あっと言う間に読了しました。新実在論の旗手であるマルクス・ガブリエルと、日本の哲学界の代表者でもある中島氏との対談ということで、お互い最初から全開モードで哲学の話をされていますが、不思議と門外漢の私が読んでもわかりやすく書かれていて、なにか質の高い時間を体験できたような印象を持ちました。議論のとっかかりは全体主義で、デジタルプラットフォームの浸透によって、新しいタイプの全体主義が生まれていること、それは市民がある意味喜んでデジタルPFに服従する市民服従的な全体主義ということです。ある特定の行動に市民が誘導されているわけです。
中島氏は、過去の全体主義が目指していた普遍性は、偽の普遍性であって、これからの世界は西洋だけでもなく、東洋だけでもない真の意味での普遍性を追求する哲学が必要だと述べます。それを西洋と東洋の哲学者で生み出そうと。その仮説として中島氏は「花する(flowering)」という概念を普遍的な豊かさとして提唱していますが、そういえば本書とは別ですが、ポジティブ心理学の創始者であるマーティン・セリグマンは、人間のウェルビーイングをFlourishingという言葉で表現しており、その類似性を感じました。
全体主義と普遍性、というテーマだけでなく、本書では新実在論が生まれた契機や、ハイデガーの黒歴史、悪とは何か、無と有の概念など知的好奇心を刺激される話が多数盛り込まれていました。私のような哲学門外漢でも読める、かつ十二分に堪能できる本でした。
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全体主義の克服 (集英社新書) 新書 – 2020/8/17
マルクス・ガブリエル
(著),
中島 隆博
(著)
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【東西哲学界の雄が、全体主義から世界を救い出す!】
全体主義の渦に、再び世界は巻き込まれようとしているのではないか。
日独ともに哲学は、二〇世紀の全体主義に加担してしまったが、では次なる全体主義の台頭をいかに阻止すればよいのか。
その答えを出そうとしているのが、マルクス・ガブリエルだ。
彼の「新実在論」は、全体主義の礎を築いたドイツ哲学を克服するために打ち立てられたものだったのだ。
克服にむけてのヒントは東アジア哲学の中にあるという。
本書は、東西哲学の雄が対話を重ねて生み出した危機の時代のための「精神のワクチン」である。
「上から」の力によって、民主主義が攻撃されているわけではありません。
民主主義を破壊しているのは私たち自身なのです。
市民的服従が、あらたな全体主義の本質です。
――マルクス・ガブリエル
【おもな内容】
第1章 全体主義を解剖する
デジタル全体主義の時代/テクノロジーの「超帝国」
第2章 ドイツ哲学と悪
全体主義をもたらした悪とは何か/カントの悪のパラドックス
第3章 ドイツ哲学は全体主義を乗り越えたのか
ナチスを支えたドイツ哲学/ハイデガーの「黒ノート」/ハイデガーと京都学派
第4章 全体主義と対峙する新実在論
仏と一角獣の新実在論/「超限」とは何か
第5章 東アジア哲学に秘められたヒント
中国思想のなかの「存在論」/中心のある「普遍性」を疑う
第6章 倫理的消費が資本主義を変える
グローバル資本主義の不安定性/倫理的消費が安定を作る
第7章 新しい啓蒙に向かって
「一なる全体」に抗するために
【著者略歴】
■マルクス・ガブリエル
1980年生まれ。2005年に後期シェリングをテーマにした論文でハイデルベルク大学より博士号取得。
2009年に権威あるボン大学哲学正教授に史上最年少で抜擢。
「新実在論」を打ち立て、世界的に注目を浴び、『なぜ世界は存在しないのか』が哲学書としては異例のベストセラーに。
■中島 隆博(なかじま・たかひろ)
1964年生まれ。東京大学東洋文化研究所教授。北京大学をはじめ各国大学との共同研究教育プロジェクトである東京大学東アジア藝文書院院長。
