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無文字社会の歴史―西アフリカ・モシ族の事例を中心に 単行本 – 1976/12/1

3.5 5つ星のうち3.5 2個の評価

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 岩波書店 (1976/12/1)
  • 発売日 ‏ : ‎ 1976/12/1
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4000022113
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4000022118
  • カスタマーレビュー:
    3.5 5つ星のうち3.5 2個の評価

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川田 順造
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上位レビュー、対象国: 日本

2023年6月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
歴史学というとどうしても「資料」・「史料」として文字記録に頼ることが多く、
考古学を除けば、およそ人類の歴史には文字が必須かと思っていた。
 例えば、人類史の大転換をもたらした農業については、おそらくは世界各地で
同時多発的に生まれたとする説が有力である。しかし、残念ながら農業の由来は
はっきりしていない。農業が先か、定住が先かそれすらも判断できない。これは
文字のない時代であったから。
 化石化した植物やその種や遺跡によって類推するしかないのであろう。
 その「文字」と「文化」についての論考。

 本書の著者は川田順造(敬称略 以下同じ)。1934年生まれ、専攻は「民
族学」。無文字社会の研究を主とし、かなりの著作があり、いずれも評価が高い
のではないか。

「解説」から言えば、「無文字社会の歴史のあり方を探究することは、人類文化
における文字社会を相対化する視点を築くことに通ずる。…口頭伝承や儀礼など
から無文字社会の歴史と構造を鮮やかに分析した」書であるだろう。

 著者も「はじめに」で、「言語は人類に普遍的に用いられているが、文字は少
しも普遍的ではない。…文字を用いなかった社会の方が…はるかに多かった」と
いう前提に立ち、文字社会の歴史の性質、文字のあるなしで歴史そのものに違い
があるのか、社会構造はどうであるか、等々を実地研究(アフリカのモシ族)に
基づいて考察したもの。
 本書の内容に従ってレビューする。

 2・非文字史料の一般的性格、3・文字記録と口頭伝承。
非文字史料を、遺物・遺跡・人骨・など「形象化された固定した資料」と、口頭
伝承・楽器・儀礼など「固定化されずうけつがれていく資料」に分けている。後
者は、いわば「解釈された(人間の意識というフィルターを通した)歴史」とな
る。著者は「楽器の音」という通常は特に考慮されないものにも論及する。

 ここでは少し納得ができにくい分析もあった。
「過去の時点を、それと同じ時点で表す性能ということを規準にして、二つの対
置を造れば、文字は、土器のかけらと口頭伝承の中間に位置づけられる」とある
のだが、別段では「文字には、時間、空間を通じての不変性が、口頭伝承にくら
べて格段に高い」とある。これは単なる著者の枠組みを示しただけだはないか。

 また、口頭伝承は過去のある一点にたちかえって吟味することはできない。
なぜならばそれ以降現在までの時代に生きた人々の記憶を通したもの、何度も
(その時々の)人間が解釈したものを知ることができるだけ、としている。

 著者は、文字記録の個別参照性は、その記録を解釈するのが個別であるという
ことであり、口頭伝承は、複数の者に対して朗誦され、個別参照性はない、こう
主張する。しかしながらと続き、「文字社会と無文字社会が、断絶した関係には
ない」のであり、「口碑と文字記録も、相互に変換される」とする。

 ここで著者は「無文字民族は『歴史民族(文字のある民族)』との対比で『自
然民族』とよばれたこともあった」と指摘している。つまりは文字のあるなしで
「文化が高い・低い」という評価をすることを諫めているのだろう。
レヴィストロースを思い起こさせる言葉ではあるが、いかんせん現在(2023
年)から見れば当然のことを言っているだけ、という感想を持つ。

4・「モシ族の場合」以降は、モシ族の具体的研究に入る。モシ族は現在はブル
キナファソを中心に750万人の規模の民族(2023年現在)。
 口頭伝承による歴史は古くまでさかのぼれるが、文字記録の史料も考古学的遺
物もほとんど存在しないという。住居には焼いていない日干し煉瓦を用い、口頭
伝承に出てくる集落の痕跡も発見できないことが多い。

5は詳細な王の系譜の検討。6は口頭伝承がいつ作られたのかの問題を扱ってい
る。7から10までは、モシ族の歴史の始点や神話体系のあり方。かなり専門的
であるが、口承された伝説の解釈は面白い。

11・民族の歴史伝承が社会・政治組織と深く関わっていることえを実例をあげ
ながら示している。だが、モシ族とアフリカの他民族との比較では、十五世代を
さかのぼる民族もあれば、精々六世代ほどしかさかのぼれぬ民族もある。
 しかし、この「歴史の長さ」を、「政治組織が成立しているか」で判断しては
ならないとしている。強力な統治機構によって社会が安定化するとは考えにくい
のではないかということだろう。

