中古品:
¥404 税込
無料配送 6月1日-2日にお届け(20 時間 18 分以内にご注文の場合)
詳細を見る
中古商品: 非常に良い | 詳細
コンディション: 中古商品: 非常に良い
コメント: 中古品のため商品は多少の日焼け・キズ・使用感がございます。画像はイメージです。記載ない限り帯・特典などは付属致しません。プロダクト、ダウンロードコードは使用できません。万が一、品質不備があった場合は返金対応致します。(管理ラベルは跡が残らず剥がせる物を使用しています。)【2024/04/09 13:28:08 出品商品】
Kindleアプリのロゴ画像

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません

ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。

携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。

KindleアプリをダウンロードするためのQRコード

著者をフォローする

すべてを表示
何か問題が発生しました。後で再度リクエストしてください。

知的唯仏論: マンガから知の最前線まで-ブッダの思想を現代に問う (新潮文庫 み 57-1) 文庫 – 2015/11/28

3.8 5つ星のうち3.8 32個の評価

仏教とは「釈迦の説いた思想」であり即ち「唯仏論」である――。仏教を高く評価する非信者、呉智英。仏教徒を自認するが宗派には属さない、宮崎哲弥。わが国を代表するふたりの論客が縦横無尽に語り合う。宗教とマンガ。日本仏教の特質。そして、輪廻とは、神秘体験とは、“私”とは、愛とは? ありきたりな通俗書では満足できないあなたに贈る知的興奮に満ちたセッション!

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 新潮社 (2015/11/28)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2015/11/28
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 273ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4101203210
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4101203218
  • 寸法 ‏ : ‎ 10.7 x 1.1 x 15.1 cm
  • カスタマーレビュー:
    3.8 5つ星のうち3.8 32個の評価

著者について

著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

カスタマーレビュー

星5つ中3.8つ
5つのうち3.8つ
32グローバルレーティング

この商品をレビュー

他のお客様にも意見を伝えましょう

上位レビュー、対象国: 日本

2012年12月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
仏教に関する本なので当然ですが、(中観派の仏教者である)宮崎哲弥氏がほとんど
しゃべっていた印象でした(笑)
宮崎氏は、原始仏教時代の経典から、大乗勃興期の理論、現代仏教学の事情、果ては仏教漫画といった
ところにまで通じており、それらの知識を駆使して氏の仏教観が披歴され、まさに圧巻。
読者を飽きさせません。
もちろん、対談相手の呉智英氏も、仏教には大変造詣が深く、
氏特有の粗っぽいながらも切れ味鋭く切り込むところは、仏教本としては新鮮味がありました。
タイトル通りとても知的な対談となってます^^
(ただ、漫画に興味のない私にとっては、仏教漫画で盛り上がる部分は
楽しめませんでしたが)

仏教の理論は勉強したいけど、やれ仏具がどうの宗派がどうのといった
雑学的な入門書は興味ない、でも専門書は難しすぎるし高すぎるし敬遠気味、
という人にお勧めの本です。

「あー、仏教のこういう部分が知りたかったんだよなー」という箇所に満ち溢れてました。
例えるなら【かゆいところに手が届くような】感覚の本。
やや敷居が高いと思われている仏教理論ではありますが、きっとこういう本が増えると
もっとそれへの間口が広がると思います。
38人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年1月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
これもアマゾンのお薦めででてきた。すごいぞアマゾン。

宮崎哲弥の博覧強記ぶりにびっくりする一冊。ただ、議論されていることは、呉智英の『つぎはぎ仏教入門』とほぼ重なるので、入門者には『つぎはぎ』で足りる。ただ、佐藤優、中沢新一、山折哲雄、宮台真司、などを俎上にあげているのはこちらなので、そういうゴシップ的な話題に興味があるならこちら。

佐藤優について:

