私は定年後、ジャスダック上場の新興企業で顧問をしていた。
ある冬、派遣の女性従業員が「風邪のため、薬を買いに行くので早退させてほしい」と申し出てきた。尋ねてみると、「健康保険がないので医者にいけない」という。金の無い者が高額の「買い薬」に頼るという、気の毒な状況と、一方で派遣会社は福利厚生費を負担せずに手数料を丸々懐に入れるという、まさにピンハネの構図に、彼女に同情せずにはいられなかった。また同じ会社の別の部署では、求人情報誌で募集した300名ものアルバイトをすし詰め状態にして仕事をさせていた。天井には監視カメラが設置されていた。バイトを指導する社員に、「カメラなど役に立つとは思えないが」というと「連中は質が悪い。けん制のためだ」と答えた。この社員の非正規蔑視の人権意識の欠如、そして今は正規労働者であってもこの先、いつ何時、自身も非正規雇用に陥るとも限らないことに思い至らない浅はかさ、このような企業はここだけではないであろう。教育訓練の機会もなく、ひたすら単純労働に従事させられている非正規労働者の将来は誠に心配であった。
伊東教授は本書で、「わからないのは、どのような力がこの派遣労働者の拡大を推し進めたかということである。・・・(大河内一男東大教授の流れをくむ)高梨昌・信州大学名誉教授を委員長とする委員会で人材派遣業を解禁させ、最後は製造業者への派遣の自由化まで進んでいったのである。・・・表面的には財界ではオリックスの宮内義彦氏が推進した。協力したのは政治家では小泉純一郎氏である。しかし旧労働省に協力者がいなくて、十五年先を見て、布石をうちつづけることはできない。・・・」(p106)。
当時の労働事務次官は、高梨教授と東大で同期であり、「二人は協力しあった」と高梨氏が語っていたことを私は覚えている。因みに高梨教授はマルクス経済学者としてキャリアをスタートしている筈だ。
本節の最後で伊東教授は、「日本では、非正規雇用は、アルバイト、家計補助、定年後の人に限られるべきで、規制緩和がつくりだした現在の日本社会は、あってはならない社会であり、これを正そうする政治家がいないのはゆるし難いと思っている」と強く結んでいる。(p107)。全く同感である。
私は、高度成長時代、日本が福祉国家になることを夢見てきた。しかし現実は全く逆行している。一体、現状を野党政治家はどう思っているのか。責任は重大だ。
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アベノミクス批判――四本の矢を折る 単行本 – 2014/7/31
伊東 光晴
(著)
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アベノミクスと称される一連の経済政策は果たして有効か。近時の株価上昇、円安はアベノミクスの恩恵か。第一、第二、第三の矢を順次検討し、いずれも長期不況からの脱却にはつながらないことを明らかにする。さらに第四の矢ともいうべき、安倍政権の真の狙いである憲法改正など「戦後政治改変」の動きもあわせて批判する。
- 本の長さ168ページ
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日2014/7/31
- 寸法13.5 x 2 x 19.5 cm
- ISBN-104000220829
- ISBN-13978-4000220828
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登録情報
- 出版社 : 岩波書店 (2014/7/31)
- 発売日 : 2014/7/31
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 168ページ
- ISBN-10 : 4000220829
- ISBN-13 : 978-4000220828
- 寸法 : 13.5 x 2 x 19.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 56,924位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2022年12月30日に日本でレビュー済み