 著者は常に正確に述べるように注意しており、ある民族の歴史を単純化するこ
とには反対の姿勢を示す。歴史を「モデル化」することへの警鐘でもある。
興味深いのが母系血縁集団は永続しているが、歴史の伝承たる語り部(太鼓)は
父系血縁集団を形成している事実。残念ながらこの「母系」「父系」の分析には
至っていない。

12から14は、歴史伝承におけるイデオロギーの表明や客観性、歴史伝承の比
較について。
 著者特有の分類や用語があり理解しにくい。
繁雑な説明だが、「歴史について口頭伝承が与えている説明は、住民の価値観の
表現としての意味はもっていても、歴史研究の資料としての価値は…かぎられた
もの」という。当然だろう。

16では「(民族や文化文明の)発展段階」について。ここで著者は明確にマル
クス主義に代表される、「一線的な発展段階を仮定して」、そして「『未開』社会
を人類進化の古井段階をあらわす『残存』」と把握するあり方を批判する。
 ここでもくどい言い方で、「短い単位での歴史の『過程』に時代法則を見出す
ことも…不可能であろう」と主張する。

「非可逆(ママ)的な世界史の流れの絶対軸のなかで…一回きりのもの」であるこ
とをその理由としてあげるが、これは論拠不足。一回きりであるならば、歴史は
その普遍性を一切持たなくなる。この乱暴な論の立て方には驚いた。

 上記の追証として「植民地化以前の黒人アフリカでは…土地の『私有』と『共
同体的所有』の区別が…決定的な重要性を」持っていないことを示す。だがこの
論拠も不十分過ぎる。あらゆる文化に普遍的ではないこと、共同体所有であるこ
と一つで、世界の文化全てを論じられても納得などできない。

18では、「神話としての歴史・年表としての歴史」について。「歴史意識」につ
いて語っている。文字社会であっても歴史をさかのぼることが難しい社会もあり、
フランスの村落を例としてあげているが、日本でも同じではないか。精々が曾祖
父母まではかなり正確に記録があるが、それ以前ははっきりしない例が多いと思
う。よってこの部分も著者の早合点。

19は書き出しに戻り「文字と社会」。著者特有の造語があり、理解しやすくは
ない。レヴィ・ストロースを引きあいに出し、その論=「文字というものは…人
類の知識の蓄積に貢献したのではなく、権力による人間の支配の強化に役立った」
を紹介し、これを批判する。どうにも「後知恵」的な批判で、これでレヴィスト
ロースと同列には扱えない。

 「文字が支配強化の道具とされた」例として中国について述べている。中国が
典型的な文字文化を持っていたとしても、王朝の交替が激しかったことを挙げて
いる。が、中国の広さは全ヨーロッパ以上であり、これを考慮に入れていない。
著者の論とは逆に、これほど民族対立が激しかった領域で同じ文字文化を持って
いたが故に、曲がりなりにも一つの国家として認識できた。この論の方が正しい
だろう。

 また、文字が全ての人に共有されていない事実を「秘儀性」と呼び、それに対
して「規約性」=「取り決めや契約の内容を記したもの」と言う。この分析の仕
方も「お話」の域を出ない。この二つの言葉が一般的に認知されていない事実だ
けを示しておく。

「おわりに」で、これまでの論をまとめて「いわゆる文字の有無を規準にして、
『文字社会』と『無文字社会』を、二つの相互に断絶した異質の社会とみなすこ
との非はあるが…文字性と無文字性は、さまざまな度合いで互いに浸透しあって
いる」とする。これはなるほどと思うと同時に、わざわざ書くほどのものかとい
う思いがする。

「あとがき」は本書の論考についてまとめたもの。雑誌の連載でもあったらしい。
特筆すべき事はない。

 全体として、「まとまりのない本」という印象。その場その場で思いついたこ
とを軸としているように思える。途中で挟まる「モシ族の具体的研究」もどうに
も場違いで、実証的研究はもっとまとめて提示するべきだろう。
 実証的研究の成果と、著者の判断や思いが絡み合い、何を重点として論じてい
るのかさえ理解しにくい。文化人類学者や民族学者も紹介しているが、それもま
とまっていない。
 本書が絶版になった理由も分かる。
 それは「散漫で、思いつきを話しているように思えるから」。

 さほど定評のない書かもしれない。
 理解しにくく、時折書いた論考をまとめずにそのまま提示している。
 これでは、おすすめできない。
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