色川・阿佐田作品は代表作である麻雀放浪記や狂人日記、怪しい来客簿や随筆など
読みましたが、確かに評判通りおもしろいなと思う部分がありながらも、
どうにもあまり好みの文体ではなく、正直なところどれもしっくりきませんでした。
そうしてずっと放置していて処分するか迷っていたこの「百」を
表題作だけでも読んでみるかとぱらぱらめくってみると、
私小説としての文章力に圧倒されてしまい、すべての収録作を一気に読んでしまいました。
テーマだけなら似通っている話が多いですが、どの話も不気味さや哀切による魅力があり
必ず父親が強大な支配力によって家族を縛り付けるほどの影響を及ぼしています。
私にとって「百」は色川武大の作品のなかでとびぬけて素晴らしい作品に感じました。
なかでも最後の「永日」はそれまでの作品が収斂したような出来で圧巻でした。
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百 (新潮文庫) 文庫 – 1990/1/29
色川 武大
(著)
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百歳を前にして老耄の始まった元軍人の父親と、無頼の日々を過してきた私との異様な親子関係。急逝した著者の純文学遺作集。
- 本の長さ261ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1990/1/29
- 寸法14.8 x 10.5 x 2 cm
- ISBN-104101270031
- ISBN-13978-4101270036
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (1990/1/29)
- 発売日 : 1990/1/29
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 261ページ
- ISBN-10 : 4101270031
- ISBN-13 : 978-4101270036
- 寸法 : 14.8 x 10.5 x 2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 45,602位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年5月29日に日本でレビュー済み
「麻雀放浪記」が映画化されたようで、久しぶりにあの口調といいますか、あの文体といいますか、無頼な雰囲気を味わいたくなり、手近にあった本書を再読です。
本書については読んだのが大学時代で、30数年前なのですが、改めて読み返してみると、随分と違った印象が残りました。月並みですが、主人公の年齢を自分が少し越したくらいになったからで、幻想的な要素も織り込まれてはいますが、なかなかしんどいシチュエーションであったり、身につまされるエピソードであったりにページをめくる手が進まなかったです。
本書については読んだのが大学時代で、30数年前なのですが、改めて読み返してみると、随分と違った印象が残りました。月並みですが、主人公の年齢を自分が少し越したくらいになったからで、幻想的な要素も織り込まれてはいますが、なかなかしんどいシチュエーションであったり、身につまされるエピソードであったりにページをめくる手が進まなかったです。
2011年7月28日に日本でレビュー済み
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弟がいて、父親がいて、母親がいて。
どの短編にも、
著者の生が根づいている。
幻覚が見えたり、父親と対立したり。
異常といってしまえば、
それまでのような生にありながら、
結局のところ、赦せているのかもしれない。
自分も、家族も。
“玉葱の皮を剥くようにして、我々の内心を剥いていくと、ひと皮ずついろんなものが現れますね。内心とひとくにちいっても、概念的なところもあるし、前代から受けついだようなものもある。それを身幅の中に入れて自分の心にしているわけでしょう。そうして大方は、芯まで剥きません。剥くのを中止したり、死んだりしてしまうわけです。父親は、自分で芯まで剥いていくのです。そうして芯のところに、穴掘りというちゃんとした具体があるのですね。僕ははじめて、本当に父親を怖ろしく思いました。”
