無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
作家という病 (講談社現代新書 2323) 新書 – 2015/7/16
校條 剛
(著)
どこかしら「過剰」だからこそ作家なのだ--。小説新潮の編集に約30年携わり、同誌の編集長もつとめた著者が、鬼籍に入った思い出深い著者たちの記憶をたどる。渡辺淳一、山村美紗、遠藤周作、水上勉、井上ひさし、城山三郎、久世光彦……総勢21名の作家たちのそれぞれの業(ごう)を秘話満載で描く。
鬼、女帝、遅筆……。作家を作家たらしめる「過剰さ」とは何か。
全21人の作家の「業」(ごう)を秘話満載で描く。
●彼女の家の玄関チェーンを「ぶった切ってやる!」……渡辺淳一
●紫綬褒章を頑なに拒否した、意外にも肉食の人……城山三郎
●「すみません」を繰り返しながら原稿は遅れる……井上ひさし
●「ずいぶん儲けさせてやってるんやぜー」……遠藤周作
●賞品総額1千万円の福引が新年会の恒例行事……山村美紗
<本書の内容>
第一章 流浪の民
1 水上勉 風呂とめし 2 田中小実昌 カバンの中のカント 3 渡辺淳一 鈍感力と激しさと
第二章 硬骨の士
1 城山三郎 旗振らすな 2 結城昌治 心優しき正義漢 3 藤沢周平 内心の炎
第三章 二足の草鞋
1 伴野朗 朝日新聞記者 2 山口洋子 三冠王 3 久世光彦 倒れるような忙しさ
第四章 遅筆の理由
1 井上ひさし ひさしズム 2 都筑道夫 一人四役 3 綱淵謙錠 故郷喪失者の哀しみ
第五章 仕事をせんとや、遊びをせんとや
1 遠藤周作 仕事も遊びも 2 北原亞以子 なにくそが原動力 3 吉村昭 幸せだなあ
第六章 早すぎた旅立ち
1 山際淳司 スーパードライ 2 楢山芙二夫 岩手なまりのニューヨークのサムライ 3 多島斗志之 失踪
第七章 全身流行作家
1 黒岩重吾 作家という鬼 2 西村寿行 誰よりも犬を愛す 3 山村美紗 女帝の時代
「プロ作家が口を揃えて言うことだが、作家になるよりも、作家であり続けることのほうがはるかに大変だということである。作家であり続けるために、作家は自分の一部を過剰に肥大させるようになる。作家と呼ばれる人たちの「過剰さ」「内的エネルギーの膨大さ」それが、作家という病ということになるだろう」(本文より)
鬼、女帝、遅筆……。作家を作家たらしめる「過剰さ」とは何か。
全21人の作家の「業」(ごう)を秘話満載で描く。
●彼女の家の玄関チェーンを「ぶった切ってやる!」……渡辺淳一
●紫綬褒章を頑なに拒否した、意外にも肉食の人……城山三郎
●「すみません」を繰り返しながら原稿は遅れる……井上ひさし
●「ずいぶん儲けさせてやってるんやぜー」……遠藤周作
●賞品総額1千万円の福引が新年会の恒例行事……山村美紗
<本書の内容>
第一章 流浪の民
1 水上勉 風呂とめし 2 田中小実昌 カバンの中のカント 3 渡辺淳一 鈍感力と激しさと
第二章 硬骨の士
1 城山三郎 旗振らすな 2 結城昌治 心優しき正義漢 3 藤沢周平 内心の炎
第三章 二足の草鞋
1 伴野朗 朝日新聞記者 2 山口洋子 三冠王 3 久世光彦 倒れるような忙しさ
第四章 遅筆の理由
1 井上ひさし ひさしズム 2 都筑道夫 一人四役 3 綱淵謙錠 故郷喪失者の哀しみ
第五章 仕事をせんとや、遊びをせんとや
1 遠藤周作 仕事も遊びも 2 北原亞以子 なにくそが原動力 3 吉村昭 幸せだなあ
第六章 早すぎた旅立ち
1 山際淳司 スーパードライ 2 楢山芙二夫 岩手なまりのニューヨークのサムライ 3 多島斗志之 失踪
第七章 全身流行作家
1 黒岩重吾 作家という鬼 2 西村寿行 誰よりも犬を愛す 3 山村美紗 女帝の時代
「プロ作家が口を揃えて言うことだが、作家になるよりも、作家であり続けることのほうがはるかに大変だということである。作家であり続けるために、作家は自分の一部を過剰に肥大させるようになる。作家と呼ばれる人たちの「過剰さ」「内的エネルギーの膨大さ」それが、作家という病ということになるだろう」(本文より)
- 本の長さ320ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2015/7/16
