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戦争責任・戦後責任: 日本とドイツはどう違うか (朝日選書 506) ペーパーバック – 1994/7/1
粟屋 憲太郎
(著)
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- 本の長さ272ページ
- 言語日本語
- 出版社朝日新聞出版
- 発売日1994/7/1
- ISBN-104022596066
- ISBN-13978-4022596062
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
侵略した近隣諸国への謝罪と補償は、どのようになされてきたか。歴史の教訓を未来に生かすために、近現代史、日本アジア関係史、ドイツ思想、政治学の第一人者が「過去の克服」問題を究明する。
登録情報
- 出版社 : 朝日新聞出版 (1994/7/1)
- 発売日 : 1994/7/1
- 言語 : 日本語
- ペーパーバック : 272ページ
- ISBN-10 : 4022596066
- ISBN-13 : 978-4022596062
- Amazon 売れ筋ランキング: - 614,101位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年4月30日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本は戦争の反省と総括が出来ていない。なので、簡単にまた「新しい戦前」になって、同じ、もっと悲惨な道を繰り返す。
2023年3月13日に日本でレビュー済み
序章 戦争責任・戦後責任の問題の水域
第1章 日本の戦後補償と歴史認識
第2章 東京裁判にみる戦後処理
第3章 ドイツ知識人の果たした役割
第4章 ドイツにおける戦後責任と戦後補償
終章 二つの現代史―歴史の新たな転換点に立って
おわりに―新たな転換点
第1章 日本の戦後補償と歴史認識
第2章 東京裁判にみる戦後処理
第3章 ドイツ知識人の果たした役割
第4章 ドイツにおける戦後責任と戦後補償
終章 二つの現代史―歴史の新たな転換点に立って
おわりに―新たな転換点
2015年11月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
当該問題について日本とドイツを比較した本。
田中宏氏など6人の論集。
ここでは三島憲一氏の「ドイツ知識人の果たした
役割」を読んだ感想だけ。
よく日本とドイツとは、ナチズムと中国・東南アジ
アに対する戦争犯罪への態度が異なるという
論調があるけれども、三島氏の論考を読んで、
どうもドイツは日本で起こった戦後の議論と
よく似ていると思った次第。そしてまた重大な
違いがあった。
両国とも戦後間もなくすると、崩壊した国土の復
興が目指され、戦争責任と犯罪の反省は二の次
にされたようだ。
それにドイツでも日本でも、戦争犯罪は、ナチスの
幹部と一部の財閥だけ、日本では軍部と財閥との
責任とされ、国際裁判後は、この戦争の責任と犯
罪は問われることはなかった。
二つの国の一般国民たちは、アウシュビッツや南
京は知らなかった、戦争協力は国家に強制された
もの、内心は反対だったし、われわれは騙されてい
たと主張した。
ところがドイツでは、若い知識人たちと学生たちが
60年代半ばに、こうした風潮にノンをつきつけた。
こういう経過である。
この本の中で三島氏はあのナチズムを支持し支えた
ドイツの市民階級の生活形式(様式)とドイツの社
会文化を、すなわち、ナチズムの社会文化的な土壌
を考察するのだが、
こうした、反省のきっかけはドイツの知識人たちの
「良心の疾しさ」の指摘からから起きたもののようだ。
これについては、戦争中の著作の記述を戦後その
ままにしたハイデガーに対するハーバマスの批判
が詳しく書かれている。
若いドイツ人たちは、犯罪の実際の加担者ではない
が、ナチズムに加担した同じ国家の国民であって
「良心の疾しさ」を共有している、というのである。
ここから、三島氏はドイツ人がヨーロッパ文明の中心
にいることを誇りとするドイツ文化と市民生活の中に
ナチズムを支える土壌が存在することを指摘する。
詳しくは、本書に譲るが、それはヨーロッパの市民生
活・文化といっても、権威に盲従する態度、権威主義
のドイツの教育、勤勉さと几帳面を特徴とするドイツ
人の保守主義である、と。
そしてこれらは、日本人の、日本社会の伝統と慣習
