってせっかくの近代兵器もとてもじゃないがすぐとは全線に行き亘らずで(1914年に始まった第一次大戦に戦車が初登場したのは’16年、実際に或る程度の戦果を挙げたのは翌’17年)、「差し当たり」「取り敢えず」の人海戦術に頼る仕儀と相成った…と云うことなのではないかと思うのだが。
「生きて虜囚の辱を受けず」の『戦陣訓』成立史も確かに興味深いが、あれが軍人一般のメンタリティや思考法をどれほど規定・規制したかについては諸説あり*、評者にはレビュー表題に掲げたエッセイ(新潮文庫『歴史と視点―私の雑記帖―』などに所収)で司馬―旧・帝国陸軍関東軍予備将校(少尉)―が「兵士たちのモラルや意識を拘束してついに横井氏のようなひとを出してしまったというほど重いものだったかどうかは、疑問である」「そういう刊行物とは無関係に軍隊社会は存在していた」「教材につかわれている現場を見たことがない」「幹部候補生試験などでも(中略)テスト材料にもなっていなかった」「ニュースとしてやかましく書き立てたのはむしろ新聞」「マスコミのから騒ぎ」などとニベもなく斬り捨てていたのが印象深く、もちろん本書の趣旨は、「持たざる国」の軍指導者達の苦悩が如何なる形を採って表れたか・何故ファシズムを志向したのか・何故その達成に失敗したかにあるわけだが、「『戦陣訓』ほど(中略)広く日本国民を呪縛したテキストはありますまい」「軍内での『戦陣訓』教育は徹底して行われ、国民一般にもさかんに紹介されました」「戦争末期には『一億玉砕』が全国家的に叫ばれるようになりましたが、その精神的準備は『戦陣訓』によってなされたと言っても大袈裟ではないでしょう」「『戦陣訓』が日米戦争時代の日本人の死生観に決定的影響を及ぼして『玉砕』や『神風』の背中を押したとすれば」(以上、p.261&276)等々、全体にバランスの取れた筆致の本書中この『戦陣訓』のくだりだけは親のカタキに遭ったみたいに熱のこもった糾弾調で、いささか脱線気味と云っていいくらい。それだけに司馬のクールな実見談との極端なズレが気になる。おそらく当時の実態としては、『戦陣訓』そのものはさほどの普及を見ないまま、「生きて虜囚の~」の一句だけが専ら口調の良さからあちこちで繰り返されるうちに独り歩きを始め、戦後の「アンポハンタイ」、もっと云えば「お客様は神様です」などと同じスローガンめいた「流行語」**として機能していたに過ぎず、またその「流行」ぶりも地域や部隊によって濃淡があったのではないか。本書と司馬との矛盾や温度差から戦争と云う巨大な現象の入り組んだ多面性・多元性を語り起こすことも出来そうだが、そのあたりを見過ごしたまま、アッツ島の玉砕を「『戦陣訓』の教えを実行したのです」(p.280)と躊躇なく云い切る本書の論旨に従っていると、『戦陣訓』こそ諸悪の根源、敗戦の最大の原因と短絡的に解する読者も出てきそう(そもそも「玉砕」なる語の我が国初出は西南戦争末期、薩摩私学校党の諸隊順達なのだが、本書にはその説明は見当たらないような…読み落しならご容赦のほどを)。上記のエッセイで司馬が警戒したのが「あのへんぺんたる小冊子がにわかに史的重量を増し、昭和十年代末期を覆っていた巨大な黒雲のように評価され」るが如きイビツな事態を招きがちな「原因と結果を明快にしたがる歴史的記述」―唯物史観に典型的な―なのだが、評者が時に一抹の危うさを感じる本書の著者も、そのテツをところどころで踏んでいるような気がする。
*秦郁彦『日本人捕虜- 白村江からシベリア抑留まで』(原書房、中公文庫)など。
