内容説明
「すべて殺せ」と宣した十三世紀の熱狂的異端狩りから、冷徹な組織的手続きとして完成された十四世紀を経て、十五世紀スペインでの過酷なユダヤ人・イスラム教徒弾圧へ―。やがて訪れる魔女狩りの季節の前夜に、南フランスを中心に吹き荒れた異端審問の歴史を、あらゆる史料を駆使して克明に描きだす。中世民衆の宗教世界の実相に迫った労作。
目次
第1章 薪と硫黄の匂い―異端審問とは何か
第2章 剣と火と異端者―異端審問の誕生まで
第3章 異端審問創設の頃
第4章 異端審問の制度化
第5章 審問官ベルナール・ギー
第6章 裁かれる者たち
第7章 スペインの火刑台
著者等紹介
渡邊昌美[ワタナベマサミ]
1930‐2016年。岡山県生まれ。東京大学文学部西洋史学科卒業。高知大学教授、中央大学教授をへて、高知大学名誉教授。専門は、フランス中世史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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パトラッシュ
58
スターリンのソ連、ナチスドイツ、文革期の中国など現代まで続いた容赦ない異端狩りを思えば、中世ヨーロッパで吹き荒れた異端審問は特定の宗教やイデオロギーを絶対視する人間の考え方や感覚が7百年過ぎてもほとんど進歩していない現実を突きつける。マニュアルに基づく官僚的な手続き、一審のみ弁護人抜き証拠無視の有罪が決定済みの裁判、残酷な処刑に情熱を傾ける審問官などキリストの名の下に行われた有様は、フライスラーやウルリヒら無法判決を乱発した独裁政権下の裁判官そのものだ。神が存在してもしなくても人は一切を許してしまうのか。2021/05/28
ゲオルギオ・ハーン
30
30年近く前に現代新書から出ていたため、学術文庫に移籍した少し珍しい経緯の一冊。異端審問と魔女裁判はあまり違いがないように見えるが、教会の教えを徹底させるという性質が強いのが異端審問であり、時代によって異端とするものが変わるというのは面白い指摘だった。というのも10世紀半ばに興ったカタリ派、ワルドー派はいずれも主旨としては清貧運動だったが教会批判に繋がる危惧があったため異端とされたが、12世紀に登場した同じく清貧を掲げるアッシジのフランチェスコは聖人とされ、彼が設立したフランチェスコ会は公認される。2022/04/06
宗次郎
12
今現在も場所をインターネット上に移して異端狩りは進行中なのかもしれない。特にコロナ禍にいたりたまったフラストレーションの解放のしどころをネットに求める人が増えている印象だ。2021/09/09
ふたば@気合いは、心を込めて準備中
9
何を持って異端とするのか、という大前提を知らずして読んではいけない内容。それでも、苛烈な異端者狩りに平和な時代の日本人は目を疑う。狂気のような異端狩りと、自らの信仰を守り、火刑さえ、信仰心を表す手段と考える異端者たちにも宗教と言うものの怖さを感じた。初期の余りにも激しい異端審問から、徐々に制度化されて行き虐殺のような異端狩りが落ち着いて行く過程には少し安心してしまった。2021/04/10
筑紫の國造
6
知らない事を知る、というのは楽しいものだが、これも面白い本だった。「異端審問」という名前となんとなくのイメージはあったのだけれど、こうしてきちんと体系立てた本を読んだのは初めて。初期の異端審問がむしろ審問官の暴走を生み出しがちで、かえって地域住民の恨みを買った、というのは意外だった。これでは、住民も異端の側に同情を寄せるだろう。苛烈な弾圧を受けながも清貧に生きる「異端」は、確かに原始的な宗教者の面影がある。そしてこの異端審問の形は、「狭隘なイデオロギーによる他者排除」という形で、20世紀でも猛威を振るった2021/07/07