出版社内容情報
ペストなどの疫病との闘い、 ベトナムでの農業振興に全情熱 を捧げた80年の生涯を余すところなく描いた詳細な伝記。
ペスト菌発見と血清療法の確立により全人類の恩人と言ってもよいエルサン。彼は伝染病や細菌学でコッホと並んで近代医学の創始者の一人として名高いパストゥールの晩年の弟子の一人である。
近年発見された千通に及ぶ手紙など豊富な資料をふんだんに引用しながら、十九世紀後半のドイツやフランスの医学や臨床教育の実際、つづく結核・ジフテリア・ペストなどの疫病や細菌との闘い、そしてインドシナにおける獣医学・畜産学・熱帯農業などへの果敢な取組みに全情熱を捧げた八十年の生涯を余すところなく初めて描いた詳細な伝記!
二十世紀初頭の大流行以来、幸いなことに、ペストは鳴りを潜めている。一方、一九七六年に??出現?≠オたエボラ出血熱は中央アフリカで散発を繰り返し、ついに二〇一四年、世界的流行の兆しを見せ始めた。エイズウイルスを始めとして、サーズウイルス、ニッパウイルスなど、この半世紀のあいだに??出現?≠オたウイルスを数え上げるだけでも、科学の力で疫病は根絶できるというのは幻想だったことが分かる。
香港でペスト菌を発見し、広東やアモイでその患者を治療し、ベトナムの寒村にパストゥール研究所を設立、そこを終の住処と定めて、「見えない敵」との闘いに孤高の生涯を捧げたエルサンの事跡を、いま真摯にふりかえる意味はかぎりなく大きいと思われる。
【著者紹介】
アンリ・H・モラレ(1923~2008)パリ・パストゥール研究所でペスト部長を務め、WHO専門家として多くのペスト汚染国で研究調査活動に従事、単独で、あるいはペスト史研究者ジャクリーヌ・ブロソレとの共著でペストほか伝染病史に関する多くの著作がある。
内容説明
エルサン孤高の挑戦。近年発見された千通に及ぶ手紙など豊富な資料を駆使して、19世紀後半の医学や臨床教育、ペストなどの疫病との闘い、ベトナムでの獣医学・畜産学・熱帯農業への取組みに全情熱を捧げた80年の生涯を余すところなく描いた詳細な伝記。
目次
スイス(一八六三年~一八八四年)―生い立ち
ドイツ(一八八四年~一八八五年)―マールブルグの医学生
フランス(一八八五年~一八九〇年)―病理学に傾倒するエルサン
フランス郵船(一八九〇年~一八九一年)―船医時代
探検(一八九二年~一八九四年)―リビングストンに憧れて
ペスト(一八九四年~一八九八年)―ペスト菌発見
ニャチャン(一八九八年~一九〇二年)―船上で見初めた絵のような漁村
ハノイ医学校(一九〇二年~一九〇四年)
ニャチャンへの帰還(一九〇四年~一九四三年)―終の住処に戻る
インドシナ・パストゥール研究所―四つの研究所の連携
ナムさん―漁師岬の老科学者を回想して
エルサン以降―動乱の時代を経て今
著者等紹介
モラレ,アンリ・H.[モラレ,アンリH.] [Mollaret,Henri Hubert]
1923‐2008。パリ・パストゥール研究所で1960年から1990年までペスト部部長、WHO専門家として多くのペスト汚染国で研究調査活動。ペストとその他の伝染病史に関する著書多数がある
ブロソレ,ジャックリーヌ[ブロソレ,ジャックリーヌ] [Brossollet,Jacqueline]
ペスト史学者
瀬戸昭[セトアキラ]
1939年香川県生まれ。京都大学医学部卒、医学研究科修了、医学博士。フランス政府給費留学生としてパリ・パストゥール研究所に留学、パリ大学博士(理学)。京都大学医学部助手、助教授を経て、滋賀医科大学教授。定年後、JICAシニア・ボランティアとしてモロッコ王国に二年間滞在(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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