- 寸法10.8 x 1.3 x 17.3 cm
- ISBN-104062883236
- ISBN-13978-4062883238
商品の説明
著者について
一九五〇年東京・荻窪生まれ。一九七三年、早稲田大学第一文学部フランス文学科卒業と同時に新潮社入社。月刊雑誌「小説新潮」に二十九年間所属、うち九年間は「小説新潮」編集長を務める。このあと「新潮新書」編集委員を経て、株式会社パブリッシングリンクに出向、コンテンツ開発部長。二〇一〇年新潮社を退職し、デジタル文藝総合誌「アレ!」編集長。新潮社在社中より、日大芸術学部文芸学科非常勤講師、朝日カルチャーセンター講師を務める。二〇一四年四月より京都造形芸術大学・文芸表現学科の教授・学科長に就任、現在に至る。日本文藝家協会会員。著書に『ぬけられますか――私漫画家滝田ゆう』(河出書房新社)、『スーパー編集長のシステム小説術』(ポプラ社)、『ザ・流行作家』(講談社)。監修に『朝5分! 読むだけで文章力がグッと上がる本』(ナガオカ文庫)、『新版 小説を書きたい人のための本』(成美堂出版)がある。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2015/7/16)
- 発売日 : 2015/7/16
- 言語 : 日本語
- 新書 : 320ページ
- ISBN-10 : 4062883236
- ISBN-13 : 978-4062883238
- 寸法 : 10.8 x 1.3 x 17.3 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 848,286位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 2,469位講談社現代新書
- - 126,305位ノンフィクション (本)
- - 220,803位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。
著者の本をもっと発見したり、よく似た著者を見つけたり、著者のブログを読んだりしましょう
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2024年4月7日に日本でレビュー済み
純文学を意識しながら、大衆小説の立場から作家を論じているのが好感を持てます。小説新潮の編集者としては当然の姿勢ながら、妙に高尚な文学評論的立場から離れて、時には俗人としての作家たちを描いているのが好感を持てます。「直木賞を取る取らないでは、生涯億の単位で収入が違う」という風な発言が2回ほど書かれていますが、そのくらい俗な、濃い文章があってこそ、文藝を作りならがも売る立場にある出版編集者という視点がはっきりしており、それが読ませる著作となっています。どの作家に関しても、プライベートなエピソードが面白い。山村美紗の劣等感からと思われる我儘振り、綱淵謙錠の校正者・資料引用癖、選考委員としての井上やすしの誠実さ、遠藤周作の身勝手な変身振り、渡辺淳一の女性遍歴等を遠慮なく描いています。そしてなによりも、楢山芙二夫と多島斗志之に対しての、著者の惜しむ心が読ませます。「ザ・流行作家」同様、読み方によっては上品な味ではないと感じる人もいるかもしれませんが、自分にとっては濃い味のする、誠に読ませる一冊でした。
2015年10月3日に日本でレビュー済み
paul johnsonのintellectualsのような偶像破壊の書物かなと思い読み始めたのですが、実際は相当抑制のきいたレクイエムでした。全部で21人の作家が取り上げられていますが、そのすべての作家と著者は濃淡の違いはあるにせよ、断続的に長年、職業上の関わりを持っています。
これ程の作家たちです、相当なゴシップやかけない話もあったはずですが、そのような事実の断片や個人的な好悪は禁欲的にすべて封印されており、作家の作品と編集者としてかかわった幾つかの象徴的なエピソードを通して、作家自身の本質を浮き彫りにしたいという著者の思いが強く感じられる作品です。著者は現代の視点から過去を振り返っています。そこでは過去は美化されているといえば言いすぎでしょうが、浄化されています。