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2015年2月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
マキアヴェリはフィレンツェ政府の職にあって「すべて力のある者は勝ち、力のない者は敗れる」「政治は目的と手段の問題であり、手段は力である」として『君主論』を書いた。1498年、マキアヴェリがその職に就く直前のこと、”人間は自らの生れ持った理性に導かれる”と説いた修道士サヴォナローラが処刑された。伊東氏は「おわりに」でこのことに言及する。病に倒れ執筆もままならぬ87歳伊東光晴氏の覚悟のほどが読みとれる。最終章「安倍政権が狙うもの」では、憲法発布の15年後に南原繁元東大総長が語ったという「憲法に盛り込まれた平和主義は高い理想に裏づけられている。日本の国民はこの崇高な理想主義の重さを担うことができるのか。必ず裏切る。その時、初心忘れずだ」との言葉を忘れることができないとして次の文が続く。
《高い理想主義は座して得られるものではない。武力を放棄した日本は、絶えず外交努力によってそれをつくり出していかなければならない。領土問題が存在した時、互いに話し合い、大きな目的のためにこれを棚上げし、解決を時に委ねる田中角栄首相と周恩来総理がとった策が、その良き例である。》(142p)
本来日本は大人の対応ができる国なのだ。田中総理と中国の大人周恩来は「棚上げ」という大人同士の解決を選択した。無用な争いを避ける道だった。それを「戦争したい派」が無惨にも踏みにじって今がある。くれぐれも「戦争したい派」の煽動に乗ってはならない。腑に落ちる自ずからなる日本人の道というものがある。”人間は自らの生れ持った理性に導かれる”、その時の「理性」とは、「腑に落ちる」という理解感覚のことだろう。この本が苦もなく、あるいはむしろ心おどらせつつ読み通せたのは、読者のその感覚に応えるように語られているからだ。
「おわりに」で『甦れ独立宣言—アメリカ理想主義の検証』(ハワード・ジン著 人文書院 1993)が紹介される。その第2章が「マキャベリ的現実主義とアメリカ外交政策—手段と目的」。アメリカの外交政策は、軍隊とCIAの主導の下、マキャベリズムに拠ってきた。ケネディ大統領もリベラル派のアドバイザー達も抗することはできなかった。岸信介に始まり安倍晋三に至る政治もその流れにある。しかし西欧の学問には別の流れがあると言う。アリストテレスは、人間にとって「善とは何か」を問い、それを実現する手段として政治学を考えた。ケインズもその流れの中にあって経済学を位置づけた。アメリカの独立宣言にはアリストテレスからケインズの流れに通底する理想主義の精神が込められている。日本においてそれに比すべきが第九条なのだ。次の文章で締めくくられる。
《歴史の流れは、やがて国家間の紛争解決の手段としての武力が無力であることを知らしめるに違いない。その時、日本国憲法の先見性は明らかになる。それは普遍の価値を持っているのである。・・・ハワード・ジンは『甦れ独立宣言』を書いた。私は「甦れ、21世紀の理想—憲法9条」である。》(156p)
しかし、腑に落ちかねることもある。takahatoさんのレビューに「批判される側がほとんどこの議論を無視するであろう。」とある。そのことに関わる。そこから「日本の不幸」の有り様も見えてくる。
私にとっての「腑に落ちなさ」は、伊東氏が全面評価する村山談話への異和と言える。伊東氏は「中国対日本の関係に絞るならば、この村山談話は『疑うべくもない』事実を認め反省の意を表したもので、議論の余地がないように思える。」(128p)と言う。しかし、ここで思い浮かぶのがマレーシア首相マハティールの「日本なかりせば」演説( 1992.10.14香港にて)であり、東京裁判で日本無罪論を主張したパール博士である。
村山談話の国会決議には、50人の欠席があった。その50人にあったのが、マハティール首相やパール博士に通ずる思いであったことを理解しなければならない。しかし伊東氏にこの思いへの視野は閉ざされているように思う。無我夢中さんの「明らかに民衆蔑視的上から目線を感じてしまう。」という批判に通ずる(私は無我夢中さんが言うように、伊東氏が「とりあえず主義」を「合理主義」より低位なものと考えているとは思えなく読んだが)。