専門は中国哲学、世界哲学。西洋哲学の手法を用いた中国哲学の再読で高い評価を得る。
『共生のプラクシス――国家と宗教』で和辻哲郎文化賞受賞。
全体主義の渦に、再び世界は巻き込まれようとしているのではないか。
日独ともに哲学は、二〇世紀の全体主義に加担してしまったが、では次なる全体主義の台頭をいかに阻止すればよいのか。
その答えを出そうとしているのが、マルクス・ガブリエルだ。
彼の「新実在論」は、全体主義の礎を築いたドイツ哲学を克服するために打ち立てられたものだったのだ。
克服にむけてのヒントは東アジア哲学の中にあるという。
本書は、東西哲学の雄が対話を重ねて生み出した危機の時代のための「精神のワクチン」である。
「上から」の力によって、民主主義が攻撃されているわけではありません。
民主主義を破壊しているのは私たち自身なのです。
市民的服従が、あらたな全体主義の本質です。
――マルクス・ガブリエル
【おもな内容】
第1章 全体主義を解剖する
デジタル全体主義の時代/テクノロジーの「超帝国」
第2章 ドイツ哲学と悪
全体主義をもたらした悪とは何か/カントの悪のパラドックス
第3章 ドイツ哲学は全体主義を乗り越えたのか
ナチスを支えたドイツ哲学/ハイデガーの「黒ノート」/ハイデガーと京都学派
第4章 全体主義と対峙する新実在論
仏と一角獣の新実在論/「超限」とは何か
第5章 東アジア哲学に秘められたヒント
中国思想のなかの「存在論」/中心のある「普遍性」を疑う
第6章 倫理的消費が資本主義を変える
グローバル資本主義の不安定性/倫理的消費が安定を作る
第7章 新しい啓蒙に向かって
「一なる全体」に抗するために
【著者略歴】
■マルクス・ガブリエル
1980年生まれ。2005年に後期シェリングをテーマにした論文でハイデルベルク大学より博士号取得。
2009年に権威あるボン大学哲学正教授に史上最年少で抜擢。
「新実在論」を打ち立て、世界的に注目を浴び、『なぜ世界は存在しないのか』が哲学書としては異例のベストセラーに。
■中島 隆博(なかじま・たかひろ)
1964年生まれ。東京大学東洋文化研究所教授。北京大学をはじめ各国大学との共同研究教育プロジェクトである東京大学東アジア藝文書院院長。
専門は中国哲学、世界哲学。西洋哲学の手法を用いた中国哲学の再読で高い評価を得る。
『共生のプラクシス――国家と宗教』で和辻哲郎文化賞受賞。
- 本の長さ256ページ
- 言語日本語
- 出版社集英社
- 発売日2020/8/17
- 寸法10.6 x 1.2 x 17.3 cm
- ISBN-104087211320
- ISBN-13978-4087211320
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登録情報
- 出版社 : 集英社 (2020/8/17)
- 発売日 : 2020/8/17
- 言語 : 日本語
- 新書 : 256ページ
- ISBN-10 : 4087211320
- ISBN-13 : 978-4087211320
- 寸法 : 10.6 x 1.2 x 17.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 94,052位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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上位レビュー、対象国: 日本
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2020年8月23日に日本でレビュー済み
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「おわりに」によると、対談日時は2019年9月の2日間。