**戦前・戦中の暗黒時代を象徴するかのように飽かず持ち出される「御真影」の過剰「奉護」・英語の使用禁止・竹槍訓練、いずれもやはり単なる「流行」で、国家の指導・主導によるものではなかった。
まあ、著者のみならず最近の物書きに少なくないこの思い切りのいい断言口調、知的抑制力の減退と云うより、外国語、特に英語表現の影響がより強くなってきた、その表れでもあるのか、と。「人間は考える葦である!」「優しくなければ生きる資格がない!」と云い切って「考える葦みたいなものだと思われる」「生きる資格がないのではないかと感じたりする」とは云わないのがアチラの言語文化で、原書、翻訳書を問わず、その独断的な論調に「ホントかね?」と当惑させられることがままある、それと似た感じが本書にもある、と云ってもいいのかも。
以上、いささかトッ散らかったレビューだが、気になったのはそんなところ。選書にしては厚めなので、出来れば索引もあればよかった。ただ、疑問点ばかりを挙げてしまったけれど、全体としては中身の濃い、最後まで興味深く読めた当たり本の一つ。関連して、官製イデオロギーに視点を絞った本書の補足ないし姉妹編として、より広い範囲で「未完のファシズム」国家の諸相を―こちらはより実証的ないしルポルタージュ風に―描いたベン・アミー・シロニー『WARTIME JAPAN ウォータイム ジャパン:ユダヤ人天皇学者が見た独裁なき権力の日本的構造』(五月書房)を紹介しておく。本書が面白かったら、あるいはちょっと物足りなかったら、こっちもオススメ。
なお、本書に『軍人勅諭』『教育勅語』についての論考がないのが気になる向きがあるかもしれないが、あれらは明治時代の産。前者は旧・憲法も公布されていない早い時期、西南戦争の戦後処理がきっかけとなって出されたもの、後者は憲法公布の翌年で、第一次大戦以後を対象とする本書の趣旨からは外れる(そのせいで舌足らずになった部分も本書にはあるのではないか)。前者―「朕󠄂は汝等軍人の大元帥なるぞ」―の成立については、小説では松本清張『象徴の設計』(文春文庫、その他)が面白く読めた。
2023年12月7日に日本でレビュー済み
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自分の中の第二次世界大戦までの迷路に新しい燈が灯りました。多田駿大佐の伝記、賊軍の昭和史と合わせて読むと教えられてきた近代史とは別の流れが見えてきます。平和主義の謎を解くにはとても良い参考書だと思います。
2024年3月26日に日本でレビュー済み
著者は、昭和の陸軍軍人は、第一次世界大戦の実態を冷静に把握し、「日本は大国と物量で戦うことは不可能なので、資源に頼らず精神主義と奇襲で戦うしかない」と考えて精神主義に突き進んだ、と主張する。そして、「大国と戦っても勝てない」という本音が隠されたため、精神主義で英米と戦う最悪の結果に至ったとする。
この筆者の主張は説得力がない。もし本当にこのような考えなら、「大国には勝てない」ことを示さないのは立案者として全く不誠実・無責任である。戦争の結果に直結する重要な事項を伝達せずに秘匿することは極めて不自然である。そして、筆者の主張が正しいなら軍部こそが英米との戦争に強く反対すべきだが、事実は全く逆である。軍部の高官が心から英米と戦っても勝てないと思っていたなら、開戦反対を叫ぶはずだが、それもなかった。筆者の主張は、「陸軍は第一次世界大戦の教訓を十分生かせず無謀な戦争に突入した」という従来の視点に十分反論したとは言えない。
一方、本書の題名にもなった「未完のファシズム」の指摘は非常に重要と感じる。明治憲法下では権力が分散され、一つの組織が国家全体を支配できないようになっており、「ファシズム」と呼ばれるような強力な統制はできなかった、という指摘は、大政翼賛会がまとまりのない弱体な組織だったとする他の研究成果とも合致しており、妥当と考えられる(『昭和史研究の最前線』第12章)。ここから、日本が無謀な戦争を行った理由は、国家の全体運営を行う組織が存在しなかったので、政府が軍部の主戦論を抑えることができなかったからだ、という説が導き出される。