伊東氏の視野の及ばないところに、それはそれで大きな世界が広がっている。たとえば、「東洋の理想」の岡倉天心の世界が在る(若松英輔「岡倉天心『茶の本』を読む」)。そのことに気づく時、「『大東亜』戦争」に込められた意味もあらためて考えざるをえなくなり、そこから議論(対話)が生まれるはずなのだ。しかしtakahatoさんが言われるごとく、二つの議論はなかなか噛み合ない。ここにこそ日本の不幸がある。しかし、決して克服できない不幸ではない。
《高い理想主義は座して得られるものではない。武力を放棄した日本は、絶えず外交努力によってそれをつくり出していかなければならない。領土問題が存在した時、互いに話し合い、大きな目的のためにこれを棚上げし、解決を時に委ねる田中角栄首相と周恩来総理がとった策が、その良き例である。》(142p)
本来日本は大人の対応ができる国なのだ。田中総理と中国の大人周恩来は「棚上げ」という大人同士の解決を選択した。無用な争いを避ける道だった。それを「戦争したい派」が無惨にも踏みにじって今がある。くれぐれも「戦争したい派」の煽動に乗ってはならない。腑に落ちる自ずからなる日本人の道というものがある。”人間は自らの生れ持った理性に導かれる”、その時の「理性」とは、「腑に落ちる」という理解感覚のことだろう。この本が苦もなく、あるいはむしろ心おどらせつつ読み通せたのは、読者のその感覚に応えるように語られているからだ。
「おわりに」で『甦れ独立宣言—アメリカ理想主義の検証』(ハワード・ジン著 人文書院 1993)が紹介される。その第2章が「マキャベリ的現実主義とアメリカ外交政策—手段と目的」。アメリカの外交政策は、軍隊とCIAの主導の下、マキャベリズムに拠ってきた。ケネディ大統領もリベラル派のアドバイザー達も抗することはできなかった。岸信介に始まり安倍晋三に至る政治もその流れにある。しかし西欧の学問には別の流れがあると言う。アリストテレスは、人間にとって「善とは何か」を問い、それを実現する手段として政治学を考えた。ケインズもその流れの中にあって経済学を位置づけた。アメリカの独立宣言にはアリストテレスからケインズの流れに通底する理想主義の精神が込められている。日本においてそれに比すべきが第九条なのだ。次の文章で締めくくられる。
《歴史の流れは、やがて国家間の紛争解決の手段としての武力が無力であることを知らしめるに違いない。その時、日本国憲法の先見性は明らかになる。それは普遍の価値を持っているのである。・・・ハワード・ジンは『甦れ独立宣言』を書いた。私は「甦れ、21世紀の理想—憲法9条」である。》(156p)
しかし、腑に落ちかねることもある。takahatoさんのレビューに「批判される側がほとんどこの議論を無視するであろう。」とある。そのことに関わる。そこから「日本の不幸」の有り様も見えてくる。
私にとっての「腑に落ちなさ」は、伊東氏が全面評価する村山談話への異和と言える。伊東氏は「中国対日本の関係に絞るならば、この村山談話は『疑うべくもない』事実を認め反省の意を表したもので、議論の余地がないように思える。」(128p)と言う。しかし、ここで思い浮かぶのがマレーシア首相マハティールの「日本なかりせば」演説( 1992.10.14香港にて)であり、東京裁判で日本無罪論を主張したパール博士である。
村山談話の国会決議には、50人の欠席があった。その50人にあったのが、マハティール首相やパール博士に通ずる思いであったことを理解しなければならない。しかし伊東氏にこの思いへの視野は閉ざされているように思う。無我夢中さんの「明らかに民衆蔑視的上から目線を感じてしまう。」という批判に通ずる(私は無我夢中さんが言うように、伊東氏が「とりあえず主義」を「合理主義」より低位なものと考えているとは思えなく読んだが)。
伊東氏の視野の及ばないところに、それはそれで大きな世界が広がっている。たとえば、「東洋の理想」の岡倉天心の世界が在る(若松英輔「岡倉天心『茶の本』を読む」)。そのことに気づく時、「『大東亜』戦争」に込められた意味もあらためて考えざるをえなくなり、そこから議論(対話)が生まれるはずなのだ。しかしtakahatoさんが言われるごとく、二つの議論はなかなか噛み合ない。ここにこそ日本の不幸がある。しかし、決して克服できない不幸ではない。