対談記録は第一章から第七章までで、このほかに中島隆博とマルクス・ガブリエルのそれぞれが書いている「はじめに」があり、ガブリエルは新型コロナパンデミックについて論じているので、今年になってから書かれたものだろう。
私的感想
〇対談は新型コロナパンデミック以前になされたものなので、今の状況からみるとちょっと違和感がある。一方、新型コロナ以前ということで、貴重な記録になっていると思う。以下、各章。
〇はじめにー精神の毒にワクチンを
「科学と技術によって現代世界のあらゆる問題を解決できるという誤った信念に比べれば、新型コロナウィルスはそれほど有害ではない。」「科学と技術へのやみくもな服従が引き起こす甚大な危機」と厳しいが、
現在とられている「例外状態」については、「ウィルスに対してあらゆる手を尽くして戦うことは正しい戦略であった」と容認しているようである。
哲学的な結論は「自死的なグローバル化から抜け出すための唯一の方法は、心なき定量的な経済論理に駆り立てられて競争し合う国民国家の集まりを超えた世界秩序」とする。
〇第一章全体主義を解剖する
☆1ここでは、デジタル全体主義がやり玉に上がっている。つまり、進行している全体主義の核心はデジタル化であり、われわれのテクノロジーが「超帝国」であり、技術そのものとそれを操るソフトウェア企業群が全体主義的な超帝国を形作るとする。
つまり、現代では全体主義国家は存在せず、デジタル全体主義による私的空間の破壊が重大問題となっている。その特徴は、人々が自発的に、喜んで、ソーシャルメディアに私的生活の情報を提供していることであり、人々が自ら進んで公と私の境界線を破壊して喜んでいる。その結果がわかるのはかなりあとになる。
☆2トランプ、プーチン、習近平等の擬似独裁者は合法的に民主的に選ばれた指導者であり、市民たちが自ら擬似独裁を生み出したのである。市民的服従が新たな全体主義の本質である。
☆1も2も、一応理解できるが、1と2の関連がちょっとわかりにくい。デジタル化以前にも、合法的民主的に選ばれた擬似独裁者はいたはずだが・・。
〇第二章ドイツ哲学と悪
☆短い。中心テーマは、現代的悪としての「官僚主義的な悪」。
☆ガブリエルはまず「道具的理性」(目的を実現するために理性を用いるが、目的それ自体を思考し反省することを失っている状態)を官僚主義的な悪の本質とし、次に、「人間の行為を構造化し、たまたまある地域で生み出された倫理に対応させようとする考え方」で、「文化相対主義も同じ考え」とする。
☆「文化相対主義」についてあまり検討されないので、やや尻切れトンボの感。
〇第三章ドイツ哲学は全体主義を乗り越えたか
☆ハーバーマスの話題が出ると、ガブリエルが興奮してしまって、激しいハーバーマス批判を始めてしまい、内部情報、人格攻撃まで入り乱れ、読者としては大変面白かったが、ちょっと品のないような・・この後、ハイデガーの黒ノートの話題が出ると、「ごく普通のナチ」→「本物のナチ主義者」→「完璧なまでのナチのイデオローグ」→「第三帝国の真のイデオローグ」とだんだん攻撃が激しくなっていく。
☆ハイデガー好きの日本人へのガブリエルのメッセージは、「ハイデガーを読むのはやめなさい!」である。
☆第三章の肝心なテーマはあまり討論されなかったよう。
〇第四章全体主義に対峙する新実在論
☆ガブリエルは科学や技術は全体主義の神話であり、全体主義の台頭は技術と科学からやってくるとする。
☆中島は、全体主義はすべてを、強力な同一性を構築された「一」へ取り込もうとするとするとする。
☆カブリエルはこれに共感して、一元論に還元できない多元論として、新実在論を展開する。これが複数の無限の無限である超限の話題に発展。
☆さらに自然の法則の否定の話題となり、宇宙があまねく自然法則に支配されているというのは構築的な神話にすぎないとする。
☆未来は、物理学者は哲学分野の技術者、つまり、哲学の中の細かい技術的な細部の掃除人にすぎなくなるとする。うーん!