社会生活にみられる盲従と保守主義に対応している
、と。
長くなるばかりで、三島氏の主張をうまく紹介できない
のが、もどかしいが、論考の最後に、近代の競争社会
が、民衆の保守主義、自己保存主義、権威への盲従
公開の場で沈黙するという公共性の欠如を生むのであ
ること、それゆえ
こうした負の状況を抜け出すには、具体的にいかなる
方策が考えられるかを提案するのだが、これらは、本書を
読まれたい、と思うものである。
田中宏氏など6人の論集。
ここでは三島憲一氏の「ドイツ知識人の果たした
役割」を読んだ感想だけ。
よく日本とドイツとは、ナチズムと中国・東南アジ
アに対する戦争犯罪への態度が異なるという
論調があるけれども、三島氏の論考を読んで、
どうもドイツは日本で起こった戦後の議論と
よく似ていると思った次第。そしてまた重大な
違いがあった。
両国とも戦後間もなくすると、崩壊した国土の復
興が目指され、戦争責任と犯罪の反省は二の次
にされたようだ。
それにドイツでも日本でも、戦争犯罪は、ナチスの
幹部と一部の財閥だけ、日本では軍部と財閥との
責任とされ、国際裁判後は、この戦争の責任と犯
罪は問われることはなかった。
二つの国の一般国民たちは、アウシュビッツや南
京は知らなかった、戦争協力は国家に強制された
もの、内心は反対だったし、われわれは騙されてい
たと主張した。
ところがドイツでは、若い知識人たちと学生たちが
60年代半ばに、こうした風潮にノンをつきつけた。
こういう経過である。
この本の中で三島氏はあのナチズムを支持し支えた
ドイツの市民階級の生活形式(様式)とドイツの社
会文化を、すなわち、ナチズムの社会文化的な土壌
を考察するのだが、
こうした、反省のきっかけはドイツの知識人たちの
「良心の疾しさ」の指摘からから起きたもののようだ。
これについては、戦争中の著作の記述を戦後その
ままにしたハイデガーに対するハーバマスの批判
が詳しく書かれている。
若いドイツ人たちは、犯罪の実際の加担者ではない
が、ナチズムに加担した同じ国家の国民であって
「良心の疾しさ」を共有している、というのである。
ここから、三島氏はドイツ人がヨーロッパ文明の中心
にいることを誇りとするドイツ文化と市民生活の中に
ナチズムを支える土壌が存在することを指摘する。
詳しくは、本書に譲るが、それはヨーロッパの市民生
活・文化といっても、権威に盲従する態度、権威主義
のドイツの教育、勤勉さと几帳面を特徴とするドイツ
人の保守主義である、と。
そしてこれらは、日本人の、日本社会の伝統と慣習
社会生活にみられる盲従と保守主義に対応している
、と。
長くなるばかりで、三島氏の主張をうまく紹介できない
のが、もどかしいが、論考の最後に、近代の競争社会
が、民衆の保守主義、自己保存主義、権威への盲従
公開の場で沈黙するという公共性の欠如を生むのであ
ること、それゆえ
こうした負の状況を抜け出すには、具体的にいかなる
方策が考えられるかを提案するのだが、これらは、本書を
読まれたい、と思うものである。
2013年12月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
反動的な政治に危惧を感じていますのでこのような本は
貴重です。もっと本を読んで知りましょう。奥の深い本です。
貴重です。もっと本を読んで知りましょう。奥の深い本です。
2011年10月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本は、題目に表されるドイツと日本の戦争責任の取り方の違いの比較と云った事に話の重点を置くのではなく、
・ふたつの国の終戦直後の国際政治背景や戦犯裁判の形態の違いを大きな要因とする、戦争犯罪者の取り扱いの方向性の違いから来た、各国民大衆の戦争責任認識の方向性の違い。
・戦前をさかのぼる古来からの民族意識から来る民族道徳性がどの様に影響を与えているのか。
等の根源的な要因を別々に見てみようとしている。
日本とドイツは両方がファシズム国家として戦争を行い、終戦後は共に奇跡の経済復興を成し遂げると云う、よく似た時代変遷を送っているが、ドイツは模範的な戦後戦争責任を取っているのに対し、日本は今だに明瞭な責任を取っていないと云う批判がよくある。
この差を何故と捉えるのに、個別の事象を各個に比較するのでなく、戦後の地制学的影響や戦犯裁判の流れの違いなどの組み合わせから、戦争被害国・戦争被害者の表れ方の違いや、何を悪と表現して来たか、また何が責任意識から取りこぼされてしまったか等を分析しようとしている。
