内容説明
世界中の子どもと大人を魅了したキャロルの傑作『不思議の国のアリス』―兎に導かれてアリスがたどる不思議の国のファンタジー。この数多くの言葉遊びがちりばめられた透明感のある物語を、原作の香気そのままに日本語に移しかえた訳の誕生である。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ヴェネツィア
88
『アリス・オンパレード』第12弾。ちくま文庫版。訳は柳瀬尚紀。ジョイスやエリカ・ジョングなど多数の翻訳がある。ルイス・キャロルも当然守備範囲。本書の訳文からは、読者として子どもを想定してはいないようだ。漢語が幾分多い上に「遅れじと」など、文語がところどころに混じっていたりもする。それでいて、アリスの語りは「あたし」だったり、副詞は妙にくだけていたりと、全体としての統一感にも欠けるようだ。挿絵は佐藤泰紀だが、この人の絵はやはり色彩豊かな油絵でこそ発揮できそうなのに表紙以外はモノクロでひたすらに暗いアリスだ。2013/09/05
zirou1984
37
アリス翻訳読み比べその2。翻訳はジョイス『フェネガンズ・ウェイク』で日本語の言葉遊びを限界まで駆使した翻訳で有名な柳瀬尚紀、イラストは佐藤泰生。訳者あとがきにもあるが「だ、である」調の文体、ラフスケッチ調の挿絵と大人の読者向けを想定した内容。とはいえ柳瀬氏特有の、漢字の当て字を使った翻訳は絶好調で、「海亀フーさん」もまさしく英語のニュアンスを日本語に置き換えている。そもそも作者のキャロル自身が数学者/論理学者であり、こうした言葉のロジックに対して当然自覚的であった訳だ。こうした大人向けのアリスも悪くない。2014/10/05
三柴ゆよし
25
不思議の国から帰還したアリスが語る冒険譚を、アリスのお姉さんがこれまた夢見心地で反芻するラストシーンは非常に重要。アリス物語といえば、少女から大人への成長過程を描いた通過儀礼(イニシエーション)として解釈されることが多いのだが、真性ロリであったはずのルイス・キャロルが、この物語に果たしてそんな含みを持たせていたのかというと、これはどうもあやしい気がする。むしろアリスから次なるアリスへと、ほとんど無限連鎖的に続いていく少女賛歌と考えるほうが自然だろう。一にして全なる少女アリスの冒険は終わらないのである。2012/03/25
歩月るな
19
「始めからはじめよ」王は重々しく言った。「終わりまでいって、そこでやめるのじゃ」やはり夢から覚めた後の、姉の周りに広がる夢の再現と、それが引いて行く静けさと喧騒――ラストの表現がこの訳文だからこその重みを持って畳みかけて行く。この結末の存在感がでかく、思わず鳥肌が立つ名文なのだ。文体がくそ真面目なおかげでナンセンスっぷりが半端じゃなく、「おとなむけ」として親しみ深い不思議の国がここにある。「豚としてなら立派にやっていけそうな知り合いの子供たち」と言うには、なかなかユーモアたっぷりで小気味よい表現である。2016/09/02
mm
19
読み比べ。こちらは柳瀬尚紀さんの訳で、解説が楠田枝里子さん。洒落の扱い方が違いますね。どちらが好みとも言えません。矢川さんのほうが、音韻重視で、柳瀬さんの方が、意味重視かなぁ?みたいな感じがあるだけで。アリスのキャラの違いもあるけど、場面場面で少しづつ違うので、なんか、今の私の頭の中には、リミックス版アリスが住んでいます。やはり原文必要。2016/07/01