2014年9月16日に日本でレビュー済み
伊東光晴『アベノミクス批判 四本の矢を折る』はタイトル通りの本である。
安倍の経済政策がどんなふうに間違っているかということを、数値やさまざまな分析(伊東以外の人の分析を含む)を整理して、とてもわかりやすく書いている。経済政策だけではなく、外交、さらには本人の「資質」そのものをも批判している。
その文章のなかに、経済だけではなく、ことばの問題(人間の生き方の問題)がすばやく差し挟まれているところがあり、それが「知識(頭)」をととのえてくれると同時に、なにか、「肉体」になじむ。「そのとおり」と言いたくなる。私は伊東の文章が大好きだが、それは鋭い分析と同時に、人間の生き方を感じさせるものがあるからだ。
たとえば、「労働政策」を批判した文章。「非正規雇用」について触れた部分。
怒りをおぼえるのは、社会が多様化し”多様な生き方を求める”時代になったと言い、そのことが非正規に働く人がふえている原因だと言う厚生労働省の人がいることである。( 107ページ)
ものの見方、社会のとらえ方はさまざまである。しかし、それは最初から「さまざま」ではない。どんな「言い方」をするかで「さまざま」が違ってくる。
たとえば非正規雇用労働者がふえているのは、賃金を安く抑え経営負担を軽くするためであるという「言い方」ができる。一方、そういう経営者の狙いを隠して、逆に「会社に勤務時間をしばられて働くことよりも、時には残業をしなければならないというような仕事を嫌い、自分で労働する時間をフレキシブルに決定して自由時間を活用することを好む若者が増えているからだ」ということもできる。
「言う」(ことばにすること)で、社会の見え方が違ってくる。
こういうことを伊東は「厚生労働省の人」が「言っている(本文は「言う」)」と書くことで明確にしている。これはとても大事なことだ。ひとは、ことばによって、なにかを隠す。「意味」をつたえるとともに、なにかを隠す。
それが問題だ。
ここでは伊東は「怒りをおぼえるのは」と感情を率直に語っているが、この「怒り」が随所に見える。伊東は「怒り」ながら、「アベノミクス」が、その「美しいことば」で何を隠しているかを具体的に、つまり事実を指摘するだけではなく、同時に、「ことばの問題(どんなふうに嘘をついているか)」としても取り上げている。正しいことばの動き方とはどうあるべきか、という問題を取り上げている。
昔のことばで言えば「道」の問題である。「どの道」を歩くか。どう歩くか。
そこが重要である。
先の「非正規雇用」についての文章の前には、次の文章もある。人が、何を、どう言うか(何を隠し、何を伝えるか)の具体例である。「道」の具体例である。
ある地方の話である。経済団体の会合で、東京から招かれた経済同友会系の実業家が講演し、派遣社員を活用したことにより、不況での対応が可能になった等の話をし、別の経営者が、学校に申し込んで新卒者をとるのではなく、いったん派遣会社を通じて大学卒を雇うことの利点を述べたという。そこにいた公立大学の学長が、たまらず発言を求めた。こうしたことが、新卒者の地位を下げ、若年者の非正規雇用の比率を高めているのである。( 106ページ)
実業家は「非正規雇用」を活用し人件費を抑えることができたと語り、別の経営者は「非正規雇用」を推進する方法を披露している。大学に求人情報を出すのではなく、派遣会社に求人情報を出す。「正規雇用」を最初から除外するのである。
こういう「事実」(ことばの操作、情報の操作)を、大学の新卒者はどれだけ知っているだろうか。知らされているだろうか。
情報はいつでも「公開」されると同時に「隠される(操作される)」ものなのだ。
「ことば」とは「考え方(思想/生き方)」の問題でもある。「安倍政権が狙うもの」という章のなかでは、次のように書く。
安倍内閣はグローバル時代に即した人材をつくるための教育振興を推し進めるという。国際化のための教育は英語の重視だけではない。何をどのように考える人間なのか、それが最も重要であり、領土教育で互いに口論し殴り合う若者をつくるのが国際化に即する教育であるはずがない。( 125ページ)
