内容説明
「自己」とか「自分」とは、私たち個人の内部的ななにものかだろうか。自分の「自」は「おのずから」の「自然」となり、また「みずから」の「自分」となり、両者の間で根源的な生命は躍動する。自己あるいは自分とは、私の内部にあるものではなくて、私と世界との、総じて人と人との「あいだ」にあるのだ。自己の自己性にかかわる危機として分裂病(統合失調症)や離人症を取り上げ、「あいだ」の時間性や、自己の「もの」的ありよう・「こと」的ありように光を当てる。著者の内面の歴史を背景に語られる木村哲学への最初の一歩。
目次
「自然」について
自己とは何か
「あいだ」と「ま」
「間」と個人
思春期病理における自己と身体
存在論的差異と精神病
ハイデッガーと精神医学
著者等紹介
木村敏[キムラビン]
1931年、旧朝鮮生まれ。1955年、京都大学医学部卒業。現在、京都大学名誉教授、河合文化教育研究所主任研究員。専攻、精神病理学。1981年に第3回シーボルト賞、1985年に第1回エグネール賞、2003年に第15回和辻哲郎文化賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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KAZOO
71
木村先生の本は結構昔から読んでいますが、この本はまだ読んだことがありませんでした。そんなに新しくはないのですが、さまざまな雑誌に掲載された論文集ということで、好き好きはありますが、私は「自己とは何か」「「あいだ」と「ま」」「「間」と個人」が非常に参考になりました。最近の若い人がスマホやツイッターなどでのコミュニケーションをとっているについてのヒントが少しは理解できる気がします。2015/08/16
朝野まど
5
「あいだ」や「自己」といった日常的な切り口をテーマにしながら、哲学と精神医学という二本の糸を織り込んでいったらできあがったのがこの本なのでしょう。拒絶反応を示してしまいがちな哲学用語も、敏先生の躍動的な言葉で表現されることで前のめりになって学ぶことができました。私と他者の「あいだ」での生命的躍動が失われることで分裂病が生じるという彼の理論は、優しく、愛すべき理論だと思うのです。誰かを救おう、そんな彼の意思が学術論文からも生々しく伝わってくる一冊でした。2012/11/27
kanaoka 56
4
自己(みずから起こる)と自然(おのずから起こる)は、同じ根を持つ「こと」的なものである。自己とは、現存する普遍的な「もの」ではなく、自己と他人との間において生じる「こと」であり、それは人間として生きるうえでの能動的・実践的な意思の実現(生命力)である。世界を自覚するとき、自己の自覚が立ち上がってくるのであり、そこにおいてはじめて空間と時間が「こと」的に意味を有することになる。それは、自己の抵抗感としての空間が拡がっているということ、自己にとって時が経つということであり、時空も普遍的な「もの」なのではない。2015/10/05
southage
3
人間の自己は一つではない。対象としてそこにある、つまり他者から見て他者であるところの自己、「もの」としての自己に対して自らあるということによって世界と対峙する作用的な「こと」としての自己が存在する。これは自我を単独の存在として規定する近代思想あるいは近代文学に一石を投じるものであり、分裂病の解明という狭いジャンルにとどまりえない考え方である。2013/02/21
arisa
2
いいなー。美しいな。私の中で、「ノエシス」「ノエマ」のイメージは、野球でボールを投げた瞬間〜滞空している間が「ノエシス」、キャッチャーのミットにバシッと収まって受肉した瞬間が「ノエマ」である。空中に漂うボールは、風にあおられてどこかに行ってしまうかもしれないし、想像もしないような動きをする不安定ななまものである(そこが美しい)。この喩えで伝わるかわからないけど。。2023/09/10