昭和30年代の世相がよく分かるルポ集です。古びた感じがしない
テーマは皇太子妃スクープ合戦、鶴見事故、赤線、王子争議、蒸発人間、
産業スパイ、共産村、ブラジルでの敗戦詐欺、関東大震災で儲けた人々、
財閥解体、丸ビル、韓国、広島原爆・・・と言った具合に多岐にわたる
すべてに民衆への温かい眼差しが貫かれているので共感して読みました
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ルポ戦後縦断: トップ屋は見た (岩波現代文庫 文芸 124) 文庫 – 2007/9/14
梶山 季之
(著)
- 本の長さ356ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2007/9/14
- ISBN-104006021240
- ISBN-13978-4006021245
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2007/9/14)
- 発売日 : 2007/9/14
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 356ページ
- ISBN-10 : 4006021240
- ISBN-13 : 978-4006021245
- Amazon 売れ筋ランキング: - 606,807位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 668位ジャーナリズム (本)
- - 852位岩波現代文庫
- - 6,022位その他の思想・社会の本
- カスタマーレビュー:
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カスタマーレビュー
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年2月14日に日本でレビュー済み
「トップ屋」という言葉には世間の目から隠されたものを追求し暴露するというような、ある意味では正統派ではない胡散臭さがついて
まわるものだが、梶山季之の場合は、それぞれのテーマの重要さが書き手の人格からくるものか、「深刻ぶらず」ある意味書くことを
楽しんでいるように(自ら体験し発見したことにへーっと驚きながら描き出すという風に)私には伝わってくる。
昭和30年代は今から50年以上前になるのだが、当時の社会・経済(丸の内の昼の世界から浜松の夜の世界まで)・芸能と言っては
悪いが皇太子(現天皇陛下)の花嫁候補マスコミの大騒ぎまで、15のテーマのルポが取上げられ、時代を切り取って見せてくれる。
個人的には「財閥の葬儀委員たち」を興味深く読んだ。当時復活しつつあった大手財閥もバブルをへた現在では、旧財閥の垣根を
越えた銀行の合併など、当時の三井・三菱(岩崎)・安田などといっても、結局復活ではなく、年月の経過と人の変化がそんな組織でも
崩してしまうのだと感慨深い。(ただ財閥解体では、大財閥は当時復活したものの、ここでは書かれていないが必要もなかった第5次で
解体された地方経済を支えていた中小財閥16社などは、基盤の弱さから復活できず、現在の地方疲弊・弱体化の原因となったことは認識
しておく必要がある)
広島に移り住む身としては、最後の「ヒロシマの5つの顔」は、まだ当時実際に被爆し若くて後遺症に苦しむ人たちの現実をとらえていて
今年が被爆70年で生き残った人たちの生の証言がを聴くことができる最後の節目の年だと言われるが、むしろこの梶山の作品で取上げ
られた人たちの現在を対比してルポルタージュにするマスコミがいないのかと、新聞・TVの不勉強さを感じてしまう。
まわるものだが、梶山季之の場合は、それぞれのテーマの重要さが書き手の人格からくるものか、「深刻ぶらず」ある意味書くことを
楽しんでいるように(自ら体験し発見したことにへーっと驚きながら描き出すという風に)私には伝わってくる。
昭和30年代は今から50年以上前になるのだが、当時の社会・経済(丸の内の昼の世界から浜松の夜の世界まで)・芸能と言っては
悪いが皇太子(現天皇陛下)の花嫁候補マスコミの大騒ぎまで、15のテーマのルポが取上げられ、時代を切り取って見せてくれる。
個人的には「財閥の葬儀委員たち」を興味深く読んだ。当時復活しつつあった大手財閥もバブルをへた現在では、旧財閥の垣根を
越えた銀行の合併など、当時の三井・三菱(岩崎)・安田などといっても、結局復活ではなく、年月の経過と人の変化がそんな組織でも
崩してしまうのだと感慨深い。(ただ財閥解体では、大財閥は当時復活したものの、ここでは書かれていないが必要もなかった第5次で
解体された地方経済を支えていた中小財閥16社などは、基盤の弱さから復活できず、現在の地方疲弊・弱体化の原因となったことは認識
しておく必要がある)
広島に移り住む身としては、最後の「ヒロシマの5つの顔」は、まだ当時実際に被爆し若くて後遺症に苦しむ人たちの現実をとらえていて
今年が被爆70年で生き残った人たちの生の証言がを聴くことができる最後の節目の年だと言われるが、むしろこの梶山の作品で取上げ
られた人たちの現在を対比してルポルタージュにするマスコミがいないのかと、新聞・TVの不勉強さを感じてしまう。
2007年12月16日に日本でレビュー済み
今やノスタルジーの対象として語り倒されている「昭和30年代」だが、本書を読むと様々な意味で隔世の感を禁じえない。特にそう感じたのは死傷者280人を出した国鉄事故を扱った「かくて「鶴見事故」は起こる」。事故直後に発表されたにも関わらず、この記事、とにかく冷静なのだ。当時政府の規制によりがんじがらめにされていた国鉄の経営状況を冷静に分析し、無茶なダイアも政府と国民(中でも都市住民)がよってたかって国鉄に押し付けたんじゃないか、という加害者擁護の論陣を張っている。翻って昨今のメディアはといえば、「福知山線脱線事故」の際、事故原因の究明もどこへやら、JR西職員が「ボーリング大会」をしていたやら、「飲み会」を開いていたやら、事故周辺への執拗でヒステリックな攻撃に終始した。
この彼我の差の背景には、「敗戦」という未曾有の「大惨事」の記憶がまだ国民一人一人の間に強く刻まれていた当時と、人が死ななくなった現代との死生観の隔たりや、事件事故について被害者の視線でしか受け止めようとしない国民感情の変化があるのだろうが、それにしても別の国の出来事と見紛うほどの変化である。
すでに昭和が歴史になっていた、ということであれば、このところの「昭和ノスタルジー」ブームにも何かしら理由があるのかもしれない。
この彼我の差の背景には、「敗戦」という未曾有の「大惨事」の記憶がまだ国民一人一人の間に強く刻まれていた当時と、人が死ななくなった現代との死生観の隔たりや、事件事故について被害者の視線でしか受け止めようとしない国民感情の変化があるのだろうが、それにしても別の国の出来事と見紛うほどの変化である。
すでに昭和が歴史になっていた、ということであれば、このところの「昭和ノスタルジー」ブームにも何かしら理由があるのかもしれない。