「何をどのように考える人間なのか」。これは、そのままこの本(伊東)の姿勢でもある。安倍政策の何をどのように考えるか。それは「知識」ではない。ことばを動かし、確かめることである。「道」であり、「実践」である。
--と、ここまで書いてきて、私は、なぜ伊東の文章が好きなのか、わかった。「どのように考えるか」ということがいつも明確に書かれているからだ。何をどのように実践するか、が明確に書かれている。実践は常に「肉体」によって具体化される。「肉体」が動くのが「実践」である。
そして、この「どのように」に眼を向けるとき、伊東の「思想(肉体)」を特徴づけることばがあることにも気づく。「道」のつくり方を特徴づけることばがあることに気がつく。「思想」の根本を明確にすることばがあることに気づく。
「領土問題」に触れた部分。
橋本内閣の池田外務大臣が(尖閣列島を)日本の領土であると言っても矛盾はないかもしれないと外務省は主張するだろう。しかし、中国側の主張を並べ二四年前の決着に言及しないのは、公平ではない。( 133ページ)
「公平」。これが伊東の「思想」の中心にあると思う。経済に関しては、人が働き、金を稼ぎ、日々を暮らす。そのとき、富はどのように分配されるのが「公平」なのか。その「公平」のためには何をすればいいのか。何を「どのように」考えていけば、「公平」が実現されるのか。安倍のやろうとしていることは「公平」からどれだけ遠いことなのか--そういう指摘を伊東はしている。また外交については、他者の主張をどれだけ聞き入れ、自分の考えと共存させるか、共存のためにはどんなふうに考えをととのえるべきなのか--そういう問題を、歴史を踏まえながら(先人の「道」のつけ方を辿りながら語っている。
伊東の文章には、私はいつも目を開かれるが、それは「公平」をめざす姿勢にゆるぎがないからだ。
安倍の経済政策がどんなふうに間違っているかということを、数値やさまざまな分析(伊東以外の人の分析を含む)を整理して、とてもわかりやすく書いている。経済政策だけではなく、外交、さらには本人の「資質」そのものをも批判している。
その文章のなかに、経済だけではなく、ことばの問題(人間の生き方の問題)がすばやく差し挟まれているところがあり、それが「知識(頭)」をととのえてくれると同時に、なにか、「肉体」になじむ。「そのとおり」と言いたくなる。私は伊東の文章が大好きだが、それは鋭い分析と同時に、人間の生き方を感じさせるものがあるからだ。
たとえば、「労働政策」を批判した文章。「非正規雇用」について触れた部分。
怒りをおぼえるのは、社会が多様化し”多様な生き方を求める”時代になったと言い、そのことが非正規に働く人がふえている原因だと言う厚生労働省の人がいることである。( 107ページ)
ものの見方、社会のとらえ方はさまざまである。しかし、それは最初から「さまざま」ではない。どんな「言い方」をするかで「さまざま」が違ってくる。
たとえば非正規雇用労働者がふえているのは、賃金を安く抑え経営負担を軽くするためであるという「言い方」ができる。一方、そういう経営者の狙いを隠して、逆に「会社に勤務時間をしばられて働くことよりも、時には残業をしなければならないというような仕事を嫌い、自分で労働する時間をフレキシブルに決定して自由時間を活用することを好む若者が増えているからだ」ということもできる。
「言う」(ことばにすること)で、社会の見え方が違ってくる。
こういうことを伊東は「厚生労働省の人」が「言っている(本文は「言う」)」と書くことで明確にしている。これはとても大事なことだ。ひとは、ことばによって、なにかを隠す。「意味」をつたえるとともに、なにかを隠す。
それが問題だ。
ここでは伊東は「怒りをおぼえるのは」と感情を率直に語っているが、この「怒り」が随所に見える。伊東は「怒り」ながら、「アベノミクス」が、その「美しいことば」で何を隠しているかを具体的に、つまり事実を指摘するだけではなく、同時に、「ことばの問題(どんなふうに嘘をついているか)」としても取り上げている。正しいことばの動き方とはどうあるべきか、という問題を取り上げている。