本のむすびでは、今も未だ殆ど理解の進まない加害戦争としての責任理解を、現世代人が健全な将来を構築していく為の未来責任として転化して行く事の必要を訴えている。
日本人は自らの尊厳を以って、戦争の被害者意識以上に加害者意識を認識して貰いたいと思う。
・ふたつの国の終戦直後の国際政治背景や戦犯裁判の形態の違いを大きな要因とする、戦争犯罪者の取り扱いの方向性の違いから来た、各国民大衆の戦争責任認識の方向性の違い。
・戦前をさかのぼる古来からの民族意識から来る民族道徳性がどの様に影響を与えているのか。
等の根源的な要因を別々に見てみようとしている。
日本とドイツは両方がファシズム国家として戦争を行い、終戦後は共に奇跡の経済復興を成し遂げると云う、よく似た時代変遷を送っているが、ドイツは模範的な戦後戦争責任を取っているのに対し、日本は今だに明瞭な責任を取っていないと云う批判がよくある。
この差を何故と捉えるのに、個別の事象を各個に比較するのでなく、戦後の地制学的影響や戦犯裁判の流れの違いなどの組み合わせから、戦争被害国・戦争被害者の表れ方の違いや、何を悪と表現して来たか、また何が責任意識から取りこぼされてしまったか等を分析しようとしている。
本のむすびでは、今も未だ殆ど理解の進まない加害戦争としての責任理解を、現世代人が健全な将来を構築していく為の未来責任として転化して行く事の必要を訴えている。
日本人は自らの尊厳を以って、戦争の被害者意識以上に加害者意識を認識して貰いたいと思う。
2013年3月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本とドイツの戦後の国民認識、戦後補償に関して勉強になりました
2015年3月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
戦争責任の実際を説いた「戦争責任論」ではありません。論調の主眼は歴史に下ずいて両国の戦後処理の仕方と戦後の国際政治環境を含め戦争責任・戦後補償を説いたものだと思います。内容的に難しいことで論点にいささか曇りがあります。よって星三つ。
1994年の発刊、2005年の11刷版を読みました。かなり世の中に普及した本に思えます。内容が多岐に渡るため粟屋憲太郎、田中宏、三島憲一、広瀬清吾、望月幸男、山口定の6名分担執筆です。夫々は研究分野を同じくする人々で考え方も粗同じ人物で構成されています。同志社大学人文科学所の主催するシンポジュームから発展したものです。内容的には舌足らずで各所で論及が折られています。しかし、此の期の「戦争責任」について考えるときには参考になる本です。全体が限られた紙面であるための余裕と発展が感じられませんでした。一度この方面の論調に興味ある方は目を通しておくべきでしょう。
1994年の発刊、2005年の11刷版を読みました。かなり世の中に普及した本に思えます。内容が多岐に渡るため粟屋憲太郎、田中宏、三島憲一、広瀬清吾、望月幸男、山口定の6名分担執筆です。夫々は研究分野を同じくする人々で考え方も粗同じ人物で構成されています。同志社大学人文科学所の主催するシンポジュームから発展したものです。内容的には舌足らずで各所で論及が折られています。しかし、此の期の「戦争責任」について考えるときには参考になる本です。全体が限られた紙面であるための余裕と発展が感じられませんでした。一度この方面の論調に興味ある方は目を通しておくべきでしょう。
2003年9月17日に日本でレビュー済み
本書は、日本とドイツの戦争責任・戦後責任の取り方に関する基本的な概観を与えてくれる本である。簡にして要を得ており、この問題に関心を持つ方にはお勧めの本である。
ただ、いくつか問題点を挙げるなら、第一に日本(植民地支配と戦争責任が中心)とドイツ(ナチズムの責任中心)の責任の取り方を、そのまま比較してよいのかという問題がある。第二に、戦後史全体の流れとの関連で、この問題は位置づけられるべきかと思う。そうしないと、現在のヨーロッパでの極右の台頭を、きちんと位置づけられなくなろう。
いずれにせよ、具体的な事例に即して書かれているため、非常に参考になる。
ただ、いくつか問題点を挙げるなら、第一に日本(植民地支配と戦争責任が中心)とドイツ(ナチズムの責任中心)の責任の取り方を、そのまま比較してよいのかという問題がある。第二に、戦後史全体の流れとの関連で、この問題は位置づけられるべきかと思う。そうしないと、現在のヨーロッパでの極右の台頭を、きちんと位置づけられなくなろう。
いずれにせよ、具体的な事例に即して書かれているため、非常に参考になる。