明治憲法が抱えたシステム的な欠陥が太平洋戦争の要因になった、と指摘したことほうが、日本陸軍の精神主義は「持たざる国」の立場を強く認識した結果である、という本書の主張よりも重要で、インパクトも大きいのではないか。
この筆者の主張は説得力がない。もし本当にこのような考えなら、「大国には勝てない」ことを示さないのは立案者として全く不誠実・無責任である。戦争の結果に直結する重要な事項を伝達せずに秘匿することは極めて不自然である。そして、筆者の主張が正しいなら軍部こそが英米との戦争に強く反対すべきだが、事実は全く逆である。軍部の高官が心から英米と戦っても勝てないと思っていたなら、開戦反対を叫ぶはずだが、それもなかった。筆者の主張は、「陸軍は第一次世界大戦の教訓を十分生かせず無謀な戦争に突入した」という従来の視点に十分反論したとは言えない。
一方、本書の題名にもなった「未完のファシズム」の指摘は非常に重要と感じる。明治憲法下では権力が分散され、一つの組織が国家全体を支配できないようになっており、「ファシズム」と呼ばれるような強力な統制はできなかった、という指摘は、大政翼賛会がまとまりのない弱体な組織だったとする他の研究成果とも合致しており、妥当と考えられる(『昭和史研究の最前線』第12章)。ここから、日本が無謀な戦争を行った理由は、国家の全体運営を行う組織が存在しなかったので、政府が軍部の主戦論を抑えることができなかったからだ、という説が導き出される。
明治憲法が抱えたシステム的な欠陥が太平洋戦争の要因になった、と指摘したことほうが、日本陸軍の精神主義は「持たざる国」の立場を強く認識した結果である、という本書の主張よりも重要で、インパクトも大きいのではないか。
2024年4月14日に日本でレビュー済み
本書は、大正および昭和戦前の政治・軍事史について、これまでにない、全く新しい視点を提示することに成功していると思います。
日中戦争から太平洋戦争に至る、我が国の軍事戦略と言うと「勝算なき竹槍戦法」と言うイメージがありますが、本書が力説しているのは「大正・昭和戦前の軍人が構想した軍事戦略は(見解の対立があったとはいえ)元々は、それなりに理に適っていた」と言う事です。
事の始まりは第一次世界大戦でした。大国同士の4年にもわたる総力戦・消耗戦に、軍人さんは、みんなショックを受けたんだそうです。
少なくとも「おんなじ事を日本では出来ないよ。やったら亡国だ」と言う危機感は共有されていた。
では、どうすれば良いのか?
一つの解は「限定戦争論」平たく言えば、短期決戦論です。この論の代表選手は、小畑敏四郎(1885~1947)だそうです。
「攻撃対象・戦場・戦法を限定した、短期決戦で勝つ。仮想敵国はソ連だ。」
そういう考え方です。
もう一つの解は「世界最終戦争論」です。これは、かなりイッちゃってます。この論の代表選手は、石原莞爾(1889~1949)だそうです。
「世界最終戦争は避けられない。大量破壊兵器により、世界の人口は半分になってしまうかもしれないが、もちろん大日本帝国は勝ち残り、全人類は解放されるだろう・・・・。」
だから中国から満蒙を奪って、日本の国力を養っておけと言う論法です。アニメかゲームみたいな世界観ですねえ。
ここで注意しておくべきは、どちらの論もアメリカを仮想敵国にはしていないと言う事です。「アメリカ相手の戦争なんて論外だ」この点は共有されていました。
繰り返しますが、限定戦争論も、世界最終戦争論も、どちらも(一応は)理に適っています。でも、現実の軍事戦略は、そのどちらでもない、なんだか訳の分からない物に成ってしまいました。その理由とは?
