内容説明
史上初めて、京都から百里以上を隔てる僻遠の地に創られ、以後百五十年にわたって存続した新たな政権、鎌倉幕府。朝廷と並立する統治のあり方はなぜ生まれたのか。そのことは日本社会をどう変えたのか。源平争乱から幕府誕生、執権政治の時代、そしてモンゴル戦争を経て崩壊に至るまで、鎌倉幕府の時代を描ききる。
目次
第1章 鎌倉幕府の成立と朝廷
第2章 執権政治の時代
第3章 モンゴル戦争
第4章 徳政と専制
第5章 裁判の世界
第6章 鎌倉幕府の滅亡
著者等紹介
近藤成一[コンドウシゲカズ]
1955年東京都に生まれる。1982年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。現在、東京大学史料編纂所教授。専攻は日本中世史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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翔亀
46
著者は東大史料編纂所で32年間一貫して「大日本史料」の編集に携わってきたという。日本書紀、続日本書紀と6つ続いた勅撰国史(「六国史」)を引き継ぐもので、1901年から刊行が始まりまだ編集が継続中だという(これまで400冊刊行済みで、まだ半分程度。あと何百年かかるのか。知らなかった)。著者は32年間に9冊を完成したが、その対象は1248年10月から1251年7月までのたった3年間足らず。凄い学問の世界があるものだと驚くが、本書は恐らくそうした著者らしい通史だ。専門家でない私にとってはもうディテールの嵐に↓ 2017/05/13
chanvesa
19
「おわりに」はさらに突き進んでもらいたかった。鎌倉幕府自体、それから北条執権、それ以降続く朝廷と幕府、明治政府までの権力の併存、二重構造がなぜ成り立つのか、その発端となる鎌倉幕府について、という観点が問題提起止まり。このシリーズは事実の列記が目的なのか。鎌倉幕府の巻は期待していたのに…2017/05/02
coolflat
17
21頁。奥州藤原氏滅亡。頼朝が自ら合戦の陣頭に立ったのは、石橋山以来であるが、頼朝が陣頭に立たなければ勝てなかったという訳ではなく、逆に絶対勝てる合戦であったから自ら陣頭に立ったといえる。奥州合戦は既に内乱の終息を前提とし、内乱期の主従性を清算・再編成して、これを鎌倉殿のもとに明確化するという意義を持った戦争であった。つまり平時の御家人体制を構築していく政治が、戦争の形態をとって始められていた訳である。さらに頼朝がこの合戦を演出したのには、もう一つの目的があった。それは全国支配の達成をかたちに示す事である2017/06/04
しんすけ
12
本書が取り上げるテーマは多すぎる。源平合戦、蒙古襲来、南北朝内乱。これらはそれぞれが1冊になるものである。これに「執権政治」「徳政制度」が加わるのだから、250頁の小冊子で語りきれず、浅い通史的表現になるのも止むを得ない。だが著者は上記の数々を語りながら、鎌倉幕府が滅亡していく要因を究明しているようだ。後半の下記がそれを裏付ける。「少し前までは、鎌倉幕府滅亡の原因をモンゴル戦争から説明するのが一般的であった。…そもそもかりにモンゴル戦争がなくても武士は窮乏化せざるをえないような分割相続の構造があった…」 2017/12/03
Eiki Natori
10
鎌倉幕府は150年続いた。もちろん順風満帆だったわけではない。徳川のように統制された世だったわけでもない。常に内紛や朝廷のクーデターの危機にさらされていた。世襲ゆえ、当然ながらバカな権力者もいただろう。それでも長続きしたのは、武士が満足できるものを与えてきたからに他ならない。元寇で信頼関係を失い、倒幕されるまでは。 個人的には悪党についての記述が勉強になった。2022/01/16