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話し言葉の日本語 (新潮文庫 い 14-33) 文庫 – 2013/12/24

4.8 5つ星のうち4.8 8個の評価

せりふの専門家である劇作家ふたりが、話し言葉について徹底検証。従来の日本語論とは違う角度からその本質に迫るとともに、日本の演劇を真摯に見詰める――。せりふにおける助詞・助動詞の重要性、日常会話とせりふの相違、敬語や方言や流行語の扱い方など日本語のマエストロによる話題は汲めども尽きない。言葉と演劇に対する熱い思いを胸に語り合うわかりやすくて面白い対話集。
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 新潮社 (2013/12/24)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2013/12/24
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 文庫 ‏ : ‎ 357ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4101168334
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4101168333
  • カスタマーレビュー:
    4.8 5つ星のうち4.8 8個の評価

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上位レビュー、対象国: 日本

2011年8月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
井上ひさしさんの日本語に対してのするどい洞察力に感銘を覚える。
対談相手は、平田オイザで、駒場東大前のアゴラの主宰者。
「話し言葉の訓練がないと、話が整理されまいまま、長話になってしまう」というところは非常に賛成。
言葉について考えるよい一冊。
「日本語の区読法がまだ確立していないことも、じつは問題だと思いますね。
点と丸のルールが確立していないというのが日本語の特徴だといったほうがいいでしょうか」
という一節はおもしろい。
考えさせられる。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2014年1月18日に日本でレビュー済み
『忠臣蔵』でいっちゃん大事な事件は

討ち入りやなしに

松の廊下から大評定までやろ。

これが大きい事件や。

けっきょく、戯曲は、

最初に起こる大きな問題

+その問題に対し右往左往する小さな人間

を描くんだ。

P175平田

、、、、、、

ウーン、抉ってるなあ。

村上春樹、内田樹、松本人志、平田さん、

説明の上手い人の時代だなあ、、、

いや、、、いつの時代もか。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2009年1月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「今の日本には『対話が足りない』」というテーマで、二人の劇作家が対談をくりひろげます。「対話」というのは、単なる「おしゃべり」や「うなずきあい」ではなく、簡単に要約してしまうと「違う文脈の人と、どれだけ歩み寄れるか」といういとなみ、として定義されています。
その定義自体には、まったく賛成です。そして、今の日本には「対話」が足りない、ということについても、賛成です。それについての、さまざまな有益な提言も、この本ではなされています。

でも、他の評者の方も書いておられるとおり、この本じたいは「対話」ではないようです。
井上氏、平田氏、どちらもほとんど同じことを発言していて、お二人の名前を入れ替えても、ぜんぜん気がつかないくらいです。(ついでですが、この商品ページの写真にはありませんが、私が購入したものにはお二人の顔写真を並べた帯が付いていて、その二枚の写真も、入れ替えてもわからないんじゃないかと思ってしまいました。デザイナーのいたずらでしょうか?)

平田氏が「井上さんの戯曲では、突然みんなが歌いだしたりするけど、あんなこと普通の日本人はしませんよね」と言ったり、井上氏が「平田君の舞台で、役者が後ろ向いてしゃべるのは、やっぱりどうかと思うよ」と言ったりして、そこからワクワクする議論が展開したりは、残念ながら、しません。そういうのが、「対話」じゃないかと思うんですが。

もうひとつ。この本は日本語論としては面白いですが、演劇論としては、「戯曲の言葉=話し言葉」という定義は、せますぎます。演劇には、語りやモノローグといった、話し言葉を超えたスタイルの可能性が、いくらでもあります。その可能性がまったく無視されているのは、残念としかいいようがありません。
15人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2006年6月18日に日本でレビュー済み
 日本語論は数々あるが、話し言葉については議論されることがなかった。それでこの対談が試みられる。井上「自分の大事なメッセージを話し言葉のなかに笑いとともに忍び込ませたいと思っているんです。そんなわけですから、演劇は、大事な素晴らしい装置だと思っています。しかし、演劇という装置は、個人的な視野では動いてくれない」平田「僕たちの仕事は、何か特別な美しい言葉を発明することではなくて、発見することだということでよね」(雅)
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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2003年3月31日に日本でレビュー済み
 二人の劇作家による対談集。巷にあふれる不快な日本語を快調に斬りまくる二人の好漢の活躍を期待したが期待はずれだった。というよりもタイトルが内容とそぐわない。本書は『劇作作法~ひさしとオリザの対話~』である。
 高校演劇に関わってきた平田が愚痴る。
 全体から見渡すと重要な人物が後半から出てくることが多いんです。それじゃあ作者に都合がよすぎる。だったら、最初から出しておけよと思うんですね。それから、登場人物が何者であるかということを説明するのが高校生には難しいようです。
 軽くヨイショも入れながら井上が受ける。
 たとえば、家族で一緒にいるという設定で「お父さんの仕事何だっけ?」なんていうせりふは存在しないし、父親が「私は銀行員だよ」なんてのもない'''内部だけでは基本的な情報がなかなか観客に伝えられない。
 そこで内部についての情報量が少ない外部の人を登場させて、内部の情報を手繰り出して観客に知らせる。それも直接的にではなく、なるべく遠いところからというのが平田流の戯曲の基本形ですね。
 先輩と後輩のやりとりは、終始快調である。 
7人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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