第一に、世界恐慌(1929)と、それに伴う中産階級・中小地主の没落、そして労働者・農民の反資本的攻勢に対し、当時の二大保守政党(政友会、民政党)が、なす術を知らなかったからです。誰の目で見ても、無責任そのものだったのです。
第二に、満州事変(1931)に対する国際社会の反発が、予想以上にキツかったと言う事。
第三に、日本のファシズムは、結局のところ、中途ハンパなもので終わってしまったと言う事です。ずいぶんと肌合いの違う、二つの大きな流れがあったからです。
一方には「天皇陛下を担いで社会主義をやろうじゃないか」と言う農本ファシズムの流れがありました。でも、国民の支持を得られたのは、ほんの一時だけ。底が浅いのを、すぐ見抜かれてしまったのです。
もう片方には、「ドイツ・イタリア流のファシズムを直輸入しようじゃないか」と言う流れもありました。この人たちは、思想的にはマルクス、ナチス、ヘーゲル、カント等のごった煮で、人脈的には、陸軍統制派、海軍、革新官僚(隠れ左翼の計画経済論者)、京都学派の哲学者、軍にすり寄った社会民主主義者等の寄り合い所帯でした。
この二つの流れのまとまりの悪さは、結局、最後まで克服できませんでした。
第四に、戦略的な見通しを持っているほどの軍人は、陸軍内部の足の引っぱりあいのため、ある者は主流から外され、ある者は陸軍を去り、ある者は危険な戦地に飛ばされて戦死し、ある者は、白昼堂々、暗殺されてしまったと言う事です。
第五に、そんなこんなで軍の統制は乱れ、中央の意向の無視、つまり、軍隊内の下克上が横行するようになったと言う事です。平たく言えば「やったモン勝ち」です。
盧溝橋事件(1937)も、北部仏印進駐(1940)も、現場指揮官の冒険主義に、中央が引きずられた結果。いわば自業自得なのだそうです。
良く知られているとおり、北部仏印進駐に続く、南部仏印進駐(1941)という暴挙が、日本とアメリカが、平和の内に取り引きする最後のチャンスを吹き飛ばしてしまいました。
これでは我が国の軍事戦略が「行き当たりばったり」に成ってしまうのは当然です。
結局、日本の軍事戦略は「味噌ラーメンと塩ラーメンを足して2で割った」みたいな竹槍戦法に行き着いてしまいました。
「世界中を敵に回して、短期決戦をやれ。戦争と国力増強とを、車の両輪でやれ。どうしたら良いかは、走りながら考えろ。武器がなければ、竹槍で突っ込め」などと言う、支離滅裂なラッパを吹かない限り、すでにボロボロになっていた軍事戦略の、取り繕いようがなかったのです。
とうとう「バンザイ突撃」バンザイ論みたいなのも登場します。この論の代表選手は、中柴末純(1873~1945)でそうです。その説くところは、
「小国日本に、短期決戦も、世界最終戦争もあるものか。総力戦になれば、どの道、勝算などあろうはずもないのだ。天皇陛下に『行って死んでこい』と言われたら、迷わずそうするだけだ。どんどん死んで、敵をビビらせれば、勝機もつかめる。天皇陛下お一人がご無事なら、日本は敗けても勝ちなのだ。」
確かに、米軍はビビらされました。沖縄の地上戦で、軍民一体となって行なわれた特攻に。
その結果、アメリカが出して来たのが原爆です。バンザイ突撃で原爆に勝てますか?
世に言う「天皇制ファシズム」あるいは「軍国主義」とは、国家が合理的な戦略を失った果ての、理念なき漂流の結果だったような気がします。
だれが加害者で、だれが被害者なのか。だれが騙して、だれが騙されたのかすら、ハッキリしないように見えます。
ファシズムとは、暴力に対する政治の敗北であり、無分別に対する分別の敗北のことだと、つくづく思います。
人間同様、民主主義もまた、病に倒れることがあるのです。
日中戦争から太平洋戦争に至る、我が国の軍事戦略と言うと「勝算なき竹槍戦法」と言うイメージがありますが、本書が力説しているのは「大正・昭和戦前の軍人が構想した軍事戦略は(見解の対立があったとはいえ)元々は、それなりに理に適っていた」と言う事です。
事の始まりは第一次世界大戦でした。大国同士の4年にもわたる総力戦・消耗戦に、軍人さんは、みんなショックを受けたんだそうです。
少なくとも「おんなじ事を日本では出来ないよ。やったら亡国だ」と言う危機感は共有されていた。
では、どうすれば良いのか?
一つの解は「限定戦争論」平たく言えば、短期決戦論です。この論の代表選手は、小畑敏四郎(1885~1947)だそうです。
「攻撃対象・戦場・戦法を限定した、短期決戦で勝つ。仮想敵国はソ連だ。」
そういう考え方です。
もう一つの解は「世界最終戦争論」です。これは、かなりイッちゃってます。この論の代表選手は、石原莞爾(1889~1949)だそうです。
「世界最終戦争は避けられない。大量破壊兵器により、世界の人口は半分になってしまうかもしれないが、もちろん大日本帝国は勝ち残り、全人類は解放されるだろう・・・・。」
だから中国から満蒙を奪って、日本の国力を養っておけと言う論法です。アニメかゲームみたいな世界観ですねえ。
ここで注意しておくべきは、どちらの論もアメリカを仮想敵国にはしていないと言う事です。「アメリカ相手の戦争なんて論外だ」この点は共有されていました。
繰り返しますが、限定戦争論も、世界最終戦争論も、どちらも(一応は)理に適っています。でも、現実の軍事戦略は、そのどちらでもない、なんだか訳の分からない物に成ってしまいました。その理由とは?