どの作家も時代の刻印を背負っています。一部の最近物故した方を除くともうほとんどは「忘れられたカテゴリー」に分類される人たちです。本書の締めくくりは、意味深です。「ほとんどの編集者たちは、山村亡きあと、あの日々を懐かしく思い出しているのである」。そう、この作品は作家だけではなく、時代そして自分自身へのレクイエムなのかもしれません。
これ程の作家たちです、相当なゴシップやかけない話もあったはずですが、そのような事実の断片や個人的な好悪は禁欲的にすべて封印されており、作家の作品と編集者としてかかわった幾つかの象徴的なエピソードを通して、作家自身の本質を浮き彫りにしたいという著者の思いが強く感じられる作品です。著者は現代の視点から過去を振り返っています。そこでは過去は美化されているといえば言いすぎでしょうが、浄化されています。
どの作家も時代の刻印を背負っています。一部の最近物故した方を除くともうほとんどは「忘れられたカテゴリー」に分類される人たちです。本書の締めくくりは、意味深です。「ほとんどの編集者たちは、山村亡きあと、あの日々を懐かしく思い出しているのである」。そう、この作品は作家だけではなく、時代そして自分自身へのレクイエムなのかもしれません。
2017年9月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
作者は、小説新潮の編集長だった方です。
昭和の作家の凄さというか、破天荒さが、非常にリアリティを伴って伝わってきます。
特に西村寿行に関するところと、遅筆で有名な井上ひさしのエピソードがすごかった。
締め切りをとっくに過ぎてから、数時間ごとに送られてくる井上ひさしの言い訳のファックスのライブ感ときたら……。
当事者には気の毒ですが、読んでいるこちらは声を出して笑ってしまいました。
昭和の作家の凄さというか、破天荒さが、非常にリアリティを伴って伝わってきます。
特に西村寿行に関するところと、遅筆で有名な井上ひさしのエピソードがすごかった。
締め切りをとっくに過ぎてから、数時間ごとに送られてくる井上ひさしの言い訳のファックスのライブ感ときたら……。
当事者には気の毒ですが、読んでいるこちらは声を出して笑ってしまいました。
2017年2月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
第一章から第七章まで三人づつ計21人の作家が
取り上げられてる「作家という病」は一人の失踪、
行方不明者を除いて全員故人である。
そうだよねっておもう。現役の作家さんたちのことは
書きにくいだろうし。おそらく今の作家さんたちは
もっとスマートかもなぁと読みながらおもったり。
21人とは「水上勉、田中小実昌、渡辺純一、城山三郎、
結城昌治、藤沢周平、伴野朗、山口洋子、久世光彦、
井上ひさし、都筑道夫、綱淵謙錠、遠藤周作、北原亜以子、
吉村昭、山際淳司、楢山芙二夫、多島斗志之、黒岩重吾、
西村寿行、山村美紗」で名前だけはほぼ知っていて
知らないのは綱淵謙錠、多島斗志之は失踪時何となく新聞で
読んだような記憶があるものの一冊も読んだことなし。
先程検索してリストへ。直木賞とるか、とらないか。
その差は収入面で生涯にわたりすんごい差があるということ。
キビしい世界也。それにしても編集者ってたいへんな
仕事だなぁと生身の人間対人間。見たくないものいっぱい
見てしまいそう。読み始めた時はもっとドロドロしてるのかと
わりとあっさり。校條 剛 氏は何でもわきまえてる大人なんだなぁ
その分の少々の物足りなさも感じながら、読み終わりました。
取り上げられてる「作家という病」は一人の失踪、
行方不明者を除いて全員故人である。
そうだよねっておもう。現役の作家さんたちのことは
書きにくいだろうし。おそらく今の作家さんたちは
もっとスマートかもなぁと読みながらおもったり。
21人とは「水上勉、田中小実昌、渡辺純一、城山三郎、
結城昌治、藤沢周平、伴野朗、山口洋子、久世光彦、
井上ひさし、都筑道夫、綱淵謙錠、遠藤周作、北原亜以子、
吉村昭、山際淳司、楢山芙二夫、多島斗志之、黒岩重吾、
西村寿行、山村美紗」で名前だけはほぼ知っていて
知らないのは綱淵謙錠、多島斗志之は失踪時何となく新聞で