<呉 あの人はやっぱり自分の中でキリストを信ずることについてそういう宗教的な何かがあるっていうんだよね。

宮崎 佐藤さんの神学論は幾つか読みましたが非常に論理的で、あまり劇的な回心とか、信仰の跳躍とかは感じなかったけどな。

呉 いや、親の影響かなんかであるみたいなことを中村うさぎとの対談のなかで言ってる。彼の理詰めでキリスト教のことを究めていくあたりは、「じゃ、なんで信じているの?」っていう疑問がどうしても出てくるんだよね。でも彼は「信じてる」と言うんだよ。彼は、キリスト教の論理がつぎはぎでメチャクチャだとわかっていて、論理的にそれを認めながらも「信じてる」と言うんだよね。> (pp. 115-6)

中沢新一:

<呉 じゃあ、中沢新一はどうですか。中沢センセーがああいう言説を吐かれるのは何かあるんですか。

宮崎 中沢氏はおっしゃることが時と場所によってコロコロ変わるし、結局何一つ---自分自身さえも信じておられないのではないかと拝察いたします(笑)。> (p. 111)

とか。やはり対談本に期待するのはこういう部分なのだね。そういえば『文学賞メッタ斬り』もそういうのがおもしろかった。
19人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2016年5月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
一つの事象を、多方面から見ることに長けた、お二人の対談。知的過ぎてドキドキする一冊です。
何回も読むことになる予感がします。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年7月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
仏教関係の用語が多数出てくることで、やや厳しいレビューも見られるようですが、「仏教は簡単に理解できる」という前提の人生訓的な素人本があまりに多いことの反証のような気がします。
この本の良いところは、仏教の基本的な知識をきちんとおさえた上での仏教論であること、それでいて専門領域に偏りがちな学者の仏教論ではないことです。なにより真剣に仏教に向き合おうとする宮崎氏の姿勢と、客観的・分析的に仏教を語ろうとする評論家としての態度に好感が持てます。
おそらく、この本の読者として想定されるのは仏教の「初学者」なのでしょうが、初期仏典の説く思想に惹かれて仏教に足を踏み入れたものの、巷に氾濫する多様な仏教論の中で孤独と困惑を感じている人は、本書に救いを感じるのではないでしょうか。
良心的な啓蒙書として続編が期待されます。
12人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年3月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
まあ、宮崎氏の評論家として
「いつまでも新書解説ばかりしていないので、
 自分の考えを主軸に発表したい」
という心意気は分からないのではないが、
呉氏と比べると、
腰の座り方の重みの違いが
浮かび上がってしまっている。

端的に、
衒学的なわりに、印象に残らない。

逆に、呉氏は
衒学的でなく、かつ、印象的だ。

ここは、
池上氏のように、
ふだんは解説屋に徹し(宮崎氏は類まれな整理屋である)、
選挙特番の時に集中して
自分の本領を発揮する…ようなスタイルの方でよいのではないか。
11人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2017年12月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
インドでは釈迦牟尼の修道体系を「寂静の道」とか「ジュニアーナ・マールガ(知性による解脱への道)」
と呼びます。

宮崎哲弥さんは、この知性による道。
例えば、ナーガールジュナの「中論」を最上とされているので、この書籍のような誤解だらけの
仏教論が生まれます。

そのように思索に耽って成道するようなものならば、わざわざ大量の修行者を有する出家教団
(サンガ)は生まれたでしょうか?

もし、仏教がこの書籍で語られるようなものならば、
打ち捨てられた死体を前にこれを観察する五蘊無我などもせず、推論や哲学的恣意に時間を費やせばいずれ、
仏道は成就するでしょう。

しかし、これは誤解も甚だしいと言えます。

沙門果経と言う長部相応がありますが、これを見ると
睡眠は硬い寝床で数時間、食事は托鉢が主で一日一食。
持ち物は托鉢の椀と墓場から調達する粗末な糞掃衣。
しかも、日常の会話をほとんど禁じています。
釈尊ご自身が、これを人間の生活の中で「もっとも下端な乞食生活」と呼んでいます。

推論や哲学的恣意で済むものならば、何もわざわざ乞食になる必要があるでしょうか?

全編、誤解だらけでびっくりしますが、いくつか上げて見ます。
例えば宮崎哲弥さんは、チベットの摩尼車をたいそう馬鹿にしています。
こんなものが修行と呼べるのかと。

例えば釈尊は極めて機根の劣るチューラパンタカというお弟子様に
クロスを渡して
「これで払い清めながら、わたしは払い清めよう、煩悩とともに払い清めようとつぶやきなさい」
とご指導されました。
これなども修行と呼べるのかと言うのでしょうか?

