「国譲り神話」の真実~神話は歴史を記憶する~
田中 英道 著
内容
目次
序章 「国譲り神話」を軽んじるアカデミズム 「国譲り神話」は、日本の統治体制の変化を示す物語 神話を排除する歴史学会 モノの「意味」を語らない考古学 無視され続ける「国譲り神話」 唯物史観が支配する戦後の学会 文字資料主義、文献主義 モノを見る目、カタチを語る自信 第一章 「国譲り神話」と出雲の銅剣 「国譲り神話」の主要登場神 『古事記』の国譲り神話 『日本書紀』の国譲り神話 出雲での考古学的新発見 整然と並べられていた銅剣 北部九州産とも見られる銅鐸 銅製品の大量加工製造地域としての可能性 再評価される出雲の古墳 大国主神が望んだ神殿と出雲大社 近代伝統の『古事記』『日本書紀』ねつ造説 荒神谷の出土品に関する研究者の考察 銅剣、銅矛は武器だったのか 祭器として造られた剣と矛 銅剣・銅矛・銅鐸はなぜ地中に埋められたのか 加茂岩倉遺跡から出土した三九個もの銅鐸の意義 銅鐸は出雲が起源 埋納は、権力移譲の行為 銅剣に刻まれた×印の意味 「国譲り神話」との深い関連 困難を極めた葦原中国平定 『日本書紀』のタケミカヅチ タケミカヅチの霊剣 刀剣三五八本、その数字の意味 大国主神の子、タケミナカタ 日本神話の「譲る精神」 国譲り神話と「神在祭」 『出雲国風土記』の国譲り神話 第二章 関東にこそあった「高天原」 出雲大社に発見された茨城・鹿島神宮との共通点 鹿島神宮はどのようにできたか 記紀に書かれていないことの重要性 語られない大ヒーロー、タケミカヅチ 別名が一〇近くあるタケミカヅチ 「葦原中国」とはどこを指すか 高天原と茨城県の鹿島 鹿島は「天孫降臨」の出発点 今も鹿島にある地名「高天原」 記紀に書かれた「高天原」 高天原と「富士山」 高天原と「常陸国」 タケミカヅチと「鹿島神宮」 タケミカヅチが本源とした豊かな地 イザナギ・イザナミと筑波山 「天(あま)」と「海(あま)」 考古学的裏付けがある「鹿島」の力 活発な人間活動を物語る鹿島の縄文遺跡 重なっている鹿島の縄文時代と弥生時代 茨城県の二割の古墳が鹿島に集中 鹿島の古墳と神々の関係 鹿島に残る強大な武力の伝統 タケミカヅチを崇めた神武天皇 製鉄の地だった鹿島 鹿島を重要視していた大和勢力 ヤマトタケルと鹿島 鹿島生まれの藤原鎌足 鹿島、香取の両神宮、そして富士山 第三章 タケミカヅチと物部氏 ~日本の「もののふ」は関東から 大和朝廷の最高級実力者・物部氏 物部氏の祖、ニギハヤヒとは 剣を祀る物部氏の総氏神、石上神宮 ニギハヤヒは日高見国の大和地方統治者 『先代旧事本紀』に書かれた神武東征 石上神社が祀る剣は、フツノミタマ フツノミタマを祭る千葉県・香取神宮 中臣氏の鹿島神宮、物部氏の香取神宮 船で天降ったニギハヤヒ 「鹿島立ち」と「香取待ち」 日高見国を支えた物部氏 神話と歴史が結びつく国、日本
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