〇第五章東アジア哲学に秘められたヒント
☆王弼とシェリングの比較から始まり、ウィドゲンシュタイン、デリダ、九鬼周造と進んでなかなか難解だが、ガブリエルの主張はおなじみの「世界は存在しない」「無も存在しない」である。
〇第六章倫理的消費が資本主義を変える
☆六章七章は現状をどう変えていくかの話。六章は倫理的消費の話。面白いが、ネタバレにならないように略。
〇第七章新しい啓蒙に向かって
☆こちらは文化的教育的戦略。哲学者の社会的有用性の話も出てくる。面白いが、ネタバレにならないように略。
私的結論
〇読みやすい対談であった。
対談記録は第一章から第七章までで、このほかに中島隆博とマルクス・ガブリエルのそれぞれが書いている「はじめに」があり、ガブリエルは新型コロナパンデミックについて論じているので、今年になってから書かれたものだろう。
私的感想
〇対談は新型コロナパンデミック以前になされたものなので、今の状況からみるとちょっと違和感がある。一方、新型コロナ以前ということで、貴重な記録になっていると思う。以下、各章。
〇はじめにー精神の毒にワクチンを
「科学と技術によって現代世界のあらゆる問題を解決できるという誤った信念に比べれば、新型コロナウィルスはそれほど有害ではない。」「科学と技術へのやみくもな服従が引き起こす甚大な危機」と厳しいが、
現在とられている「例外状態」については、「ウィルスに対してあらゆる手を尽くして戦うことは正しい戦略であった」と容認しているようである。
哲学的な結論は「自死的なグローバル化から抜け出すための唯一の方法は、心なき定量的な経済論理に駆り立てられて競争し合う国民国家の集まりを超えた世界秩序」とする。
〇第一章全体主義を解剖する
☆1ここでは、デジタル全体主義がやり玉に上がっている。つまり、進行している全体主義の核心はデジタル化であり、われわれのテクノロジーが「超帝国」であり、技術そのものとそれを操るソフトウェア企業群が全体主義的な超帝国を形作るとする。
つまり、現代では全体主義国家は存在せず、デジタル全体主義による私的空間の破壊が重大問題となっている。その特徴は、人々が自発的に、喜んで、ソーシャルメディアに私的生活の情報を提供していることであり、人々が自ら進んで公と私の境界線を破壊して喜んでいる。その結果がわかるのはかなりあとになる。
☆2トランプ、プーチン、習近平等の擬似独裁者は合法的に民主的に選ばれた指導者であり、市民たちが自ら擬似独裁を生み出したのである。市民的服従が新たな全体主義の本質である。
☆1も2も、一応理解できるが、1と2の関連がちょっとわかりにくい。デジタル化以前にも、合法的民主的に選ばれた擬似独裁者はいたはずだが・・。
〇第二章ドイツ哲学と悪
☆短い。中心テーマは、現代的悪としての「官僚主義的な悪」。
☆ガブリエルはまず「道具的理性」(目的を実現するために理性を用いるが、目的それ自体を思考し反省することを失っている状態)を官僚主義的な悪の本質とし、次に、「人間の行為を構造化し、たまたまある地域で生み出された倫理に対応させようとする考え方」で、「文化相対主義も同じ考え」とする。
☆「文化相対主義」についてあまり検討されないので、やや尻切れトンボの感。
〇第三章ドイツ哲学は全体主義を乗り越えたか
☆ハーバーマスの話題が出ると、ガブリエルが興奮してしまって、激しいハーバーマス批判を始めてしまい、内部情報、人格攻撃まで入り乱れ、読者としては大変面白かったが、ちょっと品のないような・・この後、ハイデガーの黒ノートの話題が出ると、「ごく普通のナチ」→「本物のナチ主義者」→「完璧なまでのナチのイデオローグ」→「第三帝国の真のイデオローグ」とだんだん攻撃が激しくなっていく。
☆ハイデガー好きの日本人へのガブリエルのメッセージは、「ハイデガーを読むのはやめなさい!」である。
☆第三章の肝心なテーマはあまり討論されなかったよう。
〇第四章全体主義に対峙する新実在論
☆ガブリエルは科学や技術は全体主義の神話であり、全体主義の台頭は技術と科学からやってくるとする。
☆中島は、全体主義はすべてを、強力な同一性を構築された「一」へ取り込もうとするとするとする。
☆カブリエルはこれに共感して、一元論に還元できない多元論として、新実在論を展開する。これが複数の無限の無限である超限の話題に発展。
☆さらに自然の法則の否定の話題となり、宇宙があまねく自然法則に支配されているというのは構築的な神話にすぎないとする。
☆未来は、物理学者は哲学分野の技術者、つまり、哲学の中の細かい技術的な細部の掃除人にすぎなくなるとする。うーん!