読んだような記憶があるものの一冊も読んだことなし。
先程検索してリストへ。直木賞とるか、とらないか。
その差は収入面で生涯にわたりすんごい差があるということ。
キビしい世界也。それにしても編集者ってたいへんな
仕事だなぁと生身の人間対人間。見たくないものいっぱい
見てしまいそう。読み始めた時はもっとドロドロしてるのかと
わりとあっさり。校條 剛 氏は何でもわきまえてる大人なんだなぁ
その分の少々の物足りなさも感じながら、読み終わりました。
2017年11月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本に紹介されている作家の全ての方の作品を読んだわけではありませんが、元小説新潮編集長の著者の各々の作家に対する気苦労と破天荒な付き合いを思わず唸ってしまうエピソードと共に紹介している。興味ある作家の項だけどもと読み始めたら、もう止まらない。
某大御所の河豚の食べ方や、やはり大物作家西村◯行の毎夜の宴会の様子など豪快な逸話やかたや生存不明の作家に対する著者の温かい眼差しなど21人の作家との交友録。
某大御所の河豚の食べ方や、やはり大物作家西村◯行の毎夜の宴会の様子など豪快な逸話やかたや生存不明の作家に対する著者の温かい眼差しなど21人の作家との交友録。
2015年7月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書の『まえがき』によると、作家は、作家であり続けるために、自然と自らに常人の感覚から外れた習慣や義務を課することになり、そうした作家という職業がもたらした特殊な習慣や傾向を、筆者は「作家という病」と名づけたのだそうだ。
そんな訳で、小説の創作という特殊な世界に生きている作家たちのどんな奇人・変人振りが語られているのだろうかと、楽しみにして本文を読ませてもらった。ちなみに、本書で取り上げられている作家は、そのほとんどが、おそらく若い人を始めとした多くの読者にとっては、名前だけしか知らない、あるいは、名前すら知らないような、物故した往時の作家ばかりとなっている。さすがに、現役の作家をこうした類いの話のネタにする訳にはいかなかったのだろう。
さて、その本文には、「作家は想像の世界に常時入り込んでいる。頭のなかにリアルな物語世界が存在し、本来リアルな現実世界はむしろ仮想の領域に反転している」という、まさに言い得て妙な筆者の作家観が記されている。ただ、実際に全21人のエピソードを読み進めてみると、『まえがき』に書かれているような常人の感覚から外れた破天荒な面を持った人はごくわずかであり、ほとんどの人は、せいぜい、少しばかり作家であり続けるための「過剰さ」を有しているという程度であり、意外に「まとも」な人ばかりであったとは思う。
しかし、編集者として身近で接していなければ分からないような往年の作家の楽屋落ち的エピソードは満載であり、それに加えて、有能な編集者ならではの着眼力と分析眼を駆使して、作家としての、あるいは、一人の人間としての21人の作家それぞれの実像を的確にあぶり出して読者に提示してくれており、非常に面白く読むことができた本だったと思う。
そんな訳で、小説の創作という特殊な世界に生きている作家たちのどんな奇人・変人振りが語られているのだろうかと、楽しみにして本文を読ませてもらった。ちなみに、本書で取り上げられている作家は、そのほとんどが、おそらく若い人を始めとした多くの読者にとっては、名前だけしか知らない、あるいは、名前すら知らないような、物故した往時の作家ばかりとなっている。さすがに、現役の作家をこうした類いの話のネタにする訳にはいかなかったのだろう。
さて、その本文には、「作家は想像の世界に常時入り込んでいる。頭のなかにリアルな物語世界が存在し、本来リアルな現実世界はむしろ仮想の領域に反転している」という、まさに言い得て妙な筆者の作家観が記されている。ただ、実際に全21人のエピソードを読み進めてみると、『まえがき』に書かれているような常人の感覚から外れた破天荒な面を持った人はごくわずかであり、ほとんどの人は、せいぜい、少しばかり作家であり続けるための「過剰さ」を有しているという程度であり、意外に「まとも」な人ばかりであったとは思う。
