ちくま学芸文庫<br> 増補 虚構の時代の果て (増補)

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ちくま学芸文庫
増補 虚構の時代の果て (増補)

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  • サイズ 文庫判/ページ数 338p/高さ 15cm
  • 商品コード 9784480091970
  • NDC分類 169.1
  • Cコード C0136

内容説明

オウム真理教事件は、当時の社会の断末魔の叫びだった。事件を起こした信者たちは、アニメ番組等の終末論から影響を受け超越的第三者(教祖)の審級に依存する世界観を肥大させ、そして彼らの事件がある時代を終わらせる。著者はその時代を「虚構の時代」と呼び、日本の戦後精神史上、終戦から万博までの「理想の時代」の次に来た時代、と位置づけた。時代の転換点を受け止めつつ、現代を克服する端緒を考察した意欲的論考。文庫化にあたり、オウム事件から始まる現代社会の文脈を解きほぐす論説を増補。

目次

第1章 妄想の相互投射
第2章 理想の時代/虚構の時代
第3章 サリンという身体
第4章 終末という理想
第5章 虚構=現実
終章 ポアの思想を越えて
補論 オウム事件を反復すること

著者等紹介

大澤真幸[オオサワマサチ]
1958年、長野県松本市生まれ。1987年、東京大学大学院社会学研究科博士課程修了。現在、京都大学大学院人間・環境学研究科教授。専門は共生文明学、現代社会学。2007年『ナショナリズムの由来』(講談社)で、毎日出版文化賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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寛生

45
【図書館】唯一尤もな見解は補論にあるオウムと資本主義の関連性への言及。(319)大澤はオウムが資本主義に「対する」とか、「ーへの抵抗」という表現を使っているが、僕ならば、〈市場資本主義〉の副産物のようなものがオウムという現象なのだと言う。大田に引き続き、大澤もここでオウムとナチスの類似性に焦点を当てるが、僕は的が外れていると思う。さて、何よりも大澤の〈他者論〉が一体どこからどういう風に持ち込んで組み立てたのか、さっぱり分らない。こういう「他者」論は、〈他者論〉を理解していないから可能なのだろう。2014/06/15

ころこ

42
本書の議論の中心は、師匠・見田宗介の理論を翻案して「理想の時代」「虚構の時代」、補論を合わせると次いで「不可能性の時代」という区分をつくったことだ。これらは現実との対比において名付けられている。しかし、連合赤軍事件に団塊世代が同時代性を感じたように、1歳違いの宮台真司も同じく著者が取り組んだ本当の動機は他人事とは受け止められない同時代性にあるようにみえる。「オウムは、目下のところどうしても、考察する者自身が内蔵している〈現在〉として分析されねばなるまい。」名もないオウム信者への同情や媒介のない身体性や原初2022/12/31

buuupuuu

19
オウム事件の背後にある社会意識を探った本。昔読んで分からなかったが、今回もよく分からない。近代以降、生を意味付ける根拠は無限の遠方へと際限なく先送りされるようになり、それによって近代的主体も成立するのだが、オウムにおいては、自我を否定して直接性へと回帰しようと志向する中で、それを指導する麻原が意味付けの主体としての地位を占有してしまったのだという感じだろうか。社会学というより昭和の文学の続きをやっているような印象を持った。他者に寄生されているという社会的感覚、陰謀論は今の方が激しくなっているのではないか。2022/09/18

NICK

12
大澤が時事問題に取り組むのは理論の実践ということもあるのだろうが、この本はその大澤の実践の走りとなるもので、かなり気合が入っている。やはり金太郎飴めいていたり、論理が飛躍して眉唾な部分もある。しかし面白い。第三者の審級が元々身体論の文脈で定義されていることやその審級の普遍化する運動が終着点が終末論的な否定性の表現となってしまうこと、そして「虚構の時代の果て(=ポストモダン的状況?)」は理想の時代、虚構の時代からオルタナティブなものとして現れるのではなく、むしろその臨界点なのだということを再認識させられた2014/06/20

空箱零士

11
オウムとは〈虚構〉が〈現実〉と等値となったが故に麻原という《他者》と合一となり〈超越性〉を確保しようとした試みであった。しかし麻原という〈第三者の審級〉は《他者》となった信者たちに〈真我〉を内在させてしまい、故にオウムの外側にある《他者》たちにサリンをばら撒くこととなる。すなわち、《他者》への不信の象徴であるサリンを。超越性(理想)が反復されることによりその効力が失効し、やがて「理想」の憧憬である「虚構」さえ「現実」と等値になってしまう(=不可能性)という論旨は、資本制の臨界点の様を暴きだしていて刺激的。2014/12/18

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