第一に、世界恐慌(1929)と、それに伴う中産階級・中小地主の没落、そして労働者・農民の反資本的攻勢に対し、当時の二大保守政党(政友会、民政党)が、なす術を知らなかったからです。誰の目で見ても、無責任そのものだったのです。
第二に、満州事変(1931)に対する国際社会の反発が、予想以上にキツかったと言う事。
第三に、日本のファシズムは、結局のところ、中途ハンパなもので終わってしまったと言う事です。ずいぶんと肌合いの違う、二つの大きな流れがあったからです。
一方には「天皇陛下を担いで社会主義をやろうじゃないか」と言う農本ファシズムの流れがありました。でも、国民の支持を得られたのは、ほんの一時だけ。底が浅いのを、すぐ見抜かれてしまったのです。
もう片方には、「ドイツ・イタリア流のファシズムを直輸入しようじゃないか」と言う流れもありました。この人たちは、思想的にはマルクス、ナチス、ヘーゲル、カント等のごった煮で、人脈的には、陸軍統制派、海軍、革新官僚(隠れ左翼の計画経済論者)、京都学派の哲学者、軍にすり寄った社会民主主義者等の寄り合い所帯でした。
この二つの流れのまとまりの悪さは、結局、最後まで克服できませんでした。
第四に、戦略的な見通しを持っているほどの軍人は、陸軍内部の足の引っぱりあいのため、ある者は主流から外され、ある者は陸軍を去り、ある者は危険な戦地に飛ばされて戦死し、ある者は、白昼堂々、暗殺されてしまったと言う事です。
第五に、そんなこんなで軍の統制は乱れ、中央の意向の無視、つまり、軍隊内の下克上が横行するようになったと言う事です。平たく言えば「やったモン勝ち」です。
盧溝橋事件(1937)も、北部仏印進駐(1940)も、現場指揮官の冒険主義に、中央が引きずられた結果。いわば自業自得なのだそうです。
良く知られているとおり、北部仏印進駐に続く、南部仏印進駐(1941)という暴挙が、日本とアメリカが、平和の内に取り引きする最後のチャンスを吹き飛ばしてしまいました。
これでは我が国の軍事戦略が「行き当たりばったり」に成ってしまうのは当然です。
結局、日本の軍事戦略は「味噌ラーメンと塩ラーメンを足して2で割った」みたいな竹槍戦法に行き着いてしまいました。
「世界中を敵に回して、短期決戦をやれ。戦争と国力増強とを、車の両輪でやれ。どうしたら良いかは、走りながら考えろ。武器がなければ、竹槍で突っ込め」などと言う、支離滅裂なラッパを吹かない限り、すでにボロボロになっていた軍事戦略の、取り繕いようがなかったのです。
とうとう「バンザイ突撃」バンザイ論みたいなのも登場します。この論の代表選手は、中柴末純(1873~1945)でそうです。その説くところは、
「小国日本に、短期決戦も、世界最終戦争もあるものか。総力戦になれば、どの道、勝算などあろうはずもないのだ。天皇陛下に『行って死んでこい』と言われたら、迷わずそうするだけだ。どんどん死んで、敵をビビらせれば、勝機もつかめる。天皇陛下お一人がご無事なら、日本は敗けても勝ちなのだ。」
確かに、米軍はビビらされました。沖縄の地上戦で、軍民一体となって行なわれた特攻に。
その結果、アメリカが出して来たのが原爆です。バンザイ突撃で原爆に勝てますか?
世に言う「天皇制ファシズム」あるいは「軍国主義」とは、国家が合理的な戦略を失った果ての、理念なき漂流の結果だったような気がします。
だれが加害者で、だれが被害者なのか。だれが騙して、だれが騙されたのかすら、ハッキリしないように見えます。
ファシズムとは、暴力に対する政治の敗北であり、無分別に対する分別の敗北のことだと、つくづく思います。
人間同様、民主主義もまた、病に倒れることがあるのです。