どの短編にも、
著者の生が根づいている。
幻覚が見えたり、父親と対立したり。
異常といってしまえば、
それまでのような生にありながら、
結局のところ、赦せているのかもしれない。
自分も、家族も。
“玉葱の皮を剥くようにして、我々の内心を剥いていくと、ひと皮ずついろんなものが現れますね。内心とひとくにちいっても、概念的なところもあるし、前代から受けついだようなものもある。それを身幅の中に入れて自分の心にしているわけでしょう。そうして大方は、芯まで剥きません。剥くのを中止したり、死んだりしてしまうわけです。父親は、自分で芯まで剥いていくのです。そうして芯のところに、穴掘りというちゃんとした具体があるのですね。僕ははじめて、本当に父親を怖ろしく思いました。”
2019年2月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
前から人と人との関係性や距離について考えていて、加えてこの頃は遺伝子、というか昔風に言うと血のことを考えていて。
まあ、ひと言で言うと家族について考えたり感じたりすることが多くなってきた。
そんな時にこの作品集を読んで、無意識のうちに今の心もちに近い本を手にしてしまうのだなあと思いつつ、どっぷり嵌まったり心臓を掴まれたりした。
裏表紙の紹介文に“異様な親子関係”とあるけれど、それはどこにでもある関係性なのではないか。
それをちゃんと見ていないのではないか、あるいは目を背けているのではないか、もしくは気づいていないだけではないか。
そんなことを思う。
そんなことを思いながら読むとかなりキツい小説、ということになるのだけれど、色川さんの文章はギリギリと読む者を追いつめていながらどこかポカリと空いている。
間、というか、潮目、というかリズムがふっと変わる瞬間がある。
そのあたりが息苦しさを感じつづけることなく作品を読み切れる理由であり、色川作品の魅力なのかなあと思う。
まあ、ひと言で言うと家族について考えたり感じたりすることが多くなってきた。
そんな時にこの作品集を読んで、無意識のうちに今の心もちに近い本を手にしてしまうのだなあと思いつつ、どっぷり嵌まったり心臓を掴まれたりした。
裏表紙の紹介文に“異様な親子関係”とあるけれど、それはどこにでもある関係性なのではないか。
それをちゃんと見ていないのではないか、あるいは目を背けているのではないか、もしくは気づいていないだけではないか。
そんなことを思う。
そんなことを思いながら読むとかなりキツい小説、ということになるのだけれど、色川さんの文章はギリギリと読む者を追いつめていながらどこかポカリと空いている。
間、というか、潮目、というかリズムがふっと変わる瞬間がある。
そのあたりが息苦しさを感じつづけることなく作品を読み切れる理由であり、色川作品の魅力なのかなあと思う。
2011年10月27日に日本でレビュー済み
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わたしも「いねむり先生」を読んでからこちらを買ったくちだ。
本物の'無頼'とはこういうものか。
顔に傷をつけられたり、勝ち逃げを恨まれてボコボコにされたりといったエピソードが、さらっと端っこだけ書かれている。
相当無茶をした人だ。
父との確執、愛憎をめぐって淡々とつむがれる文章。ああ、これが本物の「生きづらさ」だ。
猫や猿の形をとって現われる狂気・幻覚・幻聴。
「いねむり先生」で他者から描かれた姿とともにとらえると、この人の形が、よりはっきりと見えてくる。
本物の'無頼'とはこういうものか。
顔に傷をつけられたり、勝ち逃げを恨まれてボコボコにされたりといったエピソードが、さらっと端っこだけ書かれている。
相当無茶をした人だ。
父との確執、愛憎をめぐって淡々とつむがれる文章。ああ、これが本物の「生きづらさ」だ。
猫や猿の形をとって現われる狂気・幻覚・幻聴。
「いねむり先生」で他者から描かれた姿とともにとらえると、この人の形が、よりはっきりと見えてくる。
2016年7月28日に日本でレビュー済み
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4編の短編で主に父親との関係についての作家の内面が描かれている。
本来は言葉では説明しづらい愛憎交錯した複雑な心情を