〇第五章東アジア哲学に秘められたヒント
☆王弼とシェリングの比較から始まり、ウィドゲンシュタイン、デリダ、九鬼周造と進んでなかなか難解だが、ガブリエルの主張はおなじみの「世界は存在しない」「無も存在しない」である。
〇第六章倫理的消費が資本主義を変える
☆六章七章は現状をどう変えていくかの話。六章は倫理的消費の話。面白いが、ネタバレにならないように略。
〇第七章新しい啓蒙に向かって
☆こちらは文化的教育的戦略。哲学者の社会的有用性の話も出てくる。面白いが、ネタバレにならないように略。
私的結論
〇読みやすい対談であった。
2021年8月6日に日本でレビュー済み
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僕自身がかつてオウムで小さな全体主義を経験しているために、哲学がどのようにそれを克服しようとしているのかを知りたくて購入した。しかしいまいちよく分からない。対談そのものが全体主義を突き詰めて語るために用意されたものではなかったのではないか。
自分の体験から分かりやすく説明するならば、全体主義体制とはカルト集団が国家規模に拡大した体制である。正確に説明しようとするとカルト集団の例は最適ではないが、分かりやすいと思う。ナチスドイツや文化大革命の時代の中国、現在の北朝鮮やイスラム国などを見れば、カリスマ的指導者、視野の狭い価値観など共通した性質を見ることができる。カリスマ的指導者の視野の狭さが、独善的で無思考な組織を通じて、純粋に外部に表現されたものがホロコーストであり、文化大革命であり、オウム事件だった。本書第二章でガブリエル氏は、ナチスや大日本帝国の全体主義が独善的で無思考であることを官僚主義的な悪と表現しているようだ。麻原彰晃も最終的にはそのような組織を目指していたと思われるのは、教団後期に「省庁制」を導入したことによる。現実には「省庁制ごっこ」だったが、一部の弟子たちに犯罪の責任を押し付けるための箱作りだった可能性もあって本心はよく分かっていない。実行犯は修行のために出家していたから、自分の観念を崩壊させる修行として、または救済活動のつもりで与えられた指示を実行していた。だからオウムの場合は官僚主義的な悪ではなく、宗教的純粋さの悪と言えるかもしれない。それゆえに独善的で無思考だったことは同じで、いわば人として未熟だったことによる愚かさである。
第一章「全体主義を解剖する」でほぼ具体的な全体主義についての議論は終わっている。
第二章「ドイツ哲学と悪」ではドイツ哲学では全体主義の悪をどのように考えてきたかを語る。
第三章「ドイツ哲学は全体主義を乗り越えたのか」は、ほぼハーバーマスとハイデガー批判に当てられている。
第四章「全体主義に対峙する新実在論」はガブリエル氏の新実在論の解説と現在の自然科学に対する批判である。
第五章「東アジア哲学に秘められたヒント」には、ガブリエル氏に影響を与えた中国哲学の王弼の世界観と現代物理学の比較をもとに、ユダヤ・キリスト教を普遍とするヨーロッパ的普遍への問題提起がある。
第六章「倫理的消費は資本主義を変える」は消費の動機を見直そうという内容。
第七章「新しい啓蒙に向かって」は対談した二人の現在の活動報告と目標について。
ガブリエル氏は全体主義は科学とテクノロジーから来るものとして、代表的な組織としてGAFAを挙げている。彼自身の発言からは、科学とテクノロジーに奪われた現代人の知的イニチアシブを哲学に取り戻したいという野心を感じさせる。これが現在の哲学の潮流なのかもしれない。確かに科学が倫理をないがしろにして進歩し続けたことが、今日の多くの問題の原因とも思われる。本題の全体主義については第一章と第二章にあるのみで、それもあまり濃いとは言えない内容だ。ガブリエル氏にとっては過去の全体主義は語りつくされたことであり、新鮮さがないのかもしれない。だからと言ってGAFAにそれを見出すのは安易過ぎるように思う。流通やメディアなど、様々な分野でそれまでの常識を覆してきたし、いまではそれぞれの分野で支配的な立場にある。幾多の業界で恨みを買っているGAFAを悪者にすることは人々の同意を得やすいところだと思われるが、どのように将来の脅威になるのかの説明がない。僕の過去の経験と世界史の知識から見て、全体主義には大衆側の不安感と依存性、支配側のプロパガンダや圧力などの意識的なマインドコントロールが不可欠だと思っているが、そうした見方がほとんど示されないことにも疑問を感じた。そもそも全体主義についての具体的な議論自体が少ない。読後感として、半分近く新実在論と科学と東洋の世界観について語っていたような印象。はたして全体主義について語るために新実在論から始める必要があるのか。全体主義についての具体的な議論は二割程度だと思う。大きく見ればすべての議論は関連していると言われればそうかもしれないが、それなら書名を変えるべきではないだろうか。
