「強さ」の時代に抗して
荒井 献 著
内容
目次
プロローグ 剣をさやに納めなさい 日本の今とキリスト者の課題 キリスト教のシンボルとしての十字架とその本来的意味 「罪人」と共に 和解の創造 宿営の外に 新約聖書の人間観――Imago Deiをふまえて I 弱いときにこそ 一 イエスと現代 ――「強さ」志向の時代に抗して―― 二 キリスト教は寛容でありえたか ――イエスと原始キリスト教の視点から―― はじめに――「寛容」と「非寛容」 1 イエスの寛容と十字架の出来事 2 原始キリスト教の場合 3 ルカ福音書二二章36節の影響史 おわりに 三 イエス・キリストと私 はじめに 1 「イエスを語る」とは 2 私とイエス――生い立ちと出会い 3 聖書の学問的研究と大学闘争 4 イエスの視座――吉本隆明『最後の親鸞』との類比 5 最後のイエスと私 質疑応答 四 イエスの出来事が示すものは何か ――隣人との交わりを支えるもの―― 五 教会に生きる 六 何を待って生くべきか ――アドベントにあたって―― 七 神の都と地上の都 同時代への発言 1 隣人の苦しみ イエスの視座から韓国・日本の現状を考える その者を見よ!――『金冠のイエス』を観劇して 「共苦」の想像力具体化を――韓国にいる政治犯救済のために 想像力を――「隣人になる」方向へ 2 「強さ」志向の時代に 弱いときにこそ強い 無責任性の象徴としての天皇制 責任ある「私」となるために 蛇と鳩 ハプニング 「無事」への疑問 連合赤軍事件に思う II 闘いの中で 一 共に「子」となる努力を 1 クリスチャン・ラディカルズ 2 史的イエス 3 原点に 4 自己を相対化する「子」 5 自己否定のために 6 「大人」が「子」となり,「子供」が「子」となる 7 もはや奴隷ではなく 二 キリスト教主義大学の存立は可能か 1 学院闘争の問いの中で 2 青学大キリスト教の実体 3 福音と大学 4 イデオロギーとしての福音 5 青学大から神学科が消えるとき 三 「建学の精神」としての「キリスト教主義」 ――「大磯事件」(1964年)と「大学闘争」(1968―69年)を中心に―― 1 いわゆる「大磯事件」 2 いわゆる「大学闘争」 四 大学の「理念」批判の視座によせて 五 付加価値と存在価値 ――大学教育の社会的責任によせて―― 1 所有価値から存在価値へ 2 「付加価値」と大学の社会的責任 3 「存在価値」と大学の社会的責任 あとがき 初出一覧
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