『新東京文学散歩――上野から麻布まで』(野田宇太郎著、講談社文芸文庫)には、著者自身による敗戦直後の東京の「文学散歩」が綴られています。
「露伴の『五重塔』」には、こういう一節があります。「『五重塔』は露伴小説の代表作、すくなくとも最も人口に膾炙された名作と云える。主要舞台は谷中感応寺五重の塔である。感応寺は今の天王寺の日蓮宗時代の寺名であると云う。主人公のっそり十兵衛のモデルはこの墓畔の銀杏横町に住んだ頃の露伴が知っていた『倉』と云う実在の大工だという」。『五重塔』は私の好きな作品であるが、実在の人物が、あの大工のモデルだったとは!
「観潮楼跡」では、私の好きな森鴎外に出会うことができます。「団子坂は一名汐見坂とも云われた。森鴎外は明治二十五年一月三十一日に、坂上の、昔は太田ケ原といったその一角、本郷駒込千駄木町二十一番地に同町内の五十七番地から移って来て、新たに二階建書斎を増築し、坂の別名に因んでその二階家を『観潮楼』と名づけた。その以来鴎外の文名を慕う青年詩人や学者その他、この家を訪れる者のあとを断たなかったのは云うまでもない」。木曜会は漱石を慕う若手文学者たちが集ったことで有名であるが、この観潮楼を多くの後進が訪れたことももっと知られていいのではないか。
「『猫』を書いた家」は、言うまでもなく、夏目漱石が住んだ家です。「駒込千駄木町の焼け残りの一角の古い家である。その一番手前の左側に、如何にもがっちりとした平家建の家が、庭の囲いもとり毀したままに家の側面をさらけ出している。濡れ縁の廊下のついた居間や座敷まで表通りから見透しである。可成広い家だが、これが夏目漱石の『吾輩は猫である』をはじめ、『倫敦塔』『カーライル博物館』『幻影の盾』などの小品や『文学評論』などを書いて文壇に名乗りをあげたゆかりの家であり、また漱石より十年余り前に森鴎外が一年半ほど住んだ家であることは、一般の人々は気づかない。・・・この家ほど近代文豪に縁の深い家も亦他には殆どみられないことが判る.而も鷗漱の二文豪はお互いに尊敬し合いながら、上田敏の青楊会などで顔を合わせることはあっても、ゆっくり二人で歓談する機会は全くなかった」。尊敬し合っていたとしても、互いのライヴァル意識がそうさせたのではないか、と私は考えている。
本書のおかげで、野田宇太郎という人物の存在を知ることができました。
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新東京文学散歩 上野から麻布まで (講談社文芸文庫 のG 1) 文庫 – 2015/2/11
野田 宇太郎
(著)
「文学散歩」という言葉を創案したのは、野田宇太郎である。東京の文人の辿った跡を丹念に歩き尽くしたこの作品――東京は、近代文学史上に名を刻んだほとんどの文学者の私生活の場所でもあった……。近代文学の真実に触れる事、すなわち東京を知ることと考えた著者の、生涯をかけた仕事『新東京文学散歩』は、文学を愛する読者に献げた、文学案内の礎でもある。
「文学散歩」という言葉を創案したのは、野田宇太郎である。
東京の文人の辿った跡を丹念に歩き尽くしたこの作品――
東京は、近代文学史上に名を刻んだ
ほとんどの文学者の私生活の場所でもあった……。
近代文学の真実に触れる事、すなわち東京を知ることと考えた著者の、
生涯をかけた仕事『新東京文学散歩』は、
文学を愛する読者に献げた、文学案内の礎でもある。
「文学散歩」という言葉を創案したのは、野田宇太郎である。
東京の文人の辿った跡を丹念に歩き尽くしたこの作品――
東京は、近代文学史上に名を刻んだ
ほとんどの文学者の私生活の場所でもあった……。
近代文学の真実に触れる事、すなわち東京を知ることと考えた著者の、
生涯をかけた仕事『新東京文学散歩』は、
文学を愛する読者に献げた、文学案内の礎でもある。
- 本の長さ287ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2015/2/11
- ISBN-104062902605
- ISBN-13978-4062902601
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商品の説明
著者について
野田宇太郎(1909.10.28~1984.7.20) 詩人・評論家。福岡県生まれ。久留米での新聞記者、市役所職員時代に詩集『北の部屋』『音楽』『菫歌』を刊行。40年上京し、「新風土」「新文化」編集を経て河出書房で「文芸」創刊から20年末まで編集長を務める。“文学散歩”という形式を創案し、61~66年「文学散歩」を編集、東京から九州まで各地域別に著述し、『野田宇太郎文学散歩』(全26巻)に集成した。75年に評論「日本耽美派文学の誕生」で芸術選奨。82年に『底本野田宇太郎全詩集』刊行。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2015/2/11)
- 発売日 : 2015/2/11
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 287ページ
- ISBN-10 : 4062902605
- ISBN-13 : 978-4062902601
- Amazon 売れ筋ランキング: - 592,237位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 895位講談社文芸文庫
- - 99,031位ノンフィクション (本)
- - 163,008位文学・評論 (本)
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2019年9月17日に日本でレビュー済み
漱石生誕150周年にあたる2017年9月24日、漱石山房記念館が新宿区早稲田南町7の漱石山房跡地に開館した。1951(昭和26)年に著者が訪ねた時、バラック小屋の前に「赤煉瓦の暖炉の煙り出しらしいものが、ぽつりと一本だけそのままに立っている。これが、他ならぬ漱石山房の跡である」ここから遠くない飯田橋方面には馬琴の井戸や紅葉ゆかりの土地もある。しかし目の前に映るのはどうということもない景色である。それを興味深い読み物にしているのが著者野田宇太郎の才腕である。刊行後70年近く経って東京の風景は一変した。それでも文庫本を片手に文学散歩がしたくなるのは妙だ。
新宿区は文学館、記念館の建設に熱心である。中井駅そばの異色ある林芙美子記念館も早稲田から歩いて行ける距離である。しかし野田の本に林芙美子の記述はない。野田が日本読書新聞に連載していた時林芙美子は存命の現役作家だった。
新宿区は文学館、記念館の建設に熱心である。中井駅そばの異色ある林芙美子記念館も早稲田から歩いて行ける距離である。しかし野田の本に林芙美子の記述はない。野田が日本読書新聞に連載していた時林芙美子は存命の現役作家だった。