ちくま新書
「伝統」とは何か

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  • サイズ 新書判/ページ数 206p/高さ 18cm
  • 商品コード 9784480061966
  • NDC分類 380.1
  • Cコード C0236

内容説明

「伝統」が、その担い手たちによって「作られる」ものであるという議論は、現代思想や文化人類学の領域ではそう珍しいことではない。けれども「伝統」の消費者たちにとっては、それにつきまとっているまやかしや杜撰さはあまり問題にならない。その事情は、明治維新によって急激な変化を強いられた近代日本でも同様だった。「伝統」が「求められ」、「作られて」いくプロセスを具体的に検証し、「伝統」を「求めて」しまう理由について考える。

目次

序章 ベティさんは、何故、秘密結社にいたのか
第1章 「母性」をめぐる伝統はいかに作られたか(民俗学者は何故、架空の血筋を求めたのか;日本人は母性が強い民族だから母子心中をするのか)
第2章 「妖怪」とはいかに語られたか(多民族国家論としての「妖怪」論;植民地帰順論としての「妖怪」論;「幽霊」の国家管理)
第3章 「愛国心」は「郷土」と「ムー大陸」へ向かった(「ユダヤ人」から「公民」へ;「郷土人」の気持ちは「外人」にわかるか;ナチズムと民俗学)
終章 可能性としての「公民の民俗学」

著者等紹介

大塚英志[オオツカエイジ]
1958年東京都生まれ。批評誌『新現実』を主宰
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

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Takayuki Oohashi

18
中沢さんの「精霊の王」を読んだ時、ミシャグチという古層の神を最初に述べたのが柳田国男だとあったのですが、この本を読んだ所、その柳田の発想の原点にあったのが、植民地台湾の先住民の民俗だったとあって、中沢さんと大塚さんの立ち位置の違いが興味深かったです。すなわち、日本政府の中枢にあった柳田の植民地に対する関心が、山人、言い換えればミシャグチ信仰の原点にあったという訳です。大塚さんのような権威に対する斜め見の視座がもっとあれば、と思いました。2016/04/17

翔亀

16
日本の伝統は明治以来政治的に作られたものだと主張する快著。実は大部分が柳田国男論。大塚は民俗学で大学院に進もうとしたがジャーナリスティクすぎる言われ、雑誌編集者の世界に進んだとどこかで書いていたが、緻密な論証という点では物足りないものの、なるほど大胆な発想が遺憾なく発揮されている。母性という伝統を明治の作家/民俗学者の養子の多さに関連付けたり、妖怪とは植民地の住民をイメージしたものなど、びっくり。でも白眉は、常民=同質的日本人の民俗学に堕したとよく言われる柳田に、公民の民俗学の可能性があったという指摘。↓2014/02/14

ころこ

9
著者は他の著書で、近代文学における『私』は仮構されたもので、本質的には近代以前やポストモダン文学と変わらないものであると、近代文学を民族学とラノベで両脇から串刺しにすることで説明しました。ところが今回は、その民族学がそもそも近代国家成立の為につくられた仮構ではないかという仮説を、柳田國男の仕事の変遷と共に追いかけます。2章では日本特有の性質だと思われている母性は、捨て子が社会問題となりつつあった昭和初期につくられたものだと指摘します。3章では異民族統合の帰順の歴史と柳田の天狗→妖怪論を重ね合わせることによ2017/10/12

スズツキ

4
日本で伝統的に扱われている習慣が実は近代の思想によって形成されていた、という考察。いくつかの例を章ごとに分けて説明しているが、個人的に興味のある部分とない部分の落差が激しかった。2015/06/29

すずめ

3
民俗学のなかの政治性、というのをみせてくれます。まあどんな学問にもあるけどさ、伝統なんてものはあるんだろうか…って懐疑的になれるような気分です。「政治的なるもの」は、いまもっと知るべきことなんだろうなあと思って読みました。2012/09/14

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