昔のことばで言えば「道」の問題である。「どの道」を歩くか。どう歩くか。
そこが重要である。
先の「非正規雇用」についての文章の前には、次の文章もある。人が、何を、どう言うか(何を隠し、何を伝えるか)の具体例である。「道」の具体例である。
ある地方の話である。経済団体の会合で、東京から招かれた経済同友会系の実業家が講演し、派遣社員を活用したことにより、不況での対応が可能になった等の話をし、別の経営者が、学校に申し込んで新卒者をとるのではなく、いったん派遣会社を通じて大学卒を雇うことの利点を述べたという。そこにいた公立大学の学長が、たまらず発言を求めた。こうしたことが、新卒者の地位を下げ、若年者の非正規雇用の比率を高めているのである。( 106ページ)
実業家は「非正規雇用」を活用し人件費を抑えることができたと語り、別の経営者は「非正規雇用」を推進する方法を披露している。大学に求人情報を出すのではなく、派遣会社に求人情報を出す。「正規雇用」を最初から除外するのである。
こういう「事実」(ことばの操作、情報の操作)を、大学の新卒者はどれだけ知っているだろうか。知らされているだろうか。
情報はいつでも「公開」されると同時に「隠される(操作される)」ものなのだ。
「ことば」とは「考え方(思想/生き方)」の問題でもある。「安倍政権が狙うもの」という章のなかでは、次のように書く。
安倍内閣はグローバル時代に即した人材をつくるための教育振興を推し進めるという。国際化のための教育は英語の重視だけではない。何をどのように考える人間なのか、それが最も重要であり、領土教育で互いに口論し殴り合う若者をつくるのが国際化に即する教育であるはずがない。( 125ページ)
「何をどのように考える人間なのか」。これは、そのままこの本(伊東)の姿勢でもある。安倍政策の何をどのように考えるか。それは「知識」ではない。ことばを動かし、確かめることである。「道」であり、「実践」である。
--と、ここまで書いてきて、私は、なぜ伊東の文章が好きなのか、わかった。「どのように考えるか」ということがいつも明確に書かれているからだ。何をどのように実践するか、が明確に書かれている。実践は常に「肉体」によって具体化される。「肉体」が動くのが「実践」である。
そして、この「どのように」に眼を向けるとき、伊東の「思想(肉体)」を特徴づけることばがあることにも気づく。「道」のつくり方を特徴づけることばがあることに気がつく。「思想」の根本を明確にすることばがあることに気づく。
「領土問題」に触れた部分。
橋本内閣の池田外務大臣が(尖閣列島を)日本の領土であると言っても矛盾はないかもしれないと外務省は主張するだろう。しかし、中国側の主張を並べ二四年前の決着に言及しないのは、公平ではない。( 133ページ)
「公平」。これが伊東の「思想」の中心にあると思う。経済に関しては、人が働き、金を稼ぎ、日々を暮らす。そのとき、富はどのように分配されるのが「公平」なのか。その「公平」のためには何をすればいいのか。何を「どのように」考えていけば、「公平」が実現されるのか。安倍のやろうとしていることは「公平」からどれだけ遠いことなのか--そういう指摘を伊東はしている。また外交については、他者の主張をどれだけ聞き入れ、自分の考えと共存させるか、共存のためにはどんなふうに考えをととのえるべきなのか--そういう問題を、歴史を踏まえながら(先人の「道」のつけ方を辿りながら語っている。
伊東の文章には、私はいつも目を開かれるが、それは「公平」をめざす姿勢にゆるぎがないからだ。
2016年7月10日に日本でレビュー済み
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再度取り出して読み直しました。
伊東さんのおっしゃるとおりだと確認しました。
今日は参議院の選挙でしたが,どうなることやら・・・。
伊東さんのおっしゃるとおりだと確認しました。
今日は参議院の選挙でしたが,どうなることやら・・・。
2016年11月28日に日本でレビュー済み
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経済学の理論に基づいた批判で読み応えがあった。一読の価値ある本です。