しかし、編集者として身近で接していなければ分からないような往年の作家の楽屋落ち的エピソードは満載であり、それに加えて、有能な編集者ならではの着眼力と分析眼を駆使して、作家としての、あるいは、一人の人間としての21人の作家それぞれの実像を的確にあぶり出して読者に提示してくれており、非常に面白く読むことができた本だったと思う。
2023年2月18日に日本でレビュー済み
名編集者が書く作家の思い出話は好きでよく読んでいますが、
この人は、親しくもない大作家の名前をズラズラ並べ、
つまらない批評や感想を書き連ね、恥ずかしくないのでしょうか。
勝手に書かれた作家たちに同情しきりです。
この人は、親しくもない大作家の名前をズラズラ並べ、
つまらない批評や感想を書き連ね、恥ずかしくないのでしょうか。
勝手に書かれた作家たちに同情しきりです。
2015年11月3日に日本でレビュー済み
『小説新潮』という雑誌の特徴から、歿した21人総て(遠藤周作は純文学と二足の草鞋、吉村昭の晩年は掲載が純文誌中止だが)エンタメ系作家。
P285、黒岩重吾の項で、“私の立場はすでに編集長ではなく、文芸編集者ですらなくなっていた。それまでのステイタスを失い、人間世界の裏表を身を持って経験していた頃である”、と、ある。
1950年生まれの著者は、新書部門に廻されたり、系列会社に出向を命じられたり、会社員なら多くが経験する、意にそぐわぬ配置替えに遭ったようで、そのような折り、黒岩が実にさりげなく温かい言葉をかけてくれたという。
編集が特殊な仕事だとは思わないが、文芸を主とした歴史ある大手出版社の“編集”となると、少し、事情が異なってくる。
かつて、一部の作家はスター的存在であり、そのような有名人と、直接会って話ができる。
自腹を切らず、アゴ・アシ・マクラ(食事代・交通費・宿泊費)付きで、仕事なのか遊びなのか判らない時間を一緒に過ごせる。
下僕のように怒鳴られることもあろうが、こちらから叱咤激励することもあって、謂わば、伴走者たる存在。
若くして編集に配置され、自らを特別な存在だと勘違いしてしまう者がいるのは事実だ。
雑誌部門の取材旅行でロスに同行した、B社、S社、K社の元文芸部門(元漫画部門も混じっていたが)の編集者たちは、一様に、かつての部署に戻りたがっていたっけ。
根っから文芸好きというか、そういう雰囲気に浴することが好きだったのもあっただろうし、雑誌部門は社内で稼いでいる割には低く扱われるというステイタスの問題、ルサンチマンが絡んでいるように窺えた。
かなり年長の方に、おこがましいが、本書から、うっすらとそれに近いものを感じる。
著者の挫折は、吉村昭の項にも出てくる。
過去の人脈に甘えることを嫌った吉村に、恐る恐る提案した新潮新書原稿依頼を、「あなたは恩人だから」と、例外的に受諾したという。
かつて著者が掌篇(『小説新潮』新潮社創立百年記念号)を頼んだことがあり、それが、晩年の吉村の新境地を拓く契機となったらしい。
偶然に『波』の連載を目にし、「吉村って、井上光晴が『ゲットーマシンと33の短篇』(帯の文句“小説はどこまで短く書けるか”)で試みたことと似たことやってる、オー・ヘンリーにでも感化されたか」と思ったものだが、こういう経緯があった訳か。
著者は会社におけるポジション獲りに関して、不器用だったようで、屈折後、しばらく経ってからの本書は、同じく思うようにはならなかった作家への視線が、優しげだ。
特に、第六章、山際淳司、楢山芙二夫、多島斗志之(三人とも1948年生まれ!)については、興味深く読ませてもらった。
楢山の名前が出て来たのには、驚き。
本書には何故か書かれていないが、初の単行本『滅びゆく日々のために』を所持している。
タイトルに惹かれたのと、発刊間も無く、まだ真新しいのに古書店で百円という安値が記され叩き売り状態だったからだ。
楢山が「北方(謙三)に電話で注告したんだけどさー」と、本文にあるが、謙三さんの方が一年上で、デビューも早い。
そうか、10年以上前に、雫石の実家で寂しく亡くなっていたのか・・・・・・合掌。
多島については、不勉強で知らなかったが、過去に二度の自殺未遂、失明の危機、「社会生活を終了します」と謎の手紙をあちこちに送り、もう6年近くも生死不明・・・・・・まるで、存在自体がミステリーではないか!