自分の体験から分かりやすく説明するならば、全体主義体制とはカルト集団が国家規模に拡大した体制である。正確に説明しようとするとカルト集団の例は最適ではないが、分かりやすいと思う。ナチスドイツや文化大革命の時代の中国、現在の北朝鮮やイスラム国などを見れば、カリスマ的指導者、視野の狭い価値観など共通した性質を見ることができる。カリスマ的指導者の視野の狭さが、独善的で無思考な組織を通じて、純粋に外部に表現されたものがホロコーストであり、文化大革命であり、オウム事件だった。本書第二章でガブリエル氏は、ナチスや大日本帝国の全体主義が独善的で無思考であることを官僚主義的な悪と表現しているようだ。麻原彰晃も最終的にはそのような組織を目指していたと思われるのは、教団後期に「省庁制」を導入したことによる。現実には「省庁制ごっこ」だったが、一部の弟子たちに犯罪の責任を押し付けるための箱作りだった可能性もあって本心はよく分かっていない。実行犯は修行のために出家していたから、自分の観念を崩壊させる修行として、または救済活動のつもりで与えられた指示を実行していた。だからオウムの場合は官僚主義的な悪ではなく、宗教的純粋さの悪と言えるかもしれない。それゆえに独善的で無思考だったことは同じで、いわば人として未熟だったことによる愚かさである。
第一章「全体主義を解剖する」でほぼ具体的な全体主義についての議論は終わっている。
第二章「ドイツ哲学と悪」ではドイツ哲学では全体主義の悪をどのように考えてきたかを語る。
第三章「ドイツ哲学は全体主義を乗り越えたのか」は、ほぼハーバーマスとハイデガー批判に当てられている。
第四章「全体主義に対峙する新実在論」はガブリエル氏の新実在論の解説と現在の自然科学に対する批判である。
第五章「東アジア哲学に秘められたヒント」には、ガブリエル氏に影響を与えた中国哲学の王弼の世界観と現代物理学の比較をもとに、ユダヤ・キリスト教を普遍とするヨーロッパ的普遍への問題提起がある。
第六章「倫理的消費は資本主義を変える」は消費の動機を見直そうという内容。
第七章「新しい啓蒙に向かって」は対談した二人の現在の活動報告と目標について。
ガブリエル氏は全体主義は科学とテクノロジーから来るものとして、代表的な組織としてGAFAを挙げている。彼自身の発言からは、科学とテクノロジーに奪われた現代人の知的イニチアシブを哲学に取り戻したいという野心を感じさせる。これが現在の哲学の潮流なのかもしれない。確かに科学が倫理をないがしろにして進歩し続けたことが、今日の多くの問題の原因とも思われる。本題の全体主義については第一章と第二章にあるのみで、それもあまり濃いとは言えない内容だ。ガブリエル氏にとっては過去の全体主義は語りつくされたことであり、新鮮さがないのかもしれない。だからと言ってGAFAにそれを見出すのは安易過ぎるように思う。流通やメディアなど、様々な分野でそれまでの常識を覆してきたし、いまではそれぞれの分野で支配的な立場にある。幾多の業界で恨みを買っているGAFAを悪者にすることは人々の同意を得やすいところだと思われるが、どのように将来の脅威になるのかの説明がない。僕の過去の経験と世界史の知識から見て、全体主義には大衆側の不安感と依存性、支配側のプロパガンダや圧力などの意識的なマインドコントロールが不可欠だと思っているが、そうした見方がほとんど示されないことにも疑問を感じた。そもそも全体主義についての具体的な議論自体が少ない。読後感として、半分近く新実在論と科学と東洋の世界観について語っていたような印象。はたして全体主義について語るために新実在論から始める必要があるのか。全体主義についての具体的な議論は二割程度だと思う。大きく見ればすべての議論は関連していると言われればそうかもしれないが、それなら書名を変えるべきではないだろうか。