ここまで丁寧に描写できる筆致は作家の類まれなる才能だろう。
麻雀などのアウトロー作家だとばかり思っていたが、堂々とした純文学作家である。
特異な境遇を生きてきた歪みがこの作家の強烈な個性を醸成している。
ただ、小説の大半は作家の父親に対する屈折した想いが延々と続くので、正直しんどくなった。
残り3分の1はかなり苦痛であった。
玄人が読めば評価が高い小説なのかもしれない。
本来は言葉では説明しづらい愛憎交錯した複雑な心情を
ここまで丁寧に描写できる筆致は作家の類まれなる才能だろう。
麻雀などのアウトロー作家だとばかり思っていたが、堂々とした純文学作家である。
特異な境遇を生きてきた歪みがこの作家の強烈な個性を醸成している。
ただ、小説の大半は作家の父親に対する屈折した想いが延々と続くので、正直しんどくなった。
残り3分の1はかなり苦痛であった。
玄人が読めば評価が高い小説なのかもしれない。
2011年6月2日に日本でレビュー済み
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最近読んだ、「いねむり先生」(伊集院静著)にこの本のことが書かれていて、読んでみたくなったのがきっかけである。
この本には表題の「百」以外に「連笑」「ぼくの猿、ぼくの猫」「永日」という短編も収録されているが、これがオムニバスというより連作のようになっており、「連笑」は序章、「永日」はクライマックスのように一つの作品のような仕上がりになっていて感動する。
いわゆる私小説である。自己と厳しく向き合いながら心の中の「狂気」と葛藤し、特に「父との関係」でもがき苦しみ生きてきた様子がひしひしと伝わり共感する。
幼い頃から父親に溺愛され育った「私」は小学校に入る頃から自分の身体に劣等感を持つようになり、また何事にも干渉する「父」の存在と自意識の高さから周囲になじめず孤立して少年期を育つようになる。
「人は皆、何にも慣れず、自分に中に異物反応を貯めこんで、苦しく暮らしている」(連笑より)とある。これは少年期の自分と父親のことでもあろう。
しかし、40歳も離れた「父」のことを、少年期から「近い先に死をむかえる人」として認識し、「父親に牛耳られるわけにはいかない。父親を傷つけてもいけない。私にとってそれは非常な難関であるとともに、最初の人間関係でもあった」(連勝より)というように少年時代からのその存在の大きさがうかがわれる。
その「死をむかえるはずの父」が90歳を超えても頑固一徹に暮らすのだが・・・・
「年齢をとるごとに、気球が砂の袋を地上におとすように、何かを過去に投げ落としていくことで自分の中だけのバランスをとる」(永日より)他にも心に響くアフォリズムが随所に散りばめられている。
しばらく余韻の残る作品で何度も読み返したい一冊だ。
この本には表題の「百」以外に「連笑」「ぼくの猿、ぼくの猫」「永日」という短編も収録されているが、これがオムニバスというより連作のようになっており、「連笑」は序章、「永日」はクライマックスのように一つの作品のような仕上がりになっていて感動する。
いわゆる私小説である。自己と厳しく向き合いながら心の中の「狂気」と葛藤し、特に「父との関係」でもがき苦しみ生きてきた様子がひしひしと伝わり共感する。
幼い頃から父親に溺愛され育った「私」は小学校に入る頃から自分の身体に劣等感を持つようになり、また何事にも干渉する「父」の存在と自意識の高さから周囲になじめず孤立して少年期を育つようになる。
「人は皆、何にも慣れず、自分に中に異物反応を貯めこんで、苦しく暮らしている」(連笑より)とある。これは少年期の自分と父親のことでもあろう。
しかし、40歳も離れた「父」のことを、少年期から「近い先に死をむかえる人」として認識し、「父親に牛耳られるわけにはいかない。父親を傷つけてもいけない。私にとってそれは非常な難関であるとともに、最初の人間関係でもあった」(連勝より)というように少年時代からのその存在の大きさがうかがわれる。
その「死をむかえるはずの父」が90歳を超えても頑固一徹に暮らすのだが・・・・
「年齢をとるごとに、気球が砂の袋を地上におとすように、何かを過去に投げ落としていくことで自分の中だけのバランスをとる」(永日より)他にも心に響くアフォリズムが随所に散りばめられている。
しばらく余韻の残る作品で何度も読み返したい一冊だ。