純文学が最後に光を放ったのは、埴谷雄高『死靈 定本』、村上龍『限りなく透明に近いブルー』が出た1976年だと、勝手に思っているが、山村美紗の項を読むと、エンタメ系では、バブル経済崩壊後もバブルが続いていたのだね。
P285、黒岩重吾の項で、“私の立場はすでに編集長ではなく、文芸編集者ですらなくなっていた。それまでのステイタスを失い、人間世界の裏表を身を持って経験していた頃である”、と、ある。
1950年生まれの著者は、新書部門に廻されたり、系列会社に出向を命じられたり、会社員なら多くが経験する、意にそぐわぬ配置替えに遭ったようで、そのような折り、黒岩が実にさりげなく温かい言葉をかけてくれたという。
編集が特殊な仕事だとは思わないが、文芸を主とした歴史ある大手出版社の“編集”となると、少し、事情が異なってくる。
かつて、一部の作家はスター的存在であり、そのような有名人と、直接会って話ができる。
自腹を切らず、アゴ・アシ・マクラ(食事代・交通費・宿泊費)付きで、仕事なのか遊びなのか判らない時間を一緒に過ごせる。
下僕のように怒鳴られることもあろうが、こちらから叱咤激励することもあって、謂わば、伴走者たる存在。
若くして編集に配置され、自らを特別な存在だと勘違いしてしまう者がいるのは事実だ。
雑誌部門の取材旅行でロスに同行した、B社、S社、K社の元文芸部門(元漫画部門も混じっていたが)の編集者たちは、一様に、かつての部署に戻りたがっていたっけ。
根っから文芸好きというか、そういう雰囲気に浴することが好きだったのもあっただろうし、雑誌部門は社内で稼いでいる割には低く扱われるというステイタスの問題、ルサンチマンが絡んでいるように窺えた。
かなり年長の方に、おこがましいが、本書から、うっすらとそれに近いものを感じる。
著者の挫折は、吉村昭の項にも出てくる。
過去の人脈に甘えることを嫌った吉村に、恐る恐る提案した新潮新書原稿依頼を、「あなたは恩人だから」と、例外的に受諾したという。
かつて著者が掌篇(『小説新潮』新潮社創立百年記念号)を頼んだことがあり、それが、晩年の吉村の新境地を拓く契機となったらしい。
偶然に『波』の連載を目にし、「吉村って、井上光晴が『ゲットーマシンと33の短篇』(帯の文句“小説はどこまで短く書けるか”)で試みたことと似たことやってる、オー・ヘンリーにでも感化されたか」と思ったものだが、こういう経緯があった訳か。
著者は会社におけるポジション獲りに関して、不器用だったようで、屈折後、しばらく経ってからの本書は、同じく思うようにはならなかった作家への視線が、優しげだ。
特に、第六章、山際淳司、楢山芙二夫、多島斗志之(三人とも1948年生まれ!)については、興味深く読ませてもらった。
楢山の名前が出て来たのには、驚き。
本書には何故か書かれていないが、初の単行本『滅びゆく日々のために』を所持している。
タイトルに惹かれたのと、発刊間も無く、まだ真新しいのに古書店で百円という安値が記され叩き売り状態だったからだ。
楢山が「北方(謙三)に電話で注告したんだけどさー」と、本文にあるが、謙三さんの方が一年上で、デビューも早い。
そうか、10年以上前に、雫石の実家で寂しく亡くなっていたのか・・・・・・合掌。
多島については、不勉強で知らなかったが、過去に二度の自殺未遂、失明の危機、「社会生活を終了します」と謎の手紙をあちこちに送り、もう6年近くも生死不明・・・・・・まるで、存在自体がミステリーではないか!
純文学が最後に光を放ったのは、埴谷雄高『死靈 定本』、村上龍『限りなく透明に近いブルー』が出た1976年だと、勝手に思っているが、山村美紗の項を読むと、エンタメ系では、バブル経済崩壊後もバブルが続いていたのだね。