しかし、仏教の教え、修行階梯には段階が有るので、もっとも基礎となる「信」
これを確立している過程であり、文盲の人でも出来る実践としてはマニ車は極めて重要です。

また、ヒンドゥーのシヴァは日本の大黒天なのでレベルが低いという見解がありますが、
これはインドの思想が変遷する過程で自然にその土地で習合したもので、大黒と命名した時点で
既に別の神格と言えます。
これを以て、インドのシヴァをレベルが低いというのは言いがかりとか暴論と申せます。

どうでもいい仏教にまつわる周辺の知識は膨大ですが、肝心な修行については何も知らない
人物です。

注意を促しますが、これが正しい仏教論だと思わないように気をつけてね。
どこが知的なんだか・・・一知半解仏教論とでも呼びたい。

もう一度念を押しますが、「無常だ」「一切は空だ」と言ってこれを観念的に理解すれば
解脱だの悟りだのと、そんな単純な物が仏教ではありません。
14人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年1月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
対談の形式になっていますが呉さんの質問1割に対して宮崎さんの答えが9割ですね。宮崎さんの碩学ぶりが光ります。もっとも鎌倉新仏教以降は言及がありません。ご本人も関心がないと述べています。あとがきで「仏教教理問答」IIを計画されているとのこと、楽しみです。
9人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年10月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
 あとがきで宮崎は、『さみしさサヨナラ会議』、『仏教教理問答』と本書で、「仏教問答三部作」を成すと述べている。出版は今挙げた順だが、難易度は『さみしさ』、本書、『教理問答』の順に高くなるとも記されている(p247)。
 実は私は『教理問答』から読み始めて、言葉だけは何とか追えるものの、どうにも自分の切実な関心領域と結びつけることができず、途中で放置していた。その点、本書については、それほど無理なく読み通せた。ただし、読み通せはしたけれど、自分の中の何かが動いたという感触がなく、しかし私の印象では本が悪いのではなく、仏教についての私の理解水準が低いか、関心の持ち方に誤差があるためだろうと思う。
 ちなみに『さみしさ』は未読。呉の『つぎはぎ仏教入門』は読んで、ここにもレビュー投稿した。
 呉の本は分かりやすく面白く、しかし結局はオハナシで、どこか「知識人」的な言いっ放し感が漂っていた。それに比べると本書では、宮崎のこだわり方にどこか自分の関心と通じ合うものがあると感じた。これもあとがきに要約されているが、一つは言語の問題であり、もう一つは無我の問題だ。
 ただ私がもう一つしっくりこないのは、こうした問題に仏教の側からアプローチすることの意義だ。これらの主題についてはいわゆる西洋哲学からのアプローチもあり、その視野の中に仏教が捉えられる場面もあるのだが、しかし仏教プロパーの用語を用いて論じられるというより、西洋哲学の自己解体と言うか、それこそ脱構築という戦略が採られる。皮肉な事態なのかもしれないが、現代に生きる日本人としては、この西洋的なアプローチの方に親近感が湧いてしまう。ま、これは私が不勉強なだけかも。
 うろ覚えだが、呉もどこかで「西洋現代思想で騒いでいる問題なんて、荘子にあるでしょ」みたいなことを書いていたが、宮崎の方が、もう少し精密に煮詰めている気がする。宮崎が学生時代に中観派仏教と出会って一挙に引き込まれたと語る、その道筋が、本書中でも述べられている実存的な問題に発しているという印象はある。宮崎自身、オウム事件の際、信者と自身とを隔てる壁は低いと感じたと述べているが、実は私にはその感覚がよく分からない。そこに宮崎の言葉に今一つ感応できない理由がありそうに思う。
 それでも、宮崎が仏教の側で掘り下げた穴が、西洋起源のいわゆる現代思想に届きそうな、届かなそうな、そういうスリルのようなもどかしさのような何かは感じることが出来た。
6人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート